15.2 ジャルジョーの戦い(1)軍の編成と軍資金
軍勢の集合場所はオルレアンだった。
6月9日木曜日の夕方、ジャンヌは5月8日に渡ったあの大橋を再び渡った。
11日の土曜日、フランス軍はジャルジョーに向けて出発した。[1185]
今回の軍勢は、アランソン公、ヴァンドーム伯、オルレアンの私生児卿、ブサック元帥、ラ・イル隊長、フロラン・ディリエ卿、ジャメ・デュ・ティレイ卿、ブルターニュのテュダル・ド・ケルモワザン卿が率いる騎兵隊と、各コミューンから派遣された部隊で構成され、おそらく総勢8000人の戦闘員がいた。彼らの多くは、槍、斧、クロスボウ、鉛の槌で武装していた。[1186]
若きアランソン公爵が指揮官に任命された。
彼は知略に優れた人物ではなかった。[1187]
だが、馬術の心得があり、当時はそれが将軍格に欠かせない唯一の技量だった。
今回もまた、オルレアンの人々が遠征の費用を負担した。
兵士の給料として3000リーブル、食料として穀物7樽分を提供した。
オルレアンの人々からの要請を受けて、国王は3000リーブルの新たな課税(タイユ税)を課した。[1188]
彼らは、石工、大工、鍛冶屋など、あらゆる分野の職人を自費で派遣した。オルレアンが所有する大砲も貸し出した。カルバリン砲、カノン砲、ラ・ベルジェール砲、そして4頭の馬に引かれた大型の臼砲を、砲手のメグレとジャン・ボワイエヴとともに送り出した。[1189]
彼らはまた、弾薬、攻城兵器、矢、はしご、つるはし、シャベル、マトック(つるはしの一種。片方が鍬、もう片方が斧になっており穴掘りも切断もできる)を提供した。オルレアンの人々は几帳面だったので、すべての物資に印を付けた。
包囲戦に必要な物資はすべて、乙女に送られた。
今回の戦いも、オルレアンの人々が指揮官と認めているのは、アランソン公でもなければ、自分たちの領主(オルレアン公)の立派な異母弟である私生児卿でもなく、ジャンヌただ一人だった。
オルレアンの住民にとって、ジャンヌは包囲戦の指導者であり、これから包囲される町に向けて、ジャン・ルクレールとフランソワ・ジョアシャンという市民2人を派遣した。[1190]
オルレアン市民に次いで、ジャルジョー包囲戦の軍資金にもっとも貢献したのはジル・ド・レ卿だった。[1191]
この不幸な貴族は、無分別に金銭を浪費し、その一方で、裕福な市民はジル・ド・レ卿に高利で金を貸し付けて莫大な利益をあげた。彼の悲惨な財政状況は、やがて悪魔に魂を捧げて状況を立て直そうと試みるまでになる。




