第33話 恋人に教わると、格好がつかない
「今の、さっきと同じ所で間違えた?」
伊都に聞かれ、俺は消しゴムを止めた。
水曜の午後。考査の二日目が終わり、公共の学習席で明日の範囲を開いている。
会話のできる区画へ座ったのは、分からない所を一つずつ確かめるためだった。
俺の方が先に、二つ確かめられていた。
「数字が違うから、同じではない」
「見てる辺は、同じだよ」
伊都のペン先が、立体の奥の線を指した。
手前の辺と同じ向きに見えて、またそこを長さとして使っていた。
最初の一問で、違う線だと教わったばかりだった。
「頭の中で回すと、こっちに来る気がして」
「こっちの面を前にして、ここの線は向こうで、でも長さを使うのは、回す前の──」
伊都は自分で言いかけ、ペン先を止めた。
指している所が二回変わって、俺は最初の面をまだ探していた。
「今、どこまで戻った?」
「……図を描いた所。先に、そっち見せて」
俺が紙を寄せると、彼女は自分の説明用の図を一度脇へ置いた。
「回す前、どっちが手前?」
彼女は解き方を最初から読まず、俺が描いた方の図を指した。
見本の図にはある奥の線が、自分の紙では一本足りない。
「……写す時からか」
「うん。だから、その後の計算は合ってる」
慰められたような、もっと手前で間違えたと言われたような気がした。
俺は消した線を戻し、奥の方だけ点線にする。
さっきより分かるようになった。
「立体が得意な人、連れてきてよかった」
「今日は、問題を教えるためだけに来たんじゃないけど」
「分かってる。隣にいてほしくもあった」
声を落として返すと、伊都はノートへ目を戻した。
そのページの端が、なかなか次へ進まなかった。
「……今のは、勉強終わってからでもよかった」
「伊都が聞いた方だろ」
「聞いてはないよ」
俺は笑いを抑えて、自分の問題集へ戻った。
見せてもらった線を、もう一度指で確かめる。
次の一問では、写す時に奥の辺を落とさなかった。
しばらくして、今度は伊都のペンが止まった。
「岳、これ、どっちを元にしたらいい?」
彼女の計算用紙には、二百四十を一・二倍した数があった。
復習用の小さい問題で、二割引き後が二百四十円なら、元はいくらかと聞いている。
「二百四十は、値引きされた後だろ」
「うん。だから、二割を戻して」
「その二割だと、元にしてる額が変わる」
俺は空いた所へ百と八十を書いた。
値引き前の百が、八十になっている。
八十の方が二百四十なら、百の方は。
「三百か」
伊都が先に書いた。
俺も頷き、二百四十を〇・八で割った式へ線を引く。
「二百八十八円のお店だったら、安く買えたのに」
「売る方だと、困るだろ」
「だから、今日は買う方」
彼女が間違えた答えを消した。
俺はつい笑って、さっき奥の線を落とした図を紙で隠す。
「そっち、もう一回見せて」
「今、俺が教えてた所だけど」
「分かってる。どこに線を足したか、見たい」
紙を戻すと、伊都が覗いた。
近づいた肩の方が気になり、俺は正しい辺を指すまでに少し間が空いた。
「こっち。今度は、ちゃんとある」
「うん。岳の字だと、こっちの方が見やすいね」
教わった所まで、自分の字で残っていた。
伊都も割った方の式を自分の紙へ書いた。
その横に、元の額、と短く残す。
俺も自分の図へ、奥の辺、と書いた。
机の真ん中から、間違えた紙を一枚ずつ引き取った。
「もう一つ、聞いていい?」
「うん」
「さっきの図、もう間違えない?」
「それは、試験の後に聞いて」
彼女は頷き、自分の範囲へ戻った。
俺も解説を続けず、残っていた問題に取りかかる。
予定にしていた四時が来た時、伊都はあと半ページを残していた。
「続き、家でやる」
半ページの所へしおりを挟むのを見て、俺も鞄を出した。
外へ出ると、朝より空が暗かった。
俺は自転車を押し、伊都とバス停の方へ歩く。
「金曜で、終わりだね」
「うん。終わったら、土曜会いたい」
俺から言うと、彼女が頷いた。
「わたしも。試験の答え合わせだけじゃなくてね」
「俺、帰ってまで今日の図、描くつもりはないよ」
「明日の範囲だから、帰っても見て」
そこは、ちゃんと戻された。
笑ってから、俺は土曜の予定を開いた。
ひとますへ二時間行くなら、九百円。
その下へ、来月の遊戯会の千二百円と、旅行の自由行動用に残す分を書いた。
「……今月、毎回店へ寄るのは、やめた方がいいかも」
俺が言うと、伊都も自分の残りを見た。
水族展示も、ボートも、自分の分は自分で払っている。
「家でも、出かける分、考えておいてって言われた」
「土曜は、公園とかでもいい?」
「公園、歩きたい。こないだと違う方」
考えてきた安い案へ頷いてもらったつもりだったのに、彼女はもう、見たい道を指していた。
俺はそれを地図へ残した。
「何か一つ、買って食べるくらいなら」
「うん。そっちも、決めたい」
伊都が端末をしまった。
俺も鞄へ戻しかけ、問題集を家で出しやすい方へ入れ直した。
土曜の返事は、さっきもらえた。そこまでに自分で片づける方が、鞄にはまだ残っていた。




