第三章 『英霊館』殺人事件⑱
一同はまた広間に集まっていた。いまだ寝息を立てている明香は、ソファーに寝かされている。
尊は犯人は明香とあたりをつけた。が、その明香は寝息を立てている。しかし、だからと言って、尊は明香を候補から外してはいなかった。
共犯者。
それがいれば、明香にも犯行は可能である。その共犯者とは……。
そのとき、尊の思考を打ち切らせるように、案静が口を開いた。
「すこし考えてみたんだけど」
彼はいつものようなひょうひょうとしたものではなく、至極真面目な口調である。
「ここでこうしていても仕方ないし、できることをしたほうがいいんじゃないかしら」
「ほう」
と、尊がどうでもよさそうな声を出す。思考の邪魔をされたためだ。
「君の言うところの、〝探偵ごっこ〟だよ。三田村君に次いで綾辻まで殺された。犯人がだれだか分からないけど、彼……あるいは彼女かもしれないが、なにせ犯人に迫る手がかりがあまりにすくないからね、性別すら分かりはしないけど、ともかく犯人が本気ってことは分かる。ここらで殺人は打ち止めにしてもらわないとね」
「なるほど。つまり死ぬのが怖いから助けてくれと」
「ま、そうとも言うかなあ」
尊の傍若無人の物言いにも、案静は笑っただけだ。
「貴様の命乞いにも一理ある。いいだろう、もう一度探偵ごっこをしてみるか」
明香を執事とメイドに任せ、尊と唯、案静はふたたび綾辻の書斎へ行く。
「まずこれを訊いておきたいんだけど、綾辻の死因はなんだい?」
「頸椎骨折。ここを見ろ。紫色に変色している。脊椎が折れて呼吸できなくなって死んだ、といったところか」
「……ってことは、転落死ってことかい?」
「常識的に考えればそうだろうな。人の首をへし折れるような怪力の持ち主がいれば話はべつだが」
「『モルグ街の殺人』かい? ポーの時代は推理小説や探偵小説なんて言葉はなかったからね。当時は〝怪奇小説〟ってカテゴリだったわけだよ。しかし、ポーが〝推理小説の父〟とまで言われているのは、短くすくない作品の中に、探偵小説の基本が詰まっているからで……」
「貴様、この俺にいつまで下らん与太話を聞かせるつもりだ?」
「ああ、こりゃすまない。話を戻そう。でもここは書斎だよ? こんなところで転落死っていうのも、大分常識外れに思えるけどねぇ」
「だったら、貴様が自分で検視しろ」
「いや、べつに君の意見を否定しているわけじゃないんだよ。ただ、こういうことって、いろいろな角度から見るべきだろう」
案静は唇を尖らせて肩をすくめる。
「改めて訊くんだけど、仮に転落死だとしたらどんな状況が考えられるだろう? 普通なら考えられないわけだけど、でも、いま日本にはその考えられないことを実証できるかもしれない力がある」
尊がフンと鼻を鳴らした。案静の言わんとすることに思い至ったからだ。
「仮に、『ダークマター』を使って綾辻を天蓋まで持ち上げて、首の骨が折れるように落とすっていうのは可能かな?」
「『銀狼』の能力によっては可能だろう。空気中に漂う『ダークマター』に働きかければな」
「そういう能力に、心当たりはあるかい?」
このとき、尊の脳裏には一人の女の顔が浮かんでいたが、
「さあな」
と、しらばっくれた。
あの女には不可能だ。首につけられたチョーカーに発信機がついており、居場所は常に『騎士団』本部が把握している(これは一部の団員しか知らない)。それに、妙な真似をすれば、同じくチョーカーにつけられた小型爆弾で体が吹っ飛ぶ。軽はずみな行動はできない。
「そっか。とはいえ、ここであると答えられても、ちょっと結論ありきで、ご都合主義が否めないからね。仕方ないか」
案静は皮肉っぽく笑って肩をすくめる。
「じゃあ、こういうのはどうかな。ベッドに滑車をつけて天井近くまで持ち上げる。そこでベッドを傾け落とす」
尊はまた鼻で笑って、
「聞いた推理だな。アゾート探しなら貴様一人でやるがいい。それに、あれは犯人が偽装しただけだったろう」
君も結構知ってるなぁ、と案静は楽しそうに笑った。当然である。あれは尊のお気に入りの一冊だ。
「じゃあ、つぎの質問だけど、綾辻がどこかべつの場所で殺されて、ここに運び込まれたってことはあるだろうか?」
「可能性は限りなくゼロに近い。まず第一に、わざわざここまで移動させる理由はない。たしかに今回も、『女神の詩』に合わせた〝見立て殺人〟ではある。〝奈落に堕ちる〟というのを、転落という形で表現したつもりなのだろう。本当に、俺の言ったとおりになるとは思わなかったがな。単純なやつだ。
仮にべつの場所……『英霊館』の屋上から突き落としたのだとすれば、それだけで済む話だ。わざわざ死体を移動させる理由はない」
「いや、理由ならあるんじゃないかしら。密室殺人にすることで、館のなかに犯人がいないように見せかけることだ。まだ犯人には僕っていうターゲットがいるわけだから、万が一にも捕まるわけにはいかないだろう?」
ここで尊が不快気に舌打ちした理由は、自分の話に割り込まれたからである。
「ああ、ごめんごめん。続けてくれ」
やはり案静は気分を損ねた様子などない。軽く笑いながら続きを促すだけだ。
「一番の問題は、殺すことではなく、〝殺すまえ〟と〝殺したあと〟だ。
まず、どうやって綾辻をべつの場所に呼びだす? ただ来いというだけでは、あの男は動くまい。どうやって呼びだす? そして殺したあと、どうやって部屋に運んで密室を作る? 部屋にはあの子娘もいるんだぞ。普通に運べばバレる」
「それなら説明できる。睡眠薬でも飲ませたんだろう。これなら、いまも彼女だけ眠っている理由も説明できる」
「それは結構なことだな」
尊は面倒くさそうに肩をすくめ、
「だが、肝心なことを説明できていない。どうやって飲ませる? 綾辻自身が飲ませたとでもいうつもりか?」
「それも僕たちの都合を優先させすぎてるから、他の方法を探したいところだね」
尊はまたフンと鼻を鳴らした。
「睡眠薬の話で思いついたんだけど、綾辻も睡眠薬を飲まされて、眠ったところを殺されたというのはどうだろう」
「あまり思いつきを言うなよ」
まったく軽はずみな男だ。もうすこし考えてから発言してもらいたい。
「それにもおなじ疑問ができる。どうやって飲ませる? そもそも、どうやって殺す?」
「うーん、そうだよねぇ……」
案静は困ったように顎を撫でる。
「思いつかないならもう黙れ。殺害方法なら、おおよその見当はついている」
「え、どういうことだい? 君には綾辻がどうやって殺されたか分かるのか? 犯人もかい?」
せき込んだように質問されるが、尊は答えるつもりはなかった。綾辻のデスクへ向かうと、引き出しを開け、物色を始める。
「柊君、なにしてるんだい?」
「いまの状況でどれだけ議論しようが無意味だ。やつが言っていた〝自分と三田村に共通する不祥事〟。なにか手掛かりがあればと思って探している。貴様も手伝え。唯、ごめんよ。もうすこし待っていてくれるかい?」
真逆の対応をする尊に、案静はやれやれと肩をすくめ、「後で説明してもらうからね」と言うと、本棚を探し始めた。
唯が口を開いたのは、尊があるものを見つけた直後だった。
「兄さん、わたしにもなにかお手伝いさせてもらえませんか?」
それは、唯のやさしさゆえの言葉だ。すでに二人の犠牲者が出ており、明香も睡眠薬で眠っている。一刻もはやく、事件を解決したいのだ。そうして、自分の助けになろうとしてくれている。
「……そうだな。じゃあ、兄さんと代わってくれるかい? 気になるものを見つけたら教えておくれ」
「はい。分かりました。兄さんはなにを?」
「この部屋のからくりを調べることにするよ」
「からくり?」
尊の言葉に反応したのは唯だけではない。案静も手を止め、尊を見た。
「なんの話だい?」
「なんでもない。手を休めるな。たまには額に汗して働け官僚」
うっとうしそうに手をふる。
しかし、やはり案静は気にしたふうもない。いつもとおなじように、やれやれと肩をすくめて捜索に戻る。
尊は部屋の電気を消したりしつつ、壁を叩いたりしながら、書斎全体に捜索範囲を広げる。
「彼はいったいなにをしているんだい?」
案静が唯に訊いた。自分に訊いたところで、答えが返らないことをようやく理解したようである。
「分かりません。でも、兄さんはムダなことはされない方ですよ」
案静は半信半疑といった様子でうなり声を上げた。その調子で、黙っていてもらいたいものだ。
壁を調べ終えた尊は、今度は本棚に目をむける。そこで一つの事実に気づいた。この本棚に収められている本は、そのほとんどが背表紙はきれいなものだった。折り目もついていなければ、曲がってもいない。
つまり、この本棚の本は、ほぼ読まれていないということだ。では、なぜ読みもしない本をこれだけおいてある……?
――ここになにかある。
尊はつぎつぎに本を本棚から出していく。
「ひ、柊君、サボって悪かった。ちょっと休憩していただけだよ。すぐに作業に戻るから……」
なぜか案静が顔を引きつらせて尊の行動を止めようとする。静かにしていてもらいたいと思った直後にこれだ。無視するにかぎる。
尊の言うからくり。それは、書斎の天蓋を開く、というものだった。それができれば、自分の仮説を実証できる。
一冊の本を出そうとしたとき、それは途中で止まった。ここだけ、イミテーションなのだ。
ガコン、という、なにかスイッチが入ったような音が聞こえた。
「おや、いまの音は……」
案静が怪訝そうな顔であたりを見回す。一見変化は見られなかったが、つぎの瞬間、だれの目にも明らかに異変が起こる。
二階分の高さを誇る綾辻の書斎。その天井部分を担う天蓋。それが、重く低い音を立てて開いていく。右目で見る限り、そこに現れたのは満天の星空だ。ただし、左目で見れば、『ダークマター』による漆黒の監獄である。
「ほぉう、こりゃすごい」
驚いたように言うと、天を見やる。案静は軽く目を細めると、
「プラネタリウムみたいだ。ここで寝たらよく眠れそうだなぁ」
と言った。
「事実永眠したやつがいるからな」
尊的にはギャグのつもりだったのだが、案静は無反応だった。
「きれいですね……」
唯がぽつりとつぶやいた。
「そうだね。でも唯のほうがきれいだよ」
「あ、ありがとうございます……」
唯が照れたように頬を赤くした。そんな様子も、とてもかわいらしい。
「こんな仕掛けがあったなんてね。まるで忍者屋敷だ。これは元々ついていたのかしら。案静はこういうものをつけるタイプじゃないし」
「当然、そうだろう」
いちいち当りまえのことを言わないでもらいたい。
「そうなのですか?」
「ここが陸軍少将の建てた館ということを考えれば、そう考えるのは難しくない。
綾辻も言っていただろう? ここには特別な仕掛けがある。当時のまま残っている、とね。
例えば、ここは元は敵を迎撃するための建物だったんだ。高い天井は、屋根裏という隠し部屋を隠すための措置。そこに隠れて敵を狙撃し、また単純に身を隠すためにも使えるからね。
天蓋近くの壁を見てごらん。あそこだけ微妙にへこんでいるだろう。あそこはもともと、屋根裏部屋があったんだ。そこに隠れて、敵を狙撃するつもりだったんだろう」
「ふーん、なるほどねぇ」
綾辻が納得したように顎を撫でる。
貴様には言っていない、と言おうとした尊だが、
「ありがとうございます。さすが兄さんです」
唯がニコリと笑った。
「君はこの仕掛けを探していたのかい? 天蓋が開くって分かってたの?」
「当然だ」
「どうして?」
案静の言葉に、いい加減尊はうんざりして舌打ちした。
「貴様さっきから訊いてばかりだな。周りにイエスマンばかりを侍らせ、いいようにこき使うからそうなる。すこしは自分で考えろ」
「兄さん、どうしてお分かりになったのですか?」
「兄さんの仮説を実証するものだからだよ。天蓋さえ開けば、トリックはもう分かったも同然だからね」
唯に訊かれては仕方がない。尊はにこりと笑って答えた。
「トリックって……」
と、また案静が質問しようとしたので、尊は睨みつけてやった。すると、案静は肩をすくめて口をつぐんだ。睨んでみるものである。
そのときだった。空気を切り裂くかのように、鋭い音が聞こえる。聞くものの不安を煽る電子音。これは……。
「火災報知器……?」
案静が眉をひそめる。その発言を裏づけるかのように、
火事です、火事です、という音声が聞こえてくる。火元は綾辻の書斎ではない。窓の外を見るに、コテージでもない。ということは……。
「本館かな」
つぶやき、案静は視線をはしらせる。三人は案静の書斎を出て、本館に続く道を行く。そして、見た。本館が、真っ赤な炎に包まれているのを。
「これは……どういう……」
さすがの案静も、いつものひょうひょうとした調子はなりを潜め、雨に濡れるのも構わず驚きに見開いた目で燃える本館を見る。
なるほどこうきたか。〝ゲーム〟がつぎの……いや、最終段階へ進んだのだ。すでに炎は館全体を包み込んでいる。もはや、だれも、出ることも、入ることも、叶わない。ただ一人……尊を除いて。
つまり、やつらは言っているのだ。〝入ってこい〟と。
「唯。裏口から外に出ていてくれるかい? ここは危ないからね」
差していた傘を、唯に握らせ、尊はその手をやさしく握る。
「は、はい。でも、外は……」
「大丈夫、もう外には出られるよ。心配はいらない」
「兄さんは……」
「兄さんは、ちょっと用があるんだ。大丈夫、すぐに戻るよ」
ニコリと笑うと、唯の頭をやさしくなでた。
「まさか、兄さん……」
「大丈夫だよ。唯、兄さんの目を見るんだ」
そう言って、すこししゃがんで唯と視線を合わせる。
「なにも死にに行くわけじゃない。必ず戻る。絶対だ。約束する」
尊は唯をまっすぐに見る。尊はなにか重大な決断をするとき、必ずこうして視線を合わせ、唯に誓いを立てる。その約束を違えたことは、いままで一度もないし、これからもするつもりはない。
「……分かりました」
唯は一度目を伏せると、まっすぐに兄を見返す。
「行ってらっしゃい、兄さん」
「ああ。行ってくるよ、唯」
兄妹は微笑みをかわす。
この後、尊はふたたび本館へと足を踏み入れる。
そこであの二人と対峙し、
そして――。
瞬きをした瞬間、尊の世界が一転した。
自分の目は天井を見つめている。どうやらベッドで横になっているようだ。
そしてその横には……。
「おはようございます、兄さん」
唯がふわりと微笑みかけてくれている。
なんだ? どうなった? 尊はとっさにベッドの横の棚に置かれた時計を見る。それを見ると、日付はこうあった。六月六日。
――バカな。
尊は平静を装いながら、内心驚きを隠せなかった。
日付が三日巻き戻っている。これはどういうことだ? 俺はさっきまで、やつらと対峙していたはずだ。それがなぜ……。
考えろ。みことはこれを、〝ゲーム〟と言っていた。ならば、起こる現象にはすべて理由がある。これの理由は? なにが原因でこうなった?
あのとき、俺が取った行動。そして……。
尊の脳裏に、みことの言葉が鮮やかによみがえる。
(――「あなたたちがいま泊まっている『英霊館』。これから、『英霊館』で事件が起きる。その事件を解決し、正しい形に落ち着かせる」――)
――正しい形、だと?
事件を解決しろというのは分かる。だが、正しい形とはなんだ?
まさか、俺がなにかを間違えたとでもいうのか?
正しい形に落ち着かせることができなかった?
だから、日付が戻った?
戻った日付。まさか、リセットされたというのか? まるで、ゲームをロードしたかのように、セーブ地点である三日前まで。
まさか、失敗したというのか? この俺が?
――バカな。
この俺が、柊尊が失敗するなど、そんなバカげたことが許されるはずがない。
そんなこと、あってはならない。
尊の胸の内に、どす黒い感情が芽生える。
徒然考え、尊は最愛の妹にやさしく笑いかけるまで、二秒とかからない。
それからも、尊は考えることをやめなかった。
なんだ? なにを失敗した? なにがダメだった? 一回目とおなじ会話、挙動、ちょっとした動きを繰り返しながら、尊は思考をフル回転させて考えた。
推理に穴はない。ということは、なにかべつの個所だ。
みことは言っていた。これはゲームだと。ゲームである以上、クリア条件がある。それをすべて解き明かして初めてクリアとなるはずだ。
どす黒い感情を振り払いながら考え、ようやく見つけたのだ。
見落としていた断片を――。
みことと再会してから、尊は今回の事件のことを、〝みこととのゲーム〟としてしか考えていなかった。やつを出し抜き、結果を出す。そればかり頭にあった。だが、それだけではダメなのだ。事件の背景には、被害者にせよ加害者にせよ、避けては通れない過去があり、それに基づいた考えがある。そして、事件はそれにそって構成されている。今回の事件に、みことなど尊に事件の存在を知らせる単なる舞台装置でしかない。犯人こそ、もっとも重要なピースだったのだ。
それを正しい位置にはめ込んだとき、ようやく終着点を見出すことができたのだった――。




