第三章 華京院凛香という少女⑪
結果だけ言えば、凛香は昼食を買ってこずに済んだ。そのまえに、朱莉がパンやおにぎりをもって演習場にやってきたからである。
彼らは学園の中庭へ移動し、ベンチに腰かけてすこし遅い昼食をとることにした。
「すまない美神。あとで金は払うよ」
「そんな。べつに気にしなくていいよ」
「いや、そういうわけにはいかないさ」
「そう?」
正直、金銭的余裕があるわけではないから、そうしてもらえれば助かりはする。
現在の朱莉の収入源は、中央省からの給金である。自身に関する様々な事情、『君主』の秘密などを守る代わりに、中央省から金を得ている。元をただせば、瀬戸が莫大な機密費の中からその一部を動かしているといった状況だ。しかし、それも決して高額をもらっているわけではなかった。
「柊、分かっていると思うが、おまえもきちんと払うんだぞ」
横で我関せずといったふうに菓子パンを食べている尊に、凛香がじろりと目をむけた。
「貴様、俺をなんだと思っているんだ?」
「おまえ、さっき私にたかろうとしていたじゃないか」
「冗談に決まっている」
疑り深い四つの目が尊を見た。
この少年の言葉は、どれが冗談でどれが本気なのか、まるで分らない。普段の行いが悪いことが、余計それに拍車をかけていた。
「華京院さん、なにかあった?」
「ん? なにがだ?」
凛香は訊いて、鮭のおにぎりを一口食べた。
「なんか、吹っ切れたみたいに見えるから」
朱莉の言葉に、凛香は驚いた様子で目を見張った。たしかになにかあった。しかし、それをこうも簡単に見抜かれるとは思ってもみなかった。いや、考えてみれば、以前から朱莉には、人を見抜く、特別な力のようなものがあった。
「俺がプライドを粉々に砕いてやったんだ」
「え?」
今度は朱莉が驚いた顔になった。慣れてきたとはいっても、まだ尊と付き合い始めてたかだが二ヶ月くらいのものだ。いきなりこんなことを言われては、彼女とて混乱する。
「私が無意識のうちに抱いていた慢心を、柊が教えてくれたんだ」
「あ、ああ……なるほどね」
凛香の説明で、ようやく朱莉は納得した。
「もう、それなら最初からそう言ってよ」
「言っただろう」
「「全然言ってないよ(ぞ)」」
二人は声をそろえて言う。
しかし、相手を一目見ただけで、その内面を見透かす……そういった出来事に、凛香は心当たりがあった。
以前、天音の主治医・内海に、自分の内心を見事に言い当てられたことがあった。驚いた凛香は「私の心が読めるのですか」と訊くと、彼女は口元に微笑をたたえ「あくまで心理学の範疇よ」と言った。それが呼び水となって、さきほど朱莉が言っていた心理学のセミナーを思い出した。
「美神、さきほどのセミナーの話だが……」
「ダメだ」
尊が凛香の言葉を先読みして言った。
「さっきも言ったように、貴様にはそんな暇も権利もない」
断固としたその言葉に、凛香はうつむいてしまう。しかしすぐに顔を上げると、
「頼む柊。行かせてくれ。いまの私の状況だけではない、もしかしたら姉さまのことも、なにか分るかもしれない。なぜだか分からないが、そんな気がするんだ」
しばらく凛香を見ていた尊だが、やがてつまらなそうに鼻を鳴らした。
「今回限りだ」
「本当かっ!?」
凛香に嬉しそうに詰め寄られ、尊はうっとうしそうに手を振った。
「この期に及んで、自分で自分の首を絞めるとはな。貴様、本当に自分の状況が分かっているのか?」
尊の皮肉に、凛香は即座にうなづいてみせた。
「もちろんだ。だが私にとって、姉さまも大切だ。私はどちらも、疎かにしたくない」
尊はまた鼻を鳴らした。
「それで状況が好転すればいいがな」
「じゃあ、二人も一緒に来れるんだね?」
これ以上尊に皮肉を言わせないよう、牽制する形で朱莉が言った。
「不本意ながらな」
結局尊は皮肉を言った。
まったく、どうしてこの少年はこんな言いかたしかできないのか。呆れも尊敬も、もうし飽きた。というか、いちいち反応を示したくない。疲れるから。
凛香は呆れた表情をしていたものの、自分が元凶であるために文句を言うことができず、歯がゆそうである。
会話をするだけなのに、どうしてこう難儀なことになるのか。
――セミナーでは大丈夫かなあ。
美希とのことを想像し、朱莉は一人ため息をつくのだった。
セミナーは朱雀地区にある文化会館にて行われる。
半円形の天井に覆われた、普段はプラネタリウムとしても利用されている小ホールである。
心理学のセミナーというのは、朱莉にとっては聞きなれないイベントであり、客足はどのくらいなのだろうと気になっていたが、なかなかどうして会場は満席だった。
客層は、ざっと見た限り若い女性が多いようである。
「人多いね」
朱莉がすこし驚いた様子で言った。
「そりゃいま人気の人だもん」
美希はなぜか得意げに言った。
「でも、二人が来るなんて思わなかったなぁ」
今度は不思議そうに、ちょっとからかうような顔つきになって、尊と凛香に言う。
「そうか?」
「うん。こういうことに付き合ってくれるのって、ちょっと意外。とくに柊くんは、絶対こなさそうなのに」
「べつに来たくて来たわけじゃない」
尊は面倒くさそうに発言する。会場がざわついているためか、尊はうるさそうに顔をしかめていた。
「え、じゃあ、どうして来たの?」
美希が当然の疑問を放った。
「貴様には関係ない」
相変わらず、人のことをまったく考えていない発言である。朱莉はもう慣れ、凛香はさほど驚いている様子はなかったが、美希はさすがに面食らったようだ。
「わ、私は楽しみにしていたぞ! じつはまえから心理学に興味があったんだ!」
尊の近くにいる人間というのは、こうして彼の失言(本人はそう思っていない)を糊塗する宿命にある。その回数たるや、もはや給金が発生するレベルである。
「へぇ、そうだったんだ」
意外そうに美希は目を細めると、じつはねと続ける。
「私、心理学はあんまりなんだ」
あまり興味がない、ということだろうか。美希はペロッと舌を出す。
「そうなのか? じゃあなぜ……」
君こそなぜ来たんだ、と訊こうとした凛香を制するように、パッと会場の電気が消え、代わりにステージにスポットライトがあてられる。なにかが始まる、と察した会場は、さきほどと打って変わって静まりかえった。
スポットライトに照らされたのは、髪の薄い、眼鏡をかけた中年の男である。
「皆様、ようこそお越しくださいました。私は倉田睦心と申します。当セミナーは、〝心理の世界〟と題し、皆様を……」
とそのとき、舞台袖から、一人の男が出てきたかと思うと、彼はまっすぐに中年男のもとへむかう。
「あの、いま私がしゃべっているのですが……」
困ったように眉をよせるメガネの男に、彼はただ一言、
「〝起きろ〟」
と同時に、指をパチンと鳴らした。
すると、眼鏡をかけた中年男は、夢から覚めたような顔になった。不思議そうにあたりを見回し、
「あ、あれ……? 私は一体なにを……倉田博士、これはいったい……」
眼鏡の男はキツネにつままれたように、瞬きを繰りかえしている。それを見て、倉田と呼ばれた男は軽く指を振ってにやりと笑う。すると、彼は即座に状況を理解したようだった。ハッとした顔になり、困ったように肩をすくめる。
「皆さん! セミナーに協力してくださった私の助手、涌井氏に盛大な拍手を!」
そう言うと、彼は自ら拍手をする。いまのがショーを盛り上げるための〝デモンストレーション〟だと理解した客席からも、すぐに拍手が巻き起こった。
拍手が弱くなったときを見計らい、倉田はマイクにむけて声を出す。
「改めまして、倉田睦心と申します。皆さん、今日はよく来てくれましたね。いや、それにしても、今日はずいぶん人数が多いですね。さすがに緊張します。自分に〝暗示〟をかけたいくらいだ」
客席からちょっと笑い声が起きた。
「そう、暗示。とても不思議な力です。ひとたびかかってしまえば、その人は思いこみという迷路の中に迷いこんでしまう……。こういうと、なんだかインチキ霊能力のように思えますがそうじゃない。暗示とは、つまるところ化学。心理学という名の学問のなす、技術なのです」
倉田は客席を睥睨し、威風堂々と言葉を発した。
彼の言葉には、不思議と人を引き付けるなにかがあった。言葉だけではない。その一挙手一投足を、なぜか目で追ってしまう。
いままさに、会場を掌握している心理学者を見て、尊はなるほどと鼻を鳴らした。
客が多いという意味と、美希がなぜ来たがったのか、その理由が分かったからだ。
倉田は、なかなかの美男子であった。ただ顔がいいというわけではない。肌の白い、線が細い、人懐っこい笑みといい、テレビ受けするであろう顔立ちをしていた。
要するに、美希をはじめとするほとんどの女性陣の目的は倉田そのものであって、セミナーは二の次三の次なのだ。
倉田は続ける。
「〝暗示〟以外にも、心理学は様々な奇跡を引き起こすことができます。信じられないという方も、当然いらっしゃることでしょう。その方たちのために、一つ、面白いものをご覧に入れます」
いたずらっぽく笑うと、倉田は客席から一人の女を指名する。ステージの中央に黒いシートを敷いた机が用意され、ステージ奥の弾幕に机上が映し出される。
「ここに、六枚のトランプがあります。なんの変哲もない、種も仕掛けもございません」
冗談めかした口調で言うと、客席はまたすこし笑った。
「いいですか、ここにあるカードを、一枚、選んでください」
机の上に、六枚の絵札が並べられる。
「じつは私は、人の心を読むことができるのです。だから、あなたがどのカードを選ぶのか、私には手に取るように分かる」
会場にどよめきが起きる。その中にあって、倉田の声は会場内にゆっくりと浸透していく。
「私は目隠しをしているので、その間に選んでください。よろしいですね?」
女がうなづくと、倉田は目隠しをする。女はハートのジャックを選ぶと、「選びました」と言った。倉田は目隠しを外し、カードを回収して言った。
「ではこれから、あなたが選んだカードのみを消してごらんに入れます」
倉田は目を伏せ、「はっ!」と一言声を発する。ゆっくりと目を開き、ふたたび机上にカードを並べていく。
そこに、ハートのジャックは――なかった。
会場から、おおっというどよめきの声が起きた。ステージの上にいた女性も、不思議そうに首をかしげている。
「もちろん、私に人の心を読むことなどできません。これも、心理学のなせる〝技術〟です。どうです? 信じていただけましたか?」
そこで倉田は耳を澄ます真似をしたが、すぐに困った顔つきになった。
「え? 弱りましたね、まだ信じていただけない……分かりました!」
彼はポンと一つ手を打った。
「では皆さまのために、一つ、私の〝技術〟をご覧に入れます」
倉田はじつに紳士的な態度で女性を客席へ戻し、何気ないふうを装って客席を見渡した。つぎなる助手の選定をしたのだ。
「では、そうですね……そこのあなた」
と、ある一点にむかい手のひらをむけた。
「ええ、そう、あなたです。騎士団養成学園の制服をお召しになった、白い髪の少年……その横に座っておられる、お嬢さん、あなたです」
「わ、私かっ!?」
指名されたのは、凛香であった。一瞬尊が指名されたのかと思い肝を生やした朱莉はホッと息を吐き、
「華京院さん、がんばって!」
「いいなぁ……」
それぞれ異なる反応を見せる二人。対照的に、終始黙って口元に皮肉な笑みを浮かべながら、嘲るようにステージを見据える少年が一人。
「あ、ああ……」
当の凛香は緊張から、まるでロボットのようにカクカクと動きながらステージに上った。
「ようこそ」
緊張した様子の凛香に、倉田はやさしく微笑んだ。
それだけのことなのに、凛香は肩の荷が下りたような気がした。さきほどとは比べ物にならないほど、体が軽くなる。
「そう、肩の力を抜いてください」
倉田は困ったように肩をすくめる。
「なにも、おかしなことをしようというわけではありません。ほんのすこしだけ、お手伝いをしてほしいだけです」
「はぁ……」
凛香は怪訝に眉をひそめ、
「しかし、私はなにをすればいいのでしょう?」
倉田はにこりと笑い、指をパチンと鳴らした。すると、裏に控えていたらしいスタッフたちが、たちまちステージになだれ込んでくる。彼らはじつに手際よく、棚、タンス、テーブル、テレビなど、を設置し、簡易的な部屋のセットを作った。
「あなたには、あるものを隠していただきたいのです」
スタッフたちがはけたのを見計らって、倉田が言う。
不思議そうにしている凛香の顔のまえで指を振って見せると、彼はタンスの上に置かれたちいさな花瓶……そこに活けられたアスパラガスの花を凛香にうやうやしく手渡した。
「この花を、ステージ上のどこかに隠してください」
「花を、ですか……?」
なるほど。どうやら、ステージのどこかに花を隠させるために、セットを用意させたらしい。
「分かりました」
凛香が言うと、倉田はコクリとうなづき、
「では、私はまた目隠しをして待つとしましょう」
彼は自ら目隠しをすると、客席をむいた。そうして、とりとめのない話をする。心理学とはなんら関係のない、テレビ出演で感じたことや、あるいは趣味の話など、そういったことだ。
まもなく、凛香がアスパラガスを隠し終え、
「隠しました」
と言った。ちなみに、彼女が隠した場所は、タンスの中、上から二段目の引き出しの中……畳まれたシャツの中である。むろん、観客たちは見ていたので、どこに隠されたのかを知っている。
倉田は目隠しをとると、「結構です」と言った。
「ではこれから、あなたがどこに花を隠したのか、当ててご覧に入れましょう」
薄く笑うと、まず彼はまっすぐにタンスへとむかう。凛香の表情がわずかにこわばる。倉田は一度は立ち止ったものの、すぐにまた歩きだし、今度はさきほどと正反対の場所、テレビのまえで足を止めた。
倉田は凛香にむかって、まっすぐに手を伸ばす。そのまま、彼女の視線を辿るようにして、今度はテレビの裏側へと手を伸ばした。そこで、倉田は薄く笑ったように見えた。
彼は弾かれたように歩きだすと、ふたたびタンスのまえで立ち止まる。そこから引き出しを開けていき、中からなにかを取る。
引き出しから現れた彼の手に握られていたものは、確かに凛香の隠したアスパラガスの花だった。
おおっと、会場からどよめきが起こる。凛香も彼ら同様、驚いた顔になった。
「これはあなたに差し上げましょう」
うやうやしく差し出された花を、凛香は遠慮がちに受け取った。
「どうでしょう。これで信じていただけたでしょうか? いや、これは地味すぎたかもしれませんね。仕方がない、では皆様には、とっておきをご覧に入れます」
そう言った倉田が舞台袖から受け取ったものを見て、凛香は思わず目を見開いた。実物など見たことがないが、あの黒光りする物は拳銃ではないか? 倉田の手元がモニターに映されると、会場にもどよめきが起こった。
倉田はそれを制するように、柔らかな声で言う。
「ご心配には及びません。確かにこれは人類を最強たらしめた恐るべき武器ですが、私には通用しない。私は神と契約し、不死身の肉体を手に入れたからです。これからその証拠をお見せします。私はこの弾丸を、歯で受け止めてご覧に入れましょう」
会場で再びどよめきが起こったが、倉田は今度は凛香に言う。
「ではこれを私に向けて、一発、撃っていただけますか?」
「はっ? い、いや、しかし……」
言い淀む凛香に、倉田は変わらずソフトな、訊くものを落ち着かせる声色で言う。
「大丈夫。なにも心配はいりません。私を信じて」
そう言われると、なぜかそれ以上食い下がることができなかった。
倉田は撃ち方を凛香に伝えると、静かに距離をとる。凛香はゆっくりと、銃口を倉田へとむけた。
シン、と会場が静まり返り、一人の少年を除いた全員が、食い入るようにステージを見つめる。瞬間、
バァン! という乾いた音が聞こえた。
凛香の持つ拳銃が火を噴いたのだ。
倉田の体が、撃たれた衝撃か、わずかに反り返る。しかし――。
モニターに映し出された映像に、会場は奇妙な緊張感に包まれた。映像が、とても信じがたいものだったからだ。
映し出されたのは、倉田が弾丸を歯で受け止めた姿だったのである。
倉田はカメラに向けてニヤリと笑うと、今度は会場に身体をむけ、口から弾丸を取り出すと手を広げて見せた。
一瞬の後、会場が拍手に包まれる。倉田は笑顔で手を振ると、ふたたび、じつに紳士的な態度で凛香を客席へとかえした。
「いかがでしたか? 初めて見て、驚かれたという方もいらっしゃるのではないでしょうか。ともすれば、霊能力のように思えるかもしれません。しかし、これは決して、そのようなインチキではありません。最初に申しあげました通り、これはあくまで、心理学という名の学問のなす、〝技術〟なのです。訓練次第で、どなたでもできるようになる。
そう、あなたも」
倉田は、恋人と見に来ていたらしい若い男に手のひらをむける。
「あなたも」
今度は若い女に手のひらをむけ、
「そして、あなたも」
最後に、終始嘲るような視線をむけていた、白い髪をした少年にむける。彼は態度を崩すことなく、口元に皮肉な笑みを浮かべ、まっすぐに倉田を見据えていた。
「かくいうこの私も、訓練によって、この〝技術〟を体得したのです。興味がおありの方はぜひ、次回以降のセミナーにも、ご参加ください。心理学は、必ずやあなた方の視野を広げ、いままでとまったく違った景色を見せてくれることでしょう」
会場がふたたび拍手に包まれる。そんななか、白髪の少年だけが、まったく違った反応を見せていた。ほんの一瞬、両者の視線が交錯したが、気づいた者など皆無であった。




