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麻布十番の居候  作者: そーた
20/52

一日目 名無しの女



「ありがとうございましたー!」



「……」



 女の子二人の見送りを背に、俺と居候は店を出ていく。


 居候は怪訝な様子を隠すことなく、チラチラ後ろを振り返りながら、同時に俺の顔もまじまじと見つめていた。


「すーたに付いてた女の子、なんかめっちゃ不機嫌そうじゃなかった? なんかあったん?」


「ああ。ちょっとばかし、今夜は一緒に居てやろうかとも思ったんだけどね。やっぱりやめたよ」


「なんで?」


「だってきみ、新しい女の子が来るんだろう?」


 結局――あのあと俺はなりふり構わず、エリナを口説き続けた。最終的には土下座までした。そして俺はついに彼女と、『お持ち帰り』をする約束を取り付ける事ができたのだ。


 しかしながら、彼女もタダではそれに応じてくれないらしい。彼女は俺に対してもう一時間延長する様に頼んできた。俺は快諾した。


 その後、ボーイが俺達にチェックアウトの時間を知らせに来た。俺が延長しようかどうかを悩んでいると、居候が突然横から、『いまから俺の女友達が来んねんけど、どうする? ここに呼ぶ?』と声を掛けてきた。そこで俺は迷うことなくボーイにチェックアウトを頼んだ。なぜなら、会計を見ると二人合わせて2万4千円にも及んでいたからだ。居候は箱割れしてしまったせいで全て俺が払わなければならない。ここにさらにもう一人追加となると、さらに1万2千円、そして俺たち二人の延長分を合わせると3万6千円。合計で6万円にもなる。


 ふざけるな。そんなもの払えるか。女一人を“持ち帰る”のに6万円はちと高すぎるだろう。


 だいたい、水商売の女を口説くよりは素人女を口説く方が良いに決まっている。だから俺は、その今から来るという居候の女友達に淡い期待を抱き、店を出たのだ。俺はエリナに対し、『また今度』と言って、約束を白紙にした。



「まあ、俺も職業柄、あんまりキャバクラには長居したくなかったし、ちょうどええわ」


 どうやら居候もこれで良かったらしい。しかし彼の発言が少しだけ気になった。


「なんで長居したくなかったのだい?」


「いや、俺、キャバクラのボーイやってるわけやん? ふんじゃあ、万が一にも俺の事知ってる女の子が出てくるかも知らんやん」


 彼の苦悩は、俺にはちと分かり辛かった。


「だから俺、さっきから女の子に偽名ばっかり使っててん」


「なんと? 偽名を使っていたのかい?」


 俺はすっかり驚いてしまった。俺には居候の努力がまったくもって理解できなかった。そういえばこの男は、昔から変なところで心配性だったことを思いだした。しかし、俺はふと思い出してみる。


「はて、ちょっと待てよ? しかし、女の子達はどうもきみの本名を知っていたみたいだったぞ?」


「うそ?」


 たしかにそうだ。女の子達はときどき彼の事をこう呼んでいたのを、俺は確かに覚えている。


「『居候くん』、『居候くん』、って、言っていたじゃないか?」


 言いながら彼の方を振り向いた。


 すると、居候は俺の顔を、何とも言えない無表情でただポカンと見つめていた。そして言った。



「え、うん。……だから、それ、本名じゃないやん」


「なに?」



 青天の霹靂。驚天動地。天地動乱。脳天直下に雷霆万鈞の衝撃が走った。


「どういう事だ!きみの本名は、『居候』じゃなかったのかい⁉」


 怒鳴りつけるように言い放つ俺に、居候は反対に冷静な声音で尋ねかけてくる。


「ちなみに、それはどっち? 苗字? それとも名前?」


「……苗字?」


 本当を言うと、それすらも分からなかった。


「じゃあ名前は?」


「……ゴリラ?」



「もうお前に一生本名は教えへん」



 プイと顔を背けてさっさと歩いていく居候。俺はそんな彼の背中に、声を掛けた。



「ちなみに、俺の苗字は、知ってるかい?」



 彼はだらりとこちらを振り返った。煩わしそうなその表情。不機嫌極まりない様子だった。



「知ってるに決まってるやろ。てかさっき『薫風』で五郎にフルネーム言ってたやんけ」



 当たり前だと言わんばかりの居候のその態度。――にもかかわらず、俺は黙って彼の様子を見守っていた。



 しばらくにらみ合い――



 そして彼は“確認”する様に言った。



「スガワラやろ?」



「スガハラ」



――――



 その女の子は、なんとなく見覚えがあった。



「あ!あたしこの人知ってる」



 ちょこんと小さく生えた花のように背の低いその子は、俺が言いだすよりも先に俺の事を指さした。


「あれ? お前ら知り合い?」


 知り合い、という訳では無かった。ただ顔は見知っていた。


「あの、あれだよ。誰だっけな……そうだ、リクだ。いつもリクのとなりに居た子だったよな?」


 彼女は同じ大学の女の子だった。大学内で、リクという友人に出くわすと、いつもそのとなりにちょこんと、白飯の横のお漬物のように付いていた記憶があったのだ。彼女について、それ以外の事は知らない。


 俺はとくに彼女の名は聞かなかった。向こうも名乗ろうとはしてこなかった。そして俺達は三人、フラフラと夜の道を歩き出した。



「お前ホンマ、もう社会人やろ? いいかげん時間くらい守れや」


 居候と女の子が二人で歩き、俺は少し離れて前を歩いていた。居候はなにやら先ほどから、ずっと彼女を責め立てている。


「マジで大学のころから全ッ然変わらんよな。マジで人イラつかせるよな」


 女の子はずっと俯いていた。彼女は居候の罵倒をただ黙って受けているばかりだった。彼女が少し不憫に思えた。


「居候くん。もうそれくらいにしないか?」


 俺はいささか居候の行動に不快感を感じたため、いまいちど彼を諌める事にした。彼がなにをそこまで怒っているのかは分からない。ただ、さっきの電話の内容などを聞く限り、どうやら彼女が遅刻をしたみたいだったが、居候の罵倒内容には明らかにそれ以外の事も含まれていた。まるで彼女そのものの人間性を否定しているように見えた。


「いや、ええねんって。こいつはマジでボロクソに言われてもしゃーない女やから」


 だからその理由が分からなかった。なんだかさっきから聞いてると、居候はただ意味の無い暴言を吐いている様な気がする。


 しかし事情が分からぬ以上、俺はそれ以上何も言えなかった。ただ彼女に対し、憐憫の目を掛けてやる事しか出来なかった。



「やあ、きみも港区に住んでいるのかね?」



 あまりにも可哀想だったので、俺は少しばかり彼女に話しかけてやることにした。俺の質問に、彼女はコクリと頷いた。


 大学時代、居候が属していたグループは、いわゆる『陽キャ』の集団だった。当然、彼女も陽キャであるゆえに、俺みたいな人間から見れば、パッと見、彼女は華やかで、可愛らしく見えていた。しかし、よくよくじっくり見てみると、彼女の容姿はお世辞にも可愛くは見えなかった。『雰囲気美人』……とでも言えばいいのだろうか、化粧とか髪型とかファッションとかで何とか可愛く見せているだけで、よく見れば目元なんかはまるでパンダのように黒く塗りつぶしており、たぶんメイクを落とせば『カオナシ』みたいになるだろう。小さい頃、レンタルビデオ屋のホラー映画のコーナーに、『顔の無い男に殺される』というDVDがあったような気がする。A級映画かB級映画かは分からない。ただそのDVDのジャケットには、真っ白ののっぺらぼうの顔に、つま楊枝で目の穴を開けただけの様な人物(おそらくそれが『顔の無い男』であろう)が、デカデカと映っていた。彼女もメイクを落とせば、そんな顔になるに違いない。


 また、彼女の肌は別に白いわけでもなく、そしてきめ細かいわけでもない。さらには、今もそうだが、彼女は大学時代からやたらとフワッとしたワンピースを着ているイメージがある。たぶんこれは体型の悪さを誤魔化しているに違いない。本当であれば有罪ものだが、それもこれも、彼女が『陽キャ』だから許されているのだろう。恩赦を受けているのだろう。


 ちなみに当然のことだが、俺は『陽キャ』ではない。かといって『陰キャ』でもなかった。いや、まわりからはよく『陰キャ』と間違われる。しかし、俺はたとえ『陰キャ』グループの中に居たとしても、迫害される存在なのだ。『陽キャ』はともかく、『陰キャ』に苛められるのは結構腹が立つものだ。やつらは『陰キャ』のくせに弱い者いじめをして、惨めには思わないのだろうか? まあもっとも、俺も人の事など言えないのだが……


 俺は昔からいつも被差別対象者だった。江戸時代のカーストで例えるならば、武士=『陽キャ』、商人=『二番手の陽キャ』、職人=『大人しいが密かに人気のある奴』、農民=『陰キャ』、そして俺が、『穢多・非人』だった。 


 だから大学時代、俺は特定の派閥には所属しなかった。俺はやはり、先祖がモンゴル人のDNAを受け継いでいる事もあり、その性格も遊牧民そのものだったらしい。基本的には一人で行動し、その先に見知ったグループがあれば、つるむのだ。だから俺には、『陽キャ』の知り合いも多いし、『陰キャ』の知り合いもいる。そう、俺は『陽キャ』・『陰キャ』を超越した特別なる存在なのである。



「今はなんの仕事をしているんだい?」



 それはそうと、俺は彼女と話を続けた。彼女はポツリと答えた。


「不動産。いま3千万円の物件売ってる」


「3千万円だって⁉ すごいじゃないか!」


 と、驚いてはみたものの、あまり実感は湧かなかった。たぶん、すごいのだと思う。だって、3千万なのだから。



「とりあえずどこ行く?」



 居候がふらふらと手持無沙汰に声を掛けてきた。


「どこでもいいよ」


 俺が答えると、彼はしばらく考えた後に、思い出した様に呟いた。


「そういえばここのバー、まだ開いてたかな」


 すると居候はフラフラと、目の前にあったビルへと入っていこうとする。俺は別に異論なんてものもないし、そもそもここにどんな店があるのかもわからない。俺と女の子はただ居候についていくより他は無かった。


 エレベーターに乗って、階上へと上がる。居候が何階のボタンを押したのかは、特に見ていなかった。エレベーターがたどり着き、ドアが開く。居候と女の子の二人は会話を続けながらエレベーターから出て行った。



「お前いま何の仕事してるん?」



 降り際に聞こえた居候の質問は、さっき俺が彼女にした質問と同じだった。


「不動産。いま3千万円の物件売ってる」


 彼女の返事も全く同じだった。そこで俺はふと、心の中で心底どうでもいい疑問に駆られた――彼女は何の仕事をしているかだけをただ伝えればいいはずなのに、なぜいちいち3千万円の物件を売っている事を付け加えるのだろうか。しかしやはりどうでもいいことだったので、なにも気にしないことにした。


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