4.腐神光臨 1/2
またたっぷりと水分補給をして、少年は湖畔そばの傾斜に寝そべった。緩やかなそれは昼寝におあつらえ向きで、野草
がチクチクと風も気持ち砂っぽかったが、これまでの旅からすればずいぶん快適な寝床だ。
「……」
目的意識と集団行動が彼の疲労感を麻痺させていた。しかし一度そうやって横になってしまうと、意識はブレーカーが
落ちたかのようにあっさりと、すぐさまシャットダウンしていた。
暖かな陽射しの下、時はゆっくりと過ぎてゆく。
「――!!!」
彼が眠りに落ちてよりほんの5分程度。
その少年の目の前に、一人の女性が立っていた。それはあのドルフィス・ドーリアンで、無防備な彼の寝顔、それその
ものに驚愕しているようだった。
「……っ! こ、これは……」
生ツバを飲み込んで、さらに彼女はあふれる唾液で喉を鳴らす。彼女は少年、湯間冬一から一時も視線を外そうとはし
ない。いや、出来なかった。
「ん……んん……」
「……っっ?!」
寝苦しそうに少年が息をたてる。
当然だ。ドルフィスは彼の頭側へとひざまずき、両手をその左右へと突いていた。
その長い漆黒の髪をふわりと少年の頬へとかけながら、距離30cmほどの高さから、ガンッッ見ッッしていたのだか
ら。
ドルフィスは彼が目覚めるのではないかとあたふた狼狽し、それから穏やかな寝息が再開されて、ホッと安堵していた
。
(おお……神よ……。もしやこの出会いは……運命っっ、なのですか……?)
その思い込みの激しさで、ドール派という新勢力を生み出してしまった女性だ。
(間違いない、このお方は……!)
ファンタジックでご都合主義で現実と妄想の境界線が極めて危うい彼女は、実に行動派でバイタリティと体力が有り余
っており、おまけにそれら妄想を実現してしまうだけの地位と実力と若さをたっぷりかねそろえてしまっていたのだ。
(きっと……きっとそうなのですね! やはり私の信仰は間違っていなかった!! 神は……)
( やはり神はホモを求めていらっしゃる!! )
ある意味で狂神者というクラス名が、この上なく似合うドルフィスより、何かジメジメと辺りにキノコが生えてきそう
な湿ったオーラが放たれ始めた。
「うっ、うぅーん……うぅぅーん……」
不幸にも、彼女の心を射止めてしまった少年はまた苦しそうに寝息を上げて、まるで無意識に拒絶するみたいに首を左
右へと振っていた。
(はぁぁぁーんっっ♪!)
しかし無駄なあがきだ。
残念、少年の無意識!!
(これは……これは……これは………ぐへ、ぐへへへ、うへへへへ……♪♪)
腐女子の妄想力を侮ってはならない。彼女らは棒が二本立っているだけで、神々の世界創造並みにもの凄い妄想力を発
揮するのだ。
腐女子騎士ドルフィスの瞳にはその少年の苦しげな姿が、男に抱かれて苦悶するように見えたのだ!!
「はぁ、はぁ……ふぅ、ふぅ……ぐへ、うへへへ、うへへぇ~♪」
生き神のごとく信仰されるドルフィス。その気品と気高さあふれるクールな姿。
だが、今は完全に腐女子の(お見せできない的な意味での)暗黒面へと染まり、うっかりとよだれを少年の顔面に垂れ
流していた。
「うわっっ?!!」
「……あ」
なま暖かくネバネバした液体。しかもわりと大量。
そんなものが顔にかかれば、びっくりして飛び起きるのも当たり前だった。
「……へ?」
(しまった……だが、だが、だが瞳の色も完璧だ!)
(この暗いブラウンの瞳……間違いない、彼こそが!!)
瞳と瞳が焦点を確保できるギリギリの距離――だいたい6、7cmほどのところまで二人は接近し、互いの眼球をこれ
でもかと観察し合った。
ドルフィスの漆黒の瞳はキラキラと真っ直ぐに少年を見つめて、一瞬だって凝視を外そうとはしない。
「おはようございます」
「え……え……? え、あ、え……?」
逃げるように少年は上半身を寝そべらせて、湖畔の方角へと仰向けにはって距離を取る。
「私の名はドルフィス、ドルフィス・ドーリアンと申します」
その少年の顔を追いかけて、腐女子騎士はトコトコとはいはいした。
彼女は顔面への凝視を止めようとはしない。開かれた彼の瞳を、執拗に熱心にひたむきにただひたすら鑑賞し続ける。
「うわっうわっ、うわっちょっ、ど、どど、ドルフィスさんっっ?!!」
「私のことはドールとお呼び捨てください」
少年に気に入られようと下心を混ぜ込みつつ、ドルフィス・ドーリアンは満面の笑顔を浮かべる。
「ど、ドールさん……っ、顔、近いですって……っ!」
「申し訳ございません」
「ですがもう少し……もう少しそのお尊顔を見つめることをお許しください」
「お、おそんがんっ?! えっ、なにっ、これ何事っ?! 呪文?!」
「量産型オソン・ガン!! わー強そうっ?!」
観察中……。
観察中……観察中……。
腐女子脳に保存中……。保存中……。
保存…………完了!
「これは失礼を。どうかお立ちください」
「え、ああ……ありがとう……うわっ」
少年はドールの手を取って、想像よりずっと力持ちな彼女に身を起こしてもらった。
「おぉ……なるほど、おぉ……」
すると彼女は、今度は一歩一歩後ろへと下がりながら、彼の全身を詳細に、詳細過ぎて少年が鳥肌立てるほど観察しま
くった。
(うっ……! 何だろう、何だろうこの人! 何か……何か、すっげぇイヤ!! かわいい人だけど、視線がなんか、な
んか……ネバネバするぅ?!!)
既にドールの巧みな妄想力によって、少年は脳内で丸裸にひんむかれていた!
「ところで、こんなところで何をされていたのですか?」
「え……」
そこまで妄想し尽くすと、ドールはいったんは満足したらしい。それから今さら、本来最初にするべき質問をした。
彼が即答できるはずもない。
「いえ、言い方が間違っていました。黄泉の王・アンガルア様……ようこそこの地へとご光臨下さいました」
「……よ、黄泉っっ、俺光臨っっ?!」
少年は何となく理解した。彼が黄泉の王・アンガルアという存在なのだと、そう彼女にばっちり勘違いされていること
を。ドールが噂のヒュームで、しかも思い込みの激しい困ったタイプだということに。
「いえ、おっしゃらなくてもわかっております。私たちドール派のために、この地へご光臨くださったのですね!」
宗教家らしく、ドールは両手を胸元で組んで、しかもモジモジと内股になって妄想へとトリップした。
「ホワィ?!! いやっ、ごめんドールさんっ、言ってる意味がわからないからっ!!」
「しかもこんな辺境地で、私と、私と二人だけで出会うために現れてくださるなんて……!!」
ヒュームの騎士に、いきなり自分の存在がバレたことは痛手だった。エルヴン・クロースの効果が無かったことから、
その白銀の騎士は魔法の素質まで持っていると推測できる。
「やはり私の信仰は間違っていなかったのです!! さあ、アンガルア様っっ!! 共に作りましょう!!」
敵にするわけにはいかない。かといって、とてもじゃないけど、またどこかで会いましょう、バイバーイ! っていう
流れにもなりそうになかった。
(うわこれ……や、ヤバい……?)
寝起きの少年は今さら、彼女のよだれをぬぐいつつ、その現実へと気づいてしまった。
特にパティアと彼女を出会わせるわけにはいかないと。




