第9話 朝の出発
朝――。
森の空気は夜よりも澄んでいて、焚火の跡には白い灰と、まだ消えきらぬぬくもりが静かに残っていた。
ティアは静かにまぶたを開けた。膝の上には、ふたり分の小さな重み。
赤い服のイフと、緑の服のシルが、寄り添って身を丸め、穏やかな寝息を立てている。
「……ふふっ」
ティアは微笑んだ。くすぐったくて、でも胸の奥がほんのり温かくなる。
そっと体を動かすと、イフが羽をぱたぱたと揺らし、むにゃむにゃと目を覚ました。
「んー……よく寝たー」
イフの赤い羽が朝の光に透け、ちりちりと微細な光を反射する。
シルはころんと転がりながら、目元をこすり、まだ夢の中にいるような声で呟いた。
「ティアの膝、ぽかぽかしてたよ」
眠たげな声でそう言って、にっこり笑う。
「二人とも、寒くなかった?」
ティアの問いに、ふたりは顔を見合わせて、小さく首を振った。
「へへっ、全然! 火もあったし、ティアもいたし!」
イフは得意げに羽を鳴らす。
その隣で、シルは照れたように視線を落としながら小さく呟いた。
「……あったかいんだ、ティアって」
ティアは、そっと目を細めた。
梢からは、朝を告げる鳥の声。遠くの茂みでは、何か小さな動物が跳ねる気配。
朝露に濡れた草が、ティアのブーツをきらきらと照らしていた。
「そろそろ、出発しようか」
そう言って立ち上がると、イフとシルはぱっと宙に舞い上がった。
ふたりは遊ぶように、けれどしっかりと荷物の紐を引いたり、スカートの裾を直したりして手伝い始める。
その時、森の奥の葉がひときわ強く揺れ、何かが潜む気配が走った。
ティアの指先が、思わず固まる。けれどすぐに――
そばに寄ってきたイフが、羽音を震わせながら言った。
「平気だよ。ボクたちが一緒だから」
シルはティアの肩にそっと降りて、優しく囁いた。
「……怖くないよ。ティアには、精霊さまの加護があるから」
その声音は、どこか自分に言い聞かせるようでもあった。
ティアは小さく頷き、そっと笑った。
「……ありがとう。ほんとに、頼りにしてる」
森の中に、小さな一行が歩き出す。
ふわふわと飛ぶイフが、前を向きながら問いかけた。
「で、どこに行くの?」
ティアは少し立ち止まり、木々の隙間から見える空を見上げた。
まだ形になりきらない“目的”が、少しずつ輪郭を持ちはじめていた。
「……帝都に行くの。自分が何者なのか、ちゃんと知りたくて」
その言葉に、シルが羽をぱっと広げて笑った。
「そっか! じゃあボクたち、案内役だね!」
ティアが頬を緩めたのと同時に、ふと財布の軽さを思い出し、現実に引き戻される。
「……それと、お金も。稼がなきゃ」
「パン買えるくらい、頑張ろう!」
三人の笑声が、朝の静寂に溶けていく。
やがて、木々の間に淡い光が射し込んだ。
遠く、朝もやの彼方に、街の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。
ティアは、歩みを進めながら、そっと胸の内に囁いた。
――昨日より、少しだけ前へ。
妖精たちと共に歩く道。その先に広がる未来。
朝の光が、大小さまざまな三つの影を、ゆっくりと道の先へ伸ばしていった。