エピローグ①
目を覚ますと、見なれない天上があった。
清潔感のある白いベッド、大きな窓、点滴のほかにも、いくつかの医療器具が置いてある。
なかなか大きな個室らしく、テレビなどの娯楽品や、長期入院に配慮してか、クローゼットなどもあった。
(そうか、俺はあのとき……)
律子との戦闘のあと、倒れたことを思いだす。唯に心配をかけないよう、気をはっていたつもりだったが、どうやら意味をなさなかったようだ。
窓から見える外の景色や、自分が着ている服から推察すると、どうやらここは朱雀総合病院らしい。普段、唯の見舞いで毎日来ている病院に、まさか自分が世話になる日が来るとは。尊は皮肉っぽく鼻をならす。
視線を下にむけたことで、ベッドに顔をふせ、一人の少女が寝ていることに気づいた。
「唯……」
ガラリ、とスライド式の扉が開き、だれかが入ってくる気配がする。
「柊くん! 目が覚めたの!?」
両手で数本のジュースを抱えている朱莉が、驚いたように声を上げた。
ここで、まるで壊れたラジオでも見るかのような視線をやるのが、尊が尊たるゆえんである。
「やかましい。ここをどこだと思っている?」
数日前に、この病院で無用な騒ぎを起こした男の言葉とは思えなかった。
「ご、ごめんね? びっくりしちゃって……大丈夫? 三日間も眠ってたんだよ?」
「三日だと?」
枕元に置かれたカレンダー付きの時計を見ると、たしかにあれから三日間が経過しているようである。
「あのね、そのあいだ、看護師さんたちが止めるのも聞かないで、ずっと唯ちゃんが看病してくれてたんだよ? きっと、疲れちゃったんだね」
クローゼットから毛布を取りだすと、そっと唯にかけてやる。
「そうか……」
どこか申しわけなさそうに、尊は唯の頭をなでる。なにに対してそう思ってしまったのかは、自分でもよく分からなかった。
尊は唯を起こさないように、慎重にベッドから降りると、あろうことか点滴を乱暴に外す。
「ちょ、ちょっと、なにしてるの!?」
「散歩だ」
「散歩って……まだ安静にしてないと……」
「うるさい」
「そうだ、ジュース飲まない?」
「飲まん。唯にやれ」
ろくに取り合わず、結局尊は足早に病室を後にする。
彼がむかったのはテラスであった。ベンチに腰を下ろし、なにを考えるでもなく、空を見上げていると、
「となり、座っていいか?」
突然声をかけられた。
声の主――瀬戸征十郎は、答えを聞かずに隣に座る。
「座っていいと言った覚えはないが」
「固いこと言うなよ。俺とおまえの仲だろ」
尊がいやそうに舌打ちすると、瀬戸は笑って紙コップを差しだす。
「コーヒー飲むか?」
「……砂糖は?」
「三つ入れといた」
「フン、なかなか気が利くじゃないか」
「気が利かなきゃ、出世できねぇからな」
ニヤリと笑って見せ、ホットのブラックコーヒーを一口すすってから、いつもの軽い調子で口を開く。
「鬼柳ちゃんの件だがな」
尊からの返答はない。しばらく待ってみた瀬戸だが、沈黙が続いたのでもう一度言う。
「鬼柳ちゃんの……」
「うるさいぞ。それがなんだ?」
「なんだよ、聞こえてんじゃねぇか」
「当然だ。興味がないから黙っていただけのこと」
「ああ、そう。じゃあ、まあ、独り言として話すわ」
瀬戸は一泊置いて続ける。
「今回の黒幕だが、やっぱりあいつだったよ。防衛省の元事務次官。知ってるだろ? 三雲」
「知らん」
「ウソつけ……ていうか、聞いてんじゃねぇかよ。まあ、いいや。で、だ。動機なんだが、おまえが鬼柳ちゃんに言ったとおり、組織の既得権益をとり戻すこと。『フレイアX』を軍事利用、あるいはワクチンでも作れりゃ、メンツなんかも取り戻せると思ったそうだ。
なんですでに完成してんのに報告しなかったかつうと、『騎士団』の指揮権を奪ってから発表したほうが、防衛省の存在意義を示せるから。鬼柳ちゃんが最後に『フレイアX』を造ったのもそのため。アレを侵入させて、防衛省が開発した新兵器で撃破して、支持を集めるつもりだったんだと。それが、浅はかだっつうんだよなぁ」
というより、言えなかったというほうが正しいかもしれない。『ダークマター』研究を主導しているのは警保局の警察庁側。防衛省が研究を成功させたといったところで、稼働していないはずの研究室が稼働していたということになる。それでは、住民の支持を得ることは難しいだろう。奇しくも、十五年前とおなじことを行ったことで、自分たちの首を絞めてしまったのだ。
彼らがだした結果などなんでもない。
中央省は、様々な『ダークマター』研究を行っている。
尊が毎朝打っているウイルスの進行を止める注射も、『フレイアX』のデータをもとに警察庁が考案したものだ。
“毒を以て毒を制す”。
『騎士団』の理念とおなじだ。解毒は叶わなかったが、進行を止めることだけはできた。時間さえかければ、この程度の結果を出すことはできる。
しかし、結果論ではあるが、警察庁側の信頼が失墜した状況で結果を示せば“不甲斐ない彼らに代わって以前から準備を進めてきた”という大義名分も成り立つ。そこまで織り込んだ計画だったのだろう。
無論、その程度のこと、瀬戸は理解している。呆れたように肩をすくめ、
「それを五年前から、ちまちまと進めていたらしいぜ。まあ、それはもう知ってるらしいな。真相を見抜かれたって、鬼柳ちゃんが言ってた。あの様子はかなり参ってるな。プライドはズタズタだ」
尊はつまらなそうに鼻を鳴らし、
「なぜそれを俺に言うんだ」
「おまえが迷ってんじゃないかと思ってな」
「迷うだと?」
そうだ。いま尊は迷っている。
命に代えても唯を守り抜く。その気持ちが変わることは、未来永劫ない。
だが、それによって唯に危害が及ぶことは、絶対にあってはならないことだった。
事の顛末を聞いた瀬戸は、尊の様子を見にきたのだ。
「相変わらず、唯ちゃんのことになると不器用だな」
「なに?」
「そう難しく考えるなよ。一人で抱えきれないなら、だれかに分けりゃいい。もっと唯ちゃんを頼ってやれ。あの子は、おまえが思っている以上にすごい子だぜ」
悟ったように言う瀬戸。後ろから唯の声が聞こえてきたのはそのときだ。
「兄さん! こんなところにいたんですね! ダメじゃないですか、勝手に病室をでたりしたら!」
手を腰に当てて怒る唯は、どこか疲れているように見える。どうやら、尊のことを探し回っていたらしい。息が乱れていないところを見ると、心配させないように呼吸を整えてから話しかけたのだろうか。
すこし遅れて、後ろから朱莉も追いついてくる。
「やあ、二人とも。元気かい?」
猫を被って挨拶をする瀬戸。
「瀬戸さん……」
「ごめんな、唯ちゃん。俺がムリに誘ったんだ。すこしは外の空気を吸わせたほうがいいと思ってな。怒らないでやってくれ」
「そうだったんですか。お気を使わせてしまい、申しわけありません」
「いいって。こっちこそごめんな。ほら尊、両手に花だぞ、よかったな」
「一本は雑草も同然だがな」
この少年はいちいち一言多い。仕様と割りきるには、口撃力が高すぎる気もする。
「兄さん」
ジトッとした目で唯に叱られる。「もぉ」と口をふくらませるところも非常にかわいい。この少女の一挙一動がたまらなく愛しい。
「まあ、すこし話し合ってみるんだな」
瀬戸は尊の肩にポンと手を置くと、軽く手をふってその場を後にするのだった。
尊が目を覚ます二日前のことだ。瀬戸は副警保局長の執務室で三雲と対峙していた。
「――以上が、鬼柳律子が供述した聴取内容です。さて、釈明を聞かせていただきましょうか、三雲副警保局長?」
先日の三雲の言葉をなぞるように、瀬戸は言う。
しかし、返答を求めての言葉ではないようであった。ソファーによりかかり、優雅に足を組んで尋ねる。
「妙なことが明らかになったせいで、上層部は上を下への大騒ぎですよ。どうしたもんでしょうかね?」
「いつからだ……?」
うつむきながら、ポツリと三雲が言った。
「なにがです?」
「いったい、いつから私が関わっていると……」
「最初からですよ」
瀬戸は肩をすくめて言う。
「あなたは、最初から私に対して反抗的でしたからね。よからぬことを企んでいるのはすぐに分かりました。だから、直接的な行動をおこしてくるのを待ったんです」
「待っていただと? 私の考えを察しておいて、なにもしなかったというのか?」
「当然でしょう。相手の手札を知っているのに、こちらの手を明かす必要はない。今回のことにしてもそうです。『演習』という案が出たうえで、犠牲者を出す襲撃をすることも織り込み済み。だから、私はなにもしなかったんです。逆に、利用するためにね」
「そのために、罪のない住民が死んだのだぞ」
三雲の滑稽な言葉に、瀬戸はこもった笑い声をあげる。
「致しかたありません。いつの時代にもつきものな、尊い犠牲です」
「……私は、貴様の手のひらで踊らされていただけだというのか……?」
絞りだした声は、怒りで震えていた。
なにか、まだ噛みつけるところはないか……。三雲は必死に探した。
「柊尊はどうする? アレは危険な存在だ。まさか、泳ぐに任せるつもりか?」
『ダークマター』をその身に宿し、驚異的な力を持っている尊は、上層部から危険視されていた。それを知っていてなお、やはり瀬戸は笑う。
「そのことならご安心を。柊唯が無事なかぎり、危険な存在にはなりえません」
最後ともいえるよりどころを粉々に粉砕され、三雲は目まいのする思いだった。
「もともとは……」
とうめくように言う。
「もともとは、おまえたちのせいじゃないか! 我々の利権を根こそぎ奪い、権限を独占し、この中央省内で陸の孤島へと追いやった! これは不当な扱いに対する抗議なのだ! そうだ! 悪いのは我々ではなく貴様ら……」
「不当な扱い?」
瀬戸は海の底を思わせる重く冷たい声で言った。
「忘れないでいただきたい。この状況を作り出したのは、他でもないあなたなんですよ。十五年前、柊夫妻に『ダークマター』の研究を命じたのも、あなただ。彼らが、最後まで反対していたにもかかわらずね」
感情の宿っていない暗い瞳が三雲を捉える。視線をそらしたいのに、そらすことができない。どころか、指一本動かすことすら叶わなかった。蛇に睨まれた蛙のように、身動き一つできない。
「とにかく」
と、今度は一転して、いつもの軽い調子の声で続ける。
「これからのことを話しましょうよ。せっかくですから、腹のうちを出し合ってね」
三雲は冷や汗をうかべてがっくりとうなだれる。
「私を告発する気か?」
「告発? まさか。そんなことしませんよ。あなたの名誉は守って差し上げます」
「なんだと……?」
意味が解らず、視線を瀬戸にむける。彼は答えずに笑みをうかべていた。やがて、それの意味するところを理解し、腹のうちからどす黒い感情が芽生えた。
屈辱――。
「数名の元防衛省幹部の皆様には、中央省を去っていただきます。どうせいるでしょ? あなた以外にも今回の件に関わっている人。例えば、孤児院の経営者に金を渡してた人とか。ああ、もちろん退職金は出ますのでご安心を。それと、天下り先もご用意しております。そうしないと、世間も怪しむでしょうから」
そう言うと瀬戸は立ち上がり、耳元でそっと囁いた。
「女一人満足に飼いならせないようでは、あなたに組織運営の才能はない。そんなことをしても恥の上塗りになるだけだ。計画が失敗して、よかったですね」
皮肉っぽく言ったあと、まるで十年来の友人のような笑みをうかべ、
「まあ、仲よくしましょうよ。我々は、一心同体なんですから」
三雲は下唇を噛む。ツーっと、一筋の血液が流れでた。
晴れやかな青空の下、口笛を吹きながら瀬戸は坂道を下っていく。
結論から言って、瀬戸の予言は当たった。真相が明らかになった途端、中央省の幹部たちは手のひらを返したように三雲を糾弾した。それが、自らの保身のためであることは言うまでもない。難破船を乗り捨て、瀬戸という大船に乗り換えたのだ。
今回の件で、瀬戸は一時その律子の任命責任を問われたものの、防衛省側の企みが公にされると、世間の目はそちらにむいた。
待ってましたとばかりに、瀬戸は自ら謝罪会見を開いて、『騎士団』幹部である律子のしたことについて謝罪した。
そして、それ以外の責任を、すべて防衛省側へと押しつけた。
認めても大した痛手にならない非を素直に認めることで、警察側としての誠意を見せ、致命的な不祥事は防衛省側へと丸投げする。昔から、よくやっていた手だ。もっとも、今回はあるべきところに責任をもとめた、と言ったほうが正しいかもしれない。
警察庁側でも、防衛省側でもない純粋な『騎士団』メンバーである尊が副団長である律子を告発したことで、『騎士団』のメンツも最低限は守られた。尊に課した任務という点から見ても、上々な結果と言えるだろう。
今回の件で、防衛省側は事実上の死に体となった。幹部も数名駆逐できたし、元事務次官である三雲に恩を売り、弱みを握り、首根っこを捕まえた状態で飼い殺しにする。
今回の件に、三雲は一切関与していない。なにも聞いていないし、なにも知らなかった。そうする代わりに、今後一切、余計なことはしないこと。それが、二人の間で交わされた取り決めだ。
結局、今回の顛末は、五年前、はじめて律子に会ったときに、瀬戸が思い描いた理想形に近いものとなった。
瀬戸は最初から、律子がスパイであることを見抜いていた。理論的な確証はない。ただのカンだ。昔、公安部に所属していた瀬戸は、自らもスパイとして活動していた時期がある。そのときに学んだ、スパイのみが発する独特の匂い、それが律子から匂っていた、と言うほかない。
ずっと待っていたのだ。このスパイを利用し、中央省での警察庁の権限を、より強固なものとするために。
そのために、瀬戸は今回尊を利用した。今回の事件の犯人が、五年前の事件にも関わっていることを示唆し、現れてはどこまでわかっているのか探りを入れ、情報を与え、自らの望む方向へと誘導した。
もっとも、利用されていること自体は、尊も気づいていただろう。気づいていてなお、なにも言わなかったのは、尊が瀬戸の計画に利用価値を見出したからだ。
彼の行動原理は、そのすべてが唯のため。五年前のあのとき、唯を危険にさらした犯人を尊は絶対に許してはいない。
だからこそ、借りを返すために、瀬戸の計画は利用できると思った尊は、自らを利用して、犯人を討ち取ったのだ。
瀬戸は律子が尊に近づいた理由も“監視”であることを察していた。それでなお、律子を手元において逆に監視するために、尊を“エサ”として垂らした。防衛省がスパイを派遣することなど、最初から予想していたことだ。
その前科がある以上、いまさらなにを言ってもムダだと思った可能性もあるが……。いずれにせよ、尊は自らが望む結果を出して見せた。
くっくっく、と思わず瀬戸は笑いをこぼす。なんとも難儀な話だ。
だが、本人に言えばいやがるだろうが、瀬戸はこのただの仲良しこよしではない関係が好きだった。自分のために、利用できるのであれば自分すらも利用する。尊のそういうところが、瀬戸は好きなのだ。
自分のすることは、これからも変わらない。自分のために、組織のために、最善と思える策を講じ、遂行していくだけだ。
それが、“瀬戸征十郎”なのだから。




