14.11 ジャンヌの崇拝者たち(1)乙女の祈り
ジャンヌは国王とともにロシュに行き、5月23日以降も王のそばにいた。[1148]
人々は乙女信仰していた。ロシュの街路を通り過ぎると、人々はジャンヌの馬の前にひれ伏し、聖女の手足にキスをした。
ポワティエの尋問に参加した一人で、フランスのサン=ドニ修道院の修道士ピエール・ド・ヴェルサイユは、ジャンヌがそのような崇拝を受けているのを見て、神学的な根拠に基づいて彼女を叱責した。
「それ(人々からの崇拝)はふさわしくないし。あなたがそれを受け入れるのは間違っている。気をつけなさい。あなたは人々を偶像崇拝に導いている」
この時、ジャンヌは自分の心に忍び寄る傲慢さを思い起こし、次のように言った。
「もし、神が見守っていなければ、私はそれを抑えることができなかったでしょう」[1149]
ジャンヌは、一部の高齢女性たちが挨拶に来るのを不快に思っていた。
彼女たちがやっている挨拶は、ある種の礼拝に他ならず、ジャンヌを不安にさせた。しかし、哀れな人々が会いに来ることを決して拒まなかった。彼らを傷つけることはせず、できる限り助けようとした。[1150]
ジャンヌの聖性にまつわる名声は、驚くべき速さでフランス全土に広まった。
信心深い人たちの多数が、聖人の記憶を称える慣習に従って、ジャンヌの肖像を刻印した鉛やその他の金属製のメダイを身につけた。[1151]
礼拝堂には、ジャンヌの絵画や彫刻が置かれた。
ミサでは司祭が「フランス王国のための乙女の祈り」を朗読した。
「平和の創造主なる神よ、
弓や矢を用いずして、己を頼む敵を滅ぼし給う御方よ。[1152]
主よ、逆境にある我々をお守り下さい。
そして、あなたが女性の手によって民を救ったように、
我らの王シャルルに、あなたの勝利の腕を差し伸べてください。
そして、大軍を誇り、弓と矢を誇る我らの敵を、
今こそ、彼によって打ち破らせてください。
そして、彼の人生の終わりに、彼が民とともに
道であり、真理であり、命であるあなたの前に、
栄光のうちに現れることをお赦しください。
我らの主イエス・キリストを通して。アーメン」[1153]
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当時、「聖人」と呼ばれる人は男女を問わず、世の中のあらゆる諸問題について意見を求められた。単純で無垢(言い換えれば幼稚で無知)であるほど、より多くの相談ごとが寄せられた。
なぜなら、何も知らないからこそ、言葉の中に神の声が宿っていると確信していたからだ。
ジャンヌは、自分自身の知性を持っていないと信じられていた。
そのため、誤りのない確実な知恵で、もっとも困難な問題を解決できると考えられていた。
戦争の技術を何も知らないのに、オルレアンでは隊長よりもうまく戦争を遂行したと人々は信じていた。だから、ジャンヌがその聖なる無知によって引き受けたことは、どんなことでも必ず立派に成し遂げられると結論づけられた。
例えば、トゥールーズでは、あるカピトゥール(capitouls、都市の行政官)が財政問題についてジャンヌに相談することを思いついた。
造幣局の管理者に、以前流通していたものよりはるかに質の低い貨幣を発行するように命じられたたため、町の人々の怒りが高まっていた。4月から6月にかけて、行政官たちはこの命令を取り消させようと努力していた。
6月2日、トゥールーズの行政官ピエール・フラマンは、貨幣の劣化から生じる悪影響についてジャンヌに手紙を書き、解決策を求めた。
ピエール・フラマンは、「聖人はあらゆる問題を解決できるが、ジャンヌのように国王の友人である場合、貨幣鋳造に関することならどんな問題でも良い助言者になってくれるはずだ」と考え、カピトル(市庁舎)でこのような提案をした。[1154]




