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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第五章 妹へ①

 思えば、あのときがわたしたちの運命の分かれ道でした。


『安全地帯』から抜け出すことを決めたわたしたちは、それを許さないとでもいうかのように、『フレイアX』に襲われました。

 そして、『フレイアX』を一人で倒した兄さんは、気を失ってしまったのです。


「見事なもんだな。一人で倒すとは」

 そう言ったのは、先日お会いした男性――瀬戸さんでした。

『騎士団』の衣装らしい白い服をラフに着崩し、髭まではやしているのに、なぜかだらしない印象をうけない不思議なかたです。


「大丈夫かい?」

 わたしが兄さんを介抱していると、ひざを折って尋ねてきました。

「はい。でも、兄さんが……ッ」

 瀬戸さんに左足を触られ、痛みで声を上げそうになりました。

「まったく、女の子なんだから、もっと自分の体を大切にするんだね」

 わたしは、さっき、左足をひねって痛めていました。

 手際よく、やさしく応急処置をしてくださった瀬戸さんは、兄さんに視線をむけておっしゃいます。

「そっちは大丈夫。気絶しているだけだ。力を使いすぎたんだろう」

「ちから……?」

 瀬戸さんは、コクリとうなづきます。


「昨日、きみの兄さんが俺に言ってきたんだ」

「え?」

 脈絡なく話しはじめるので、思わず聞きかえしてしまいました。

「『俺を騎士団に入れろ。俺の力は必ず役に立つ。その代わりに、妹を病院に入院させろ』ってね」

 瀬戸さんは、兄さんに視線をおとします。

「そこまで言うなら、見せてみろって言ったんだが……驚いたよ。まさか、あそこまでとはな」


『危険区域』を出たいかい? そう言った瀬戸さんの表情はとても優しげでした。

 わたしは言いました。たしか、言うまでにすこし時間がかかったと思います。

「はい。もう、わたしのせいで兄さんが傷つくのは、見たくありません……」

「でも、その兄さんは、そうは思っていないみたいだぞ」

「分かっています……だから、つらいんです……」

 しばらくわたしを見ていたかと思うと、瀬戸さんは笑いました。


「いいね。かわいい顔して、きみもなかなか傲慢だ。よし、いいだろう。俺がきみたち二人を『安全地帯』に連れていってやる」

 当然のことのようにおっしゃったので、キョトンとしてしまったのを覚えています。

「こう見えても、俺は偉くてね。君たちをねじ込むことくらい、そう難しい話じゃない」

「そんなことして、大丈夫なんですか?」

 笑顔で言う瀬戸さんがなんだかおかしくて、わたしもすこし笑ってしまいました。

「気にする必要はないさ。俺はきれいなお姉さんとかわいい女の子のためになら、なんでもする男だ」


「貴様、唯をナンパするな」

 いつの間にか意識を取り戻していた兄さんが言いました。

 この遠慮のない、まったく空気を読んでいない言葉を聞くと、なぜか安心してしまうから不思議です。

「唯、ケガは?」

「わたしは大丈夫ですよ。兄さんのおかげです。だから、心配しないでください」

 包帯を見えないよう隠しつつ、言います。

 兄さんは一瞬だけ眉をひそめましたが、すぐにそうか、と笑いました。


「なんだ、起きてたのか? この程度で気ぃ失うなんてだらしねぇな。そんなことじゃ、『騎士団』じゃやっていけないぜ」

 兄さんはすこしだけ拍子抜けしたような顔になりました。

「俺は昨日言ったな。『そこまで言うなら覚悟を見せろ』。おまえの覚悟、十分に見せてもらった。男に二言はない。おまえの望む状況は整えてやる」


 その代わり、と瀬戸さんはいままでの軽いトーンから一転して、低い声でこうおっしゃいました。

「それに見合う働きはしてもらうぜ。どんな任務でもこなせるようにな」

 兄さんはニヒルに笑います。

「言われるまでもない」

 そして、今度はわたしに笑いかけてくれました。

 この日を最後に、兄さんが本当の意味でわたしに笑顔を見せてくれることはなくなったのです。

 兄さん。あなたはいつも、わたしに会いに来るとき、いろいろと買ってきてくださいますね。

 でも、そんなものよりも、わたしは――。




「どうしたの、尊? 攻撃しないの? 私を捕えるチャンスなのに、もったいない」

 バカにしたように言う律子は知っている。いま尊が、絶対に攻撃できないことを。唯に対し、彼が刀をむけることはありえない。

 知っているからこそ、安全な位置から、尊を挑発するのだ。


「唯……」

 もはや、尊の目には律子など写ってはいなかった。ただ、自分のまえに立ちはだかる妹を、呆然と見つめることしかできないでいる。

「柊くんっ!」

 名前を呼ばれて、ハッと我にかえった。

 視線だけを動かすと、そこには朱莉の姿があった。

「唯ちゃんが、急に目を覚ましたと思ったら、病院を抜け出して……」

 息を切らした朱莉が、とぎれとぎれに言う。


「あら、美神さん。あなたも来たのね」

「鬼柳、教官……」

 いまだ信じられない、といった顔で律子を見る。

「本当にあなたなんですか? あなたが孤児院のみんなを……」

「ええ。そうよ」

 平然と答える律子。朱莉の中で一つの感情が膨らんでいく。


「ふ、副団長……」

 朱莉の護衛でついてきたらしい『騎士団』の団員が上ずった声を出す。先日、病院の応接間に報告に来た小隊の隊員だった。

「小隊長! これはいったい……」

 その言葉を最後まで言い切ることはできなかった。律子の放った紫電が、団員に直撃したからだ。

 無残にも黒焦げになった団員は、一切の抵抗なく倒れ伏す。倒れるまえに、すでに絶命しているのは、だれの目にも明らかだった。


「で、あなたはここになにしに来たのかしら?」

「……未届けに来たんです」

 朱莉は団員に痛まし気な目をむけ、胸のまえで、ぎゅっと手をにぎる。

「この事件が、どんな結末をたどるのか。それが、生き残った私にできる、唯一のことですから」

「あらそう。丁度いいところに来たわね。それなら、もう決着がつくわよ」

 妖しく笑うと、律子は唯に『雷剱』を渡す。


「貴様……なんのつもりだ……?」

 律子は答えず唯の髪をなでた。

「さあ、唯。それであいつを殺すのよ。私をイジメたあいつを、ぐちゃぐちゃにして殺してやるの」

「はい、姉さん」

「唯ちゃん……?」

 さきほどまでとはまったく違う様子の唯に、朱莉はすくなからず衝撃をうけたようだった。

「唯はね、私の妹になったのよ。そこで大人しくしていてちょうだい。尊を殺したら、つぎはあなたの番だから。そのために、あなたをここへ呼んだんだもの」


 朱莉が唯を追って『安全地帯』と『危険区域』を区切る城壁……その門まで行ったとき、立ち番をしている『騎士団』の団員は朱莉を見てこう言った。

 ――副団長から通すようにと言われている。

「尊が私の正体を見抜くことなんて織り込み済み。だから私は、最初に会ったときから準備してきたの。いずれ来るであろう、このときのためにね。そして、あなたをここへ呼んだのは、せめてもの情けよ。どうせ死ぬなら、思い出の場所で死にたいでしょう?」


 無論、それは建前である。実際は、『危険区域』のほうが、『安全地帯』よりも、様々なことに関して、はるかに都合がいいからだ。

 律子は妖艶な笑みを、意地の悪い笑みへと転じて続ける。

「尊。まあ、あんたに攻撃することはできないでしょうけど、抵抗したり避けたりするのもダメよ。さっきみたいに『ダークマター』を使って、自分の傷を回復するのも勿論禁止。すこしでもそんなそぶりを見せたら、唯の命はないわ」

 さきほどまでとうって変わって、勝ち誇ったかのように律子は笑う。


 彼女は言った。

“あなたは、勝てない”と。


 尊が唯に攻撃できないことなど、百も承知だ。律子は尊の攻撃をあえて受け、追い詰められている演技をした。いまこの瞬間、尊に屈辱を味わわせるために。

 普通に戦ったのでは、律子は尊に勝つことは不可能。だから律子は、勝つために、唯を洗脳して手籠めにした。

 つまり、彼女はここまでのことをすべて予想していたことになる。

「……ッ」

 皮肉の言葉ひとつかえすこともできない。


(この俺が、やつの掌の上で踊らされていたというのか……? いや、そんなことはどうでもいい。そんなことよりも、唯を……)

 尊は震える目で唯を見る。

「さあ、行きなさい唯!」

「はい、姉さん」

 抑揚のない声で言うと、唯は白いワンピースを引きちぎった。いつもは透き通るように白い足が、赤黒く染まっている……。

 尊が一瞬眉をひそめた間に、唯は尊めがけて走りだす。身軽な動きで跳躍すると、背後に回り斬撃をあびせる。


「グッ……!?」

 痛みに顔をしかめている間に、今度はまえに回って腹部に打撃を与える。

 か細い腕のどこからそんな力が出ているのか、衝撃で尊は吹っ飛ばされ地面を転がった。

 立ちあがろうとするも、首を踏まれたためにそれは叶わない。


 これは――。

「なるほど……さっき貴様がうけた攻撃を、そっくりかえしているのか……」

「ええ。そういうこと。簡単には殺さないわ。そんなんじゃ満足できないもの。まずは、私がうけた痛みを、あんたにも与えてあげる」

「フン、なにをするかと思えばつまらん復讐とは……まったく下劣極まる。どこまでも幼稚なことだ」

「あら、まだそんな元気があったのね。耐久力が高そうでよかったわ。でも、唯はどうかしら?」

「なに?」

 怪訝そうな顔をするも、その意味はすぐに分かった。

 唯の腕から、足から、ポタ、ポタ、と血がしたたり落ちていた。さきほどとおなじように、自分の攻撃に体が耐えきれず、自らも傷ついてしまっているのだ。


「唯……!」

「あらあら、大変ね。はやくあんたが死なないと、唯のほうがさきに死んじゃうわよ?」

 律子の唇が弧を描く。

「ごめんなさいね、言い忘れていたわ。唯はいま、体のリミッターが外れている状態だから、自分の攻撃にも耐えられないのよ」


 人間は、無意識のうちに自分の体にリミッターをかけている。律子の洗脳術により、それが外れているとなれば、唯の体は傷ついていく一方だ。

 尊の胸ぐらを掴み無理やり立たせた唯は、躊躇なく『雷剱』を振り下ろす。鮮血が飛び散り、唯の白い肌とワンピースを赤く染める。傷口を蹴っ飛ばされた尊は、無様にも尻もちをつく。痛みに顔をしかめながらも、その目は唯をとらえてはなさない。


「柊くんっ! しっかりして! 諦めないで!」

「だまれ! 貴様に言われるまでもない!」

 いつもの減らず口がかえってきたことに、朱莉は内心安堵する。

 だが、尊にはそんなことはどうでもよかった。いまの攻撃で、唯の体はまた傷ついてしまった。もはや猶予はない。

 当の本人は、そんなことは気にもとめずに、たった一度の跳躍で、距離をとると同時に律子の元へと戻る。


「フン、仲間割れ? 普段他人を愚かと蔑んでるあんたがその体たらくなんて、皮肉なものね……。それに比べて、唯はえらいわ。よくやったわよ」

 愛おしげに頬ずりをする律子。唯は無表情のまま答える。

「ありがとうございます、姉さん」

「律子……」

 尊の目に宿っているのは、途方もない怒りだった。


「そんなに怒らないでちょうだい。唯を助けるのは簡単よ。あんたが死ねばいい。ね、簡単でしょ? ほら、死になさいよ。ねぇ、死んでよ。死んでみてよ、尊!」

 楽しそうに言ったかと思うと、一転して白けた顔になる。

「どうしたの? 死ねないの? 所詮、あんたも死ぬのは怖いのね。なら、もっと痛めつけてあげるわ」

 地面を指さし、口元に嫌味っぽい笑みをうかべる。

「『銀狼』を捨てなさい」

 尊の決断は早かった。迷うそぶりなど見せずに『銀狼』を捨てる。


「いい子ね。唯、そいつをいたぶってやりなさい。私たちの敵をね」

「はい、姉さん」

 光のない目が尊を捕える。

「もうやめてください、鬼柳教官! こんなことをして、なんになるっていうんですかっ!?」

「なんにもならないわよ」

 そう言った律子の表情からは、完全に感情が消えている。どこまでも無機質で、底が見えない。

「でもね、これが私の仕事なの。仕方ないでしょ? 仕事なんだもの」

「仕事って……そんな理由で……それだけのためにみんなを殺したって言うんですか!?」


「そうよ」


 律子はやはり、顔色一つ変えずに言った。

 ゾクッと、背中に冷たい一筋の汗が流れ落ちるのを、朱莉は肌で感じた。

「べつにあなたに分かってもらおうなんて思ってないわ。でも、尊」

 そこで、律子は視線を尊にうつす。そこには、まったく知らない土地で友人を見つけたときのような、安堵……あるいは、すがるかのような色がある。


「あんたなら分かってくれるでしょう? だって、あんたは私とおなじ人種だもの」

「俺と、貴様がおなじだと……?」

「そうよ」

 律子は唇の端にかすかに皮肉さを乗せた。


「あんたは普段からこう思っている。“自分なら、この程度のことはできる”、“いや、できなければならない”。

 私はね、いままで結果をだすことで自分を証明してきたの。求められれば、必ず期待以上の結果を出してきた。だって、私にはそれができる。できなくちゃならないからよ。

 あんただってそうでしょ? “『騎士団』で結果を出せば、唯の安全を確保する”。それが局長との契約。でも、あんたがそれに従っている本当の理由は、私とおなじ。

 “自分なら、この程度のことは当然できなければならない”というプライド……自分自身を証明するため。……違う?」


 尊はなにも答えない。朱莉の位置からは、どんな表情をしているかもうかがい知ることはできない。

「さて、さきに進みましょうか。唯、あなたの力を、あいつに見せてあげなさい!」

「はい、姉さん」

 唯は『雷剱』を振るい、尊を攻撃する。ただし、それは峰内であった。鉄の塊で殴られ、鈍い痛みが尊を襲う。

 だが、彼はやはりそれどころではない。『雷剱』で、ときには素手で、足で、つぎつぎに攻撃を加えられていく。そして、そのたび唯も傷ついていく。


(このままでは……)

 思わず最悪の展開が頭をよぎってしまう。

「唯のことを気にしている場合なの?」

 背後から律子の声が聞こえた瞬間、背中を真一文字に切り裂かれた。

「……ッ!」

 激痛に顔を歪めながらも視線をむける。

 笑う律子の手には、さきほど尊が捨てた『銀狼』が握られていた。首の後ろを思いきりたたかれ、尊は地面に倒れこむ。


「柊くんっ!」

 朱莉の声に反応する余裕さえ、もう残されていなかった。

「どうしたの? ボロボロじゃない。さっきも言ったけど、私を捕えたいなら唯を殺せばいい。あんたなら、できるでしょ?」

 いつもの尊のように、バカにしたように言う律子。

 対する尊は、反抗的な視線をむけるのが精一杯だった。


「つらそうねぇ、かわいそうに。じゃあ、すこし、雑談でもしましょうか」

 どんな話にしましょうか、とわざとらしく考えるふりをする律子。


 ああ、となにか思い至ったような顔をすると、

「そうそう。いままであんたと過ごした日々は楽しかったわよ。知ってる? 私本当は、“監視”っていう名目で、あんたに近づいたの。詳しい事情は教えてもらえなかったけど、目を離すなって言われたわ。でも……」

 そこで一度言葉を区切り、わざとらしく含み笑いをする。

「大変だったわよ。だってあんたったら、性格に欠陥がありすぎるんだもの。本当に大変だったのよ、『叱りはするけど、本当は理解者』みたいな関係を装うの……心の中では、コイツ脳に欠陥があるだろって思ってたわよ。でも、私には簡単にできたわ。上司が予想していた以上の結果を出した。

こんなことにも気づかないなんて、俯瞰視点が足りてないみたいね?」


 傲岸不遜な笑みをうかべる律子。そこには、普段の彼女の面影は微塵も感じられなかった。

 尊の低い笑い声が、それを上書きした。

「バカめ、貴様のそれは主観というのだ。俯瞰視点が足りていないのは、どうやら貴様のようだな、律子」

「フッ、本当に口数の減らない男、ねッ!」

 まるでサッカーボールでも蹴るかのように、軽いノリで尊をけ飛ばす。地面をゴロゴロと転がり、痛みをおさえてなんとか立ち上がる。

 その体は、傷だらけの痛々しいものとなっていたが、律子はとくに反応は示さない。


「さて、そろそろ終わりにしましょうか」

 そう言うと、なんでもないことのように続ける。

「自殺してちょうだい」

 そう言って『銀狼』を投げてよこす。

「あんたが自殺すれば、唯は助けてあげる。本当よ?」

 ウソだ。それは朱莉でも分かった。

 だが、唯が限界だと分かっているのか、尊の行動には一切の迷いがなかった。

『銀狼』を拾うと、自らの首におしあてる。ブシュッ、と血が噴き出しても、力が緩められることはない。


「待って! 柊くんっ‼」

 朱莉は脊髄反射で叫んでいた。

「あきらめちゃダメだよ! そんなことしたって、唯ちゃんは喜ばない! それは、柊くんが一番分かってるはずでしょ!?」

 尊の動きがピタリと止まる。


「柊くん、さっき私に言ったよね? 『おまえの行動は単なる自己満足だ』って。その言葉、そっくりそのまま返すよ! 唯ちゃんさえ救えればいいなんて、柊くんの単なる自己満足だよ!

本当に唯ちゃんを助けたいなら、戦い続けて! 戦い続けて、唯ちゃんを元に戻してあげて!」


 ハッとしたように、目を見開いた。

 尊はいままで、自分の生きたいように生きてきた。そうすることが、唯を守り、自分たちを救ってくれる、唯一の道だと信じたからだ。


(自己満足……)

「あらあら、クラスメイトのありがたいお言葉ね。冥途の土産に、よく心に留め置いておきなさい」

「勘違いするな。俺はだれに従うつもりはない」

『銀狼』をおろした尊を見て、律子はつまらなそうに訊く。

「で、死なないの?」

「貴様が自分で殺してみたらどうだ? そのほうが楽しいかもしれんぞ」

 フン、と鼻で笑ったのは、尊ではなく律子だ。白けた調子でかぶりをふると、

「まあいいわ。そこまで言うなら、唯に殺させてあげる!」

 その言葉に呼応するように、バチバチバチッと火花を散らす。


 唯が『雷剱』を振るい、尊の体を紫電が直撃した。

「ぐあああああああああああッッ‼」

 体中に激痛がはしり、尊は力なく倒れこむ。その威力は、なぜまだ生きているのか、不思議なほどであった。

 思わず目をそむけたくなる光景に、しかし唯は眉ひとつ動かさない。


「唯ちゃん! あなたはなんとも思わないの!? 柊くんがこんな目にあっているっていうのに、それでも平気だっていうの!? あなたと柊くんとの絆は、そんなものだったの!?」


 いままで感情の消えた顔をしていた唯に異変がおこる。

 朱莉の必死の呼びかけに、唯は苦しそうな顔で頭をおさえはじめたのだ。


「なに……?」

 その異変に、律子が眉をしかめる。

「唯……」

 ヨロヨロと、尊はおぼつかない足で立ちあがる。唯は頭をおさえたまま視線をむけた。

「唯! もういいわ、そろそろ楽にしてあげましょう。さあ、殺してやりなさい!」

尊の言葉にかぶせ、律子は焦ったように声を上げる。

「はい……姉さん……」

 頭を押さえながら、ふらつく足で唯は走りだす。


「柊くんっ!」

 声を上げた朱莉の目の前で、あまりにもあっさりと、まるで予定調和のように『雷剱』が尊の体を貫いた。


 勝利を確信したのか、律子の唇が歪む。

「いい子ね、唯。よくやったわ。さあ、戻ってらっしゃい」

「はい、姉さ……」

 答えて『雷剱』を抜こうとするが、

「……っ?」

 まるでなにかに引っかかったように、抜くどころか、動かすことさえできなかった。

「なにしてるの唯!? はやく戻ってきなさい!」


「唯」

 けたたましい律子の声に対して、それはあまりにも小さなものだった。


「唯。兄さんの言葉を、よく聞いてくれ……」

 しかし、その声は、唯の体の奥深くまで、ゆっくりと沁み渡っていく……。

 唯の体を、温かな感触が包みこむ。そっと、愛おし気に、兄は妹を抱きよせた。


「迷惑をかけてすまなかった。俺はおまえとだけは戦えない。だが、俺がいままで戦ってこれたのは、おまえがそばにいてくれたからだ。それは、いままでも、これからさきも、変わることはない」


 唯はふたたび頭を押さえ、苦痛に顔をしかめる。

 脳裏によみがえったのは、まだ『危険区域』にいたときの記憶。

 あの日、傷だらけで帰ってきただれかは、やさしく抱きしめてくれた。

 そして、こう言った。


(――「兄さんはいつか必ず、おまえを『安全地帯』に連れていく。なにひとつ不自由はさせない。だから、もう弱音は言うな。外のやつらには、絶対に弱みをみせたらダメだ。弱みを握られたら、それで終わりだ。いいな?」――)


 尊は呼びかける。唯にのみ見せる優しげな顔で、声で。

「十五年前、両親が行ったバカげた実験によって、俺たちは『危険区域』での生活を余儀なくされた。そこで俺たちを待っていたのは、まるでドブネズミのような日々だった。だが、おまえがくれたこのロケット……」

 首から下げられたロケットを、やさしく、しかし力強く握る。

 ある日、唯が尊にプレゼントしてくれたものだ。尊のものには唯の、唯のものには尊の写真が入っている。

「あのとき、俺は心に決めた。これからさき、たとえなにがあろうとも、おまえを守り抜くと……おまえを守るにふさわしい男になると……!」


 尊が語りかけるたび、唯は苦しげな顔をより強くする。

「黙りなさい‼ 唯! 攻撃なさい! はやく‼」

 危機感を覚えた律子は、唯に号令する。

「あああああああっ‼」

 叫び、涙を流しながら『雷剱』から電撃を発する。それは唯の体をも蝕み、彼女はよろよろと後ずさった。尊が『ダークマター』でダメージを軽減させたものの、それでも無傷ではいられない。

 彼女は頭を押さえたまま、律子のことなどもはや目に入っていない様子であった。


「このロケットが……おまえの存在が、俺を救ってくれた。おまえがいなければ、俺はとうに終わっていたんだ……俺は……おまえを守るにふさわしい男に……兄になれたか……っ!?」

 唯に手を伸ばし、語りかける。より一層強く頭をおさえると、唯はうめき声をあげる。

「ぅ、あぁ……」


「思いだせ、唯……! おまえは、そいつの妹なんかじゃない……おまえは、おまえは俺の妹だ!」


 脳裏に去来したのは、ある少年との記憶だった。

 その少年は、昔はよく自分に笑いかけてくれた。無邪気な、一点の曇りもない笑顔だった。

 あるときから、少年は笑顔の形を変えた。

 ただ、楽しそうな笑顔から、自分を安心させる笑顔へと。

 少年は、いつだって自分のことを考えてくれていた。いや、そのことしか考えてはいなかった。

 だから、少年が望む妹になることが、せめてもの恩返しだと思った。

 だが、そんなことはどうでもよかったのかもしれない。自分の望みは、ただ、少年に昔のように笑ってほしかった。その笑顔が見たかっただけなのだ。

 その少年は――。


「兄さん……!」


 さきほどまでの抑揚のない声はなりを潜め、いつもの大人びたやわらかな声で、つぶやくようにその名を呼ぶ。

「バカな……洗脳が……!?」

 律子は目を見開き、

「唯……!」

「唯ちゃん! その人から離れて! 唯ちゃんはその人に操られてたの‼」

 朱莉が叫ぶうちに、尊はすでに行動を開始していた。体に刺さった『雷剱』を放り投げると、およそ常人とは思えないスピードで律子に接近し、唯を抱えて素早く距離をとる。ついでとばかりに、律子の顔面を殴っておくことも忘れない。


 吹っ飛ばされた律子など気にもとめず、尊は最愛の妹の傷口を優しくなでる。

「唯、大丈夫か……?」

「は、はい……兄さんこそ……まさか、その傷は……」

「違うよ」

 さえぎるように尊は言った。

「おまえはなにもしていない。兄さんは大丈夫だ」

 泣きそうな顔になる唯に、尊は優しく笑いかける。たしかに昔の笑顔とは違う。だが、心の底から安心できる、暖かな笑顔だった。

 兄は、いまも昔も変わらない、とても優しくて強い自慢の兄だ。


「唯ちゃん……!」

 心配そうに朱莉が駆けよってくる。

「朱莉さん……申しわけありません。ご迷惑をおかけしました」

「うぅん、迷惑だなんて……無事でよかった……」

「再会の感動は味わい終わったかしら?」

 その、あらゆる余韻を打ち消す悪魔の囁き。バチバチと迫る紫電を、尊は片手でたやすくはじく。霧散した電を見て、律子は顔を歪めて舌打ちする。


「わざわざ『雷剱』を返してくれるなんて、ずいぶん余裕じゃない。おもしろくないわねぇ……! ねぇ、尊。どお? 妹をとり戻した気分は? うれしい? 抱きしめたい? でも、本当によかったのかしら。尊、知ってた? 唯が、本当はあんたを拒絶してるってこと。

 まえにね、私に相談してくれたのよ。あんたのことがウザいってね」

 心の底から楽しそうに語る律子の顔は、いままで見たなにものよりも醜く見えた。

「そんなことも知らずに、必死になって助けちゃって。笑えるわね! うつくしいわね、兄妹愛って! でも、無意味よ。無意味なの。残念だったわね」


「ち、ちがいますっ! 兄さん、わたしはそんなこと……」

 傷の痛みに耐えながら、必死に反論する唯。

 しかし、尊は、動揺した様子など微塵もない。

 フン、といつものように、冷たく鼻をならす。

「なにを言うかと思えば……それが、貴様の精いっぱいの負け惜しみというわけか」

「なんですって……? 聞こえなかったの? 唯はあんたを……」

「貴様は本当にバカだな。唯は、人の悪口を吹聴するようなまねは断じてしない。本当に嫌なことがあるのなら、俺に直接言うだろう。唯は容姿だけではない。心もきれいな人間なのだ。貴様と違ってな」

「兄さん……」

 唯は顔を赤く染めるも、その表情はうれしそうであった。


「これからも、俺のすることは変わらない。どんなことがあろうとも、命に代えても唯を守り抜く。たとえそれが、俺の理想の押しつけであったとしてもだ。それが、俺――“柊尊”だからな」


『銀狼』の切っ先を律子にむけ、ニヤリと笑って見せるのだった。

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