十四、非日常
柊依を見送り帰る壮介は、今日の出来事を思い返しながら歩みを進める。
「はぁ〜なんかよく分からないけど、今日は色々あったな。いや最近変なことが多すぎる……いや変なことしかない」
最近のイベントで充実した日々を思いため息をつく壮介が肩を落としたときだった。突然道路を走って来たワンボックスカーが乱暴に横付けしてきたかと思うと、数人の男に腕を掴まれあっという間に後部座席へと押し込まれる。
一瞬の出来事にパニックになる暇もなく口を布か何かで塞がれ、さらに頭の上から布の袋を被せられ視界を遮られた壮介の耳元に低い男性の声が響く。
「怪我をしたくなかったら大人しくしろ」
人生において聞いたことのない声色がお腹の底まで響く。冗談や画面の向こうから聞こえてくるそれらとは違い明確な殺意のこもった声に壮介は息をするのも忘れる。
なぜ自分がこんな目にあって、この人たちの目的がなんなのかわからないが、声も上げることもできず暗闇の中で強張った体が震えないようにじっと身を縮める。
暗闇のなかで壮介は自分がどうなっているかもわからないが、激しく揺れる度に当たるゴツゴツした人肌から自分の両隣りに誰かがいることは理解できた。そして物凄いスピードでどこかへ移動していることも感覚でわかる。
視界が塞がれているゆえに鋭くなった耳から、信号かなにかで止まる度に聞こえる町の喧騒に自分がここにいると叫びたくなるが、塞がれた口がそれをさせてくれない。
泣きたい気持ちに沈む心を支えるのは、先ほどまで近くにいた柊依の存在であることに気づく。
━━お願い気づいて!
自分勝手で無茶なお願いだとわかっていても、そう願わざるを得ない壮介は暗闇のなかで目をつぶり必死に希望である柊依に訴えかける。
***
番傘を肩に担いで走る柊依の真上から道路標識が落下してくる。軽やかにステップで避けた柊依がさっきまで自分がいた場所に刺さる止まれの標識を見つめた瞬間素早く身を屈める。
真上を通る侵入禁止の道路標識。そして避けた柊依に向け太い足が蹴りを繰り出すが、その足を踏んで飛び跳ねた柊依が番傘を振り抜く。
それを止まれの標識が受け止め、激しい衝撃が空気を震わせたのち大きな男が砂埃をあげながら滑り体勢を維持し、柊依がふんわりと着地する。
「なんだお前ら。いきなり失礼なヤツだな」
柊依が睨む先にいる二人の大男たちがそれぞれ手に持つ道路標識を振り回す。人間ではあるが薄黒い緑の肌と同じく薄黒い黄色の肌はひび割れ、人としてはあり得ないほど肥大した筋肉質な体に太い手足。靴など履けないであろう巨大な足と人の頭など潰せそうな巨大な手の爪は鋭く、額に角こそないが鬼と呼ぶにふさわしい見た目をしている。
「今日はよくもやってくれたな」
「ガキが覚悟しろよ」
憤る二人の緑鬼と黄鬼に対して柊依は首を捻る。
「誰だお前ら?」
その言葉を聞いた瞬間目に怒りを宿した緑鬼が侵入禁止の道路標識を振り下ろす。巨大な体が繰り出す一撃は標識の支柱が湾曲するほどの勢いで振られるが、目的である柊依ではなく道路を大きくえぐることになる。
手から伝わる衝撃が空振りに終わったことに驚く緑鬼の顔面の鼻先を番傘の先端が突く。
思わず鼻を押え後ろに下がる緑鬼に代わって黄鬼が止まれの標識で突きを繰り出すが、番傘で受け流されバランスを崩したところを背中を強打され無様に転げてしまう。
「だから誰だと聞いている」
ムスッとした表情で不機嫌そうに尋ねる柊依を、緑と黄鬼がそれぞれ鼻と腰を押さえて睨みつける。
「ほんとっムカつく!」
突如声を響かせ現れた女性は柊依と同じ制服を着ており、苛立ちをあらわにして緑と黄鬼の間を抜けて柊依の前に立つ。
「お前は…朝出会ったヤツか?」
柊依の問いかけに舌打ちで応えた女子生徒は柊依の胸ぐらを掴もうとするが、あっさり避けられる。
「その顔、どーせ私のことなんて覚えてないんでしょ」
「そうだな。覚えてない」
迷う素振りも見せず即答する柊依に女子生徒は再び舌打ちをする。
「藤井京香って名乗ったところで覚えてもないんでしょ。もうあんたなんかどうでもいいし。そこの二人! とっととこのガキを潰してよ」
髪をかき上げた手をひらひらさせながら背を向けて後ろに下がる京香と入れ替わりに前へ出た二人の鬼が、手の骨を鳴らしながらニヤニヤと笑みを浮かべ柊依に覆いかぶさるようにして立つ。
「そう言うわけだ。覚悟しろ」
「ガキが泣いても許さねえからな」
小さな柊依は二人の鬼の影に覆われてしまうが、めんどくさそうにため息をつく。
「お前たちも朝に出会ったやつか。その姿どうした?」
怯えるどころか呆れたように尋ねる柊依に、こめかみを引きつらせた黄鬼が大きな唸り声をあげて標識を振り下ろす。
先ほどと違いその場から動かない柊依は、番傘の持ち手を握ると銀色の軌跡が空中に引かれる。柊依に当たることなく標識の先端から半分が空中に舞っていることすら気づかない黄鬼の頭に標識が落ちる。
「なっ、なんだ⁉」
突然なにかが自分の頭に落ちてきたと勘違いする黄鬼が頭を押えて上空を見上げる。その一方で緑鬼は、柊依が番傘から抜き手に持つ鋭い刃に目を大きく広げる。
「お前なんだよそれは……」
「なんだってなんだ? お前たちを斬る刀に決まっているだろ」
柊依は刀を番傘に納めると姿勢を低くして抜刀の構えを取る。
「その姿ってことはお前たちは食べたんだろ? ならわかるはずだ。この刀がなんなのか」
構える柊依と対峙する緑鬼の額に汗が吹き出し目が揺れるが、奥歯を噛みしめ鳴らすと道路標識を振り上げる。
だが振り上げた道路標識がそれ以上動くことはなく緑鬼の体に斜めに線が走る。
「散華」
いつの間に抜いたかわからない刀を柊依がゆっくりと番傘に納める。カチンっと音が鳴ると同時に緑鬼の体がゆっくりとズレ落ちていく。
「なんだよ……これ」
口を押えて驚く京香と座り込んで後ずさる黄鬼の前で、目を丸くして自身の体に起きた変化が理解できないまま緑鬼は倒れる。けいれんする緑鬼を見て悲鳴を上げる京香が柊依に振るえる指を向ける。
「殺人……ひっ、人殺し‼」
「お前はこれが人に見えるのか」
黒い煙へと姿を変わりあとに何も残っていない地面を見た京香がよろける。そして霧散する煙に手を突っ込み黒い玉を取り出した柊依がそれを指で摘んで京香に見せる。
「これを食べたな? どうやって手に入れた?」
「あ、あんたに話す必要なんてないでしょ!」
ヒステリック気味に叫ぶ京香の引きつった顔がふと緩むと同時に柊依が影に覆われる。公園にはえている大きな木を引き抜き振り下ろし口角を上げる黄鬼の腕に線が入ると、振り下ろされるはずの木が宙を舞い地面に落ちる。
鈍い音と舞い上がる土煙になくなった両手を掲げ黄鬼の悲痛な声が混ざる。
「腕がぁぁぁああっ‼」
泣き叫ぶ黄鬼の表情が土煙の中を歩く小さな影を見て固まる。
「ちっ、違うんだ! 俺は京香に頼まれてやっただけだ! だから違う」
「違う? なにがだ?」
手のない腕を前にして必死に首を横に振る黄鬼の首に柊依の持つ刀が触れると声にならない悲鳴を飲み込み刀を見る。
「柊依は妖を斬る」
「まっ待て! 俺は人間だ。お前の言う妖とかじゃない」
必死に訴える黄鬼だが柊依は刀を持つ手に力を入れると刃が空気に触れキーンと鳴き始める。
「お前は妖だ。人間ではない」
睨む柊依を前にして口をパクパクして怯える黄鬼の首に刃が当てられる。突然柊依が目を開き真上に飛び跳ねると同時に黄鬼の首に京香が噛みつく。
「京香……お前」
自分の首に噛みつく京香を見て体を黄鬼は体を震わせ血と声を同時に吐き出す。
「ぜんぜーん役に立たないじゃん。弱い彼氏とか恥ずかしいだけだし」
口の周りを真っ赤にしてニタァ~と笑みを浮かべる京香の首は異常に長く、体は遠く離れている。その姿はろくろ首そのものであり、笑みを浮かべ見える歯は異常に鋭く尖っている。
「最後に役に立たせてあげる」
長い首を振り黄鬼の胸元を食い破るとその口には黒い球がくわえられていた。そのまま鋭い歯で噛み砕くと霧散する黒い霧を切り裂く柊依の刀をくわえて受け止める。
くわえたたまま首を振り回し柊依を放り投げた京香がケタケタと笑う。
「よえー、あんたの攻撃なんか止まって見えるっての」
空中で体勢を立て直し着地した柊依は、顔面から突っ込んでいく京香の歯を刀で受けはじく。
「お前も食べていたのか」
「当たり前でしょ! あんたを泣かせるためならなんだってするっての!」
「なにをそんなに苛立つ。柊依がなにかしたか?」
「なにかしただあぁ? あんたは全てを奪ったんだ!」
「意味がわからないな」
長い首を振り回し鋭い歯を鳴らす京香と柊依が振る刀が幾度となく火花を散らし、互いに光を浴びながら言葉を投げ合う。
「一週間前にあんたはテニス部に来て私と試合をした」
「あぁ~? そうだっか?」
曖昧な返事をした柊依に舌打ちをした京香が、長い首を器用に振って柊依の斬撃を避け真下から頭を振り上げる。上半身を反らして避けた柊依を京香の長い首が円を描き囲ってしまう。
「一年のときから三年間一度もレギュラーを外れたこともなくて地区大会では個人優勝もしたことあるのに、一度もテニスをしたことないヤツにストレートで負けた私の気持ちがあんたにわかるか‼」
大きな口を開けて叫びながら鋭い歯を向ける京香が柊依の刀に噛みつく。そのまま首を柊依ごと回転させて強引に振り回すと柊依を投げ飛ばす。
「あはっ! あはははっ! この刀がなければ斬ることもできないでしょ。ざまがいいわ!」
京香が噛んでいた刀を遠くに吐き捨てると、番傘だけを持つ柊依を見て笑い出す。
「あんたには遊びでも私にとっては真剣にやってたことなの! みんなから尊敬されてうらやまれる存在だったの! 私にとって全てだった‼ それがあんたが、あんたが私をバカにしたせいでたいしたことないって陰口叩かれて! 私がどれだけ惨めな思いをしたかわかるか!」
喉が切り裂けそうなほどの金切り声で叫ぶ京香が長い首を振り上げ高い位置から一気に突進してくる。
「思い出した。確かにお前とテニスをしたな」
大きく口を開けて高速で突進してくる京香に目を向けて話しかける柊依が番傘を真横に振り京香の頭をはじく。
「柊依はテニスを知らない。ただボールを打って打ち返しただけだ。だからテニスをする者の強さは持ち合わせていない」
「私が素人に負けたって言いたのかぁぁっ! バカにしやがってえええ!」
柊依は怒鳴り散らす京香に少しだけ眉尻を下げて困った表情を見せる。
「お前とは真剣に勝負したつもりだ。ゆえに情けの言葉をかけるのは失礼だと思っている」
「意味がわからないってええええのおお! どうせあんたはここで終わりなんだからあああっ‼」
怒号と共に突っ込んできた京香を柊依が番傘を広げて受け流すと、開いたままの傘を回転させて投げる。
高速で回転する番傘は黒く塗られてた模様を際立たせ、蛇の目があらわとなる。蛇の目が向かう先が自分の体であることに気づいた京香が目を見開く。
「氷雨桜」
柊依の声が冷たく耳に響いた京香は、遠く離れた自分の体が切り刻まれ血しぶきが舞い上がるのを見ながら長い首を何度も地面にたたきつけてもがきまわる。
「なんでえ、なんで私がこんな目にいいいいいっ!!!!」
血を吐きながらもがき叫ぶ京香を近づいた柊依が見下ろす。
「負けても自分の力で進むべきだった」
「なっ、なにが……あんたに……私がわかるっての……」
「そうだなわからない。だから柊依の経験を話している」
柊依に見下ろされ黙る京香が自分の体が黒い霧となって消えていくのを見て青ざめる。
「これっ、どうにかならないの! やだっ! 私まだやることがあるのに!」
「どこで手に入れたかは知らないが、妖になることを選んだのはお前だろ」
「知らなかったのよ! あんたを倒せるって聞いたから、あぁ……体が、なんでうそ……やだ……」
体は完全に消滅し、続けて長い首が下から消えていく。恐怖で震える声で叫ぶ京香が静かに見つめる柊依を見て一瞬だけ顔を引きつらせるがすぐに口角を上げる。
「私に勝ったとでも思ってる? あんた自分だけが狙われたとでも思ってる?」
「どう言う意味だ?」
「あんたといつも一緒にいる弱そうな男。今どうなっているんでしょうね? 生きてるかな? ふふっ」
京香の言葉に柊依に目が僅かに揺れる。
「あはっ、あははははっ! いい! あんたのその顔が見れただけでもいい! もういいや、これで思い残すことなく逝ける! ざまがいいわ! あぁ~いい気持ち」
その言葉を最後に満足そうに笑みを浮かべた京香の顔は、黒い霧となって消える。柊依が素早く霧の中に手を入れ二つの黒い玉を掴むと走り始め、傘と刀を拾い上げあっという間にその場から去ってしまう。




