妹へ②
尊の言葉を聞いた律子は、白けたような顔になったあと、表情に殺意を宿らせ、鼻先で笑い飛ばす。
「この、ドシスコンめ。キモいわよ、あんた」
「フン、今頃になってなにをほざく。知らないのであれば教えてやる。いいか、よく聞け律子。俺は生れてこれまで、唯以外のために生きたことなど、一瞬たりともない! 貴様は絶対にしてはならないことをした。俺を怒らせたのだ。覚悟を決めるがいい」
「覚悟を決めるのはあんたのほうよ。そこの瓦礫を、あんたの墓標にしてあげる」
「このごに及んで俺に勝てるつもりでいるとは……哀れだな。
そんな貴様は自らの過ちに気づくことすらできんだろう。教えておいてやる。貴様さっき言ったな。俺と貴様はおなじ人種だと。“自分なら、この程度のことはできなければならない”だったか? フン、笑わせるな。俺と貴様はおなじなどではない。俺がこの程度のことができるのは“当然”のことだ。できないことなど“ありえない”。“できなければならない”などと自分に課している時点で、貴様は俺より劣っている。他者に縋らねばマウントをとることもできない貴様が、この俺とおなじ人種を自負するなど片腹痛い。
今度は俺が予言をしてやろう。貴様は、俺には勝てない」
「ふ、ふふふ」
律子はこもった笑い声をだし始めたかと思うと、
「はははははははははははははははははっ‼」
煩わしい高笑いを上げる。
「私も舐められたものね」
律子の瞳に宿っているのは、“屈辱”。
それのみであった。
「まったく、面白いこと言ってくれるじゃない。でも、たしかにそうね。私とあんたは違う。私は自分だけを信じてきた。だからこそ、結果を出せてきたのよ。
でも、あんたは“唯”っていう他者を信じてる。それが弱点になっているのに、それに依存している。そんなやつが私とおなじなわけがない。あんたがそう言うなら、あらためて言うわ。
あんたは、私に勝てない」
「ほざく権利なら、皆平等に与えられている。だが、“結果”を出す勝利者は常に一人。何度でも言おう。それは、貴様ではなく、俺だ」
「これを見てもそう言えるかしら?」
ふところから一本の注射器を取りだす律子。
「これはね、『危険区域』のやつらに投与してたウイルスを改良したものよ。より強力な生体兵器を作り出すためのね。これを使えば、『銀狼』の能力をわが身に宿すことができる。まだ人間には使ったことのない試作品だけどね。光栄に思いなさい。あなたはこの、犠牲者第一号になれるんだもの」
ブチュウウウウ、と躊躇なく血管に針を刺す。
異変はすぐに起きた。
律子を中心として、『ダークマター』が渦を巻きはじめる。辺りを突風が支配し、唯と朱莉が顔を守るように腕で顔を守る中、尊は眉ひとつ動かさずにそれを見ている。
数歩前に出て、あざやかに『銀狼』を振る。唯と朱莉、尊のあいだに境界線となる斬撃跡ができた。それを三回繰り返すと、二人は□のなかに収まった。
「唯、戦いが終わるまで、その線の内側にいるんだ。貴様もだ。死にたくなければ、せいぜいそこで指をくわえて震えていろ」
こんなときにまで態度を変えない尊に、朱莉は尊敬の念を抱かざるを得ない。
『ダークマター』の中から出てきたのは、たしかに律子だった。だが、その風貌は数秒前とは異なっている。
四足歩行となった体全体にまとっている『ダークマター』。逆立った黒い髪は、まるで耳のようであった。ベロはだらしなく伸び、しっぽまで生えている。
「フン、大した曲芸だな。大道芸人のほうがむいているんじゃないのか、律子」
尊の挑発(本人にそのつもりはない)に、律子はなにも答えない。対応したところで、不毛な戦いが始めるだけと思っているのだろうか……?
(いや、これは――)
ある可能性に思い至った瞬間、律子は地面を一蹴りし、一気に距離をつめてくる。手をふりあげると、バチバチバチバチッ‼ と紫電を纏う。
「!」
強力な電撃が尊に襲いかかった。閃光が視界を制限する。遠くから見ていても、命に危険を及ぼす攻撃であろうことが推察できた。
「兄さんっ!」
「柊くんっ!」
反射的に声を上げる二人。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
「どうした、この程度か?」
常人であれば、とっくにショック死しているはずだ。だが、尊が虚勢を張っているわけでないことは、そのすずしげな表情を見れば分かる。やはり彼は、まるでマッサージでもうけているかのようであった。
「グ、ゥウウ……」
うなり声をあげたのは律子だ。攻撃が通用しないことが、気に入らないとばかりに尊をにらみつけている。
「もう終わりか? なら、つぎは俺の番だ」
一切の遠慮なく、尊は顔面をぶん殴った。吹っ飛ばされながら、律子は獣じみた動きで体勢を立てなおし、飛びかかってくる。尊にではなく、唯と朱莉にだ。
「ほう。唯を狙うことで、俺の隙をつくるつもりか。獣に成り下がったと思ったが、その程度の理性は残っているようだな。だが、ムダなことだ。俺におなじ手は、二度は通用しない」
律子が線に差しかかった瞬間、『ダークマター』がまるで噴水のように噴出し、律子を攻撃した。
斬撃跡から刀を出して自在に操る――凛香の技だ。
「ガァ……ッ!?」
激痛に顔をしかめる律子は、攻撃を中断し距離をとる。
「所詮、獣。余勢にもならんか。俺がどうやって『フレイアX』を殲滅したか、もう忘れたようだな」
「グ……」
律子の体を覆う『ダークマター』の力が強まった瞬間、唯と朱莉を囲む四角形がバチンッ、と『ダークマター』を噴出させる。
「!?」
「ムダだ。大方、重力で唯を人質にとろうとしたのだろうが、俺におなじ手は二度も通用しないと言ったはずだ。『ダークマター』の力は、より強い『ダークマター』で打ち消せる。貴様ごとき、俺の力でねじ伏せてくれる」
低いうなり声と共に醜悪な笑みをつくる。すると、尊の体はまるで鉛のように重くなった。
「フン、ずいぶんと一辺倒だな。学習能力がないのか?」
彼女の持つ『銀狼』の真の力。それは空気を操ること。その力によって、尊のまわりだけ重力が増しているのだ。
「なにをしようがムダなことだ。貴様では俺に勝てない」
律子がニヤリと笑う気配がある。まるで「それはどうかしら」とでも言いたげに。
つぎの瞬間、パリンッと音を立てて、尊の持つ『銀狼』が粉々に砕け散った。律子の攻撃に尊が耐えられても、『銀狼』は耐えることができなかったのだ。
「!」
無論、こんな絶好の好機を逃すはずもない。律子が口を開くと、そこに『ダークマター』が集まっていき、やがて紫電に姿を変える。そして最高電圧をむかえたとき、銃弾のように雷が発射された。
「兄さんっ!」
アレをくらえば、いくら尊と言えどもただでは済まないだろう。唯はあせったように声を上げる。
そのときだ。
「――仕方ない、か」
つぶやく。
刹那、紫電は跡形もなく消滅した。
良好となった唯たちの視界に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。
ドウッ! と、尊の左半身から、『ダークマター』がとめどなくあふれ出、生き物のように不気味に蠢いている。
まるで体の一部のように、『ダークマター』を纏っているのだ。
それはまるで悪魔のような、地獄の使者とでも言うべき邪悪な姿だった。
「これは、あまり見せたくなかったのだがな」
不気味な姿に、声を上げることすら叶わないのか、律子は無言で下がってしまう。
「唯、すぐに終わらせるから、そこで待っているんだよ」
安心させるかのように、言う尊。続いて律子に向き直ると、あざけるように言った。
「慄いているな? ムリもない。この姿を貴様が見るのは初めてだからな。だが、予想できる要素はいくつか提示してやったんだぞ。
貴様はおかしいと思ったはずだ。俺がいくら攻撃をくらっても無事なことを。おかしいと思ったはずだ。俺の運動神経が常人とかけ離れていることを。なぜ貴様らがムダに小細工を弄する中で、俺だけが『ダークマター』を自在に操ることができるのか。貴様にしてみれば、分からないことだらけだっただろう」
足下に『ダークマター』が集まる気配、一泊置いて、尊は一瞬で律子との距離をつめる。
頭突きをして、グラリと倒れそうになる律子の胸ぐらを掴み、刀に変化した左腕で漆黒の――『ダークマター』の斬撃をあびせる。
「以前の貴様の質問に答えてやる。俺の左半身は、ウイルスに汚染されている。俺は、ウイルスの侵攻を止めるワクチンを毎朝打っているんだ。もっとも、貴様は見たことがないだろうが。上司に俺の監視を命じられたと言ったな。その理由は、これだろう」
そう言って自分の体を指さす。
激痛に襲われながらも、律子は尊をにらみつける。
バチバチバチバチバチッ! と、自らのダメージなど顧みず、尊を攻撃する。
「俺はこの体に宿る『ダークマター』を自在に操ることができる。自らの肉体を強化することも、攻撃としてとばすことも可能だ。そして、どれほど攻撃をくらおうが、体内の『ダークマター』を使って瞬時に回復することもできる。なにが言いたいか分かるか?」
その言葉に呼応するかのように、『ダークマター』が黒焦げた体を元に戻していく。
呆然とした様子の律子を、尊はまるでボールでも投げるかのように投射し、力なく立ちあがる様を見て、嬉しそうに笑う。
刀に変化した左腕を、切っ先を、律子へとむける。
「つまり、貴様に勝ち目はないということだ」
トン、と軽くジャンプする。それだけで、尊は律子の視界から完全に消えた。
「!?」
ドッ、と腹を攻撃し、無理やり空中に叩き上げる。
「簡単には終わらせん。貴様には、しっかりと借りをかえさねばな」
言うまに、刀となった左腕が、うねり、人の身の丈ほどの長さを持つ、ヘビの姿をとる。
律子の体に巻きつけると、地面に叩きつけた。
一泊置いて、巻きあがる粉塵の中から、紫電が尊めがけて迫りくる。
「ずいぶんと、健気な抵抗だな。あまり俺の嗜虐心を疼かせるなよ」
嬉しそうにニヤリと笑う尊の左腕がとったつぎなる形は大砲であった。
そこから打ち出されたのは、弾丸などではなく、『ダークマター』だ。紫電を黒く塗りつぶし、漆黒の物質は律子に直撃する。
『ダークマター』で空中に足場をつくり、尊は階段でも降りるかのように優雅に地面に降り立つ。
「どうした、副団長。もっとあがいて見せろ。小隊長に惨敗したとあっては、メンツも丸つぶれだろうに」
「ォオオオオオオオオオッ‼」
怒りの咆哮を上げる律子の全身から、バチバチバチバチバチッッ‼ と紫電が迸る。
「そうだ。そうでなければ、おもしろくない」
「――ッ!」
声にならない呪詛の言葉が紡がれる。
あまりに巨大な紫電に、周囲一帯が光につつまれた。
「グァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ‼」
ふたたび咆哮を上げる律子。
――いや、これは咆哮ではない。悲鳴だ。苦しむように、もがく律子の全身からは、『ダークマター』が、苦しげにのたうち回っている。
これは――。
「フン、暴走したか。『慎重に扱わなければわが身を刺す諸刃の剣』。以前、貴様が講義で言ったことだ。その張本人が『ダークマター』を暴走させるとは、なんとも皮肉だな。せめてもの情けだ。いま、楽にしてやる」
巻き起こった暴風で、前髪で隠れていた尊の左目があらわになる。
それは、血のように赤い眼球だった。
「この俺の左眼にも、『ダークマター』の力が宿っている。この眼は、どんな異常な状況下でも、機能する。何度も言わせるな。この俺に、小細工は通用しない」
そして、とぞっとするような低く、冷たい声で続ける。
「終わりだ」
たった一振りだった。
ただ一度、刀となった左腕を振っただけ。それだけで、巨大な紫電は完全に消え去った。
そして……。
「ウ――ッ!?」
尊の斬撃は、律子まで届いていた。その顔から、体から、鮮血をまき散らす。全身に纏っていた『ダークマター』は、煙のように空高く立ちのぼり、やがて消えていく。
制服の胸につけられた、『騎士団』のみがつけることを許されるバッチが、パキン、と二つに割れた。
「どうやら、実験の犠牲者となったのは貴様のほうだったようだな、鬼柳律子」
その言葉を合図としたように、ドチャっと、まるで糸の切れた操り人形のように、律子は力なく倒れこんだ。
纏っていた『ダークマター』を解くと、尊は倒れそうになるのをなんとか踏みとどまった。
本当は片膝くらいつきたい気分だが、唯の手前、そういうわけにもいかない。
「く……っ!」
荒い息づかい、額に浮かんだ汗、体力を消耗しているのは火を見るより明らかだった。
「兄さん!」
唯が心配そうにかけよってきたのを見て、尊はなんとか平静さを保とうとする。
「ごめんなさい、兄さん! わたしのせいで……」
「唯……」
やさしさと、安堵が入り混じった声で、妹の名を呼んだ。
それが最後だった。
突如視界がグラリと揺れ、そのまま倒れ伏してしまう。
次第に遠くなる意識のなかで、唯と朱莉の声を聞いた気がした。




