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麻布十番の居候  作者: そーた
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一日目 求めよ、さらば与えられん


 店を出た後の帰り道、俺達は目黒駅の改札に向かっていた。


「いやぁ……今日は菅原さんと会えてよかったよ」


 隣を歩く藤岡は、唐突にそう言った。


「そうかい?」


 俺は半信半疑にそう聞き返す。俺はこの時、案外自分は彼の事を信用していないのだということに気が付いてしまった。なんて言ったって彼は忙しい身だ。それに、俺と彼とではあまりにも、"格"というものが違いすぎる。


 ――無理をしているのではないだろうか?


 俺はどうしても、そんな風に感じ取ってしまうのだ。


「やっぱり相変わらず、菅原さんは菅原さんですよ。そのぶっ飛んだところとか……」


「褒め言葉に受け取っておくよ」


 たぶん、褒めているんだと思う。彼はいつだってそうだ。別れ際、いつもなにかしら俺の事を褒めるのだ。もっとも、本心かどうかは分からない。しかし、数年前最後に別れたときだってそうだった。お互い会社を辞めて、それぞれ別々の道を歩むことになった際、俺は居酒屋で彼と最後の晩餐をした。今日と同じく、彼はその日も、近いうちにスポチャンの大会があるからと言う理由で酒を飲まなかった。最後に会ったその日も、彼は別れ際にこう言っていた。


『まあ、菅原さんはね。愚痴とかを言わないから良いよね』


 俺にとって、全く心当たりのない言葉だった。


『よくサラリーマンとかが上司の愚痴とかを言っているのを聞くけど、あの時間ほど人生で無意味なものは無いよ』


 当時の俺は、上司に対する悪口で頭がいっぱいになっていた。その日はたまたま、言う機会が無かっただけだ。しかし俺は、思った。やはり、“本物”は人の悪口を言わないものなんだな――と。俺はその日を境に、人の悪口を言う事を止めた。


 彼が口にしたその言葉は、あるいはただ口からひねり出した苦しい“お世辞”だったのかもしれない。しかし俺はこうも思う――


 もしあの日、俺が藤岡に上司の愚痴をツラツラと並べ立てていたならどうであっただろうか? もしかしたら、それ以降“藤岡”という人間が俺から離れて行ったのかもしれない――それを考えると、今でも背筋がぞっと冷たくなる。人の悪口を好めば、つまらない人間に好まれる。人の()き所を好めば、好き人間に好まれる。


 だから俺は、この日も彼の言葉を“鵜呑み”にすることにした。その真意はなんであれ、俺はこれからも“ぶっ飛び”続けようと思った。




「俺は、ぶっ飛び続けるよ」




 誰に言うでもなく、俺はそう誓った。


「だからさ、藤岡さん。きみも、変わらないでいてくれたまえ!」


 俺は縋り付くように、彼にそう言った。俺の急な訴えに、彼は少し困惑気にうろたえる。


「俺はさ、もううんざりなんだよ」


「急にどうしたんよ?」


「俺の周りの人間は、みんな口ばっかりで何もしようとしない。いや、続けようとしないんだ」


 俺の言葉は、聞いている相手からすればもはや意味不明だっただろう。しかし、俺の中ではちゃんと話は繋がっている。


「みんなそうだよ。俺達の年頃の人間は特にそう。みんな思い出したかの様に、一時の夢を追いかける。そして数年後、いや、数か月の後にはとっくに、何事も無かったかのように諦めているんだ。そういうやつに限ってみんな口を揃えて言うんだ……。『自分には才能が無かった』とか、『成功するのは一握りの人間だけだ』とか……」


 俺は今まで、散々そんな連中に騙されてきた。


「藤岡さん。俺はね、思うんだよ。成功するのに必要なものは、決して『才能』なんかじゃない。必要なのは、『一途な気持ち』だよ。だからね、死ぬまで貫かなければならない。一時、さも真剣そうにしていた人間が、いつのまにかすっかり腑抜けてしまっているだとか、そんな姿は、俺はもうすっかり見飽きてしまったのさ。そいつらは一体どう責任を取るつもりだい⁉ 散々俺みたいなやつを腑抜けだなんだと言っておきながら、自分がすっかり腑抜けているじゃないか!」


「まあまあ、落ち着けよ。俺はそうはならんから」


 彼は訳も分からない様子で、とりあえず俺を宥める。彼のその姿に俺はハッと我に返った。そして反省した。――いけない。これは愚痴に入ってしまうのだろうか。俺はつい、藤岡の前で愚痴を言ってしまった。


 そんな俺に、彼はやけに優しい口調で告げた。


「七咲さんを想う気持ちは、『才能』なんかじゃ計れんよ。俺は誰よりよ、七咲さんを一途に思っているから」


 その言葉に、俺はかりそめの安心感を得た。でも、それはいつまで続くのだろうか。俺もいつかは彼を軽蔑し、彼と決別してしまう日が来るのだろうか。


 そして俺達は再び歩いた。


 もう少しで、改札口だ。彼と別れる時が、やってくる。


 そんな時、ふと――


 隣から声が聞こえた。


「べつに……『才能』なんてものに拘らなくていいんじゃない?」


 ポツリと、そう呟いた藤岡の顔を、俺はマヌケな顔で見遣った。


「え?」


「ああ、いや……さっき店で話してた事ね」


 ――店で話してたこと?


 俺は頭をひねり、その話とやらを思い出そうと試みる。


「言ってたじゃん。菅原さん、人が当たり前に出来るような事が出来なかったって……」


 そう言われてから、俺はやっと思い出した。あの時、彼が言った言葉――『まあ、俺には分からんよ。菅原さんの苦労なんて』。彼のあの言葉は、いまだ俺の心に醜く、突き刺さったままだった。


 彼は言った。


「才能があるから出来る。才能が無いから出来ない……俺はどうも、世の中ってのはそんな単純な“足し算引き算”で構成されてるわけじゃないと思うんよな」


「足し算? 引き算?」


「そう。世の中には“掛け算”もあるし“割り算”もある」


「不確定的要素ってこと?」


「俗に言う『運』ってやつだね」


「“不確定的”だね」


 俺はため息交じりに呟いた。


「うん。でもこれがなかなか、そう理不尽なものでもないんよ」


 俺は黙って彼の続きを待った。


「その『運』とやらは、たしかに空からランダムに落ちてくるもんですよ。誰の手にそれが渡るかは分からない。いつになったら自分の手に落ちてくるのかは分からない。でも、それを掴みとるためには、手を伸ばし続けなければならんのよ」


「たとえ腕が疲れても?」


「サドゥーのアマルバールティさんのようにね」


 彼の言ったそれは、先ほど俺が言った『一途な気持ち』なるものに通ずる部分があった。自分の中でモヤモヤと存在していた“何か”は、藤岡さんの言葉によってはっきりと輪郭を帯びて顕現した。俺はやっと悟った。


「要するに、信じなきゃいけないんだね」


「そう。いつか自分にも運が回ってくることをね」




「いや、神を、さ」




 俺はあえてそう言い換えた。




「そういう非科学的な言い方はあまり好きじゃないんやけど……まあ、同じ様なモンですわ」



 ちょうどそのとき、改札にたどり着いた。藤岡はSuicaを取り出して、今まさに改札を潜ろうとしている。俺は彼を見送っていた。




「本当の事を言うとね――」




 藤岡は改札前でおもむろに足を止め、俺の方へと片身を向けた。




「俺、菅原さんの小説を読んだ時ね……本当に申し訳ないんやけど……菅原さんに対して“一ミリ”たりとも『才能の欠片』を感じなかったんですよ」




 なかなか手厳しい言葉だった。俺は苦笑しながら小さく何度か頷いた。


 彼は続けた。




「でも……たとえ今はこんな稚拙な文章だったとしても、いずれは何らかの賞が取れるくらいのレベルに成長するかもしれない――って、俺は必死でそう考えようとしたんよ。でも……どうしても無理やった。菅原の文章からは一切の“可能性”も感じ得なかったし、何ひとつとして……面白くなかった」



 彼の言葉は意外な方向へと続いていた。俺はしばし言葉を失った。俺はてっきり、一回貶められてからの、褒められる流れだと期待していたからだ。

 俺が言葉を失っている間、彼の話はそのまま続いた。


「それに――普通小説家なんてもんは十代、遅くとも二十歳前半から目指し始めるもんでしょ? 菅原さんは……たしかもう28歳だったよね? そんな年齢から夢を追い始めて、しかも才能なんてものもからっきし。たぶん100人に聞いたら100人中100人ともが……きみは絶対に成功しないって言うだろうね」


 そう毒を吐く彼の表情は、なんだか少し楽しそうに見えた。そして彼は短く一言、こう聞いてきた。


「――どう思う?」


 究極なまでに大雑把な彼の質問。そんな彼を見て俺はだんだんと、俺に対する急な“全否定”の意図がなんとなく分かったような気がした。藤岡のその意地悪そうな笑みは、俺に対して“何か”を期待しているように見えたからだ。


 だから俺は、こう答えた。




「最高の、シチュエーションだと思う」




 参った――と、ばかりに、彼は破顔した。




「成功しない結末が、約束されてたとしても?」




 笑い混じりに聞き返してきた藤岡に、俺はもうほとんど何も考えず、何も感じないままに、ただ無機質な声と口調を以て言った。




「成功する成功しないは、問題ではないんだ。俺の才能だとか、可能性だとかも、もはや問題ではないんだよ」




 『私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ』。――小学三年生の時に初めて読んだ本が『走れメロス』。この一節の主人公のセリフの意味が、当時の幼い俺にはどうしても分からなかった。しかし、いま俺が藤岡に対してさっきの言葉を放った瞬間、俺はやっとこのセリフの真なる意図を理解することができた――ような気がした。




「きみはやっぱり、狂ってる」




 プッと噴き出しつつ、藤岡は独り言のように呟いた。しかし当の俺はまったく悪い気はしなかった。




「じゃ、菅原さん、今日はありがとうね」




 彼は改札を挟んだ向こうで、俺に手を振る。




「ああ、藤岡さん。また会おう」




 俺も合わせて手を振ると、彼は翻り、人ごみの中へと消えていく。俺は彼のそんな背中をずっと眺めながめていた。




「藤岡さーん!」




 俺は口に両手を当てて大声で叫んだ。彼は無言でこちらを振り向く。




「死ぬなよー!」




 張り上げたその声に、彼は何も答えず、立ち去って行った。後ろ手に大きく掲げた手を残して。






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