一か八か
それから月日が経過。
パンツのことなどすっかり忘れ、カールはまたいつもの日常を繰り返していた。
だが、平穏を打ち砕く事件が勃発した。
深夜。グリッツェンはとっくに閉店を迎え、静まり返る店内。盛り上がりを見せる時間に比べ、かなりの温度差だ。
二階にある自室で寝ていたカールは、突然の爆発音に飛び起きる。
フランツも同様に目を覚ましたようで、廊下に出たのはほぼ同時だった。
音を感知したのは今いる二階の物置部屋の方からだ。
二人は廊下を一直線に走って物置部屋の扉を開く。
フワッと風が顔を撫で付ける。見ると、上方に取り付けてある窓ガラスが割られていた。
もうこの時点で最悪の結末は予想していたが、一縷の望みにかけて押し入れに近づく。
そこに収まっていた金庫は無残な姿に成り果て、中身の物は全て持ち去られていた。
事件のあった日の明け方。
あの後ショックで一睡もできなかったカールは、自室のベッドで現実逃避するように丸まっていた。
あの金庫には、酒場を経営するのに欠かせない財産が保管されていた。
手元に残ったのは一日分の売り上げと、手形として持っている分だけ。全財産のおよそ九割は窃盗されたようだ。このままでは、経営が成り立つのはよくて三日。
「終わった……」
融資してもらうにもコネなどない。倒産まっしぐらだ。
もうすぐ開店準備に取り掛からなくてはならない。しかし、目は虚ぎ、顔色も悪く、弱り果てた彼では、単純作業でさえ困難だろう。
それでもベッドから立ち上がって、自室の扉に向かう。
と、何かに躓いたようで、カールはずっこけてしまう。その衝撃で横倒しになったチェストは、ひっくり返って中身をぶちまける。
床にばらまかれた小物のうち、男部屋にはそぐわない物が二つあった。
焦点が定まらない中、なんとなく同種のそれらを手に取った。
それらを見つめていたカールの目に、段々と生気が宿り始める。
「まだ、何とかなるかもしれない」
一世一代の大勝負。
負ければ命はない。だが挑まなければどん底に落ちる。
「当たって砕けろ!」
立ち上がったカールは、拳に握り潰した二枚のパンツを天に掲げ、覚悟を決めた。
窃盗事件は内密ということでフランツとは口裏を合わせる。
カールは、一日だけ休暇を取ることにした。その日の指揮はフランツに任せる手筈だ。
休暇当日。
馬車に乗り、カールは都市を出た。そのまま街道沿いを半日進み、目的地である姉妹都市グラナトの正門に到着する。
夜明け前に出たのに、もう日が暮れそうだ。
警備兵のいる門前を通過したカールは、都市内部へと入った。
門のそばにある厩舎に馬車を預けた後は、大通りを徒歩で進み中央広場に向かう。まだ活気は衰えていないようで、人々の行き来が盛んである。
広場を素通りすると、東通りの路地に歩を進めた。
真っすぐ歩いているうちに、周囲の建物が華やいでいく。
ここは貴族街で、由緒ある貴族の居住区である。
豪華な屋敷が立ち並ぶ一本道を進んでいると、カールの視界が奇妙な建物を捉える。
上品で味わい深い風景が一転、目が眩むような外観の屋敷が現れた。
屋敷の外壁は多数の魔法石が埋め込まれており、人物を象った模様が色鮮やかに浮かび上がっている。
カールは門のそばまでやってくると、その重厚な鉄扉を押し開いた。
庭へと進入し、玄関口までの舗装された道を行く。進むにつれ、外壁に描かれている人物の詳細が判明。どうやら模様の人物は全て婦女子のようだ。とんがり帽子をした魔術師の少女、自前の羽を生やした鳥人族の女性など、いずれも美人である。
両開き扉の眼前まで移動した直後、何者かの声がカールの耳朶に触れる。
「合言葉を述べよ」
予期していた彼は、取り乱すことなく答えた。
「パンツは履く派じゃなくて被る派です」
「よし通れ」
軋んだ音を伴いながら、両開き扉はゆっくりと奥へと開かれた。
暗闇に満ちていた廊下だったが、歩くカールに呼応し、両側の魔法石が灯る。館の外壁と同様、多種多様な美女が描かれていた。
商人風の青年から聞かされてはいたものの、この館は気が遠くなるくらい広い。その上入り組んでいるため、もらったこの間取り図がなければ迷子になること請け合いだろう。
カールの目に入る絵画や調度品の数々は、押し並べて女性がモチーフだ。定番である騎士の模型でさえ、女騎士だった。
「話によればもうすぐなんだけど」
カールがそう呟いて間もないうちに、正面の突き当たりが見えてきた。
扉が設置された場所まで接近し、立ち止まる。
カールの全身に緊張が走る中、扉に向けてノックする。
「パンツを査定して頂きたく、やって参りました」
「入れ」
さっきのを再現するようにひとりでに扉は開かれ、カールの目に室内の様子が飛び込んできた。
迎え入れられたこの場所は、大広間のようだ。美女の描かれた壁の模様までが離れていることから、相当な広さを誇るらしい。薄暗いため、室内の装飾や家具の配置などは判然としない。
不気味な雰囲気に飲まれまいと、カールは「よしっ」と発し、奥に向かって歩き始めた。
近づいて行くと、遠方にほんのりした光源を捉えた。その正体は揺らめいている三つの炎。
さらに接近を続けると、燭台のロウソクと共に、大きな丸テーブルが目に入る。
炎が一瞬揺れたそのとき、ぼんやり人影が目に映った。
カールは思わず、
「うわっ」
と叫んで、その場で仰け反りそうになる。
それもそのはず。炎に映し出されたのは、魔人族のおぞましい姿だったからだ。
人間の倍近くある体格、灰色の全身は筋骨隆々である。獅子を思わせるその面構えの双眼が、カールを射止めた。
「どうした? 早くこっちへ来い」
「は、はい」
迫力のある低い声色に反応し、竦んでいた足が動き出す。
丸テーブルの付近に到着したカールは、丸テーブルを囲む、魔人族を含めた五人の人物を目の当たりにした。
彼らの風貌は、それぞれその種族の特徴を如実に捉えていた。
「では、これより査定を開始する。ご客人、パンツを我らの前に差し出したまえ」
「かしこまりました」
魔人族に命じるように言われたカールは、荷袋から一枚のパンツを取り出す。震える手を誤魔化しきれないまま、テーブル中央に置いた。
魔人族はパンツの真上に両手をかざし、呪文を唱える。
カールは真正面の魔人族が、魂を奪いに来た死神と錯覚してしまい、思わず目を瞑る。
そのまま心の中で、命を預けた一枚のパンツに、強く、強く祈りを捧げる。
――頼む! リーゼの方であってくれ!
呪文の詠唱が止まり、再び静寂が訪れる。
そして査定の結果が、魔人族の口から告げられた。
「うん? 一体どういうことだ? このパンツの持ち主は男ではないか」
二者択一を外してしまったカールは、絶望し、膝から崩れ落ちる。己の覚悟による強固な武装も、襲い掛かる死の前では、使い物にならない。
怖い。今すぐ逃げ出したい。
死に差し迫って初めて、これまでの幸福を噛み締める。同時に抱く後悔の念。
どうしてこの賭けに挑んでしまったんだ。今思えば、他にいくらでも方法はあったはず。
絨毯張りの床に爪を立て、力任せに引っ掻く。そこには、カールの今の心境を表したような、生々しい爪跡が残った。
カールが絶望にうちひしがれている頃、丸テーブル上ではどよめきが起こっていた。
「野郎のパンツなど、到底許されない。我の業火で焼き尽くしてしまおう」
赤い鱗が特徴の竜人族は、獰猛な顔つきで喉を鳴らす。
「右に同じ」
その隣に座る鳥人族は、自前の翼で口元を隠しながら、優雅に答えた。
そして、正面に対する水人族、人族の二人。二人の意見は同調したが、竜人族、鳥人族の意見とは真逆の反応を示した。
「え~、僕はアリだと思うな~」
グリッツェンによく来るカエル貴族とは違い、温厚そうな言動の水人族。
「わしはこのタイプを見るのは初めてじゃわい。これだけ可愛い子が接待してくれたらと思うと、辛抱たまらないのう」
老紳士風の白髪を生やした人族は、髭をいじりながら薄笑いを浮かべた。
カールは、頭上の騒がしさに違和感を抱き、床から立ち上がった。五人が言い合いをしている丸テーブルを見下ろすと、ある一点に目が留まる。
そこには、小さい、妖精のような美しい少女が、静止画のように佇んでいた。
少女は給仕の恰好をしており、そのうえ服装はグリッツェンのものである。
カールは少女のことを知っているようで、とある名を呟いた。
「リーゼ……?」
カールの視線の先に浮遊する少女は、まさにリーゼそっくりの容姿だった。
大きさは本来の八分の一ほど。
実は、魔人族による魔術によって作り出されている。魔人族はパンツの持ち主を特定できるだけでなく、パンツを媒体にして、持ち主の立体映像を照射できる。
どうやらこの光景を見る限り、パンツの持ち主はリーゼのようだ。
一度は喜びかけたカールだったが、新たに疑問が生まれてしまう。
――だとすると、何故リーゼを指して男と判断されたんだ?
ダメだ、考えてもわからない。
カールはひとまず五人の議論に傾聴し、動向を見守ることにした。
「男である我々が女装した男を好むとは、タブーではないか」
竜人族の男は、断固として主張を曲げない。
「ん~でも、女顔負けの見た目は、下手すると美女コレクションの中でもトップテン入りしそうじゃない?」
水人族のふくよかな男がのんびりとした口調で反論すると、すかさず鳥人族が異議を唱え、
「男同士で子は生さん」
「別に子作りせんでもええんじゃよ。幸せの形は人それぞれじゃ」
それに対して、老紳士風の人族が年相応の余裕ある表情で諭した。
議論は二対二で拮抗している。
だがここにきて、今まで口を閉ざしていた魔人族がついに発言した。
「一度分析してみるの手かもしれないな。女の子の恰好をしている男の子。つまり、女装しているわけだが、何らかの事情が彼にはあるじゃなかろうか」
魔人族の一言で一同、口を噤んで考え始める。
そんな中、静寂を切り裂いたのは、水人族の男だった。
「もし、僕がこの女の子が好きで、勇気を出して告白した直後に男であると告げられたら、凄いショックを受けるな~。でもその恋は、果たしてそこで終わっていいのかな? 愛の前では性別なんて些細な問題じゃない?」
核心をついた意見に、他の四人は歓声を上げた。
さらに老紳士風の人族も、演説に加わる。
「確かに美しい女性は魅力的じゃのう。じゃが、このリーゼという子は、魅力だけでなく刺激も与えてもらえると、わしは思う。男が男を愛する背徳感……興奮するのう」
彼らの意見に、今まで反対派だった竜人族、鳥人族も納得する寸前だ。
最後に、魔人族のある一言で、議論に終止符が打たれた。
「こんな可愛い子に告白して、『僕、男の子だよ?』 と言われたいぞ!」
その瞬間、堰を切ったかのように、五人は一斉に雄たけびを上げた。
「「「「「萌ぇぇええええーーーー!!」」」」」
全身全霊を込めた五人の情熱は、声となって館全体に響き渡ったのであった。
議論が終わり、すっかり蚊帳の外になっていたカールに、五人の視線が集中する。
話の流れから察するに、賭けには勝利したのだろうが、実感は湧かない。
だがさすがのカールも、五人から口々に感謝を述べられ、目の前に大量の金貨が積まれていけば、現実であることを認識せざるを得ない。
「よ、よかった~。死なずに済んで本当によかった」
全ては一枚のパンツ、いや、リーゼのパンツに救われた。
ありがとうリーゼ。