3.旅立ちの前に
「こっち向いたら絶対許さないからね!! 絶対に絶対っ、許さないから!!」
「お前何回それ言うんだよ……そんなロケットおっぱいわざわざ見たりしねーよっ」
「なっ、何ですってーっっ?! 私だって好きでこんなのぶら下げるわけじゃないのに……っ、アンタ最低っ!!」
隠れ里には温泉がわいていた。周辺の草木はこの源泉へと局地的に順応した固有種で、エルフたちととても相性が良かった。
旅立ちの前に、彼らは新しい装備と物資を調達し、夕暮れ前に大衆浴場へと案内された。今は異邦人のために貸し切りの配慮がなされ、浴室には彼ら二人と、ダークエルフのパティアだけだった。
「ねえねえ、トウイチ」
「ん、な、何だ?」
「トウイチって、もしかしてオトコ?」
そのパティアが、今は湯涼みに岩風呂の岩へと腰掛けて、ピンと背筋を伸ばして気持ちよさそうに耳の掃除をしている。
耳へと垂れ下がった太陽と月のイヤリングが、ブラリブラリと静かに揺れていた。
「……ふっ、ふふふっ……俺としたことが、色男過ぎて女と疑われていたか……」
「アンタ、スライムより頭悪いんじゃないの?」
「んなっ、んなわけねーだろっっ!!」
「いや、何でそこでどもんのよ……。ってこっち見るなバカぁぁっ!!」
パシャンと、すみれは湯船を叩いて少年へとぶっかける。
「ぶっ、このっ……すみれが挑発したんだろっ!!」
「アンタがバカだからよっっ!!」
そんな二人のやり取りを、パティアはニコニコとおかしそうに眺めていた。彼らの夫婦漫才が終わるのを待って、もう一度彼へと質問する。
「で、トウイチってオトコ?」
「パティアちゃん……どっからどう見てもバカ男でしょ……」
「おおっ、そうなんだーっ?!」
「納得されたし! 納得されたし俺!!」
すみれの提示した答えは、パティアの瞳を好奇心に輝かせた。楽しそうに笑顔を浮かべて湯船へと下りる。
『バシャバシャバシャ……ッ』
続いてそこから一直線に、水面を騒がせて彼の背中へと歩き出した。当然お風呂場なので、パティアの細く引き締まった身体を隠すものはどこにもない。
エルフの完璧なプロポーションと、健康的な褐色の肌。無邪気な笑顔。それらは強力な爆弾だ。
「ちょっ、ちょっとパティアちゃんっっ?!」
「ねえねえ、トウイチトウイチーっ」
すぐに彼女は少年の背中へとたどり着いて、何一つ隠さないまま無邪気な声を上げた。
「ぱっ、パティアさんっ?! な、なな、なにしてはりますのんっ?!!」
パティアの長い三つ編みは入浴にほどかれて、湯に濡れたものが肩や背中にかかっていた。肩越しに感じられるその手のひらは、青龍刀使いとは思えないほどスベスベでタコ一つない。
(ビクンッ?!)
ピチャリと彼女の前髪から水滴が落ちる。それは少年のチキンハートをさらに脅かして、肩越しにパティアは筋肉のこわばりを感じ取ることになった。
「なっ、何で混浴なんスか?! そもそもコレ何でっっ?!」
「そ、そうよっ、こんなのおかしいじゃないっ! 流されてる私たちが言うのもなんだけどっ、何でコイツと一緒に入らなきゃいけないのよっ!!」
少年少女の主張は、これで一度目ではなかった。既に回答も下されていた。
「ん~~~? ん~~んーふぅん? だからー、混浴ってなに? だってお風呂は皆で入るものでしょ、何がいけないの?」
パティアらの文化では、そもそも男女別々に入浴するという考え方がなかったのだ。なぜなら、彼らエルフ族の世界では男そのものが希少個体であり、だからこそパティアは湯間冬一へと好奇心を向けていた。それがこの状況のもっとも端的な解説だった。
「うぅ……反論しにくいよぉ……」
「何かー……あかん……間違ってるの俺たちのような気がしてきた……」
彼らの戸惑いと恥じらいに、パティアは何が面白いのかニヘラと笑っている。その少し緩めの笑顔が、また好奇心にキラキラと輝き始めた。
「ねえねえトウイチ! そんでね、そんでねっ、あのさーっ! 男の尻には、目と鼻と角があるって……ねえ本当っっ?!」
「はい……?」
とんでもない聞きかじりの知識に、少年はパティアを無意識に見上げていた。幸い、彼女はのぞき込むような姿勢をしていたし、見えてはいけない部分を目撃して、またしても少年がテンパることもなかった。
「ないない、そんなの無いからパティアちゃん……」
「おおー?! スミレは見たことあるのかっ、トウイチの尻っ!?」
「えっ?!」
むしろテンパりかけたのは、すみれの方だった。
「尻だけに、パティア知りたいなー、あへへ~♪」
「あっ、あるわけ……ないでしょ……やだもう……っ、ぅぅ~~っっ!」
彼女は何かと想像力が豊かだった。恥じらう自分自身を隠すように、桃色の少女は背中を向けてしまう。戸惑いながら樫のスプーンを手にとって、すみれは爽やかなハーブと果糖のシャーベットを口へと運んだ。
湯船に浸かりながらの氷菓は甘く冷たく幸せで、精神安定剤のようにすみれの心を落ち着かせていた。
「じゃあ一緒にみる?」
(はいっ?!!)
「み、見ないっっ!!」
叫びながらシャーベットの器を手に取って、それを丸ごと口へと流し込んだ。キーンと、アイスクリーム現象が頭を何とか冷静にさせる。
「ふ~~ん……じゃトウイチ、お尻見ーせーてっ♪」
「見ーせーなーいっ」
「またまたぁ~! いいじゃんお尻くらい、見~せ~てっ!♪」
「み、見ーせーなーいっっ!」
「見せて見せて見せて見せて見せてっ、男尻っ!」
(うわ、しつこっっ!!)
シャーベットを平らげたすみれは、そのやり取りに耳だけを立てて気を揉んでいた。それをまぎらわそうと、次のスイーツへと手を伸ばす。
青、赤、紫、緑、黄色それぞれに発光する不思議なゼリー。甘くフルーティなそれを口へと運んで、さらに蜂蜜とナッツを練った、はっきり言って超甘いパンを口へと押し込んでいた。
(うう~~~っっ! ぱ、パティアちゃん……何でそんな積極的なのよ……っ!)
少女は完全に嫉妬していた。やきもきと、奇妙に美味しいそのゼリーへと、スプーンをハイペースに運び続けている。
「見せてっ♪ ねえねえねえねえねえ、お尻見せてようっ、見せてったら見せてよぅっ!♪」
言葉はまるで壊れたオモチャのようで、確実に少年の心を発狂へと近付けていた。そこまで積極的に、執拗に催促され続けてしまうと、さすがの男子も乙女の恥じらいを持ってしまうものだ。
(ああ……いやらしいおっさんに口説かれる、女の子の気持が今、超理解できた……)
たかが尻とはいえ、その要求に答えるには心理的な負荷があった。
(冬一のお尻っ、冬一のお尻っ、冬一のお尻っ! 誰かに見られるくらいなら、いっそ私だって……っっ)
ゼリーの最後を一気に飲み込むと、すみれはコソコソと不安定な流し目で、彼ら二人のやり取りへと視線を戻した。
「わかったよ……」
(っっ?!)
ちょうどそのタイミングで彼が折れる。
「やったーーーっっ♪! 早く早くっ、早く目と鼻と角見せて!」
「んなもんついてねーよっ!!」
「またまたぁ~、隠さなくてもいいじゃ~んっ♪!」
「隠す以前に、ソレ生物的におかしいことに気づけよっ?!」
しかし何度言ったところで、オババ様も困惑の脳筋エルフには通じない。とにかく見せれば納得するのだからと、彼は思い切って腰を上げた。諸事情により妙な内股で。
(っ、っっ~~!!)
当然それは、すみれの瞳にもしっかりと焼き付くことになった。
「……あれ?」
「こ、これで納得したか……?」
「……」
不思議でならないと、少女の首が90度近くも傾く。
「……どっかに隠した?」
「いやそんな器用な生態してっ、男に何のメリットがあんだよっ?!」
「む~~~~……残念……」
パティアたち若いエルフの夢は、はかなくも砕け散っていった。
「んじゃぁ、もういいよな」
「うん、普通だった」
(全く変な世界だな、ここ……)
立ち上がったついでに彼は大きく伸びをして、軽く両足を肩幅へと開こうとした。
「あ」
だが期待した場所に足場はなく、彼の身体がぐらりと不安定に揺れる。
「おわぁっ?!」
足場はもっと深いところにあったのだ。背後へ転倒しかけて冬一は、少しでも安全を求めて、とっさに振り返っていた。
(え……?)
すみれは自分の目を疑った。
「わっとっ……おっおおっ?! あははっ、だいじょーぶぅ~?」
パティアは倒れかける冬一を受け止めて、その彼は勢いのままに女体をがっちりと抱擁してしまったからだ。
(えっ、ええええええ~~~~~?!!)
彼女の樫のスプーンが、チャプンと湯船へと滑り落ちる。
「む、むにゅりっっ?!」
パティアの身体は細く引き締まり、スベスベの肌は男性のものとは圧倒的に異なっていた。その肌へと、男のモノと女のモノが重なり合い、湯がその仲介となってぴっとりもっちりと張り付けていた。
「あは……あはは……あ、あれ……? あれれ……??」
それは彼女にとって未知の感覚だった。衣服無しで感じる男の肌。彼女の言葉はこれまで明るい響きを持っていたが、徐々にそれは弱々しく変わってゆく。
「うっ、うほっ?! うほほっっ?!!」
「……?」
間抜けヅラで、類人猿の言葉を使う少年を、ダークエルフの少女はぼんやりとのぞき込む。陽気なパティアらしさは失われて、ゆっくりとその頬が熱を持っていった。
「……ねぇ……何か、何かさ……当たってない……?」
「うっっ?!!」
「これ……これってなに……? トウイチ……?」
赤面する自分自身すら、パティアは無防備にも隠そうともしない。ただただ頬をうっすらと染めて、初めて出会う[男]を見つめ返している。
「ドキドキする……」
「わっ、わふぅんっっ?!」
「男って……肩、広いんだな……ゴツゴツしてる……。腕、結構太いし……それに……。スンスン……動物みたいな匂いがする……」
ギュ……っと、少女はただただ少年の抱擁を抱擁で返した。パティアの顔は理由もなく安堵して、少年の背中を手のひらで確認する。
(何よこれっ何よこれっ何よこれっ何よこれっ、何よっこれぇっっ!!!)
角度もあって、すみれから冬一の表情はうかがい知れない。だからこそ、妄想力豊富な彼女は嫉妬の炎を燃え上がらせた。グツグツとお腹の底が熱くなり、ドクンドクンと激しく心拍が加速する。胸が苦しくなる。
「あ、あたし……なんか、なんか、わけわかんない……心臓ドキドキ……身体と頭が熱くて……ねえ、トウイチ……これ、なに……? 教えて……」
動物的な何かが、彼の顔面へとエルフの少女を吸い寄せる。それはゆっくりと、ゆっくりと獲物を狙うように近づいて来て――
「だっだだだっっ、だっっふっんだっっ?!!」
トウイチは今さら我へと返り、パティアから一歩距離を取ろうとした。
「はぐほぉぉーっっ?!」
その彼を、パティアは乱暴に引き止めた。ミシリと肋骨から嫌な音が響くくらい、力強く情熱的にゴリラ的に。
「折れる折れる折れる折れる折れるっっ、ってっうわぁぁぁぁーっっ?!!」
「あれ……なんだろ……頭回んない……はぁ……はぁ……はぁぁぁ……♪」
少女の瞳は陶酔に細められて、甘ったるい呼吸を繰り返しながら唇が近づいて来た。だが、だが……だが少年は目撃してしまったのだ。
男の唇を狙うように傾けられたパティアのその頭部。さらにその向こう側に……。
恐ろしい水蒸気を立てる、すみれのインパクト・Oが!!! 嫉妬と怒りに顔を真赤に変えて、その弾頭を少年へとロックオンさせた、彼女と彼女の美しい上半身が!!!
(あ……やば……)
とにかくもう、少年は有無を言わせずパティアの裸体を引きはがした。真っ青に染まる彼の顔色に、さすがのパティアも何かを悟ったのだ。背後を確認すると、全て納得してパティアは湯船へと身を沈めて軌道から避難した。
「うおおおおおおっっ、待て待て待て待て待て待てぇぇぇっっ?!!!」
「バカっっ!!! バカバカバカバカバカバカバカーーっっ!!!」
「えっウソっ、えっこれってっっ、え……マジかぁぁぁっっ?!!」
ひたすら彼は逃げる。草のつるに頼って浴場の壁をよじ登り、そのまま全裸で街のかなたへと。
「冬のバカぁぁぁぁーーっっ!!!」
彼は証明したのだ。インパクト・Oが、必ずしもトキメキだけではなく、【嫉妬】でも発射されるということを、その身をもって証明したのだ。
「ひーーーーっっ!!!」
弾頭は恋する彼へと最短軌道で誘導され……。
「あ、ああっ、ああああああっっ、アポロォォォォォォォーーーっっっ!!!」
どこか遠くの人の居ない広場で、盛大な爆音と黒煙が立ち昇った。それはノーマンズランドの人々が代々語り継ぐことになる、新たなる伝説の始まりでもあった。