キシャノキシャハキシャデキシャ ~古典ミステリー~
「落ち着きなさい、オギクボ」
「アノマロカリス! ちょっと聞いてくださいよ」
責任者がやってきて受付嬢を制止した。私は重い瞼をゆっくりと持ち上げ、薄目で様子を観察する。
激昂する受付嬢オギクボを取り押さえているのは、小柄で色黒、女のような声の男だった。茶色の制服を着ていた。私にはすぐに解った。
――あれはオリエント急行の車掌服だ。
なるほど、企画展のテーマはノスタルジーだった。
責任者の奇抜なコスプレは、聖書の次に読まれているという古典ミステリーになぞらえているわけだ。
例によって殺人事件が発生した。
当然のように完全犯罪で、もちろん、容疑者にはアリバイがあった。
駄目警部が捜査に乗り出しても証拠一つ掴めず、恥ずかしげもなく名探偵が現れ、そこに謎が謎を呼ぶ、死者からのダイイングメッセージが届くのだった。
『タカノハナハンニンダ』
その電報は、午後五時ジャスト。
つまり被害者が息を引き取る五分前にうたれたものであった。中年警部補、駄目田 迷宮の「言わずと知れた迷推理」が炸裂する。
「つまりはこういうことだ……。
被害者、運河 塁(39歳、ミステリー作家)は、犯人ともみ合った末、登山ナイフが胸に突き刺さり、にもかかわらずしばらく意識があり、犯人逃走後、息も絶え絶え救急車を呼ぼうとするも、番号を間違え、電報を打つ羽目になる」
無意味に元気な若手刑事、鼻脂 光が叫ぶ。
「間違えたなら、すぐかけなおせば良かったのに! 」
「……NON-SENS」
ビューひかるのボケに首を振りながら登場したのが、もちろん我らが名探偵! エルセーヌ小五郎だ。
殺害現場をクルリと見回し、テーブルの上にライターとマッチ、笠間焼きの灰皿が置かれているのを見つけると、シャレたジャケットの内ポケットからシガーケースを取り出し、パチリと開いた。
「被害者は、ミステリ作家ですよ? ミステリ作家がダイイングメッセージを残さないで死ぬなんて、まるで化粧をしない岸 朝子」
「岸 朝子って誰だ? 」
戸惑うビューを尻目に、《わかば》の紫煙を燻らせる涼しげな名探偵!
「小五郎君、聞いていたのかね? 」
「ええ、僕の聴覚はコウモリ並みですから」
「?? ……よくわからんが、今回、君の出番はなさそうだぞ」
「何故です? 」
「例のダイイングメッセージだよ、『タカノハナハンニンダ』。「貴乃華、犯人だ」ということだ。つまり犯人は貴乃華。事件は解決さ」
容疑者は現場検証に立ち会わされていた。
一人は高野 悪太郎(37歳 悪田組幹部)。
被害者とは犬猿の仲で、これまで傷害事件で七回しょっぴかれている。ちなみにその時の被害者も、運河 塁氏その人だった。
「あいつの小説、どうしようもないんだ。毎回毎回、結末の3ページ手前で、初めて犯人が登場するんだぜ? 誰だって、殴りたくもなるさ。
……でも、殺してないぜ! 」
「そんな小説、ハナっから読まなきゃいいんだよ……」
そしてもう一人の容疑者、それがかの貴乃華なのであった。
「ち、ちがうでゴンスよ? アッシは人なんて殺してないでゴワス」
ブラウン管のイメージとは異なり、この力士は至って謙虚だった。
「ホントでゴンスよー。殺ってないでゴンスー」
「かわいいー! こんな貴乃華だったらファンになってあげてもいいな」
噂を聞いて駆けつけた婦警の甘言が飛び交う。
「て、照れるでゴンスー」
「照れても無駄だ。おい、鼻脂。そいつを逮捕しろ」
貴乃華に対する婦警のケメ子ちゃんの態度に地団太を踏んでいたビューが、喜び勇んで懐から手錠を取り出す。
「ちょっと待ってくれませんか? 」
そのとき、当然のように割って入ったのが、エルセーヌその人だ。
「なんだね、小五郎君」
「その電報なんですが、それで犯人を決めるのは、いささか早計だと思うんですがね」
「どういうことだ? 」
小五郎は困ったような顔をした。切れ長の青い目を細め、独り言のように呟いた。
「……キシャノキシャハキシャデキシャ、ですよ」
「は? キシャのキシャ? いったい何の話だね」
何事か閃いたビューが、勢い込んで叫ぶ。
「キシャが四つ! 四両編成ってことか? エルセーヌ! 」
小五郎は小さく肩をすくめると、手帳を取り出し、片手で器用に白紙のページを開いた。
胸ポケットの万年筆を引き抜き、口で咥えてキャップを外す。それを口の端に咥えたまま、しみじみとした口調で語った。
左手のタバコが烟る。
「電報というのは面白いですよね、警部?
カタカナしか使えないものだから、しばしば誤解や混乱を招く。中にはこんな風に、そもそも意味を汲めないものもある。しかし、答えを当てはめてしまいさえすれば、たちどころに疑問は消失するんです」
万年筆のペン先が踊り、流麗な文字で「答え」を浮かび上がらせた。
――『貴社の記者は汽車で帰社』
「おお、なるほど! 」
「やるな、エルセーヌ! で、この汽車は上りなのか、下りなのか? 」
探偵は鼻で笑う。目からウロコの警部は、しかし、すぐに顔を曇らせた。
「……いや、小五郎君。だからこそ、ワシは答えを当てはめたんだよ。『貴乃華、犯人だ』と」
「ええ、それ自体は確かに正しいアプローチでした。しかし、警部。貴方はもう一つの可能性をお忘れになったんです」
「もう一つの可能性? 」
「ええ、『タカノハナハンニンダ』。でもこれって、こういう風にも読めるんじゃないですか? 」
小五郎の瞳が青く光り、もう一人の容疑者を見据えた。
「高野はな、犯人だ! 」
それを聞いた途端、高野は、どうしてそんな疑いのかかるような動きをするのか、ギクリとして視線を外し、貧乏揺すりを始めた。
駄目田警部も、ビューひかるも、最初からあからさまなこの電報に、絶対に気付いているハズなのに、天地がひっくり返るくらい驚いて、高野を凝視した。
「オマエか! お前が運河を殺したのか? 」
「……へっ、何をいうんですか、刑事さん。確かに、そんな風に読めるかもしれませんが、証拠は、……そう、証拠はあるんですかい? 」
開き直る高野の、慣れきった演技!
駄目田は捨てられた子供みたいな目をして、ワラにもすがる思いでエルセーヌに向き直る。
「どうなんだね、小五郎君。実際のところ、証拠はあるのかね」
「ふふふ、証拠は……」
エルセーヌは、壁にかけてあったトナカイの剥製を指差した。
「……ありません」
「何っ! 」
「無い!? どういうことだ? 」
泣きそうな声をだして、駄目田警部がしがみつく。エルセーヌは、無意味なポーズを解いて静かに言った。
「ふふ、だから、無いんですよ、警部。
殺人が起った時刻、高野さんは素人喉自慢で熱唱中。貴乃華も九州場所の土俵の上です。アリバイは完璧。だから、運河を殺せるワケがないんです」
「でも、ほら、よくあるじゃん? 不可能犯罪を可能にするトリックとか、時刻表見たらアリバイが崩れたり、写真が合成だったりするじゃん。そういうの今回はないの? 」
「ないです」
冷たいエルセーヌ。駄目田はヨヨと泣き崩れた。
「……駄目だ、この事件も迷宮入りだ」
エルセーヌ小五郎は、意気消沈の二人の刑事を横目に、吸い殻を笠間焼の灰皿へ投げ入れた。
ついでに側に置かれたラブホの紙マッチを、彼の指紋の無いものにすり替えた。




