15.4 ジャルジョーの戦い(3)私生児とアランソン公の不和
民兵隊は、11日の土曜日にいち早くジャルジョーに到着した。
彼らはすぐに、何の相談もせずにいきなり塹壕に向かい、攻撃を開始したが、彼らの熱意は空回りした。結果的にうまく戦うことができす、正規の兵士からの援助も受けられず、混乱のうちに追い返された。[1202]
同日の土曜日の夜、戦う前に敵に降伏をすすめるのが常だった乙女は、堀に近づくと、イングランド軍に向かって叫んだ。
「天の王とシャルル王に町を明け渡し、立ち去れ。さもないと、あなたたちにとって最悪の事態になるだろう」[1203]
イングランド軍はジャンヌの呼びかけに耳を貸さなかったが、何らかの折り合いをつけて合意したいと強く望んでいた。サフォーク伯は、オルレアンの私生児卿のもとを訪れ、「もし攻撃を控えてくれるなら町を明け渡す」と伝えた。
イングランド軍は2週間の猶予を求め、その期間が過ぎたら、ただちに撤退して町を引き渡すと約束した。ただし、その時点までに救援が来なかった場合に限ることは言うまでもない。[1204]
当時、このような条件付き降伏は、双方にとって一般的だった。
以前、ジャンヌがヴォークルールに到着する直前に、ボードリクールは同様の条件で降伏文書に署名していた。[1205]
今回の場合、ジョン・ファストルフが砲兵隊と補給物資を運んで迫っている、まさにその時に、フランス軍にそのような合意を求めるのは単なる時間稼ぎの策略だった。[1206]
このとき、オルレアンの私生児卿は、サフォークの罠にかかったと言われているが信じ難い。騙されるどころか、彼はこういう策に関して非常に狡猾なことで知られている。
翌日12日の日曜日、町の攻略について軍議を開いていたアランソン公と貴族たちは、ラ・イル隊長がサフォーク伯と交渉していると知らされた。
アランソン公たちは大いに不快感を感じた。[1207]
ラ・イル隊長(傭兵隊長)は将軍ではなかったため、独断で交渉することはできない。おそらくオルレアンの私生児卿から権限を与えられていたのだろう。
私生児卿は、イングランドの捕虜となっている兄のオルレアン公のために指揮を執り、アランソン公は国王のために指揮を執っている。そのため、両者の間で意見の相違が生じた。
(⚠️オルレアンの私生児とアランソン公について補足:私生児はその名が表すように、オルレアン公の異母弟(庶子の子)。アランソン公は、オルレアン公の一人娘と結婚しており、オルレアン公の娘婿である。そのため、この二人は「オルレアン公の名代」として主導権を争っていると考えられる)
(⚠️アランソン公について:著者アナトール・フランスは「アランソン公は国王のために指揮を執っている」と書いているが、その後の動向(フランスを裏切りイングランドに内通する)からシャルル七世に忠誠心を持っているとは考えにくい。また、アランソン公は「ジャンヌに愛された戦友」といわれているが、オルレアンでの乙女の人気にあやかって、自分の地位を強化するために利用している可能性がある)




