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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十六章 パテーの戦い/イタリアとドイツの神学者の考察/ジアンの軍勢

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16.14 トゥルネー宛の手紙

 6月24日の金曜日、乙女ジャンヌ・ラ・ピュセルはオルレアンからジアンに向けて出発した。


 翌日、ジアンからトゥルネーの住民に宛てた手紙を口述筆記させ、ロワール川沿いのすべての要塞からイングランド軍がことごとく追い払われ、戦闘で打ち負かされた様子を伝えた。


 この手紙の中でジャンヌは、シャルル王のランスでの聖別式に出席するように彼らを誘い、忠実なフランス人であり続けるよう呼びかけた。手紙の内容は、以下のとおりだ。


「†ジーザス †マリア


 トゥルネーの町に住む、善良で忠実なフランス人の皆さんへ

 乙女ラ・ピュセルはこの地より皆さんに

 以下の知らせを伝えます。


 乙女は8日間で、攻撃またはその他の手段によって、

 イングランド軍をロワール川沿いに保持していた

 すべての要塞から追い払いました。


 サフォール伯、その兄弟ラポール、

 タルボール、スカレズ、ジャン・ファルスコフ、

 その他多くの騎士と隊長が捕らえられ、

 サフォール伯とグラスダスの兄弟が殺されたことを

 知っておいてください。


(⚠️サフォール伯、その兄弟ラポール:ジャルジョーの戦いで敗北したのは「サフォーク伯(←爵位)ウィリアム・ド・ラ・ポール(←名前)」で同一人物である。兄とともに捕虜になった弟はジョン、戦死した弟はアレクサンダー)



 私は皆さんが善良で忠実なフランス人で

 あり続けるよう願っています。

 そして、美しいシャルル王のランスでの聖別式に

 出席する準備をしておいてください。

 私たちはもうすぐそこに行きますので、

 私たちが近づいていると分かったら、

 私たちに会いに来てください。


 私は皆さんを神に推薦します。

 神が皆さんを守り、フランス王国の大義を立派に守れるように、

 神の恵みを与えてくださいますように。


 6月25日、ジアンにて執筆。


 宛先、トゥルネーの町の忠実なフランス人へ」[1351]



(⚠️イングランド軍幹部たちの人名表記:口述筆記だから文責は筆記者のパスケレルにありますが、原文をAIに読み込ませても修正しきれない誤記……。いつものように手動で直そうかと思いましたが、ジャンヌは読み書きできないので、彼女の発音のまま文字化されていると考えると原文ママのほうが味わい深いかもしれない。よって、このまま載せます)



 同じ内容の書簡が、ジャンヌに従う修道士(従軍司祭ジャン・パスケレル)のような書記官によって、シャルル王に忠実であり続けたすべての町に送られたに違いない。おそらく、司祭自身がその送付リストを作成したのだろう。[1352]


 トゥルネーの町はフランドル地方に位置する。[1353]

 ブルゴーニュ領の中心にありながら、依然として領主である王に忠実であり続けた「王領」の町を、(ジャンヌが)忘れることはなかった。


 1423年にイギングランド政府から善良公フィリップ(ブルゴーニュ公)に割譲されたトゥルネーの町は、新しい領主を認めなかった。


 司教のジャン・ド・トワジーはフィリップ公の宮廷に住んでいた。[1354]

 しかし、トゥルネーは王の町であり続けた。[1355]

 町の人々が、王太子の運命に寄せていた愛情は模範的でよく知られ、有名だった。[1356]


 フランス南部の都市アルビの執政官(Consuls)は、1429年の驚異に関する短い覚書の中で、「この北の都市トゥルネーはあまりにも遠く離れているため正確な位置は分からないが、フランスの敵に囲まれているにもかかわらず、依然としてフランスのために抵抗している」と注意深く指摘している。


「事実上、イングランド軍はノルマンディーとピカルディの全域を占領しているが、トゥルネーだけは例外だ」[1357]


 実際に、トゥルネー管区の住民は、フランス王から与えられた自由と特権を熱心に守り、いかなる理由があろうとも王室から離れることはなかった。


 彼らは忠誠を誓い、王の栄誉を称え、王が王国を取り戻すことを願って、盛大な行列を催した。しかし、彼らの忠誠心はそこまでだった。


 のちに、彼らの主君であるシャルル王が、差し迫った必要性から、未払いの税金の支払いを強く求めたとき、町の行政官は話し合った結果、支払いを再延期して可能な限り先延ばしする許可を求めることを決定した。[1358]



 ジャンヌ自身が、この手紙を口述筆記させたことは間違いない。


 注目すべきは、この手紙の中で、ジャンヌが勝利の功績をすべて自分のものにしていることだろう。彼女の正直さはそうせざるを得なかった。

 ジャンヌの理屈では、神がすべてをおこなったが、それはジャンヌを通しておこなわれたことを意味するのだ。


「乙女はイングランド軍をすべての要塞から追い払いました」


 自分自身に対するこれほど「《《ナイーヴ》》な信仰」を明らかにできるのは、ジャンヌだけだ。パスケレル修道士にこれほど「聖なる単純さ」を表明することはできないだろう。


(⚠️ナイーヴ(naïve):英訳版でありながら、あえてフランス語のままにしているので強調する意図がある。日本語のナイーブは「繊細な、傷つきやすい」という意味で使われるが、フランス語は「世間知らずな、うぶな、ばか正直な、(経験不足であまりに)考えが甘い」などかなりネガティブなニュアンスを持つ)



**


 この手紙の中で、ジョン・ファストルフが捕虜の中に数えられているのは注目に値する。ただし、この間違いはジャンヌ特有のものではない。


 国王は善良な町々に「イングランド軍の隊長3人、タルボット、スケールズ、ファストルフが捕らえられた」と伝えている。国王の顧問官兼侍従ペルスヴァル・ド・ブーランヴィリエも、ミラノ公に宛てたラテン語の手紙の中で、ファストルフをファステシャと呼び、ドーフィネの民兵に捕らえられた捕虜1000人の中に含めている。


 6月25日頃にリュソン教区の町から送られた書簡には、タルボット、ファストルフ、スケールズたち3人の運命について大きな不確実性が示されている。


「彼らは捕虜になったか、死亡したと言われている」[1359]


 おそらくフランス軍は、外見または名前がファストルフに似ている貴族を捕らえたのだろう。あるいは、兵士の誰かが身代金目的でファストルフを名乗ったのかもしれない。


(⚠️「兵士の誰かが身代金目的でファストルフを名乗った」について補足:名の知られた貴族は身代金が見込めるため、殺されずに捕虜になって生き残る可能性が高い。ここでは、正体不明の何者かが生き残りをかけてファストルフを自称した可能性に言及している)


 ジャンヌの手紙は、7月7日にトゥルネーに届いた。

 翌日、市の評議会はフランス国王シャルルに使節を派遣することを決議した。[1360]


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