第三章 『英霊館』殺人事件⑲
――まったく、面倒な話だ。
尊は心中で毒づいて目のまえの少女……小夜を見た。
「さて、どこから話したものかな。俺にはすべてお見通しでね」
いつもとおなじ傲岸不遜な発言。しかし、対する小夜はクスリと笑った。
「一回失敗したくせに」
「……」
「べつにどこからでもいいよ。全部分かってるんでしょ?」
小夜の様子は、いままでと打って変わっている。いつもうつむき、なにかに怯えているかのような態度はなりを潜め、挑戦的な態度で尊と対峙する。
「そうだな。では、貴様でも分かるように、順を追って説明してやる」
尊は面白そうに笑うと、挑戦的に見返した。
「まずは……三田村が殺された事件だ。これは説明するまでもないだろう。やつの死因は一酸化炭素による中毒死だ。
問題は、どうやって致死量を吸わせたか。これも簡単に説明できる。あの部屋に直接送りこんだんだ」
「ふーん、どうやって?」
「あの部屋の通気口から、一酸化炭素を直接注入した。それだけの話だ。やつはわけも分からぬうちに死に至る」
尊はそこで一度言葉を区切ると、バカにしたようにフンと鼻を鳴らした。
「まあ、これは前座だ。つぎの殺人、館の主である綾辻殺し。これこそ本番だ。すばらしい。敬意を表してやる」
明香の眉がピクリと動いた。
尊はにやりと笑い、
「書斎の中での頸椎骨折……転落死。常識的に考えれば不可能犯罪だ。だが、いまこの国にはじつに便利な物質が存在する。『ダークマター』、それを使えば、あるいはそれも可能かもしれない。
が、貴様らはそれを使わずに、あの不可能犯罪をやってのけたのだ」
なにも答えない明香だが、視線はまっすぐに尊を捕らえている。
尊は続ける。
「まず、綾辻のコーヒーに睡眠薬を入れ、眠らせる。それから、書斎の天蓋を開け、やつを本館の屋上に運ぶ。この館の両端には塔がある。
綾辻が言っていただろう。この館は、元は陸軍少将の物で、本土決戦に備えて敵を迎撃するための設備が用意されていた、と。あの塔もその一つだ。貴様らは、コテージの手前の二つの塔に、大きなゴムをひっかけたのだ。
ゴムを引っ張り、今度は正門側の二つの塔で止める。そして、綾辻にはハーネスを着せ、ゴムに軽く止める。高所作業用の工具には、ハーネスのほかにランヤードというものがあるそうだ。それを使って塔と綾辻を止めたのだろう。最後に塔に引っ掛けたランヤードを外せば、綾辻の体は吹っ飛び、書斎まで飛んでいくというわけだ。天蓋を開けておいたおかげで綾辻は見事に書斎まで帰り、床にたたきつけられる。
黒崎が塗装を治すときに使うハーネスが動かされた形跡があると言っていたのは、そのためだ。
済んだら部屋まで戻って天蓋を閉め、自分も睡眠薬入りのコーヒーを飲めば、あの現場の出来上がりだ。
つまり、あれは不可能犯罪などではない。ただの、トリックを利用した殺人だ」
「そんなゴム、どこで手に入れたっていうの?」
「ファンタジーパークの副園長が言っていただろう。アトラクションで使う大きく丈夫なゴムがなくなっている、と。あそこから盗んだのだろう? まったく、ご苦労痛み入るよ」
それから、すこし沈黙があった。
やがて、明香がゆっくりと口を開く。
「仮に、そうだとして」
「〝仮に〟だと? フン、バカを言え。ただの真実だ。貴様が一番わかっているだろう」
「仮に」
小夜が重ねて言った。
「そうだとして、そんなこと、私ひとりじゃできないよ」
「バカめ。だれが貴様一人でと言った?」
尊はあざ笑うかのようだった。
「言ったはずだ。〝貴様ら〟は、と。当然、共犯者が存在する」
尊は一泊置き、続ける。
「貴様の双子の弟だ」
その言葉を聞いたとき、小夜の黒い水晶のような瞳が、ほんのすこし揺らいだように見えた。
「井波小夜、貴様には双子の弟がいるな」
尊は傷口をえぐるような、攻撃的な口調で言った。
「そこにいるんだろう? とっとと出てこい」
視線を一転にむける。そこはステージの上、白のカーテンに隠れている場所だ。
そこから、一人の人間が歩み出た。
肌が白く、それと対照的な長い黒髪。白いワンピースを着た、水晶のような、漆黒の瞳を持つ。
小夜と瓜二つの、少年だ。
「いちおう、紹介しておくね。双子の弟、朝巳よ」
少年……朝巳が小夜の隣に立つ。そうして見ると、二人はまるで鏡に映したかのようにそっくりだった。
「それはともかく」
尊はどうでもよさそうに手をふった。すでに知っていることを聞かされて、まるで興味を持てなかったからである。
「その弟が貴様の犯行の後処理をしていたんだ。第一の犯行を行ったのは、貴様だな」
尊は朝巳にチラリと視線をやり、
「レコードをあの愉快なものにすり替えたのも、犯行の度に『女神の詩』――」
そこで、小夜がクスリと笑った。
「『女神の詩』……。ね、なんでそんな変な名前つけたの?」
「……『女神の詩』を流していたのも、雑用係である弟の仕業だったということだ。
最初の殺人、三田村が溺れ死んだころを見計らい、排水溝をふさいでいたものを外す。それだけで、犯行現場の出来上がりだ。
第二の殺人、つまりは綾辻殺しだが、まずは井波小夜、貴様が睡眠薬入りのコーヒーを綾辻に飲ます。二人仲良く綾辻を運び、例の仕掛けで綾辻を飛ばす。そのあと、貴様は自ら睡眠薬入りのコーヒーを飲んで眠る。無論、天蓋を閉め、扉の鍵を閉めたうえでな。貴様がアリバイを作り、井波朝巳、貴様が裏で小細工を行う。それが今回の事件の真相だ」
「どこで分かった?」
訊いたのは朝巳だった。見た目が瓜二つだからだろうか、声すらも、まるで小夜とおなじように聞こえる。
「どこからだと思う?」
尊がにやにや笑いながら訊いた。
「教えてやろう。今日の俺は機嫌がいいんだ。貴様には最初から目をつけていた。館の主に飼われる……あの男がなんの考えもなく養子縁組などするとは到底思えん。ここになにかある、そう思った。最初は、貴様と綾辻が犯行を行い、口裏を合わせていると考えた」
「ふーん。じゃあ、あの人の死体も隠しておけばよかったかな。そうすれば、君を間違った方向に導けたかもしれないね」
「フン、バカめ」
あざ笑うかのように鼻を鳴らすと、白けた視線を小夜にむける。
「貴様ごときがこの俺を惑わすだと? 図に乗るな小娘が」
と、年下の少年が言った。
「死体を隠そうが隠すまいが、あの書斎を見たとき、貴様らが犯人だと確信したよ。理由は簡単、綾辻の書斎にあったデスクの引き出し、そこに入っていたんだ。
十七年前に、フリーライターの弱みを握って協力者に仕立て上げ、挙句自殺させてしまったことを記した手記がな」
「ウソだ」
朝巳が言った。
「あるはずない。あれは姉さんが……」
「朝巳」
小夜が小さくたしなめた。朝巳は少し体をふるわせたあと、しまったというように口をつぐんだ。
「フン。なんだ、やはりあったのか」
尊はどうでもよさそうに言った。
「心配するな。そんなものは見つからなかった。俺が見つけたのは、当時、そのフリーライターの死体が見つかった後、その妻が過労死したときの切り抜かれた新聞記事だ。
そこにはこう書かれていたよ。〝双子の姉弟は施設に預けられることとなった〟とな。
これだけでも十分だ。俺は確信した。こいつは、当時のことに後ろめたさを感じている、とな」
一度そこで言葉を区切る。小夜と朝巳の反応を見るためだ。
「続けて」
小夜が言った。
「綾辻が貴様と養子縁組を結んだのは、当時の後ろめたさからだ。三田村も言っていただろう。『綾辻は堅物』と。やつは協力者の自殺を自分のミスと考えた。だから、貴様と養子縁組を結んだ。罪滅ぼしのつもりでな。
当然、やつは貴様の弟とも結ぼうとし、血眼になって探したことだろう。だが、見つからなかった。もう、べつの人間に引き取られていたからだ。それがだれかは……まあ、いいだろう。いまは言う必要がない。
だが、やつの罪滅ぼしはそれだけにはとどまらない。むしろここからが本番だ。
養子縁組を結んだあと、やつはこの『英霊館』を購入した。表向きの理由は、人との接触を嫌う貴様を慮ってのことだが、実際は、なんのことはない、自分を殺させるために、やつはこの屋敷を買ったのだ。
やつは気づいたんだろう、貴様が自分を殺したがっていることを。だから、自分を殺させるためだけに、やつはこの屋敷を買った。あのトリックを利用させるために、新しく書斎を建てさせてな。
まったく、大した役得ぶりだ。ここまでされては、さすがに尊敬せざるを得ない」
尊敬した様子などみじんも見せずに尊が言う。
「やつはコーヒーに睡眠薬が入っていることも予想していただろうな。ずいぶんと手の込んだ自殺だ。迷惑極まりない。やつのおかげで、こんな下らん労働をするハメになった。まあ、収穫もあったから、特別に許してやるとしよう。死んでいるのだから、いずれにせよ被疑者死亡で不起訴だがな」
尊はクックと笑うが、井波姉弟はクスリとも笑わなかった。
「俺の推理は以上だ。質問があれば受けつけてやる」
白けた調子でそう言ってやる。
「私からは特に」
小夜が言い、
「僕もないよ」
朝巳が続いた。
どうでもよさそうに、フンと鼻を鳴らした尊だったが、
「待って」
そう言ったのは小夜だった。
「一つだけ教えて」
「なんだ」
じつに面倒くさそうに尊が言った。
「君、どうして失敗したの?」
彼女の声色に、からかうような感情が宿った。尊の眉が、ほんの一瞬ひそめられる。それを鋭く見とがめて、小夜は続ける。
「一回目は失敗したんでしょ? 推理に間違いはなかった。じゃあ、どうして失敗しちゃったの?」
挑戦的な瞳をむける小夜を、暗い目で見かえしていた尊だが、やがてふっと自嘲的に笑い、
「貴様には関係ない」
と吐き捨てた。
「そう……」
特に残念そうな様子もなく言うと、静かに目を伏せる。
「心配するな。この俺が二度も失敗するなどありえない。この事件は、いまここで完結する」
尊がとくに勝ち誇るでもなく言ったときだ。突然ある者の声が聞こえてきた。
「それは大した自信ですな」




