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かすかな驚き

 オロンはシェサーナのようすを見て、咳き込んだ。

「すまないな。おれが守ってやれたら……今立ち向かっても一発で気絶するのがオチだよ。初めて会ったときの一発はきつかったな」

 シェサーナは思わず笑った。オロンもつられて笑ってしまった。

「あなたは、彫刻刀を持っていて欲しいの。あなたのきれいな手が作る作品がいいの」

 オロンは自分の骨ばった手を見た。

「……それで、いつにする?」

「奴らはすでにカ・レア島にいるわ。あさってだと王族の視察で離れられなくなるし、明日の夜がいい」

 オロンはしばらく考え込んだが、やがてうなずいた。

「分かった。おれも周りの整理をする」

 二人はその後もこれからの新天地のことを話し合った。それが終わると二人にも余裕が出て、昔のことも話した。

 家に差し込んだ朝日にシェサーナは目を細めた。

「エリュを起こさないと。誰かに似て、早起きが苦手なのよね」

 オロンはまた咳き込んだ。シェサーナは笑うと、エリュを起こしてきた。オロンの元に来たエリュは目も開いておらず、あくびをしていた。

「父さん、おはよう……」

「おはよう」

 エリュは父の向かいに座った。しばらく父の顔色を探るように何度か父の顔を見ると、エリュは話を切り出した。

「父さん、母さんに初めて会ったとき、どんな印象だった?」

 オロンの表情に困惑の色が浮かんだ。エリュの目は真剣で、不安げでもあった。

「……え?」

「ねえ、どうだった?」

 シェサーナは顔を赤くした。

「エリュ!」

「……彫像が歩いてる」

 真顔で言う父の言葉に、エリュも、シェサーナまでも笑ってしまった。オロンはまた困惑した表情で、ガヌ茶をすすった。

 父は朝食を食べると、また工房に行ってしまった。シェサーナは朝の家事を済ませると、床で本を広げていたエリュに向き直った。娘はいつもと違う母のようすを見て、こわばった。

「母さん、どうしたの? 怖い顔をして」

「エリュ、大事なことだから聞いて」

 娘は素直に本を閉じて座りなおした。

「うん」

「前に母さんがレ・ティナ島の生まれだって話をしたでしょ? レ・ティナ島にはウーロ山っていう雪山があって、そこにリュ・ウーロ族が住んでいるの。彼らはラヴェ・エスタ国に住みながら、麓に下りず、ウーロ山にこもっている。わたしはそこに生まれたのよ」

「リュ・ウーロ族?」

「そう。藍色の目を持ち、吹雪の中に住むから〈吹雪の一族〉とも呼ばれるわね」

「でも――」

「母さんの目は青緑色よね? 一族間でしか結婚しない中で時々生まれてくるらしいの。普通は呪いだとか言って殺すんだけど……父は、そんなわたしを育ててくれた」

 エリュは衝撃を受けた。目の前の母が殺されていたかもしれないと思うと、母の存在がもろく思われた。シェサーナは続けた。

「わたしはあそこにいるべき存在じゃなかった。だからウーロ山を追放されたの。それでよかった。自分の居場所を見つけられたんだから。だけど、最近になって〈吹雪の一族〉がやってきたの。彼らの望みはあるものをわたしから奪うこと――わたしの命を奪うことで、この世に染み込んだ呪いを解き放つこと」

 エリュは立ち上がった。彼女は怒りをぶちまけた。

「母さんが呪いなんて、そんなことない! だって……」

「現にわたしが抱えた呪いで、エリュやオロンを巻き込もうとしている」

「どういうこと?」

「オロンと一緒に話したの。引っ越そうと思う。ここから北東のル・ビデュ島に。引っ越しは一回じゃすまないかもしれない。だから寂しい思いをさせるかもしれない」

 母は娘の不安を読み取った。

「ごめんね」

 シェサーナは、エリュの頭を撫でた。その目にはかすかに涙が光っていた。初めて見た、母さんの涙。エリュのかすかな驚きに、シェサーナは気がついていないようだった。

「大丈夫だよ。大変なんだもんね」

 シェサーナはエリュに抱きしめると、嗚咽を漏らした。エリュは戸惑ったようだが、彼女は母の頭を撫でてくれた。

「大丈夫、これから良くなるよ」

 自分はだめな母親だ。泣きついて子どもに心配をかけているなんて――。

 記憶が自分の中を渦巻いていた。〈吹雪の一族〉たちの顔、怯えきったザダルの顔。彼女の中で、結論は常にはっきりしていた。やっぱり自分はこの生活を続けるべきじゃない。家族を大切に思うのだったら、自分ひとりがウーロ山に行って運命を甘んじるしかないのではないかと思う。だけど、エリュの顔を見ると、それは無理だとも思った。自分が得たものは手放すにはあまりにも愛しかった。

 二人はその日一日中引っ越しの準備をした。荷物は必要最低限にし、彫刻を運ぶときに使う荷車に乗せて裏の物置に隠した。

「夜中に気づかれないように行くからね。誰にも言っちゃダメよ」

「分かった」

 夕方になって、戸を叩く音がした。エリュは心配げに母を見た。シェサーナはいつも腰に隠している短剣に手を伸ばしながら戸を開けた。

 そこには長老のハクルの姿があった。シェサーナは愛想笑いを浮かべた。

「どうなさいました?」

 ハクルは困ったように顔をしかめた。

「それなんだがな……明日王族がカ・レア島の視察に来ることになっていただろう?」

「ええ、国王の甥であるホルク殿下ですよね?」

「そうだ。そのホルク殿下の噂は聞いたことがあるかね? 〈ラル・トル島の嵐〉と謳われるほどの精霊使いだが、思い立ったらすぐ行動に移される。つまりだ、今日も何を思ったか、明日にカ・レア島に来る王族の船ではなく、今夜に着く商人の船に乗り込んだらしいのだ。そういうわけで、すぐにも殿下を迎え入れる準備を整えなければならないのだ」

 シェサーナも溜め息をついた。なんと突然な話だろう。王族の視察を断ったら怪しまれるし、処分の対象にもなる。ここは――母は後ろからついてきたエリュをしばらくじっと見てから、ハクルに向き直った。

「分かりました。ですが、エリュを一人にするわけにもいかないので、夫の工房に連れて行ってからでもいいですか?」

「ああ、急な話だからな」

 シェサーナは右手にランプを手に取り、左手でエリュの手を握ると、家を後にした。

 三人はオロンの工房を訪ねた。オロンは妻と娘がハクルと共に来たことに驚いていたが、事情を聞いて、エリュを預かった。二人の精霊使いは町の集会堂まで夜道を進んだ。

「それにしても、ホルク殿下はよく王城から抜け出せましたね」

 ハクルは笑った。

「何せ幼少の時から脱走癖があったから、抜け穴は大体把握しているらしい」

 集会堂に着くと、すでに精霊使いたちが迎える準備を整えていた。

「いや、集まってもらってすまない。シェサーナが来たぞ」

 精霊使いたちの目が一斉にシェサーナへ向けられた。シェサーナはその冷ややかな目と、精霊使いたちの配置に背筋が凍った。それは数ヶ月前のアウラドと同じ尋問の配置だったのだ。彼女の恐れを逆撫でるようにハクルの手がシェサーナの肩に置かれた。

「さて、殿下が来る前に吐いてもらわねばな。あれはどこにある?」

「なぜそれを?」

「そなたの昔馴染みさ。あれがあれば、カ・レア島の霊名術を高められるというではないか。それを隠すなど、そなたも薄情だな」

 〈吹雪の一族〉はすでにカ・レア島の精霊使いを仲間に引き入れていたんだ。わたしは第二の故郷に裏切られた……。

「どこにあるのだね?」

 シェサーナは周りを見渡した。ここにいる精霊使いは二十八人。そのほとんどが武芸を知らず、研究に時間をつぎ込んだ。

 彼女は腰から短剣を引き抜き、ハクルの右腕に突き刺した。一同が動揺するなか、シェサーナは集会堂を飛び出した。彼女の思ったとおり、精霊使いたちはハクルの身を案じる者、怯えてすぐに動き出せぬ者、すぐに追いかける者とに分かれ、集会堂の中で混乱した。

 急いで戻らないと。彼女の頭の中に、オロンとエリュの顔が浮かんだ。息が切れる。自分の力になると言ってくれたオロン、泣き出したわたしを励ましてくれたエリュ。今行くから――。


 オロンは背後に視線を感じ、振り返った。

「エリュ、どうした?」

 娘の姿に彫刻家は笑みを浮かべた。だが、エリュは笑みを返すことはしなかった。オロンは肩をすくめ、また彫刻に向き直った。

「誰にも、今夜のことは言ってないな?」

「うん」

 エリュは目を逸らしたかったが、彼女は目を離さず、父の背中を見ていた。

 父はしばらく彫刻刀を止めた。どうも思い通りに出来ないらしい。彼は溜め息をつき、彫刻刀をしまって、エリュのほうを見た。

「今日は帰るか」

「え、いいの?」

「ああ、今日は調子が悪い。思った通りに彫れない時もあるんだ。そういった時は調子が戻るまで彫らないに限る」

「でも――」

「ル・ビデュ島でも作るさ。創作意欲は奪えないよ」

 オロンとエリュは工房の掃除をすると、すぐに外を出た。すでに月が出ていた。エリュはためらいがちに話しかけた。

「父さん、あのね――」

 父は娘を見下ろした。その顔は月明かりで穏やかに見えたが、娘は言葉を飲み込んだ。

「何でもない」

 エリュが父の手を強く握ったとき、驚いたようにエリュを見たが、それきりだった。

「ただいま」

 そう言いながら誰もいない家の戸をオロンは開けた。物に話しかけたり誰もいない家に挨拶するのは彼の癖だった。「きみは硬いな」と言いながらウォモンド石を彫る父をエリュは何度も見てきた。

 父はランプに火を点け、部屋を明るくすると、家を見回した。

「シェサーナはまだ帰っていないみたいだな」

 エリュはためらいがちに目を泳がせた。

「父さん、あのね――」

「おかえりなさい!」

 天井から黒い影が落ちてきた。エリュは一瞬死の妖精かと思ったが、オロンの目にもその姿は見えているようだった。

 それは黒色の外套を羽織った男だった。

「あれの在り処を知っているか?」

 オロンは困惑していたようだった。

「何のことだ?」

 男は刀を抜いた。

「正直に言ってもらいたいな、さもないと……」

 男の目は娘に向けられた。彼はエリュに刀を振り上げた。娘は短く悲鳴を上げ、目をつむった。

 しばらく沈黙が流れ、エリュは目を開けた。冷酷な輝きを放つ刃は、彫刻家の身体に一筋の紅い線を刻んだ。

「父さん!」

 エリュは父の背後に潜んでいた黒い影が床を紅く染める血と共に色濃くなっていくのを視た。エリュは目の前が真っ暗になり、座り込んだ。父の死を信じられなかった。だが、何より彼女の首をもたげたのは、父の背後に視えた死の妖精のことを言えなかったという後悔だった。

「父さん、父さん!」

 エリュは父に駆け寄り、揺すった。母さんはトルンの魂を引き戻す言葉を唱えていた。エリュもまた父の魂を引き戻そうと必死に唱えた。

「オロン・アルヌ! オロン・アルヌ! 戻ってきて……」

 大丈夫。魂が身体に残っていれば、母さんが治療してくれる。大丈夫、魂さえ残っていれば――男がエリュの口を押さえた。必死に抵抗したが、〈吹雪の一族〉の力はあまりにも強かった。オロンの魂は影ともに消えた。エリュもまた魂が抜けたようにぐったりとした。

「お前には人質になってもらおう」

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