三越池袋Q階 ~集合知アルゴス~
エスカレーターを昇りつめた三越池袋店の九階で謎の企画展をやっていた。真正面に巨大なピエロの顔がある。笑いながら涙を零している。
三日月形に開いた口が入場ゲートだ。
左右にはビッチリと、改装店舗を覆うときに用いられる仮囲いの白壁が迫り、下りエスカレーター側に回り込むこともできない。帰り道がわからない。フロア全体を見渡すことも不可能だった。
私はゲート脇の受付にいた。受付嬢オギクボ、そして企画展プロデューサーを名乗るレーズンという男と対峙していた。
レーズンの古い著作を読み終え、小さくうなずいた。
読み専であり、物書きでもある私には、世に見出されない作家志望の気持ちが痛いほどにわかる。
しかし、この男はダメだ。
己の弱さを知りながら、他人の弱さに思い至ることがない。
――何かを悪く言わなければ、何かを褒めることもできない人間だろう。物書きとしては、読者のニーズに背を向けて自滅し、世を呪うタイプだ。
そう、評価した。
もちろん、レーズンがそれからの人生をどう過ごしてきたのかは知らない。
だがこの企画展、そして、あの馬鹿げた入場試験は、この男の手によるものだろう。
私はため息をつき、両目を見開いた。
数多の視線が宙空に出現した。サーチライトのように交錯し、レーズンに向けて集束する。
周囲の空気が変わった。
オギクボだけは何かを感じたようだ。
「ひいっ」と小さな悲鳴をあげて飛び退き、レーズンの影に隠れた。
オギクボはこういう場面で実に絵になる。
過ぎた美白の厚化粧、三越女性従業員の制服がよく似合う。ホラー映画の絶叫女優のような美魔女だ。
「アノマロカリス! コイツ、絶対何か企んでますよ」
客に向かってコイツとは何だと思ったが、私は相手にしなかった。
落ち着いた調子で企画展の説明を求めた。
訝しげな顔のレーズンは、すぐに自信満面の笑みで応えた。
「西暦2026年は、昭和に置き換えると丁度、昭和101年に該当する。この記念すべき年に向けて構想された一大プロジェクトだ! 」
丁度、101年ってなんだ?
100年ならわかるけれども。
101匹ワンちゃん大行進か?
「この企画展は名前の通り、ノスタルジーをテーマとしている。趣向を凝らした各ブースを回っていただき、栄光の昭和から転落の平成、そして悪夢の令和へと、在りし日の思い出に浸っていただくわけだ」
昭和はそんなに良い時代だったかな。
「そして、この冒険の演出を担うのが、当企画が誇る『4WM:世界マシン』! このマシンが発する特殊な電波を用いた体験は、令和のヴァーチャル・リアリティなど足元にも及ばない! 未知の感動を来場者にもたらすことだろう! 」
なんか、昭和のトンデモ科学みたいなものが出てきた。
きっと、田舎観光地のキネトスコープのようなシロモノだろう。
「来年には全国展開を予定している。堕落した祖国に大号令をかけるのだ。『日本よ立ち上がれ! 』とね。今回は定めしプレ・オープンということになるかな」
よくそんな予算が下りたな。
私が呆れたように黙っていると、レーズンは馴れ馴れしく歩み寄ってきた。
耳元に口を寄せ、重大な秘密を打ち明けるといった体でささやいた。
「……バブル崩壊にリーマンショック。そして非正規雇用の導入で、リストラの憂き目に遭った大手電機メーカーの優秀な技術者を集めてこさえた叡智の結晶なのだ! 」
今度は二歩ほど後ろに下がった。背筋をしゃんと伸ばして両手を拡げる。
紹介のクライマックスに差し掛かったのだろう。
声を張り上げ、芝居っ気タップリに宣言した。
「トラウマ級の衝撃体験!
忘れがたい過去との邂逅!
『ザ・ノスタルジィ』へようこそ!
ええと……、(ゴニョゴニョ)さん」
なんとも締まらない結末だった。
答案に書かれた私の氏名が読めなかったらしい。
悔しそうに顔をしかめ、後ろを向いて吐き捨てた。
「……ちっ。悪筆なのか達筆なのか。近頃は読めないサインをする者が多すぎる。おまけに無地のTシャツにGパン? 整っているが、男だか女だかもわからない。 若いのか、年寄りなのかも」
「男ですよ」
オギクボが言った。
レーズンの肩越しに、相変わらず害虫を見るような視線を私に投げかけている。
レーズンはこちらを振り返り、目を細めて何かを見定めようとした。
瞼をこすり、信じられないように首を振る。
「おかしい、私にはわからない」
レーズン。
お前に私の正体がわかるはずがない。
物語の作者に、読者の姿が見えないように、プロデューサーも来場者の素性を知ることはないのだ。
「……ふん、挑戦か。よし、さあ来いだ! 」
レーズンはめげずに己を鼓舞した。
オギクボの方を向き、矢継ぎ早に指示を出す。
「ジルコニアンはどこにいますか? 」
「ベガでしたら、ライオン像前で来場者の案内をしていると思います」
「呼んできてください。至急、フル装備で来るように」
「しかし、アノマロカリス。コイツの処遇は? 」
無礼にも「コイツ」と言うとき、私に向けてアゴをしゃくった。
「私が応対します。それと、館内放送の手配を」
「かしこまりました」
オギクボは私の横を通り過ぎざま舌打ちすると、助走をつけてエスカレーターにダイブした。
ヒールのまま、上りエスカレーターを二段飛ばしで逆行して駆け下りていった。
スゲー女だ。
ようやく好機が到来した。私は積み上がった疑問をレーズンにぶつけることにする。
まずはオギクボの無礼千万な態度を非難した。
レーズンが答える。
「あの試験で満点をとるなんて、驚天動地のことだった。アレも感動のあまり我を忘れたのだろう。後で釘を刺しておく。……通報でもするかね? 」
それには及ばない。大事にするつもりはない。
レーズンは満足げにうなずいた。
「そう、あの程度、大したことはない。キミのその態度こそ、昭和の振る舞いってもんだ」
私以外の入場者の数は?
「十人もいない」
だろうね。
続けて、入場試験について尋ねた。
「無論、赤点の者にお帰りいただく仕組みだよ。マジメちゃんには楽しめない、と思うのでね。どうしてもという希望者のために、補習ブースを用意してはいるが、今のところ参加者はいない」
そりゃそうだ。
ところで満点とることに意味はあったのか?
「成績優秀者には特典として、『同伴』を認める予定だった」
レーズンは目を細め、意味深に言った。
ここはキャバクラか? 同伴って誰が?
まさかオギクボではあるまいな。
「彼女もああ見えて忙しい。入場すればいずれ別の者に出会うよ」
私は胸をなでおろした。 きっと、他の来場者の誰かのことだろう。
それから私は、おもむろに周囲を見回し、ヤマダデンキはどこへ消えたのか尋ねた。
三越池袋店の後には、LABI1が入っていたはずだ。
「下の階で普通に営業しているよ。まわりが目に入らないほど、試験に集中していたのだね」
この私が、営業していた店舗に気づかないことなどあるだろうか? 何らかの認識阻害が働いていたと考えるべきだった。
そもそも、このビルは七階までしかなかったはずだ。
「もともと九階建てだったよ? 九階は一般立入禁止の倉庫フロアだった」
嘘であることを私は識っている。
見晴らしの良い最上階に倉庫など置くものか。
普通はレストランフロアだろう。
「松本城も五重六階、外見は五階建てでも、内部は六階まである」
ここでレーズンは何か閃いたようにパチンと手を打った。
「こうしよう。キングス・クロス駅には、実在しない『九と四分の三番線』がある。ここにも実在しない三越池袋店のQ階があった。ファンタジーだな」
真面目に答えるつもりはないわけか。
それならこれ以上聞きたいこともない。
知りたいのは帰り道だけだ。
「お帰りは入場ゲートの向こう側だ。企画展の出口がそのままエレベーターホールに直結している」
消防法に違反しているが、黙っておいた。
レーズンが揉み手をして言った。
「私にも尋ねたいことがあるよ。キミは何者で、何しにここへやってきた? 」
当然の疑問だった。
私はゆっくりと瞼を閉じた。
――最初は、何か尖ったものが見たいという想い、ただそれだけだった。
高度に完成されたテンプレ世界を揺蕩う生活に不満はないが、たまには違うものも味わいたい。そんな出来心だった。
そんなときに通りかかった企画展だ。一も二もなく入店したが、コレジャナイ感が凄かった!
私は人間の集合知だ。
正確には、ある縁の下に集った300万もの人間の知見のカタマリ。付随する600万個の鑑賞眼を持つ。
読み専であり、物書きでもある我らの知見は恐ろしく広範であり、局所的にとてつもなく深い。一般人など遠く及ばない。
私はその力を自在に振るうことができる。神話のアルゴスに比肩する力を持っているのだ。
その力を使えば、入場試験など笑止であった。
レーズンのセンスを理解しうる、たった一欠片の力で満点をとった。
コスプレの元ネタや、レーズンの言葉の端々にあるオマージュの出どころも、瞬時に見抜いている。
マニアックなところでは、読唇術もお手のものだ。
他にも無数の特技を扱えることだろう。無名の著作物も、たった一欠片の私が憶えていればつまびらかにできた。
そう、私には、AIなんぞ足元にも及ばない能力があるのだ。
私はうなずき、余裕の笑みを浮かべて名乗った。
「レーズン、私の名前は瀬波 拓郎という」
幾つかの欠片達が、レーズンにウケが良さそうな名前を紡ぎ出したのだった。
セパタクローというマイナースポーツからとった駄洒落だ。レーズンは何と答えるだろう。私は興味を持って注視した。
「……セパタクロウだと? た、大した馬鹿・力だ」
その頬が青ざめるのを見た。
でも、そこで区切るのはやめろ。なんだか凄い馬鹿みたいに聞こえる。
「わ、私は……」
それでもレーズンはめげない。唇が動いた。
私と張り合うつもりのようだ。反骨こそがこの男の原動力なのか。
「私は、この齢になるまでプラタナスのことを、プランターに植えられた茄子のことだと思っていたよ! 」
幾つかの欠片がざわめいた。
なるほど、偽名だと見抜いた上でネタで返してきた。
私は面白いとは思わなかったが、この男になんらかのセンスのようなものがあることはわかった。
ただ、はっきり言っておきたい。
レーズン、お前は頭が良いが利口ではない。
そんなセンスは、人生において何の役にも立たないのだ。
私はレーズンと静かに睨みあった。
侮蔑、憎悪、対抗心、それは雄弁な語らいだった。
唐突にチャイムが鳴り、館内放送が流れる。
『企画展ザ・ノスタルジィにお越しの皆様。本日はご来場、まことにありがとうございます。これより、入場試験で満点をとった、瀬波 拓郎氏が入場となります。盛大な拍手でお迎えください』
期せずして、仮囲いの白壁の向こうから、たくさんの拍手が鳴り響いた。
口笛と歓声、そして「うおー」というどよめき。閑古鳥が鳴いているこの企画展に、魑魅魍魎の群れが待ち構えているように感じられ、私の背に鳥肌がたった。
やがて、レーズンは言った。
「一年の計は元旦にあり。最初のブースは、終わりの始まり、古き良き『お正月』です」
用意されたセリフだろう。私は彼に背を向けた。
帰り道がゲートの奥だというのなら、入場するほかはない。オギクボのように逆行するのは御免だ。
視界の端に、エスカレーターを登ってくる、案内ロボットの姿があった。
顔部分の液晶モニターに、困惑を表す眉下がりの顔文字が浮かんでいた。
背面にある幾本ものウェポンホルダーには、銃器のようなシルエットが並ぶ。まるで弁慶だ。
あのシルエットはカラシニコフ銃に似ている。
……まさか、ね。
――あれがジルコニアンのベガか。
私はゲートへ向けて歩きだした。
三日月形のゲートの奥に、最初のブースである正月ブースが見えた。
順路の左右には季節外れの門松が並び、異様な雰囲気を醸し出していた。
ピエロの鼻から垂れ下がったしめ飾りを潜る。
私の背にレーズンの声が届いた。
「――どうぞ、お楽しみください。どうか、いつまででも……」




