15.7 囚われのオルレアン公(1)贈り物と救出計画
武装を解かずに、ジャンヌと騎士たちはオルレアンに戻った。
ジャルジョーの奪還を祝うため、行政官たちは公的な祝賀行列を組織した。
ジャコバン派(ジャコバン修道院)の修道士ロベール・ベニャールが雄弁な説教を行った。[1221]
オルレアンの住民は、アランソン公にワイン樽6本、ジャンヌに4本、ヴァンドーム伯に2本を贈った。[1222]
謝意として、囚われのオルレアン公シャルルに仕える顧問(評議員)たちは、ジャンヌに緑色のマント(外套)と、深紅のフランドル織りあるいは上質なブリュッセル織りの紫色のローブ(上着)を贈った。
生地を調達したジャン・リュリエは、上質なブリュッセル織り(1エルあたり4クローネ)2エル分で8クローネ、ローブの裏地が2クローネ、黄緑色の布1エル分で2クローネ、総額で金貨12クローネを請求した。[1223]
ジャン・リュリエは若い毛織物商で、ジャンヌを敬愛し、神の天使とみなしていた。善良な心の持ち主だったが、イングランドへの恐怖に目がくらみ、彼らに関する事柄となると二重に見えてしまう(真実がぶれて見える)人物だった。[1224]
彼の親族の一人は、1429年に選出された評議会のメンバーだった。
彼自身も、少し後に行政官に任命された。[1225]
仕立て屋のジャン・ブルジョワは、ローブとマントの仕立て代、および白いサテン(光沢のある絹織物)、タフタ(絹の平織物)、その他の生地の提供代として金貨1クローネを請求した。[1226]
町は以前も、ジャンヌが「イラクサ」のガウンを仕立てるために、パリ貨35スー相当の価値がある2色の緑色の布地を0.5エル分贈っていた。[1227] イラクサはオルレアン公の意匠(device)で、緑、紫、深紅が彼の色だった。[1228]
イラクサの緑色は、以前のように明るい色ではなく、家運が傾くにつれて徐々に暗くなっていった。 最初は鮮やかな緑色で、次第に茶色がかった色合いに変化し、最終的には悲嘆と哀悼を意味する黒みを帯びた紫色、つまり色褪せた葉の色になる。
ジャンヌに贈られたものはフィユモール(枯葉色)だった。
ジャンヌは、公爵領の役人や民兵団の兵士たちと同じようにオルレアンのお仕着せを身につけた。ある意味、彼らはジャンヌをオルレアンの紋章官、あるいは紋章の天使にしたかったのだ。
(⚠️フィユモール(feuillemort):『翻訳できない世界のことば』に収録されているフランス語。枯葉のように色が薄れゆくこと)
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黄色がかった緑のマント(外套)とイラクサの刺繍が施されたローブ(上着)を、ジャンヌは喜んで身につけたに違いない。イングランド人がひどい扱いをしてきたシャルル公への愛ゆえに。
囚われの王子の遺産を守るためにオルレアンまでやって来たジャンヌは、イエスの名において、善良なオルレアン公のことを気にかけており、「必ず彼を救い出す」と語った。[1229]
ジャンヌの計画では、まずイングランド人にオルレアン公を引き渡すよう呼びかけ、もし拒否された場合は、海を渡り、軍隊を率いてイングランドで彼を探し出すつもりだった。[1230]
この方法がうまくいかなかった場合に備えて、ジャンヌは聖人たちの許可を得て、別の方法も考えていた。それは、国王に捕虜を捕らえさせてくれるよう頼み、ジャンヌの手でオルレアン公と交換するのに十分な捕虜を確保してみせると信じることだった。[1231]
聖カタリナと聖マルガリータは、この方法ならオルレアン公救出までに1年以上3年未満しかかからないと約束してくれたという。[1232]
これらはまさしく、村の鐘の音を子守唄にして眠りについた子供の敬虔な夢物語だ!
ジャンヌは、王子たちを苦難と疲労から救うために苦労して働くのは当然だと考えており、善良なしもべらしいことを言った。
「肉体的な安楽について、神は私よりも、国王とオルレアン公を愛しておられることを知っています。啓示によって、私はそのことを知りました」[1233]
そして、囚われの公爵に関しては、こう言うのが常だった。
「私の『声』は、オルレアン公シャルルについて多くのことを明らかにしました。彼は、私の国王を除き、生きている誰よりも頻繁に私に啓示を示してくれる対象でした」[1234]
実際には、聖カタリナと聖マルガリータがしたことは、王子のよく知られた不幸についてジャンヌに語っただけだった。
ミラノのヴァレンティーヌの息子(オルレアン公)と、イザベル・ロメの娘は、二人の間にある海よりも広く深い溝によって隔てられていた。彼らは魂の世界の正反対の場所に住んでおり、天国の聖人すべてを動員しても、互いを理解させることはできなかっただろう。
(⚠️ミラノのヴァレンティーヌ:オルレアン公シャルルの母、ヴァランティーヌ・ヴィスコンティのこと。ミラノ公の娘)




