16.10 評議会の選択肢(3)シャンパーニュ遠征
(ジャンヌ以外にも)シャンパーニュへの遠征を求める声が、他の貴族たちから上がった。[1326])
これまでに言われてきたこととは裏腹に、乙女の幻視は評議会の決定にまったく影響を与えなかった。
国王の顧問官たちがジャンヌを導くことはあっても、ジャンヌに導かれることは決してなかった。以前にも彼らは、ロワール川での仕事(掃討作戦)を与えることで、ジャンヌの意識をランスへの道から逸らした。ジャンヌは道も地形もまったく知らなかったのだから、彼らはまたジャンヌが気づかないうちにノルマンディーへと逸らすこともできたはずだ。
シャンパーニュへの遠征を勧める者がいたとしても、それは聖人や天使の言葉を信じたからではなく、純粋に人間的な理由によるものだ。
その理由を見つけることは可能だろうか?
国王と王国の利益を考えていた貴族や隊長もいたに違いないが、個人の利益と混同しないようにするのは非常に難しい。ランスへの進軍(シャンパーニュ遠征)を推進した首謀者を突き止める最良の方法は、誰がその進軍で利益を得るかを見つけ出すことだ。
アランソン公ではないことは確実だ。彼は、自分の公国を征服するために乙女の助けを利用することを大いに望んでいた。[1327]
オルレアンの私生児卿、ゴークール卿、そして国王自身でもない。
なぜなら、彼らは恐るべきペリネ・グレサールが占領するラ・シャリテを攻略して、ベリーとオルレアンの安全を確保したいと望んでいたはずだ。[1328]
(⚠️ペリネ・グレサール(Perrinet Gressart):イングランドとブルゴーニュに雇われている傭兵隊長。ランスでの戴冠式の後、同年11〜12月におこなわれたラ・シャリテ包囲戦でジャンヌの軍隊はグレサールに敗北する。1435年末、シャルル七世の軍隊がラ・シャリテを奪還し、アラスの和約をきっかけにグレサールはフランス陣営に入る)
一方、シチリア女王(シャルル七世の義母ヨランド・ダラゴン)は、義理の息子である国王が北東方面(ランスを含むシャンパーニュ地方)に進軍することに反対しなかっただろうと結論づけることができる。
この王女は、アンジュー家の狂気に取り憑かれていた。アンジュー公領の運命についてひとまず安心した彼女は、息子のルネ・ダンジューをバル公領とロレーヌ公領の相続地(いずれもシャンパーニュ方面)に定着させることを熱心に追求し、フランス王国に大きな損害を与えた。
したがって、国王がジアンとトロワとシャロンの間の道を確保(開放)しているのを見て、彼女が不満を抱くことはない。
しかし、リッシュモン大元帥の追放以来、彼女はシャルル七世に対する影響力を失っており、1429年5月の評議会で誰がヨランドの利益を守っていたのかを見極めるのは難しい。[1329]
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これ以上探すまでもなく、誰よりも国王の聖別式を望み、誰よりも自分の意見を押し通すことができた人物がいたことは明らかだ。
その人物とは、聖なるアンプル(聖油瓶)を聖なる手で持つ義務を負っていた人物で、王国の宰相であり、ランス大司教兼公爵であるルニョー・ド・シャルトル卿だ。[1330]
彼は、類まれな知性を持ち、商才に長け、非常に賢明な外交官であり、富に貪欲で、空虚な名誉よりも確実な利益を重視し、強欲で、無節操な人物だった。50歳近くになってもその情熱は衰えず、最近はオルレアン防衛のために気高く身を捧げてその力を発揮していた。
このように才能に恵まれたランス大司教が、政府に対して強力な影響力を行使しないはずがない。
ルニョー・ド・シャルトルはランス大司教に昇格してから15年が経っていたが、その莫大な収入をまだ一銭も受け取っていなかった。他の収入源から大きな利益を得ていたにもかかわらず、彼は貧困を訴えた。ローマ教皇には、胸を締め付けられるような嘆願書まで送った。[1331]
もし乙女がポワティエの神学者たちの目に留まったのなら、ルニョー・ド・シャルトルも関与していたはずだ。彼がいなかったら、宮廷の聖職者たちはジャンヌの審査を提案することはなかっただろう。
王室評議会でランスへの進軍(シャンパーニュ遠征)が決定されたのは、大司教が人間的な理由から、乙女が神の啓示によって提案したことを承認したからだと結論づけても、それほど的外れではないだろう。[1332]




