12.7 オルレアン到着2日目(1)暴徒と化した民兵
翌日の4月30日、オルレアンの「民兵」たちは朝早くから活動を始めた。
朝から晩まで、町中が沸騰したかのような騒ぎだった。
長い間抑えつけられていた暴動がついに爆発したのだ。
2月には早くも、オルレアンの人々は騎士たちを信じなくなり、憎み始めていたが[965]、ついに彼らは騎士のくびき(牛などの家畜が勝手に進みすぎないように制止する棒)を振り払い、それを打ち砕いた。[966]
これからは、王の代官も総督も領主も将軍も認めない。
彼らにとって、唯一の力となり、防衛手段となるのは、乙女のみだ。[967]
ジャンヌ・ラ・ピュセルは民衆の指導者だった。
この乙女、この羊飼い、この修道女は、騎士たちの存在意義をこれまでにないほど大きく傷つけた。ジャンヌの存在は、彼らを「無きもの」にしてしまった。
30日の朝、人々は民衆革命が起こったと確信したに違いない。
暴徒と化した民兵の軍隊は、ジャンヌを先頭に立たせ、彼女とともにすぐさまゴドン(イングランド人への蔑称)に向かって進軍するのを待っていた。
隊長たちは、ブロワから次の軍隊が来ることと、その夜軍隊を迎えるために出発したブサック元帥の部隊を待たなければならないことを説得しようと努めた。
しかし、武装した市民は何も聞かず、大声で乙女を呼んだ。
だが、ジャンヌは現れなかった。
甘言に長けた「オルレアンの私生児」卿が、ジャンヌに表に出ないように助言していた。[968] これが、軍の指導者たちがジャンヌに対して得た最後の優位だった。
そして今、以前と同じように、ジャンヌは彼らに譲歩しているように見えても、彼女はただ自分の好きなようにしているだけだった。
市民は、乙女がいてもいなくても、戦う覚悟を決めていた。
もはや、「オルレアンの私生児」卿は彼らを止めることができなかった。
暴徒と化した民兵たちは出撃し、ラ・イル隊長が率いるガスコーニュの傭兵たちとフロラン・ディリエ卿の兵士たちが同行した。[969]
彼らは勇敢にも、イングランド人が「パリ」と呼んでいたサン・プエール砦(堡塁)を攻撃した。この砦は、オルレアンの城壁から800ヤード(731メートル)ほどの距離にあった。
彼らは前哨地を制圧し、砦の本体にかなり接近したため、柵に火をつけるために「薪と藁を町から持ってこい」と叫び始めた。
しかし、「聖ジョージ!」の雄叫びとともにイングランド軍が集結し、激しく血みどろの戦いの末、市民と傭兵の攻撃を撃退した。[970]
*
ジャンヌは何も知らなかった。
神から遣わされた彼女は、白馬にまたがり、武装しながらも平和的な使者として振る舞うことを望み、和平の申し出を拒絶される前に戦うことは正義にも信心にも反すると考えていた。
この日も以前と変わらず、ジャンヌの唯一の願いは、真の聖人らしい方法で、タルボットの元へ直接行くことだった。
ジャンヌは、ブロワからイングランドに宛てた手紙の消息を尋ねた。
その結果、イングランド軍の隊長たちは手紙に注意を払うどころか、ジャンヌが派遣した使者ギュイエンヌを拘束したことを知った。[971]
イングランドに宛てた手紙によって、引き起こされた状況は次の通りである。
オルレアンの私生児卿は、ジャンヌの手紙を「単純(幼稚・下品)な言葉遣いで書かれている」と評したが、イングランド軍に驚くべき印象を与えた。
その手紙は、彼らを恐怖と怒りで満たし、手紙を届けた使者を拘束するに至った。
慣習上、主人の意向を伝える役割でしかない「使者」の身の安全は、保証されなければならない。
それにもかかわらず、イングランド軍は「魔女の使者は異端者である」と主張して、彼を捕らえて鎖につなぎ、簡単な裁判の結果、扇動者の共犯者として火刑に処すことを宣告した。[972]




