ミズキの決意
ミズキは恐怖心を抱いていた。
それは街の外で何らかの騒動が起きていることを察していることもあるが、問題は自分一人でスイセンを守りきれるかだった。
なぜならミズキは今まで自分の身を守ることすら、ろくに出来ていなかった。
だからスイセンを守ろうとどれだけ意気込んでも、不安を感じてしまって腕の震えが止まらない。
外が騒がしくなっても深く眠り続けるスイセンの顔を見て、何とか平常心を保とうとするのが精一杯だった。
「シャウさん達、大丈夫かな…」
ぽつりとミズキは呟き、そっとスイセンの水色の髪を撫でる。
できるなら、ここで引きこもっておらずに担いで安全な場所へと移動したい。
そう思っていた矢先、宿屋のどこからか慌ただしい騒音が聴こえてきた。
衝突するかのように扉を乱暴に開けて、踏み鳴らす足音だ。
この建物は音が響きやすいとはいえ聴覚だけで特定は難しいが、おそらく一階からの音だろう。
まだ宿屋にいた他の人が、急ぎ足で避難のために出て行ったのかもしれない。
けれど、少しだけ妙だった。
「獣の唸り声?」
声らしきものが聴こえてくるのだが、それは人間とは思えなかった。
どちらかというと野生の獣のような、そんな声だ。
緊張を覚えてミズキの体が硬直する。
耳を澄ませば嗅ぐために鼻を鳴らす音に、人間の足取りとは思えない足音。
ミズキは近くに置いてあった鞘に収められている長剣を手に取り、スイセンを一瞥してから部屋へと慎重に出て行くことにした。
静かにゆっくりと扉を開けて、隙間から身を滑り込ませて廊下に出る。
呼吸を整えつつ見渡すが、それらしき生物は見当たらない。
となると下の階か、上の階か。
どちらにしろ人ではない生物がいるのは間違いない。
ミズキは息を潜めて、彼女なりに警戒して足を階段の方へと進ませた。
すると、近づいたためか荒い息づかいがはっきりと聞こえてきた。
音は下へ降りる階段からで、呼吸音からして一匹だろうか。
適当に徘徊して物でも漁っているのか、とにかく物音が激しく聞こえ始めていた。
となると誰の反応も無いということは、他の人はすでに宿屋から出て行ってしまっている事になる。
つまり今、宿屋にいるのはミズキとスイセンの二人だけだ。
都合よくこのタイミングでシャウ達が戻ってくるわけもないだろうから、実質対処できるのはミズキただ一人だった。
「追い払うか、仕留めるかしておかないと」
今はまだ一匹だけの獣の侵入だが、いつ獣の仲間が入ってくるか分からない。
複数匹の相手はミズキの実力では難しい。
だから今すぐ、獣をどうにかしないといけなかった。
ミズキは深く呼吸をして、覚悟を決めた。
できるだけ慎重に階段を通り、一階のカウンターロビーへと降りていく。
でも一階で物を漁っていた獣は敏感にミズキの存在を感知した。
すぐに漁る行為をやめて、視線を階段にへと向けて唸り声を漏らす。
明らかに敵意が向けられており、ミズキは自分の存在がバレてしまっていることに気づく。
だからもう勢いで攻めるしかなく、自分を奮い立たせるために声を張り上げた。
「うわぁあぁあぁああぁ!」
ミズキは階段を一気に駆け下りて、獣の姿を視認する。
獣の正体は黒い毛が生えた狼の魔物で、四つの足で勇ましく立っていて彼女を強く睨んでいた。
その魔物との距離は四メートルほどしかない。
だからか、この距離は狼の魔物にとっては攻撃圏内であって、ミズキが目の前に姿を現すなり走って飛びかかった。
「くぅっ!」
でもミズキは恐怖を覚えながらも、しっかりと狼の魔物の動きを予測しきっていた。
鞘に収められたままの剣で素早く自分の身を守り、狼の魔物の牙は鞘にくらいついた。
しかし牙は防いだが、体当たりされた勢いに負けてミズキの華奢な体は後ろへと倒れこんでしまう。
背中を床に叩きつけて、狼の魔物にマウントを取られた状態へと持ち込まれた。
鋭い牙をミズキの肉体に刺し込もうと、涎を垂らして荒く暴れてくる。
すぐにミズキは足で狼の魔物の腹部を蹴り上げて、鞘を力強く握って振り払う。
そしてすかさず転がりながら立ち上がって体勢を直し、鞘から長剣を引き抜いた。
銀の刃がランタンの光りを反射して、鈍く光る。
でもその輝きは狼の魔物にとっては何の脅威でもなく、恐れ知らずに興奮してミズキに再び飛びかかった。
「たぁっ!」
ミズキは掛け声と共に体の力を入れて、強く一歩踏み出した。
同時に剣を大きく振りおろし、狼の魔物の体を切り裂いた。
確かな手応えと、見るからに大きな損傷だ。
それでも魔物は唸り声をあげていて、まだ襲いかかる気が充分にあった。
だが襲いかかる行動を許さず、続けてミズキは剣を突き出して狼の魔物の首元を刃が貫いていた。
素早く剣を引き抜くと血が飛び散り、狼の魔物は床に倒れてのたうち回る。
首元にできた穴から空気を漏らして、荒い呼吸をしていた。
ミズキはその無残な姿を哀れみの瞳で見下ろして、楽にさせるためにトドメを刺そうと剣を振り上げた。
「すみません…」
自然とミズキの口から漏れたのは、命を殺めることに対しての謝罪の言葉だった。
しかし彼女にとってこれが戦闘の終わりだったかもしれないが、実際はそう甘い話ではなかった。
一難去ってまた一難という言葉通りに、外からは二匹の狼の魔物がなだれ込んできた。
同じ魔物を今一匹倒したが、それは運良く無傷で倒せたに過ぎない。
まして二匹の相手なんてそう簡単にはできないために、ミズキは短い悲鳴をあげてはすぐに階段の方へ撤退し始めた。
「まずいまずい…!何とかしないと」
すると二匹の魔物は逃げるミズキを追って、背中を狙って追いかけた。
その狼の魔物の動きは俊敏で、ミズキが階段をのぼりきる直前に飛びかかってくる。
だがミズキは噛まれないようにと回避行動をとっており、階段に体をぶつけながらも伏せて避けてみせた。
そこから更に無理やりに剣を扱って一匹の狼の魔物を切りつけて、深手を負わせる。
同時にもう一匹も襲って来るがミズキは足蹴りにして弾いてから、這った姿で階段をのぼりきった。
戦闘の緊張で息が荒くなる。
冷や汗が噴きでそうになる。
恐怖のせいで思考が滅茶苦茶になりそうになる。
できることなら逃げたい。
でも逃げるわけにはいかない。
唯一無二の大切な妹であるスイセンがいる。
それに今、ここでそんな現実逃避なんてしても何も現状は改善されない。
今までの悪い自分を捨てるのなら、この場で自分の高潔な意思を示さないと駄目だ。
さっきまで感じていた恐怖を押し殺して、ミズキは廊下へと走ってから振り返った。
それから剣を構え、遅れてやって来る目の前の二匹の狼の魔物を見据える。
「スイセンは私が守る!あなたたち魔物なんかにやられてたまるか!私は……誰かを守れる人になるって決めたんだ!」
ミズキは秘められていた思いを口に出して、覚悟を決める。
いつまでも守られるわけにはいかない。
ただ無力でいるわけにもいかない。
今自分の力を求められている以上、実力が無いなんて安い言い訳に過ぎない。
逃げて保身に走るばかりでは、いずれ自分は呆気なく野垂れ死ぬ。
そんなのは嫌だ。
下山したときの奇跡の勇者の襲撃で、もう嫌というほど自分の無力さを思い知った。
あのときは、自らを呪いたくなるほどに悲しく思った。
強くあるために、新たな自分へと変わるために、大切な人を守れるようになるために、曲げたくない変えたない自分の意思を貫き通すために、今こそ立ち向かう。
ミズキは呼吸を整えて腰を落とし、剣の柄を握る手に力を入れた。
俊敏な動きは狼の魔物の方が圧倒的で、それも二匹もいる。
それは簡単に言えば、ミズキには勝つことが難しいということだ。
でも、それはミズキらしい普段の戦い方だったらの話だ。
自分の剣術なんてたかが知れている。
体術だって妹のスイセンと比べたら、まるで話にならない。
なら、ミズキはミズキだけの自分の武器を活かすしかない。
一体自分なら何ができるか、特別秀でたものがない彼女にとってそのことを考えるには多くの時間が必要だが、今はそんな時間的余裕はない。
それならば、思いつきで何か工夫するしかなかった。
求められるのは咄嗟の動き。
タナトスやシャウ、ポメラにスイセンが見せてきた一瞬の判断を行動の中で柔軟にやってみせるしかない。
あれこれと考えながら、ミズキは意識を前に集中させた。
そして最初に先制を仕掛けたのは狼の魔物の方だった。
狼の魔物がほぼ同時に襲ってくるが、ミズキは一匹の動きを見極めて剣を振るった。
しかし剣は牙で噛まれて受け止められてしまい、刃が通ることはない。
しかももう一匹の攻撃は防ぎようがなく、ミズキの脚に噛みついていた。
酷い痛みが襲って来るが、いちいちリアクションなんてしている暇はない。
ミズキは素早く懐から下山時にタナトスから貰っていた短剣を取り出して、剣にくらいついていた狼の魔物の頭を突き刺した。
「ギャゥ!?」
狼の魔物は悲鳴をあげて目を見開く。
続けてミズキは剣を振り下ろして、剣に噛みついていた狼の魔物を振り払った。
同時に脚に噛みついている狼の魔物の体を剣で突き刺して、力を込めて切り裂く。
今、実力のないミズキができることは捨て身の攻撃だけだった。
それはシャウの戦法に近いもので、痛みに対する覚悟を強く持つ必要があった。
前までならケガを恐れて保守的な戦闘をしていたことだろう。
でも、今は違う。
今はあらゆる手を尽くし、戦って勝つ意思がミズキにはある。
「やぁああぁ!」
ミズキは大声をあげて狼の魔物を切り払って、血を飛び散らさせた。
続けて激痛が走る脚で動き出し、振り落とした狼の魔物の首に剣を突き刺した。
血が滴り、狼の魔物は二匹とも倒れて伏せたままとなる。
これで二匹とも撃退した。
本当にひとまずの話に過ぎないが、これで安全は確保できた。
そう思うとミズキの体は一気に脱力した。
緊張が解けたせいだ。
「はぁはぁはぁ……やった、お姉ちゃんやったよ…!」
激しい痛みもあって息が途切れ途切れとなった。
これで妹は守れた。
でも、また魔物が襲ってくるかもしれない。
そう思ったミズキは気を引き締め直して、スイセンが眠る客室へと片脚を引きずりながら戻っていった。




