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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十六章 パテーの戦い/イタリアとドイツの神学者の考察/ジアンの軍勢

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16.6 外国の神学者のジャンヌ考(1)亡命者のコスモグラフィ

 1428年ごろのローマでは、あるフランス人の書記官が、当時は非常に一般的で、非常によく似通った世界史を編纂していた。彼の『コスモグラフィ』は、他の著者・著書と同様に、天地創造から始まり、当時のローマ教皇マルティン五世までの歴史を記述していた。


(⚠️コスモグラフィ、Cosmography):中世ヨーロッパ時代の高等学問のひとつ。宇宙誌、宇宙構造論と訳される。地球のみならず、宇宙や死後の世界まで含めた全世界・宇宙像を研究していた。書物や図版(地図・天球図)を駆使して表現する。 ただし、今回の文脈では「年代記」と訳したほうが適切かもしれない)


(⚠️もう少し補足:当時の歴史書の形式には、①宇宙観や大局を含めた壮大なコスモグラフィ、②出来事や事件を年ごとに記した年代記(クロニクル、Chronicle)、③記述がより簡単な年表(アナリス、Annals)がある)



「この教皇の治世下において」


 著者は、次のように記している。


「フランス王国とは、この世界の花・百合であり、もっとも裕福な国の中でも特に豊かで、全宇宙がひれ伏していたが、侵略者の暴君ヘンリーによって打ち倒された。彼はイングランド王国の正当な君主ですらなかった」


 そして、この聖職者は、ブルゴーニュ人に永遠の不名誉を誓い、もっとも恐ろしい呪いの言葉を投げかけた。


「彼らの目がえぐり出され、邪悪な死によって滅びよ!」


 このような言葉遣いは、彼が善良なアルマニャック派であることを示している。おそらくは自国の敵によって財産を奪われ、故郷を追われ、亡命を余儀なくされた書記官だろう。


 彼は乙女ジャンヌ・ラ・ピュセルの到来とオルレアンの救出を知ると、喜びと驚きに満たされて、再び歴史書をひらき、新たなページに「驚くべき乙女」を支持する論拠を加筆した。(ここに書かれた)乙女の行為は人間よりも神に近いように描写されているが、彼は実際のジャンヌについて知っていることはほとんどない。


 彼はジャンヌを、(伝説上の女勇者や女預言者)デボラ、ユディト、エステル、ペンテシレイアと比較している。


「異教徒の書物には、ペンテシレイアと1000人の処女がプリアモス王を救うためにやってきて、非常に勇敢に戦い、ミュルミドン族をばらばらに引き裂き、ギリシャ人を2000人以上殺したと書かれている」


 彼の見解によれば、「勇気と武勇の両方において、乙女ジャンヌ・ラ・ピュセルはペンテシレイアをはるかに凌駕している。乙女がしたことは、彼女が悪魔によって遣わされたと主張する人々を即座に論破する」と説いている。[1310]



 フランス王の女預言者ジャンヌの名声は、またたく間にキリスト教世界全体に広まった。


 当時のヨーロッパは、世俗的な事柄で人々が互いに争っていた。

 その一方で、霊的・精神的な事柄では、ひとりの共通の指導者(ローマ教皇)に従うことで、ヨーロッパはひとつの言語(ラテン語)とひとつの教義(キリスト教)を共有し、公会議によって統治されるひとつの精神的な共和国だった。


 教会の精神は、ヨーロッパのすみずみに浸透していた。


 イタリアでもドイツでも、フランスの巫女シビュラとその武勇が話題の中心で、彼女の能力はキリスト教の信仰と密接に結びついていた。


 当時、修道院の壁画を描いていた画家たちは、リベラル・アーツ(当時理想とされた教養、自由七科のこと)を『貴婦人3人』になぞらえて描く習慣があった。


 姉妹2人の間には「論理ロジック」が描かれ、高貴な玉座に座り、古風はフードをかぶり、きらびやかなローブをまとい、片手にサソリ、もう片手にトカゲを持っている。これは、彼女の知識が敵の議論の核心(心臓)にまで潜り込み、彼女自身が罠にかけられるのを防ぐことを意味する。貴婦人の足元には、アリストテレスが彼女を見上げながら議論し、自分の論証を指で数えている姿が描かれる。[1311]


 この厳格な貴婦人ロジックは、すべての弟子を同じ型にはめ込む。

 当時、独創性(Originality)ほど軽蔑されるものはなかった。

 精神の独創性など存在しなかった。


 乙女ジャンヌ・ラ・ピュセルについて論じた聖職者たちは、誰もがみんな、同じ方法に従い、同じ議論を展開し、聖なる書物も世俗の書物も、同じ文章に基づいて記述された。同調・一致することは、これ以上ないほど徹底していた。


 人々の理知(minds)は同一だが、心(hearts)はそうではなかった。

 論じるのは理知(mind)だが、決めるのは心(heart)である。


 羊皮紙よりも乾いていると言われるこれらのスコラ学者たちは、それでも人間だった。彼らもまた、感情や情熱に突き動かされ、精神的または世俗的な利益に左右された。


 アルマニャック派の神学者たちが、乙女について、信じる理由が信じない理由よりも強いことを証明していた一方で(第八章と第十四章を参照)、ドイツやイタリアの神学者たちは、ヴィエノワの王太子の争いなど気にせず、愛も憎しみも抱かず、乙女に疑念を抱いていた。[1312]


(⚠️ヴィエノワの王太子(Dauphin de Viennois):フランス国王の法定推定相続人(王太子)の称号ドーファンのこと。正式名称はヴィエノワの王太子)





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