第一章 『騎士団』凱旋①
少女は、
昔の幸せな夢を見ていたが、
それは唐突に悪夢に代わり弾かれたように目を覚ました。
その部屋には窓がなかった。
薄暗い部屋の中に、十二人の人影がぼんやりと浮かんでいる。ここは『安全地帯』の最高司法機関――『元老院』である。
「この『安全地帯』に、『アドラスティア』の幹部が潜伏していた……だと?」
上から高圧的な女の声が降ってきた。
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味ですよ」
いつものように、帽子のひさしで視線を隠しながら、瀬戸征十郎が答えた。
彼は十五年前に設置された新組織、中央省において警保局長という重職を担っている。女の声が言ったように、『アドラスティア』幹部が潜伏していた件の説明に、わざわざ呼び出されたのだった。
「先日、提出した書類にも書いたように、『英霊館』で働く黒崎という男が、『アドラスティア』幹部であることが判明しました」
黒崎……本名、嵩本竹善は、十年前から『英霊館』で執事として働いていた。館の主である綾辻が死亡したいま、雇った経緯は知る由もないが、無論、雇うに際して入念に身辺調査は行ったことだろう。
しかし、事件後に確認した結果、この『安全地帯』に、黒崎という人物が存在した形跡は一切なかったのだ。どこをどう探しても、痕跡さえ見当たらない。住民登録もされていないし、雇われるまえはどうしていたのか、それも分からない。まるでそんな男など最初からいなかったかのように。
「そもそも、本当に存在していたのか? 証言したのは君の部下だそうだが、ウソをついているという可能性は?」
「いや、それはないよ」
そう言ったのは軽薄な男の声だった。
「あそこには僕もいたからね。ここで僕も証言しよう。黒崎って男は、たしかに『英霊館』にいた。間違いないよ」
「なるほど」
女は白けた風に鼻を鳴らした。
「信じるとしよう。当面はな」
軽薄な男――案静は困った顔でやれやれと肩をすくめた。
「それにしても困ったね。本当に、黒崎……じゃなくて、嵩本だっけ? 彼のことはなにも分からないのかい?」
「そう聞いています」
「あの城津っていうメイドのほうは?」
「そちらも、嵩本同様、痕跡が消えているようです」
そこで案静はまた困ったように口をへの字に曲げた。
「瀬戸、君に敬語を使われるってのは、何年たってもなれないなぁ」
しかし、瀬戸はこれにはなにも答えなかった。
「瀬戸さん、その嵩本という信者は、あなた方が持つ名簿には載っていなかったのですね?」
今度はやわらかい、若い男の声――碓氷である。
「それは、どういった事態を指し示すのでしょう」
「我々のあずかり知らない信者ということは、ウイルス蔓延以降に信者となったということです。それも、〝LEVEL3〟の『フレイアX』として。そういった信者は、彼以外にもいる可能性があります」
瀬戸は他人ごとのように肩をすくめ、
「つまり、いまの『アドラスティア』は、我々にとって未知数ということです」
『元老院』の間にどよめきが起こる。それを制したのは、案静の軽薄な声だった。
「よわったね。これはどうしたもんかなぁ」
「案静、他人ごとのような真似はよせ。これは君の地区で起こったことだぞ」
「こりゃ失敬」
案静は大げさに肩をすくめて見せる。
「……由々しき事態だな」
女は机の上で腕を組むと、重々しく言った。
「先日の国防部の事件を皮切りに、看過できない事態が頻発している」
現在、彼らを悩ませている問題はいくつかあるが、その一つがある殺人事件である。『安全地帯』の政治を一手に担うカリスマであり最高主権者、『君主』暗殺事件だ。
事件発覚と同時に緊急配備を敷いたが、犯人を逮捕することはできなかった。また、宮殿内の防犯カメラの映像は、すべて別の日の映像が流されており、そこから犯人を特定することもかなわなかった。だが――。
事件の被害者である美神朱莉が、ある証言をした。犯人は、白瀬だと言ったのだ。白瀬は、以前玄武地区の地区長を務めていた朝桐の秘書である。その彼女が、なぜ朱莉を襲い、さらに『君主』と西園寺を殺したのか? 動機が分からず、捜査は難航した。逮捕しようにも、彼女は朝桐失脚以降、行方不明となっており、いまだその足取りは掴めていないのだ。
それだけではない。彼女の痕跡もまた、その一切が消えているのだ。まるで、そんな女など最初から存在しなかったかのように――。
しかし、先日、事態は急展開を迎える。
中央省警保局に、ある映像データが送られてきた。幾重にも張り巡らされたファイアウォールをいとも簡単に突破し、何者かが映像を送りつけてきたのである。その内容は驚くべきものだった。
白瀬が朱莉を刺し、『君主』そして彼女の護衛を務める『忠臣隊』隊長、西園寺克比古を殺害している映像だった。これで犯行はほぼ確定した。だが、なぜ今になってこんなものを送ってくる? なんの意味がある?
今回の件も、なにか関係があるのか? それとも、ただの偶然か……?
「なにか見えない力が働いているかのようだ、とでも言いたげですね。東郷さん」
碓氷が珍しく、皮肉っぽい声を出した。東郷と呼ばれた女は、碓氷にちらりと視線をやると、
「早急に対処する必要がある。それだけでなく、これからの対策も練らなければ」
「そのことでしたら……」
瀬戸は人差し指を立てるとにやりと笑って言う。
「私に、一つ考えがあります」
少女は、
いつものように朝のランニングを済ませ、
シャワーを浴び支度を済ませると学園へむかった。
「なあ、聞いたか? 『騎士団』の方々が帰ってくるらしいぞ」
「うん。ニュースで見た。また『アドラスティア』の支部をつぶしたって」
「すごいよなぁ。俺、憧れちゃうぜ」
「凱旋パレードっていつだっけ?」
「二週間後だよ。絶対行かなきゃな」
「じつは私、団長さんのファンなんだ」
「ああ、あの人、人気あるよなぁ。ちょっと人を寄せつけないところあるけど……」
「そこがいいのよ。独身みたいだし、身の回りの世話してあげたいって人が、結構いるみたい」
「俺は中隊長がいいなぁ。スタイルいいし。俺、『騎士団』に入ったら、あの人の部下になりたい」
「そんな不純な理由でいいのか? あれ、そういえば団長さんの苗字って……」
その日、騎士団養成学園は浮足立っていた。理由は一つ、『騎士団』が『安全地帯』に帰還するからだ。
現在、日本は極めて特殊な状況下にある。
十五年前、蔓延したウイルス、『フレイア』。それにより誕生した怪物、『フレイアX』。彼らから逃れるため、人々は高い城壁を作り、『安全地帯』を築き上げた。
しかし、蔓延から十五年たったいまでも、城壁の外――『危険区域』には、『フレイアX』が跋扈している。
『騎士団』とは、『フレイアX』殲滅のために組織されたものであり、騎士団養成学園とは、文字通り未来の『騎士団』を育成するための学園だ。
クラスメイトたちの会話を聞きながら、美神朱莉はあることを思い出していた。
(――「『騎士団』とは、『フレイアX』殲滅のために組織されたものであり、同時に『安全地帯』を守護する栄誉ある機関である。したがって、そのためには高潔な精神が求められる。
というのが、中央省――ひいては『騎士団』を組織した、征十郎が作りたがっているイメージだ。
聞くたびに鼻で笑い飛ばしてきたものだが、連中の反応を見るに、なかなかどうして、多少は達成されているようだ。もっとも、内部の人間がいくらそんなイメージを持ったところで、あの男は満足すまい。外部の人間が持ってこそ、イメージというものは意味を成す」――)
以前、クラスメイトの柊尊が吐き捨てるかのように言っていた。
あの少年は、学園長・瀬戸のことがあまり好きでないらしい。というのは、かなりソフトな言い方だろう。
端的な言いかたをすれば嫌っている。それもただ嫌っているわけではない。上に大がつくほど嫌っている。それは普段の言動を見るにほぼ間違いない。
騎士団養成学園の生徒にはいくつかの種類がある。単純に、すこしでも安全な場所で生活したいという者もいれば、数はすくないが、『騎士団』という組織を尊敬し、またそこに所属する団員を尊敬しているといったものもいるようだ。
柊尊は、クラスメイトであると同時に、『騎士団』に所属し、小隊長を務めているという少年だった。
にもかかわらず、彼を尊敬するという者は皆無である。理由は単純で、尊がその人格に壊滅的な欠陥を持っているからだ。
傲岸不遜、馴致不能、皮肉屋、毒舌家、ニヒリスト、シスコン。
彼を形容する言葉は様々だが、そのほとんどは否定的な言葉である。
尊は相手がだれであろうと、行政機関で要職についている人間や、最高主権者に対してでさえ、その態度を変えることはない。むろん、クラスメイトたちに対しても同様である。
したがって、彼らは当然の反発をもって、尊と衝突することとなった。が、当の本人はそれを気にするどころか、火に油を湯水のように注ぐものだから、ことは一層厄介な方向へ進むばかりだった。
朱莉としては、せっかくクラスメイトになったことだし、仲良くしてもらいたいのだが、当人はまったく聞く耳を持ってはくれなかった。
たぶん、尊は悪い人間ではない。……いい人間でもないとは思うが。なんにせよ、先日の一件で、自分たちは尊に救われた。だからというわけではないが、それでも、できれば尊にはいいイメージを持たれてほしい。しかし、その願いはかないそうもなかった。
「おはよう、朱莉ちゃんっ」
朱莉の思考を断ち切るように、話しかけてきた女子生徒がいた。
栗色の髪をピンでとめた少女である。
「なんか久しぶりだねー。体はもう大丈夫なの?」
彼女の名前は井澤美希。
どこぞの少年と比べて、朱莉は社交的な性格をしている。また、だれに対しても分け隔てなく接する。彼女に友人ができるのに、そう時間はかからなかった。美希は、その一人である。
「うん、おかげさまでね。ありがとう」
先日、朱莉はある事件に巻き込まれた。『安全地帯』の政治を一手に担う、最高主権者。『安全地帯』における、絶対的であり象徴的な存在――『君主』暗殺を目論むテロ事件である。
事件そのものは尊によって解決したものの、彼女にとっての最大の衝撃はその後に起こった出来事だった。
『君主』が血を分けた双子の妹であることが判明したもつかの間、厳重に警備されているはずの宮殿に予期せぬ侵入者が現れた。『君主』暗殺を計画した張本人、玄武地区地区長、朝桐の秘書、白瀬である。彼女は、前触れもためらいもなく、自分と『君主』……詩織にナイフを突き刺した。
死んだ、と思ったが、自分は生き残った。
妹である詩織と、生まれて、あるいは生まれるまえからずっと、自分たちを守ってくれていた西園寺が、その命を賭して、自分を守ってくれた、生かしてくれたのだ。
心臓移植という大手術を乗り切った朱莉だが、現在も検査入院中。学園には病院から通っている。正確には、通い始めた、だ。彼女は今日から復帰した。約一ヶ月ぶりである。
「私なにもしてないよ?」
「何度もお見舞いに来てくれたじゃん」
美希は頻繁に見舞いに来てくれ、話し相手になってくれた。何冊か本も貸してくれたし、入院中退屈しなかった理由の一つは、彼女の存在が大きい。
ちなみに、言うまでもないことだが、尊は最初の一度きりのみで、あとは顔を見せなかった。むしろそれは当然のことで、頻繁に顔を見せられたら、朱莉は気味悪く思ったことだろう。
その尊だが、なんだか様子がおかしい気がする。
尊と、彼の妹の唯は、尊の休日を利用して青龍地区の『英霊館』と呼ばれる館に宿泊したらしい。そこで、恐ろしい殺人事件に巻き込まれた。死亡したのは館の主である綾辻という男。彼のかつての部下、三田村。そして、綾辻の養子である明香。その三名である。
しかし、炎上した館から発見された遺体は、全部で四つ。うち一つは、明香の双子の弟であることが、尊によって証言され、歯の治療痕によって断定された。
たしかに、病院で会った唯も、様子は違ったが、それは恐ろしい体験をしたが故のものだと分かった。が、尊はそうではない。それとはまったくべつの出来事によって、彼は動揺しているように朱莉には思えるのだ。
「どうかしたの?」
心配そうに眉をよせ、美希が訊いてくる。
朱莉は机に頬杖を突き、なにか考え事をしているらしい尊から目をそらすと、
「うぅん、なんでもないよ」
「ホントに? まだ休んでたほうがよかったんじゃない?」
「もう、大丈夫だってば」
朱莉は笑って答える。こうして親身になって心配してくれることは、とてもうれしかった。しばらくじっと朱莉を見ていた美希だが、やがてちょっと息を吐くと、
「ま、大丈夫ならいいけどね」
と言った。
「ね、入院中に貸した本、読んでくれた?」
「え?」
美希が貸してくれた本は、霊能力や超能力といった、超常現象を主題にした本だった。本の著者は同一人物で、司陸という名前である。
朱莉はいままで、そういったものに振れたことがなく、今回初めて読んだのだが、
「うん、まあ、結構面白かったよ」
正直なところ、あまり面白くなかった。というより、楽しんで読むことができなかった。自分の趣味とは合わなかったからだ。
死後の世界とか、死者と会話ができるとか、たぶん、そんなものはないし、そんなことができる人もいない。
それでも、もし、もしそんなことができるなら、もう一度だけ話してみたい。最愛の妹と、父親のようなあの人と。もし、それができたら……。
「そうでしょっ!?」
何気なく言った言葉だったのだが、美希は強く食いついてきた。
「う、うん……」
剣幕に押され、朱莉はちょっと引き気味になってしまう。
「私、超能力とか大好きなんだー!」
美希は手を合わせて言った。彼女はこの騎士団養成学園では珍しく、『安全地帯』出身の士官候補生である。なので、こうした娯楽に触れる機会は、〝外〟の人たちと比べて多かったのだろう。
「すごいと思わない!? なにもしてないのに、その人の考えていることが分かっちゃうんだよ? 隠し事とか、全部お見通しだし、離れた景色を見ることもできるんだよ?」
「うん、そうだね……」
目をキラキラ輝かせ、熱っぽく語る美希に、しかし朱莉はどう返していいか分からない。
このとき、朱莉は内心警戒していた。隣に座る尊がまた、くだらないことをいうのでは、と。が、予想に反し、尊が口を開くことはなかった。
(あれ……? おかしいな……)
そう思った朱莉だが、これは非常にいいことだ。平穏無事な学園生活が送れるなら、それに越したことはない。
そう思った瞬間、スマートフォンを見ていた尊が立ち上がった。朱莉はまた気を張り詰める。
今度こそ来るか? と思ったが、口を開くどころか、一瞥すらくれず、尊は教室を出ていこうとする。ふたたび気を緩める朱莉だが、つぎの瞬間、また気を張り詰めることになる。
クラスメイトの華京院凛香が入ってきたのだ。彼女はとある理由から、頻繁に尊と衝突している。今回もまた、不毛な戦いが繰り広げられるのでは、と警戒したためだ。それは朱莉だけでなく、美希をはじめとするクラスメイトたちも同様だった。
が、
「おはよう、柊」
凛香はそれだけ言うと、スタスタと席にむかう。
ほんの一瞬、拍子抜けしたように見えた尊だったが、すぐに興味を失ったように目をそらすと、そのまま教室を出て行った。
平和なのは喜ばしいことだが、普段起こることが連続して起きなかったこの状況が、嵐のまえの静けさのように思えてならない。
しかし、思えたところで、朱莉としては、どうか何事も起こりませんように、と心中で祈るほかない。
「ねえ、朱莉ちゃん。今日の放課後って時間ある?」
さきほどまでの謎の緊張感をごまかすように、美希が言った。
「え……ごめん。今日はちょっと用事があるんだ」
「そうなんだ……」
「でも、どうして?」
「じつは今日ね、司先生のサイン会があるんだ。よかったら一緒にって思ったんだけど……」
「ああ、なるほどね」
正直、サイン会と言われても、あまり行く気にはならない。一応本は読んだけど、好きなジャンルではなかったし、どんな顔していけばいいか分からない。
「そっかー。ま、用事があるならしょうがないね……」
美希は残念そうに肩を落とした。
「うん。ごめんね。せっかく誘ってくれたのに……」
友人からの誘いだし、普段なら付き合っても問題はないが、今日は絶対に外せない用事があるのだ。どうしても、会いたい人たちがいるから……。




