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酒場グリッツェン

 自由交易都市ミステルの一角にある酒場――グリッツェン。

 そこの主人であるカールは、客の一人から耳寄りな情報を聞いた。なんでも、美しい女性であれば、種族問わず、一度履いたパンツを高値で買い取ってくれる組合があるそうだ。

 なんとも胡散臭い話だ。それに男である自分には縁などない。

 売上高を帳簿に記しながらカールはそんなことを考え、自然と頭から消え去っていった。


 

 歓楽街にある居酒屋とは違い、ここグリッツェンは、接待を売りにはしていない真っ当な店だ。そのため、深夜帯は営業していない。また、働いている給仕に女性はいるものの、業務用である服装の露出度は低い。

 だが、とある給仕が目当てで来店している客は多い。

 その給仕とは――


「お待たせしました~。ビール三つに焼き鳥になります」


 ジョッキをトレイに乗せて運んできたのは、柔らかな笑みを湛えた少女だった。繊細な手がジョッキの取っ手を握り、客の前へとそれぞれ置いていく。

 三人の客は皆同様に、顔の緩みを隠そうとせず、少女を見つめている。視線の先は二つの膨らみに集まっていた。

 配膳を終え、空になったトレイを豊満な胸に押し付けるように抱える。


「ごゆっくりどうぞ」


 踵を返して、少女はカウンターへと戻っていった。


 少女――リーゼは、他の女性給仕に比べても、その容姿、美貌共に抜きん出ている。売り上げの何割かに貢献していると言っても過言ではない。

 カールはそんな風にテーブル席の様子を厨房から窺っていたところ、戻ってきたリーゼに声をかける。


「フライ揚がったから、持っていって」

「はい!」


 慣れた動きで、注文した客の元まで運んだ。

 ところが、


「あれ、俺、頼んでないけど……」

「も、申し訳ございません!」


 どうやら、持っていくテーブルを間違えたらしい。

 慌てて注文票を確認しにくると、再度向かっていった。


 リーゼは少し……というよりかなり抜けている部分があり、接客のミスが目立つ。だが頑張り屋さんでもあるので、少しのミスは大目に見ている。我ながら甘いとは思うが、可愛いのだから仕方ない。

 今年三十を迎えるカールは、未だに独身で子もいない。父が娘を想う気持ちとはこういうものなのだろう、と勝手に妄想を脳内に展開させていた。


 

 次の日。

 今日は中央広場で市場が開かれる影響か、酒場の来客も普段に増して多い。

 給仕や調理人を総動員して、回転させる。

 テーブル席の合間を絶え間なく行き交う給仕たち。盛況とは聞こえがいいが、働いている側としては大変だ。

 リーゼの微笑んだ表情も、余裕のなさからぎこちない。

 

「ねえリーゼ、三番テーブルに持っていくの代わってくれない?」

「ええっと、はい、いいですよ」


 他の給仕に半ば押し付けられるように、トレイを渡される。

 三番テーブルにいるのは、クレーマーで有名な水人族の貴族で、リーゼとしても好んで接したくない相手だった。

 トレイの上にジョッキとつまみを乗せ、三番テーブルの目の前まで近づく。カエルのように上方に飛び出した目が、ギョロリとリーゼに向けられる。

 

「遅い、どれだけ待たせるんじゃ!」

「申し訳ございません!」


 図体同様にふてぶてしい態度を取るカエル貴族。

 怒号に怯んだリーゼは、震える手つきでジョッキをカエル貴族の前に置こうとしたちょうどそのとき――

 

「わわっ」


 背後を通った給仕の肩がぶつかり、リーゼは体勢を崩す。

 そのまま前のめりになった彼女。

 宙に放り投げられたトレイは真っ逆さまに落下し、進行方向にはカエル貴族が。

 ジョッキ、食器による打撃の後、飲料、食品が襲い掛かる。

 カエル貴族の全身はビールや肉汁でまみれており、まさに地獄絵図。

 野太い怒鳴り声が酒場内を支配するのに時間は要しなかった。


「貴様、この無礼、どう落とし前をつけるつもりじゃ!」

「誠に申し訳ございません!!」


 シーンと静まり返る店内。

 顔を真っ赤にしたカエル貴族は、謝罪だけでは納得できないようで、頭を下げるリーゼに掴みかかろうとする。

 その瞬間、人影が二人の間に入り込んで、カエル貴族の進行を阻んだ。


「おじさま、そんなに怒っては、せっかくのイカしたお顔が台無しよン」


 リーゼを庇うように現れたのはウイッグをして、化粧を施した、給仕の男である。

 

「そ、そうかのう。そう言ってくれるのはフラちゃんだけじゃよ」


 カエル貴族は給仕の男に抱擁されてまんざらでもない様子。

 危ないところを助けてもらったリーゼは、彼にだけ聞こえる小声で、


「フランツさん、ありがとうございます」


 と言った。

 沈黙していた店内もいつもの活気が戻ってきたことから、どうにか丸く収まったようである。


 

 それから数日後。

 朝から出勤予定のリーゼは、酒場への道程を歩いていた。

 家を出たときは日和であったはずだが、段々と雲行きが怪しくなってきている。

 

「うう、降らないで~」


 歩くスピードが少しずつ上がる。

 酒場までの距離がようやく半分過ぎた頃、彼女の願いむなしく、雨粒が衣服を湿らせる。その雨足は弱まる兆しなく、勢いが増すばかり。

 石畳の路地をひたすらリーゼは疾走する。

 

 息を切らせながらグリッツェンの看板前までやって来た彼女は、倒れこむように店内へと入る。その全身は、余すところなくずぶ濡れであった。

 リーゼの姿を見たカールは、苦笑いを浮かべ、


「災難だったね。もしよければウチの風呂を使うといい」

「あ、ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」


 着換えとして給仕服を手に持つリーゼは、カールの案内のもと、浴室へと足を運んだ。

 

 料理の仕込みも終わっており、開店準備は万全。

 手持ち無沙汰のカールは、ふと、先日の一件を思い出す。


「美しい女性のパンツなら高値で買い取ってくれる組合か……」


 リーゼなら間違いなく美しい女性に当てはまりそうだ。

 悪い企みがカールの脳裏をよぎる。

 

 ――今がチャンスなのでは。


 だが肝心なことに思い至り、踏みとどまる。二人しかいないこの状況でパンツが盗まれれば、疑う余地なく犯人だとバレる。馬鹿なことはやめよう。

 カールは頭を振り、忘れることにした。


 一度は頭から切り離したのに、つい妙案が思い浮かんでしまった。


「フランツなら女性用のパンツ、持ってるな」


 実はカールとフランツは、血の繋がった兄弟である。

 親元を離れてから十数年。互いに独り立ちしてもう会うことはないかと思っていたそんな折。風俗店を解雇され、路頭に迷っていたフランツは、カールを見つけて声をかけた。

 オカマに変貌を遂げた弟という事実に、もはや呆れてものも言えないカール。

 そのときすでに酒場を立ち上げていたカールは、渋々彼を雇うことにしたのであった。


 リーゼが風呂から上がるまであまり余裕はない。

 迷う間もなく、気付いたらカールは、フランツの部屋のタンスを開けていた。

 幸いフランツは、早朝より、材料の買い出しのため外出中である。

 パンツが収納された場所がわかり、数枚を抜き取る。リーゼの履いているパンツの種類は皆目見当つかないため、バリエーションを意識した。

 

 浴室の手前――脱衣室の扉の隙間から覗き込む。どうやらまだ浴室にいるようだ。

 カールはゆっくりと中に入った。

 慎重に歩を進め、籠の前まで辿り着く。折りたたまれた衣類がそこに重なっていた。濡れた私服はその脇に置かれてある。

 しゃがみ込んだカールは、籠の中に手を差し込み、上から衣類をめくっていく。

 一番上には給仕服。そのすぐ下にはシュミーズがあった。

 一見ただのシュミーズだが、胸部が不自然なほど盛り上がっている。まさか――


 ――偽乳だったのか!?


 確かに、巷では、女性は胸を強調してるのが普通だと、酒場の客も声を揃えて言っていた。

 とんでもない秘密を知ってしまった気がする。

 さらにその下をめくる。すると、目的の物であるパンツを発見。

 手に取ろうとしたところ、パンツの隣に目が留まった。


 ――ん? パンツがもう一枚あるぞ?


 あろうことに、柄も色合いも一緒だ。無地の淡黄色で、小さいリボンが付いている。

 深くは考えず、両方回収する。

 代わりのパンツを籠の最下層に置き、脱衣室から外に出た。


 二階にある自室に向かうと、途端に罪悪感が押し寄せてきた。

 

「何やってんだ俺は」


 衝動的にやってしまった窃盗。自分のクズさ加減に死にたくなる。

 代用がフランツのパンツというのも、今考えると酷い仕打ちだ。

 今更盗んでおいて謝るのも気が引ける。

 やはり黙って処分しておこう。罪滅ぼしに、リーゼには臨時ボーナスでもあげようか。

 

 




 

 




 

 



 

 


 





 


 




 

 




 

 

 

 



 

 

 

 

 


 


 

 


 


 

 

 

 

 

 


 


 


 


 

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