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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第三章 『英霊館』殺人事件⑰

 夕食を食し、しかし今回は食後のコーヒーが出されることなく、その場は解散となった。

 ただし、前日とおなじく、必ず二人以上で行動すること、不用意に外を出歩かないこと、また、午前零時まで一時間ごとに黒崎と城津が二人で見回りをすることとなった。


「なんだか、大変なことになってしまいましたね」

 唯がすこし笑って言った。

 これは言うまでもなく、自分に心配をかけないよう、明るくふるまっているのだと兄は感じた。

 唯はコーヒーを入れると、それを音をたてないように尊のまえに置く。

「そうだね。まあ、仕方がない。こういうこともあるさ」

 兄も明るく答えた。


「あの、兄さん……」

 唯がゆっくりと、うかがうように口を開いた。

「なんだい?」

「兄さんは……ひょっとして、どなたが犯人か分かってらっしゃるのですか?」

「どうして……そう思うのかな」

「いえ、なんとなく……そんな気がしたものですから」


 冷静さを装っておきながら、尊は内心驚いていた。

 たしかに、目星はついている。が、まさかそれを悟られるとは思ってもみなかった。

 妹は普段から自分のことをよく見てくれていると思っていたが、まさかここまで分かっていてくれるとは……。尊は不覚にも感動した。


 唐突に、扉が小さくノックされたので、尊はキレそうになった。目の前に唯がいたために事なきを得たが、一人ではまずかっただろう。

「柊様。お二人とも中にいらっしゃいますか?」

 執事の黒崎の声だった。取り決め通り、見回りに来たようだが、まったくタイミングの悪いことだ。


「ああ」

「はい。います」

 尊がそっけなく言った。その声色に、ほんのすこしだけ苛立ちの色があることを唯が感じとったことを尊は知らない。もっとも知ったところで、やはり唯は俺を理解してくれているなどとストーカー思考に陥るだけなので、手遅れである。


「なにか、問題はございますでしょうか」

 城津の声が続いた。

「問題ない。とっとと失せろ」

 まったく、すこしは空気を読んでほしいものだ。

「おかげさまで、とても快適に過ごさせていただいてます」

「それは結構でございます。それでは、また一時間後に参りますので、それまでになにかありましたら……」

 そのときだった。

 黒崎の言葉を遮るように、それは鳴りだした。


『――女神は詩う。すべての傲慢 不遜を浄化するように

  浄化されれば聖人に 浄化されねば咎人となる

  女神も見放し 奈落へ堕ちるが慈悲は無し――』


 昨夜とおなじように、鳴りだしたそれ――『女神の詩』。地下の拷問部屋で拾った紙に書かれていたものとおなじもの……。尊はとっさに腕時計を見る。時刻は午後十時。鳴りだしたのは、昨日より四時間はやい。


「兄さん」

 唯が目配せをする。尊はその意味を正しく理解した。

「そうだね唯。行こうか」

 妹の手を取ると、尊は扉を引き開けた。


 瞬間、視界が暗転する。

 そして、スポットライトが当たり、その中心に尊とみことの姿が映し出される。

 彼女はただ一言、

「今日で教育は終了です」

 記憶の中のみことと、目のまえの光景が重なる。これは、尊が八歳のときの記憶だ。


(チッ。またか)

 ――教育終了。

 それはつまり、自分が〝唯を守るための最低限の資格を有した〟ということだと、尊は理解した。

 それについて、彼女は尊にたいし、賛辞の言葉一つかけることはなかった。

〝できて当然〟。彼女は本気きそう考えていたに違いない。したがって、課程を修了したことに対し、尊自身も思うことなどなにもない。


〝自分なら、この程度のことはできて当然〟。

 彼もまた、本気でそう考えていたからである。

 ――すべては唯のため。

 それを思えば、骨を折られようがなにをされようが、大した問題ではない。


「あとは、自分で学習しなさい」

 学習……しかし、この四年間、彼女によってあらゆる分野の教育が施され、戦いに関しても、文字通りかなりの技術を叩きこまれた。

 尊自身、彼女から教わることはなにもないと思っていたし、これ以上彼女に師事したところで時間のムダだと気づいていた。ゆえに、彼女が言葉すくなくそう言ったときも、単に事実を述べられただけだと思い、気にもとめなかった。


「地上へ行くのであれば、気をつけることね。外には、『フレイアX』以外にも敵がいる。そしてあなたは、そちらの敵に、より追いつめられることでしょう」

 それも予言かと訊くと、みことは決まって口元に微笑をたたて、端的にこう答えるのだ。

「ええ」


 それから、尊は唯に「すこし留守にするよ」と言い置き、地下の〝家〟から地上へと出た。彼女にはなにも言うことはなかったが、彼女もまた、それを咎めるでもなく、ただ普段通りに過ごしているだけだった。


 外に出てすぐ、尊はみことの言葉の意味を知った。外にいた敵は、『フレイアX』だけではない。『危険区域』に住む住人たち。彼らこそが、最も厄介な敵だった。

 彼らは、全員尊のことを知っていた。柊尊という名前。そして、尊の両親が行った実験、それによって引き起こされた未曽有の事態……。


 自分の名前は、みことから聞かされた。そして、両親がなにをやっていたかも。孤児となった尊と唯を、〝偶然〟見つけたみことが育てた。そう聞かされた。それなのに……。

 なぜこいつらが、自分のことを知っている? 思えば、みこととともに外へ出たときは、住人たちと会うことはなかった。目にしたのは、死体となった者だけだ。

 住人たちの目を掻い潜って、あの教育をしていたというのか? 住人たちの行動をすべて、しかも正確に予測できなければ到底不可能な芸当だ。


 彼らは尊を目にするたび、罵声を浴びせ、時には直接危害を加えようとしてきた。たしかに厄介ではあったが、それも大した問題ではない。

 殺すのは簡単だ。みことの教育を受けた尊には造作もないことだ。だが、尊の目的は連中の相手をすることではない。

 尊の目的はただ一つ。自分が『フレイアX』という怪物を相手に、どこまで戦えるか、その確認であった。が、尊は自分が苦戦などするはずはないと確信していたし、事実、かすり傷一つ負うことなく、会敵した『フレイアX』を例外なく一撃で屠り去った。正確な数は思えていない。自分一人であれば、手傷を負うことすらあり得ない。そう確信できた。


 帰宅し、一日休み、また外へ出た。今度は三日間。一日休んで、五日間、一週間……外出期間は加速度的に増え、ついには一か月間となる。

 その間、彼は『フレイアX』や、外の連中との戦いを繰りかえした。

 尊が疲労や苦に感じることは一切なかった。


 ――唯を守るため。

 そのためなら、なにをすることも厭わない。


 だが、そのために妹と接する時間は減った。そのことだけが、彼を苦しませた。

 唯は尊を送り出すとき、いつも笑いかけてくれた。

 しかし、本当は気づいていたのだ。その笑顔の裏に隠された、本心を。唯がひた隠しにしていた、想いを。


 妹は、唯は、本当は自分に傍にいてほしかったのだ。ただ傍にいて、笑いかけてほしかった。

 本当は分かっていて、尊はたびたび唯の元を離れた。

 それがいずれ、唯のためになると信じて。妹の気持ちを、蔑ろにしてしまっていた……。

 目のまえで、『フレイアX』が雄たけびを上げた。


(下らん……)

 記憶と光景とが、ぴったりと重なる。

(下らん……!)

『フレイアX』が、自分を、正確には昔の自分目がけて襲いかかる。


「下らん下らん下らん!」

 尊は想いを振り払うかのように叫んだ。

「みこと! こんな下らんまやかしで俺を翻弄できると、本気で考えているのか!? 俺が過去などというセンチメンタルに囚われていると、本気で思っているのか!? こんなことは今回の事件とはなんら関係はない! 分かったら、とっととこの茶番を終わらせろ!」

 しかし、光景が消えることはない。目を閉じようと、それは記憶となって脳裏を駆け巡る。

「みことーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 叫びに呼応するように、尊の半身から『ダークマター』が噴き出した。

 勢いそのままに、尊は手刀で『フレイアX』を両断した。切断された個所から『ダークマター』が噴き出す。闇が尊の視界を覆いつくした。


 瞬間、闇が爆ぜる。

 目のまえに、『英霊館』の中庭の光景が広がった。

 尊は額を押さえ、無言で首を振った。

 ――バカな。この俺が、過去に囚われているとでもいうのか?


「兄さん? 大丈夫ですか?」

 唯が尊の顔を覗きこむようにして訊いてくる。その顔は心配の色に染まっているのが目に見えて分かった。

 下らんまやかしに囚われて唯を心配させる。そんなバカげたこと、到底許されることではない。尊は努めて笑顔で言う。


「なんでもないよ唯。まだ、雨が降っているようだと思ってね」

「あ、本当ですね」

 唯が夜空を見上げて言った。たしかに、雨はまだ降り続いていた。

「ひ、柊様……これは……」


 尊が扉を開けたことで、黒崎たちにも『女神の詩』が聞こえたらしい。傘を差した黒崎が強張った声で言う。城津も怯えた表情をしていた。連中の脳裏には、昨日の出来事が鮮明によみがえっていることだろう。

 だが、怯えている時間はない。昨夜行われた〝告発〟によると、罰が下されるのは、三田村、綾辻、案静の三名である。三田村はすでに殺された。いまここにいない者は、綾辻と案静のみ。


「貴様らは主人のもとへ行け。平安京は俺たちが見に行ってやる」

 ここで尊が名前を間違えたのは、わざとである。場を和ませるためのギャグのつもりだったのだが、奇妙なことに、全員クスリともしなかった。

 綾辻を執事とメイドに任せ、尊と唯は案静のもとへとむかう。

 すると、途中で案静と出くわした。

 ということは……。


「〝告発〟に従うなら、つぎの犠牲者は綾辻ということだな」

 いうや否や、尊は床を蹴って駆けだした。その足の裏からは、『ダークマター』がまるで煙のように立ち上っている。


『女神の詩』が流れ始めて、まだ何分と経っていない。いまなら、部屋にいる犯人を拘束することができるかもしれない。もっとも、綾辻が襲われているなら、の話だが。彼の部屋には、明香もいるはずだ。ということは、彼女に危害が及ぶ可能性も考えられる。

 が、それは明香が犯人でないと仮定しての話だ。彼女が犯人だった場合、おなじ部屋にいるのだから、もう犯行は済んでいるだろう。しかし、これはみこととの〝ゲーム〟。事件を解決するには、事件をすすませなければならない。それがあり、部屋割りに口出しせず、最初に執事とメイドに部屋へ行かせたのだ。すこしでも、時間を稼ぐために。

 だが、それもこれ以上は無理だ。『ダークマター』を使用しなければ尊が疑われるかもしれない。

『ダークマター』を使用し、尊が綾辻の書斎に急行した。


「柊様」

 尊の姿をみとめた黒崎が言った。

「状況は?」

「それが、さきほどからお呼びしているのですが、返事がなく……」

 見ると、城津が扉をノックし綾辻と明香を呼んでいたが、たしかに返事はない。

 尊は一瞬眉をひそめ、

「退け」

 その直後、城津の顔の真横をなにかが勢いよくすり抜けた。城津が退くまえに尊が扉を思いきり蹴り開けたのである。

 ノックしようと振り上げたこぶしが虚しく宙を叩き、その間に尊はスタスタを部屋に押し入る。


 広い部屋だった。床はフローリング。天井は高く、恐らく二階部分をくりぬかれているのだろう。天井――天蓋部分はガラス張りで、青白く輝き、壁につけられた照明はついたままになっていた。これは、恐らく暗闇が苦手という明香に配慮してのことだろう。

 争った様子はなく、部屋は整頓されている。ただし、それは無駄なものがないと言ったほうが正しい。本棚にデスクにチェア、必要最低限の物しかない。

 しいて言うなら、テーブルの上にティーカップが二つ置いてあるくらいだった。


 書斎というだけあって、本の数は多い。大きな本棚にはぎっしりと本が敷き詰められている。

 部屋の奥に視線をやると、ベッドが見えた。ほかの物に比べ、この場ではよく目立つ。

 シーツが乱れているから、ではない。そのベッドの横で、うつぶせに倒れる一人の男がいたからだ。

 そのとき、後ろから案静と唯が追いついてくる気配がする。


「綾辻! 無事……」

 無事かい、と言い終えるまえに、案静もその男を見つけたらしい。

「遅かったのか……?」

 苦虫をかみつぶしたようにつぶやいた。

「そのようだな」

 尊は吐き捨てるように言うと、踵を返し、スタスタと唯に歩み寄る。


「唯。見てはダメだ。すこし外で待っていてくれ」

 と言うと、今度は執事とメイドに視線を移し、

「あの娘を起こせ。さっさとしないと、あれも死ぬかもしれないぞ」

 尊の言葉に、執事とメイドが部屋に踏み入る。ただし、仮にも殺人現場を荒らすことはないよう、綾辻のベッドには近づかないよう言いつける。

 明香のベッドは綾辻のベッドからすこし離れた場所にある。綾辻のベッドは部屋の最奥。明香のベッドは手前、外側だった。


 しかし、いくら呼びかけても、明香が目を覚ますことはない。まさかと思い脈を確認するが、脈はあるし、息もしている。仕方がなく、黒崎と城津が二人係で運ぶこととなった。彼らが出て行くさい、案静は体温計を持ってきてくれと頼んだ。

 その後、唯を書斎に入れ、綾辻の死体を見ないよう、離れた場所にいてくれと言った。尊はしゃがんで一応脈を確認する。綾辻の死体はまだ暖かく、死後硬直も始まってはいないようだった。


「ない。やはり死んでいるようだ」

「これで二人目の犠牲者か……。ってことは、つぎはいよいよ僕の番かしら」

 案静がいつもと同じひょうひょうとした口調で言った。この状況でそれとは、なかなか肝が据わっている。

「満を持してと言ったところだな」

 尊も軽口を返す。案静は気分を害した様子もなく、はははと笑った。


 そうこうしていると、黒崎は体温計を持ってきた。尊がそれを受け取ると、それを綾辻のわきの下に挟む。数分経って、ピピピと音が鳴る。

 体温計は35・2度となっていた。

「平熱が三十六度として、まだ死後一時間もたっていない」

「でも、三田村君の時みたいについさっき殺された、ってわけでもないみたいだね。いまが十時十分だから、死亡推定時刻は九時二十分以降ってところかな」


 尊は答えずにまたスタスタと歩いて扉の近くまで行く。彼はさっきぶち壊した扉を調べているようだった。

 この部屋のカギは三田村の部屋のような簡単なものではなく、内側から錠で閉めるタイプのものだった。そして、そのカギはたしかにかかっていた。それだけでなく、チェーンまでかけるという徹底ぶりだった。


「自分の書斎だけきっちりカギをつけているとは……これはどうしたことだろうな」

 なにか見られたくないものでもあるのか、あるいは侵入者を警戒しているのか……。いずれにせよ、これは、


「つまり、三田村同様、密室殺人ということだ」

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