第四十五夜 初めての戦場
お久しぶりです。
シンカーです。
約2か月ぶりの最新話となりました。
本当に、最近は遅筆で申し訳ありません。
それでは、第四十五夜です、どうぞ。
「さて……」
そう呟いた担任は、今一度己の武器を構え直した。隣のカイルも息を深く吐き、緊張感を少しでも和らげようとしている。
「カイル君」
相対するブラッディ・ウルフは警戒でもしているのか、こちらに向かってこない。それを確認するや、担任はカイルに声をかけた。
「……なんでしょう」
カイルも視線はブラッディ・ウルフから切らずに、その声に答えた。
向こうが警戒していると同時に、隙を伺っていると理解しているから。
「君もみんなに合流するんだ」
「なッ!?」
その言葉につい動揺してしまったが、なんとか視線はそのままだったのが功を奏したのか、ブラッディ・ウルフが襲ってくることはなかった。
「どういうことですか?」
カイルは戸惑いと、少しの怒気を含んだ声色で質問した。
「どうもこうもない。言葉そのままの意味だ」
担任はそれに気付かないフリをしながら、淡々と答えた。
「君は我が国の未来ある青年だ。こんなところでその命を散らしてはいけない」
「筋が通っていません。先ほどは僕の提案を快諾してくれたではないですかッ」
語尾が少しずつ強くなるカイルに対して、担任はあくまでも淡々と返す。
「快諾ではなく、承諾だ。それに、あの時はフィオナ君がいた」
「フィー……?」
「そうだ。彼女がいる前でこんなことを提案してみろ。今の悶着に加え、彼女もこれに参戦してしまう。それはどうしようもない隙を生み出してしまう」
担任は、一瞬だけ横目でカイルを見た。その表情は様々な感情が入り交じった、なんとも言えないものだった。
「それはッ……そうでしょうけど……」
頭では理解しても、感情がそれを拒絶する。
(やはり学生……。まだ戦場は早い……)
担任はそう心の中で呟き、どう説得すべきかと頭を悩ませる。
(そもそも撤退戦における殿は、謂わば隊を生かすための捨て駒だ。隊と一定の距離を取りつつ、常に背後を警戒し、時にはその身を犠牲にして敵を撃退、ないしは行軍を遅らせる……。こんなことを、この青年にさせるわけにはいかない)
担任はそう結論付けると、僅かばかりの妥協案を口にした。
「ならば先制は私がやるので、君は後詰めを……」
「まあ、それなら……」
渋々と言った様子でカイルは頷く。そしてそのまま一歩後ずさった。
「ただし──」
そんなカイルに向かって、担任は最後の忠告を行った。
「──もし万が一、私が殺られたら……その時は一目散に逃げなさい」
「なッ……!?」
「これは命令だ。上官の命令に逆らうのか?」
「ッ!?」
この一言はカイルに多大なダメージを与えた。
軍人にとって、上官の命令は基本的に絶対だ。それを破るということはつまり、規律を乱す邪魔者に他ならない。
「くッ…………」
カイルは砕いてしまうのではないかと思えるほど歯を食い縛り、担任を睨み付ける。
だが、いくら睨み付けたところで事態が変わるわけもなく、
「…………分かりました」
カイルは渋々頷いた。
「よろしい。では、そろそろやるか……」
担任はショートソードをスモールシールドに叩きつけた。
カーンッ──
と、甲高い音が鳴り、まるでそれを合図にしたかのようにブラッディ・ウルフが担任に襲いかかった。
「フッ──」
息を鋭く吐き、担任はスモールシールドを前に突進した。
共に前進し、激突する直前、ブラッディ・ウルフは飛び上がり、その鋭い爪で斬りかかる。
「甘いッ」
担任は、それを左腕を振るいスモールシールドで弾いた。
そうして出来た隙に、ショートソードを真っ直ぐブラッディ・ウルフの胸部に向けて突き刺した。
ド──
鈍い音をあげながら、ショートソードはブラッディ・ウルフの内部に吸い込まれ、その刺傷の隙間からは血が滴り落ちていく。
「終わりか……」
担任は心臓を貫いた手応えを感じていた。ショートソードを引き抜くと、追随するように夥しい血液が吹き出す。
「ふぅ……」
担任は一息吐くと、次に周囲に他の敵がいないか見回した。
「凄い……」
それをカイルは後ろからはっきりと見ていた。
「スモールシールドの小回りを利用して、敵の攻撃を防ぐんじゃなくて弾くなんて……」
カイルは胸を一突きでやられたブラッディ・ウルフに視線を移した。
「それに、あの出血の仕方からして心臓を確実に突ける技術……。確かに、僕の出番はなかったかも──ん?」
一瞬、ブラッディ・ウルフが動いたような……。
カイルが自分の目を疑った直後──
ガァアアア!
「んなッ!?」
確かに心臓を貫いた筈のブラッディ・ウルフが突如起き上がり、担任の左腕にその鋭い牙を突き立てた。
スモールシールドは彼の肘までしか覆っておらず、ブラッディ・ウルフが噛みついたのは無防備な二の腕であった。
「ぐぁあああ──!!」
ギリギリと力が増していく顎に、担任は悲鳴をあげた。
だが、ただ悲鳴をあげるだけでなく、担任は無防備に晒されているブラッディ・ウルフの頭にショートソードを放ち、頭蓋を穿つ。
しかし、噛みつく力は軽減されない。脳を貫通したはずなのに、まだ動いていた。
「あ……」
呆気に取られていたカイルは、担任がショートソードで突き穿ったところで意識を戻した。
「た、助けなきゃ……」
カイルはそう呟いたが、
「……おい、おい動けよ。動けって。動けよ! なんで動かないんだッ!」
彼の足は、地面に縫い付けられたかのように一歩を踏み出せない。
「クソがぁあああ!」
「──ッ!?」
そうこうしている内に、担任が怒声をあげた。
頭を貫通しているショートソードを更にぐりぐり動かし、中身をかき混ぜる。
「オラァアアアア!」
最後にブラッディ・ウルフの頭を横合いに切り裂いた。
そして遂に、ブラッディ・ウルフの瞳から光が消え失せ、完全に命を落とした。全身から力が抜けていく。だが──
「くそ……ッ」
担任は左腕を押さえた。そこには、二の腕から先が付いていなかった。
「最後に無理矢理噛み千切られたか……」
断面から激しい出血をしている担任がブラッディ・ウルフを睨めば、その口から彼の左腕がダラリと垂れている。
「ヤバイな……血が、足りない……」
担任は腕の付け根を強く掴み、止血している。
「終わっ……た……」
カイルはそれに気付くと、すぐに担任へと駆けつけた。
「大丈夫ですか!?」
担任は青白い顔をカイルに向け、うっすらと笑みを浮かべた。
「……ああ、なんとかな」
「止血します!」
カイルは自分の服の裾を千切り、その切れ端で担任の腕をきつく縛る。
その治療を横目で見ながら、担任は辺りを警戒する。
「……先生」
「ん?」
カイルは止血する手は止めず、しかしうつむき加減で担任に言葉をかける。
「…………すみません。僕が、僕がちゃんと援護に入っていれば、助けに入っていれば、先生は腕を……」
ともすれば泣き出しそうな声色で、カイルは謝る。
途中で消え入ってしまった謝罪を聞いた担任は、優しい微笑を浮かべた。
「いや、あの判断は間違ってはいない」
「え……!?」
顔をあげ、疑問の眼差しを向けるカイル。
「死にかけの獣一体に二人ともが気を取られている間に、他の敵が私達の脇を通過して生徒達に近づいていたかもしれない。結果的にそうはならなかったが、万が一がある。カイル君があの場で制止していたのは、正しい判断だったよ」
息を乱し、青白い顔をカイルに向け、青紫色に変色している唇を震わせながら、担任ははっきりと伝えた。
「違います! 僕は、ただ単に、恐怖で足がすくんでしまっただけで……」
だがカイルはギリギリと奥歯を噛み締め、表情を厳しくする。
カイルは、自分が赦されてしまったことに怒りを感じていた。もちろん、その矛先は担任などではなく、赦されてしまう自分に対して。
(フィーに偉そうなこと言っといて、結局は何も出来なかった。それどころか怒られもしなかった。つまり、怒る必要がないほど頼りにされていないんだ…………)
そんな様子に当然気が付いていた担任だったが、敢えて何も言わずに──寧ろそれどころではないので──今さっき自分が殺した害獣に目を向けた。
「しかし、どうしてコイツは動けたんだ? 確かに心臓を貫いたはずだったのに……」
考えてみても答えは出ない。殺したと思ったが、結果的には生きていたため、己の勘違いが原因かと一応の解答を用意するが、当然の如く納得はいかない。
更に言えば、左腕を失ったことによる出血で、酸素が足りなくて頭がボゥッとしているため、考えも上手く纏まらないのだ。
(……これは、本当にヤバイ……かな)
ふと、視線を通りに向ける。自分を隻腕にしたブラッディ・ウルフがやってきた通りである。
それは、本当になんとなくだった。否、もしかしたら戦士特有の勘とやらだったのかもしれない。
だからだろう──
「………………チッ」
──そこから新たな刺客が現れても、驚かなかったのは。
「え……、あ」
カイルも気が付いた。それと同時に止血をしている手が震え出す。
そこには、先程の倍は有ろうかというほどの体長を持つブラッディ・ウルフが、唸りながら存在していた。
「……デカイな」
「う、あ……」
担任はショートソードを正眼の位置に据えて構える。だが、その切っ先は細かく震え安定しない。
(剣が重い、と言うよりは腕が重い……。これじゃあ満足に振るえないな……)
担任は隣を見る。そこにいるカイルは、明らかに戦力になりそうになかった。それほどまでに、恐怖に体を支配されている。
(無理もない、か)
担任は一歩前へ出て、カイルを自分の体の後ろに隠した。
「先……生」
「……逃げろ」
小さく呟く、己の背後にいる生徒にギリギリ届く声量で。しかし、カイルはそこに留まっている。
「……で、でも」
「逃げろと言っているだろ……」
だが、まだカイルは動かない。目の前の敵も、己の血の臭いで直ぐにでも襲い掛かってきそうである。
「……ぼ、僕はまだ、何も……」
それでも反論をしようとするカイルに、担任はついにキレた。
「逃げろと言っているだろ! お前がいてもジャマなんだよッ! 戦力にならないヤツはさっさと消えろッ!!」
「──ッ」
突然の怒鳴り声にカイルは体をびくつかせ、ゆっくりと弱々しく立ち上がった。
「あ……」
「何度も言わせるな。消えろ!」
「………………ッ」
そして、カイルは振り返り走り出した。皆がいる方向へと。
「…………──」
それを気配だけで読み取り、担任は微笑を浮かべる。
(これでいい……。あとは──)
ブラッディ・ウルフを見据え、ショートソードを強く握り直す。
(出来るだけ時間を
ゾッ──
「え……?」
カイルは思わず振り向いた。振り向いてしまった。そうせざるを得ない音が響いたからだ。
「ぁ……」
振り向いた先には、先程よりも格段に近い位置にいるブラッディ・ウルフと──
「あ、あ………………」
──首から先がない死体が一つ転がっているだけだった。
「あ、れ……?」
その死体には、首以外にも左腕が欠けていた。それに加え、見覚えのある武器も握っている。
そしてなによりも、
「う、あ、……」
死体の近くに転がっている生首の顔を、彼は知っていた。とてつもなく知っていた。見間違えるはずがない。
「せん……せ、い」
二人の距離は軽く五メートルはあったはずだ。それを一瞬でゼロにしてしまったブラッディ・ウルフ。その害獣は首無し死体に顔を向け、その肉を貪り始めた。
「う、オェ……ェ……」
その光景に耐えきれず、カイルは吐瀉物を吐き散らす。
その音に、ブラッディ・ウルフはカイルの方へと振り向く。
「ハァハァハァ……」
カイルは目尻に涙を溜めながらまだ胃の中身を吐き出していたが、不意にその視線に気付き顔を上げた。
口中が血の色に染まったブラッディ・ウルフは、唸りながらカイルに一歩近付いた。
「ヒッ……!」
それだけでカイルは腰を抜かし、尻餅をついてしまった。カチカチと歯が鳴り、膝はガクガクと震えている。
それでもなんとか、体を支えている腕の力を使って後ずさる。
(殺される……殺される……殺される……殺される……!!)
頭の中を占めていたのは、もうただ一つの言葉だった。それ以外に考えられない。それ以外はもう浮かばない。
カイルは既に絶望していた。だが、更に追い打ちはかかってくる。
「そ、んな…………」
悪いことは重なってしまう。その言葉通り、絶望の象徴はやってきた。
──グルルルルル……
それは、新たなブラッディ・ウルフだった。しかも一頭だけでなく、同時に四頭だ。恐らく、血の臭いに釣られて近くの奴らが集ってきたのだろう。
「は、ハ、ハハハハハ…………」
この事実に、カイルは壊れ始めてしまっていた。
心が、死んでいく。
もう、何も考えられない。
もう、何もかもが、どうでもいい。
もう、僕は終わ──
トン──
「………………………………………………………え」
その自壊に歯止めをかけたのは、一体の蜘蛛だった。
全身を黒に統一したその蜘蛛は、左右四本ずつ、計八本の足を先頭のブラッディ・ウルフに向かって振るった。いや、気が付いたら既に放っていた。
それらの動きは風のように、羽のように軽いものだったが、ブラッディ・ウルフに接触してもまるで何もないかのように通過した。
蜘蛛はその足を引き戻す。引き戻された八本の足には、赤黒い液体がベッタリと付着していた。
「クラウド、せんせ……い?」
思わず呟いたカイルの言葉に、蜘蛛は僅かに反応した。
「………………」
そして、無言でカイルに振り向く。黒い髪と黒い体に挟まれた、白い顔が浮き上がるように目立っていた。
「あ…………」
だが、カイルはその白磁の顔より、蜘蛛の漆黒の瞳に見入られ、目を離せなくなってしまった。
(違う…………。誰?)
「………………」
カイルは知らないがこの蜘蛛、否、彼こそがNo.7『消音』アスター・バイオレットである。
アスターはブラッディ・ウルフの群れに向き直った。
だが、五頭いたはずのブラッディ・ウルフは四頭に数を減らしており、あとは肉片の山が一つあるだけだった。
(……あれは、銀糸?)
直接的な危険が遠ざかったことにより、カイルの頭脳は少しだけ回転をし始めた。未だに腰は抜けたままだが。
そう。蜘蛛の足とは、アスターが両手親指以外に装着した糸であった。だが、この糸は銀糸ではなく鋼糸。更に言えば、固有武装であった。
〈姿消す無音の糸〉
それ単体でモノを切断出来る程鋭利な鋼糸八本が、彼に与えられた武器だ。
ブラッディ・ウルフ達は、突然肉片になってしまった同胞に反応が出来ていなかったが、それでも殺意だけは蜘蛛に向けていた。
しかし、それに対し全く反応しないアスター。肩を軽く上下させると、コキッと小気味良い音が鳴る。
「……流石に、肉片になれば復活はせず、か」
アスターはぼそりと呟くと、一歩を踏み出すために片足を上げた。
それと同時に、四頭のブラッディ・ウルフが一斉に襲いかかってきた。先程と同じように、五メートルの距離をゼロにする奇襲で。
だが、何故だろう。
トン──
気が付いたら、アスターとブラッディ・ウルフ達の位置がそっくりそのまま入れ替わっていた。当然、飛びかかってきた事実は変わらない。
つまり、同じだったのだ。害獣と蜘蛛の跳躍距離が。アスターは、たったの一歩で五メートルをゼロにしていたのだ。
「う、そ…………」
違うところと言えば、そう──
ズリ、ズリズリ……
その技術の差だろう。
ブラッディ・ウルフは、一頭残らず肉片へと姿を変えた。勿論、復活することなどあり得ない。
「すごい…………」
カイルは、見惚れていた。見えていたわけではない。アスターが何をしたのかはさっぱり見えなかったが、その結果にただ見惚れていた。
「……これが生物兵器、だと? 正直、肩透かしだな」
アスターはブラッディ・ウルフとの戦闘の結果を軽く確認すると、次の戦場へと向かっていった。
後に残されたのは、生き残りが一人と死体が一体、そして肉片の山が五つだった。
「助……かっ、た?」
カイルは腰を抜かした体勢のまま、それだけを呟いた。戦場に空いた空白に、その言葉がよく響いた。
「先生……」
カイルはそろそろと立ち上がり、担任の死体へと視線を向けた。
「本当に、死んじゃった、の?」
今まで普通に会話をしていた相手の、死。
今までの生活ではあり得なかった、経験。
これが、戦場。カイルにとって、初めての体験だった。
「……先生が言っていた、俺が殺されたら逃げろって言葉、やっと分かった気がする。そりゃそうだよ……」
じわじわとカイルの目から涙が滲み出してきた。
「先生が勝てない相手に、僕が勝てるわけがない……」
下唇を噛んで、声をあげずに泣く。しかし、その目は確りと担任を見ていた。
「………………そうだ」
カイルは頭を一度振り、涙を拭った。
「逃げなくちゃ……、上官の命令は絶対だ……」
カイルはよろよろと後退るが、途中で落としていたパルチザンが足に当たった。
「僕がこんなもの、持ってたって……」
カイルは一瞬どうするか考えたが、気が付いた時には既に拾っていた。
「………………」
カイルはもう一度担任に視線を送り、敬礼をした。
「ありがとうございました……」
そうして、カイルはそこから離脱した。
目指すは、皆の所。
だが、その顔色は全く優れていなかった。




