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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十七章 オセールとの休戦協定/修道士リシャール/トロワ降伏

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17.3 トロワの町(1)市民感情

 この堅固なトロワには、多くても500人から600人ほどの守備隊が駐屯していた。[1382]


 ジャン・ド・ダントヴィルという代官(Bailie)と、ロシュフォールとプランシーという隊長(Captains)2人が、ヘンリー六世とブルゴーニュ公のために町を統治していた。[1383]


 トロワは工業都市で、その富の源泉は毛織物製造だった。


 競争と市場の喪失によって、毛織物産業は長い間衰退していた。

 その没落は、一般的な貧困と街道の治安悪化によって加速していた。


 それでも、毛織物職人ギルド(組合)はまだ勢力を保っており、評議会に多くの行政官(Council)を送り出していた。[1384]



 1420年、トロワの商人たちは英仏間で結ばれた条約を承認し、王太子シャルルの廃嫡と、イングランドのランカスター王家にフランス王位を約束する条約に誓約した。


 当時のトロワは、イングランド人とブルゴーニュ人の言いなりだった。


 毛織物を売りさばく大規模な定期市を開催するには、隣人のブルゴーニュ公と円満に暮らす必要があった。それに、もしゴドン(イングランドに対する蔑称)がセーヌ川の河川運輸から特定の荷物を締め出したら、トロワの人々は食い扶持を失って飢え死にしていただろう。


 そのため、町の有力者たちはイングランド支持者に転向したが、だからといって彼らがずっとイングランドの味方であり続けるという意味ではない。


 ここ数週間で、王国に大きな変化が起こっていた。


 町の有力者であるジル・レギゼ家、エヌカン家、ジュヴネル家といった人々は、一方から他方へと権力が移り変わる運命の変遷(栄枯盛衰)の中で、変わらずにいることを誇りには思っていなかった。


 フランスの勝利は、彼らにこれまでの方針を考え直すきっかけを与えた。


 トロワ市内を流れる小川のほとりには、織物職人、染色職人、革なめし職人などが住んでいたが、彼らこそが真のブルゴーニュ派だった。[1385]


**


 聖職者たちは、アルマニャック派(シャルル七世を支持する勢力)への愛情に心が動かされることはなかったが、シャルル王が「聖なる神の摂理(divine providence)」の特別な導きによってここまで遣わされたと感じていた。


 このころのトロワ司教は、1420年の条約(トロワ条約)に最初に署名したユエ・レギゼの息子ジャン・レギゼだった。[1386]


 聖堂参事会は、イングランド摂政(ベッドフォード公)の許可を待たずに、ジャン・レギゼをトロワ司教に叙任した。摂政は新しい司教を嫌っていたわけではなかったが、この叙任に反対を表明した。


 もともと、ジャン・レギゼは、母校のパリ大学から影響を受けて、アルマニャック派への憎しみとランカスター家の薔薇への敬意を抱いていた。


 しかし、ベッドフォード公は、自分の権利(聖職叙任権)を軽んじる行為は、いかなる理由であろうと許すことができなかった。



(⚠️聖堂参事会:各地の聖堂に属する聖職者たちで構成される合議体的な組織)


(⚠️聖職叙任権:司教や修道院長など高位聖職者にふさわしい人物を選び、任命する権限のこと。中世ヨーロッパでは、聖職者と王侯がこの権利をめぐってよく揉める)



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