第20話「義信事件 ~後編~」
謀反を起こした飯富虎昌は弟・三郎兵衛によって捕らえられた。
「虎昌、おぬしは義信にそそのかされただけなのだろう?」
縄で縛られている虎昌に信玄は問いかける。
義信が謀反を起こそうとしていたこと、そして虎昌を義信がそそのかしていたことはすでに明白であった。だが、虎昌は首を横に振った。
「私は己の欲望に従い謀反を起こしました。義信様はこのことに一切関係ありません。」
「そうか…。」
虎昌が本当のことを話したら許すつもりだった。お咎めなしというわけにはいかないが、罪は極力軽くするつもりでいた。
虎昌は信虎の代から武田家に仕え、よく信玄に尽くしてくれた。上田原の戦いで板垣・甘利の両名を失ってからは、信玄にとって一番信頼できる家臣だった。戦場でも数多の兵を蹴散らし武田軍に勝利をもたらしてくれた。
(ここで失くすには惜しい男だ…。だが、義信との関係を認めない以上…。)
信玄は泣く泣く虎昌に切腹を命じた。
永禄8年10月、虎昌は死に装束に身を包み、正座していた。今、最期のときを迎えようとしていたのであった。
「三郎兵衛、武田家の行く末を頼む。」
弟へ向けたその言葉が生涯最後の言葉であった。
武田家重臣・飯富虎昌、謀反を企てた罪で切腹。享年62。虎昌はただひたすら武田家の未来を案じて、この世を去った。しかし、虎昌が命を懸けて守った義信がその後武田家を継ぐことはなかった。再び謀反を企て、永禄10年に東光寺にて切腹したからである。
諏訪勝頼は戦場にいた。
劣勢。勝頼率いる諏訪軍は押されていた。次々と倒れていく味方の兵たち。その屍を踏み越え、敵兵が迫ってくる。
「どうしたものか…。」
良くない戦況に勝頼は思わず顔をしかめる。
「勝頼様、流れを変えるため、私が敵陣地に潜入し、かき回しましょう。」
勝頼の横に控えていた千代女がなんとか戦況を打開すべく、献策した。
「うむ…、わかった。それでいこう。くれぐれも気をつけてな。」
勝頼が策を認めると千代女はすぐさま姿を消した。
「千代女が敵を撹乱させるまでの間、なんとか耐えなければ…。おい、ちょっとその弓を貸してくれ。」
勝頼は近くにいた兵から弓を借りた。
弓に手をかける。狙いは本陣のすぐ近くまで迫っている敵兵のうちの一人。他の者と違い、甲冑が豪華だ。さらに馬に乗っている。おそらく指揮官のうちの一人だろう。
「よし、この距離ならいけるな…。」
勝頼はそう呟くと矢を放った。
矢は敵兵めがけてまっすぐ飛んでいった。
「うっ…!」
そして見事指揮官の男の眉間に命中した。男は力なく馬から落ちていった。
指揮官の死により敵は動揺し、歩みを止めた。そしてさらに勝頼の元に吉報がもたらされる。
「報告!敵が突然同士討ちをし始めた模様!」
「ふっ、千代女か…。よし、この好機を逃すな!全軍突撃!」
こうして戦況は一転、諏訪軍優勢となった。
勢いに乗った諏訪兵たちが次々敵兵を蹴散らし敵陣地になだれこむ。気が付けばこの戦は諏訪軍の圧勝で終わっていた。
戦の緊張感からようやく開放された勝頼はふぅ、とため息をつきながら腰を下ろす。そこに一人の伝令兵がやってきた。ここまでずっと全速力で走ってきたようで汗だくで息を切らしている。
「勝頼様、お館様が話があるので急ぎ躑躅ヶ崎館に来るようにと。」
「父上が?わかった。戦の後始末を終えたらすぐ行くと伝えてくれ。」
勝頼には薄々話の内容が分かっていた。兄・義信が自害し、武田家を継げるのは自分しかいない。おそらく話とはそのことだろう。
今、勝頼は歴史の表舞台に出ようとしていた。




