16.5 ブルターニュ公の動向
ブルターニュ公ジャン(リッシュモンの兄)はシャルル・ド・ヴァロワ(シャルル七世)の姉と結婚していたが、義弟の顧問官たちに常に満足していたわけではなかった。1420年、彼らはジャン公をブルゴーニュ寄りだと考えて、モントローの橋で彼を陥れようと企てた。[1304]
実際には、彼はアルマニャック派でもブルゴーニュ派でも、フランス人でもイングランド人でもなく、ブルターニュ人だった。
1423年、ブルターニュ公はトロワ条約(当時王太子だったシャルル七世を廃嫡する条約)を承認したが、その2年後、彼の弟であるアルテュール・ド・リッシュモン伯爵がフランス王に寝返り、王からフランス大元帥の剣を授かると、ブルターニュ公はソミュールにいるシャルル七世のもとへ行き、自身の公国領に対する臣従の誓いを立てた。[1305]
ようするに、彼は最も厄介な状況から巧みに抜け出し、ブルターニュを巻き込もうとしていた2人の王の争いから距離を置くことに成功したのだ。
フランスとイングランドが互いに激しく争っている間に、彼はブルターニュを廃墟から復興させていた。[1306]
乙女は、彼に好奇心と感嘆の念を抱かせた。
パテーの戦いの直後、ブルターニュ公は乙女の勝利を祝うために、紋章官のエルミーヌと告解司祭のイヴ・ミルボー修道士を彼女の元に派遣した。[1307]
(⚠️紋章官(herald-at-arms):君主によって任命される。紋章や系譜を管理したり、関連する儀式を手配する。また、通常の伝令よりも重要人物へ派遣される使者の役目も負う)
善良な修道士は、ジャンヌと対面して尋問するよう命じられていた。
ミルボーは「王を救うためにあなたを遣わしたのは神なのか」と尋ねた。
ジャンヌは、そうだと答えた。
「もしそうであるなら」
イヴ・ミルボー修道士は答えた。
「我が主君であるブルターニュ公は、国王に仕える用意があります。公爵はとても体が弱いため、みずから参上することはできませんが、息子を大軍とともに派遣するつもりです」
善良な修道士は軽率に話し、公爵に代わってまったく当てにならない約束をした。この中で唯一の真実は、多くのブルターニュ貴族がシャルル王に仕えるためにやって来たということだけだった。
これらの言葉を聞いて、若き聖女は奇妙な勘違いした。
ジャンヌは、ミルボー修道士が「ブルターニュ公爵はミルボーの主君であると同時に、ジャンヌの主君でもある」という意味だと解釈したが、それはまったく意味をなさないことだった。ジャンヌの忠誠心が反発し、鋭い口調で答えた。
「ブルターニュ公は私の主君ではありません。国王こそが私の主君です」
現在までに判明している限り、ブルターニュ公の慎重さはフランス陣営で好印象を与えなかった。彼は国王の戦争禁止令を無視してイングランドと条約を結んだことで非難された。ジャンヌもその意見に共感しており、ミルボー修道士にはっきりと言った。
「ブルターニュ公は国王を助けるために兵を送るのを、これほど長くためらうべきではなかった」[1308]
数日後、リッシュモン大元帥に同行してボージャンシーとパテーに参加していたロストレネン卿が、ブルターニュ公から派遣され、長男フランソワとアメデ公爵の娘ボンヌ・ド・サヴォワとの結婚の予定について交渉しに来た。
彼とともに、エタンプ伯リシャール・ド・ブルターニュ(ブルターニュ公とリッシュモンの弟)の伝令官コマン・キル・ソワもいた。その伝令官は、ジャンヌに短剣と馬を贈る任務を負っていた。[1309]
(⚠️伝令・前衛(herald):使者として、主人に先駆けて知らせを伝えたり、戦闘では「前衛(先鋒)」を務める)




