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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十四章 トゥールとセルアンベリーのラ・ピュセル/ジャック・ジェリュとジャン・ジェルソンの意見書

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128/145

14.5 ジャン・ジェルソンの意見書(1)老いたオルレアン派

 かつてパリ大学で総長を務めた偉大な神学者ジャン・ジェルソンは、1429年当時、彼の兄弟が修道院長を務めていたリヨンのレ・セレスタン修道院で晩年を過ごしていた。


 彼の人生は、仕事と疲労に満ちていた。[1129]


 1408年、彼はパリのサン・ジャン・アン・グレーヴ教会の司祭だった。

 その年、彼は教区教会で、ブルゴーニュ公の命令で暗殺されたオルレアン公の葬儀演説をおこない、群衆の怒りを激しく煽ったため、命を失う危険にさらされた。


 コンスタンツ公会議では、異端者を火あぶりにすることを強いた、いわゆる「慈悲深い残酷さ」に取り憑かれ[1130]、皇帝から安全通行証を与えられていたヤン・フスの有罪判決を促した。

 公会議に集まっていたすべての教父たちと同じく、ジェルソンもまた「神と人間の法にしたがい、カトリック信仰に有害な場合はいかなる約束も守られるべきではない」と信じていたからである。


 ジェルソンは(ヤン・フス断罪と)同じ熱意で、ジャン・プティによる暴君殺害の合法性に関する意見書を非難し、公会議で有罪判決を求めた。


(⚠️ジャン・プティ(Jean Petit):パリ大学の神学者。ブルゴーニュ無怖公の王弟殺害を正当化し、被害者の王弟オルレアン公を不敬罪で告発した上に「暴君(王弟)殺害は国家のためである」と無罪を主張した。本稿のジャン・ジェルソンは、プティの演説とブルゴーニュ無怖公の犯罪を強く非難した)




 世俗的なことも精神的なことも、ジャン・ジェルソンは統一された服従と確立された権威への敬意(尊重)を主張した。


 ある説教で、ジェルソンはフランス王国を『ネブカドネザルの像』に例え、商人と職人を像の足とし、「その足は、一部は鉄、一部は粘土でできている。それは、奉仕と服従における彼らの労働と謙虚さのためである…」と述べた。

 鉄は労働を、粘土は謙虚さを意味する。すべての悪は、王と偉大な市民が身分の低い者たちに服従させられることから生じている。[1131]


(⚠️ネブカドネザルの金の像:旧約聖書『ダニエル書』に登場するバビロニアの王。王が夢で見た金の像を立て、民衆にひれ伏すように命じた。ダニエルたち3人は拝まなかったため火の炉に投げ込まれたが、「第四の者(天使または受肉前のキリスト)」に救い出された)



 苦しみと悲しみに打ちひしがれたジェルソンは、今や、幼い子供たちに教えを説いていた。「改革は彼らから始めなければならない」と信じて。[1132]


 オルレアン市の解放は、老いた「オルレアン派」の支持者であるジェルソンの心を喜ばせたに違いない。


(⚠️オルレアン派:アルマニャック派の前身。フランス王国の内乱について、元をただせば、シャルル六世発狂で摂政の座をめぐり、王弟オルレアン公と無怖公ブルゴーニュ公が宮廷闘争を繰り広げた末に、王弟が殺害されたことが発端)



 シャルル七世の顧問たちは、乙女ジャンヌ・ラ・ピュセルに仕事をさせることに熱心で、ポワティエでの審議の経緯をジャン・ジェルソンに伝えた。そして、フランス王家の忠実な臣下として、彼の意見を求めた。


 それに応えて、ジェルソンは乙女に関する簡潔な意見書を書いた。


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