Episode23「異端」③
「深月様。こちら、こちらですわ」
白鳥が集合場所として指定したのは、世田谷区成城にある駅前だった。僕と覡が改札を出ると、白鳥がぶんぶんと手を振って僕たちを出迎える。
「お待たせ。それでこちらが……僕の上司の覡さんだよ」
「東ユーラシア死神協会東京支部支部長の覡紅夜だ。お初にお目にかかる」
「祓魔師の白鳥天音です。お二人をお招きできること、心から嬉しく思っておりますわ。駅前に車をつけてありますので、本邸まではそちらで移動いたします」
てっきり死神である覡に敵意を見せるかと思っていたけれど、白鳥は人好きのする笑顔を浮かべて僕たちを車まで案内した。運転手が僕たちに一礼し、どうぞ、と言わんばかりに扉を開ける。僕は車に詳しいわけではないけれど、艶のある黒塗りの車体、左側に設置されたハンドル、そしてゆったりとした車内から鑑みるに、恐らくとんでもなく高級な外国車だろう。肌触りのいいシートにどぎまぎしている僕とは正反対に、覡と白鳥は顔色一つ変えずにシートに腰掛けた。
「今回お二人をご招待することは既に本家の当主に通してあります。ただ、メールでもお伝えしたとおり、当主は健康状態が芳しくなく……代理として次代の当主が此度の件について説明いたしますわ」
「次代当主?」
「はい。彼の名前は聖倭。正義感に溢れる祓魔師の一人ですの。少しばかり性格に難がありますが、祓魔師としての実力は飛び抜けている才能の持ち主ですわ」
車の中でそう語る白鳥の表情はどこか曇っている。その聖倭という祓魔師になにか思うところがあるようだ。
「――とにかく、わたくしたちは貴方がたに協力を依頼する立場。決して危害を加えるようなことはいたしません。その証拠に、わたくしは当主と次代当主から署名を預かっております。ご確認いただければ」
白鳥から差し出された一枚の紙に僕たちは目を通す。それは今日の会合において僕たちに危害を加えないことを条件とした誓約書だった。そこには聖宗一郎と聖倭の名前が記されている。特記事項にも怪しげなところはなく、覡はしっかり書類に目を通すと納得するように頷いた。
「承知した。そちらが見せてくれた誠意には、こちらも答えなくてはなるまい。今回が平和で有意義な会合になることを祈っている」
「ありがとうございます。……ああ、そろそろ本邸に到着いたしますわ」
白鳥がそう言って間もなく、車は巨大な門の前に停車した。車から降りると、あたりには閑静な住宅街が広がっている。土地柄なのか一つ一つの家が邸宅とも呼べるほど大きく立派だったけれど、車が止まったのはその中でも随一の大きさを誇る邸宅の前だった。年季が入った木製の表札には、「聖」の一文字が堂々と刻まれていて、門は寺の山門を想起させるほどに大きい。漆喰の塀はぐるりと邸宅を囲み、そのてっぺんから僅かに平屋の黒い瓦が覗いていた。
「す、すごい」
「こちらが聖家本邸ですわ。どうぞ中にお入りください」
僕たちは白鳥に招かれて、祓魔師の総本山の門を潜った。その瞬間、覡がはっと何かに気が付いたように顔を上げる。
「……流石は祓魔師の邸宅だ。霊よけの結界を張っている」
「それは……覡さんが事務所にかけているような?」
「ああ。恐らく複数人で協力しているのだろう。これなら危険度Aクラスの悪霊でも破ることはできないな。無論、死神も入ることは難しい」
「覡さんは大丈夫なんですか」
僕の質問に、覡は小さく鼻を鳴らした。
「俺達は招かれている。しかも『門』からな。あらゆる結界において、中に属する者からの招待と『門』は守護の穴に他ならない。それほどまでに『招待』というのは強力なんだ」
曰く、どんな強固な結界であっても、その中から招かれてしまえば結界としての効力を失うらしい。「いらっしゃい」、「中にお入りください」。それらは外に属する者を中に招く行為であり、結界の中に入る許しを与える行為でもあるのだと。
「ルカのカフェが良い例だ。ルカは店に客を入れるとき、『いらっしゃいませ』と言うだろう。それによって、俺の結界は効力を失って店内に人が入れるようになる」
「……それ、結構致命的な弱点なんじゃ。例えば悪霊やら――それこそ『暁の楽団』が客に紛れて入ってきたら、結界は意味を成さないってことですよね」
「そうだな。だから俺としてはあまりそのような商売はしてほしくはないのだが……しない場合のデメリットも考えると、俺は頷かざるを得なかった。念のため事務所にはもう一枚結界を張っているから、万が一のことがあればそこに逃げ込めるようにしてある」
覡の言うように緊急事態に備えてあるのならあまり心配しなくてもよさそうだった。カフェを運営しない場合のデメリットとはなんだろう。そのことを質問しようとしたけれど、どうやら雑談の時間は終わりらしい。気が付けば僕たちは玄関に立っていて、白鳥がこちらをじっと見つめ、早く先へと進むように促していたのだ。
「どうぞ靴を脱いでお上がりください。会合場所である奥の広間にご案内いたします」
そう言って、白鳥は誰もいない玄関を上がり、靴箱の隣に置いてあったスリッパを二足準備した。ホールには高価そうな壺やらアメジストドームやらが置かれている。壁には霊よけだろう、何枚かのお札が貼られていた。
白鳥の案内で廊下を進んでいくと、巨大な中庭に面した渡り廊下に出る。中庭には白い石が敷き詰められ、一本の巨大な桜の木が夏の風に揺られて枝葉をかさかさと鳴らしていた。そのふもとには池が作られていて、錦鯉が三匹、ゆうゆうと泳いでいる。
未だ見たことも入ったこともない高級な邸宅の内装を前に、僕は目を瞬かせながら白鳥の後をついていく。玄関だけで僕の部屋ほどあったし、中庭はアパートが一棟入ってしまいそうな広さだ。驚愕と混乱が、当主に会うという緊張を超えていた。
ただひとつ引っかかったのは、この屋敷に僕たち以外のひと気が無いと言うことだった。ただ広いから会えないだけ、というのもあるかもしれないが、この広さを管理するために必要であろう家政婦らしき人も見えない。廊下の軋む音と、軒下につるされた風鈴の音を除いて、人工的な物音は殆どしなかった。
「こちらが本日の会合場所ですわ。どうぞお掛けになってお待ちください。わたくしは聖倭を呼んできますので」
「よろしく頼む」
ぴしゃん、と閉められた戸の音を最後に、僕たちがいる和室には静寂が広がる。二十畳ほどある広さのその部屋には、四人が向き合って座れるほどの大きさのローテーブルと、座椅子が四つ並べられていた。床の間には掛け軸がかけられ、障子にも壁にも汚れ一つ無い。僕と覡は下座の座椅子に腰掛けて、白鳥のことを待つことにした。
「……女中はいないのだな。これほど大きな屋敷だというのに」
覡も同じことを疑問に思ったのか、ぽつん、と零すように小さく呟く。
「不思議ですよね。部屋の多さからしても、家政婦が十人いても足りないですし」
「その上、『祓魔師の総本山』の割には人が少ない。勢力争いが起きていながら、まさか数人しかいないほど落ちぶれているわけでもなかろうに」
「あとは……覡さんを警戒している、とか。あとは普通に仕事をしている、とか。まあ昼間に人がいないとなればそういうことが考えられますけど」
「だとしても、来客を前に女中を控えさせないのも理解ができん。運転手がいるくらいなのだから、履物の準備や案内などの雑事は女中に任せていても可笑しくはないだろう」
「それは確かに……そうですけど」
覡の推測は間違っていなかった。運転手は確かにこの家に仕えているらしかったし、祓魔師が他の仕事で出払っているのだとしても、家の周りのことをする人員がいるのは間違いなさそうだ。だというのに、家に入ってから僕たちの周りにはこの家に住んでいるらしい人が一人も現れない。
「……まあ、なにか向こうも考えているのだろう。次代当主がどのような人間であれ、警戒を解かないようにな」
「はい」
すると、がらり、と先程閉められた戸が開く。そこには白鳥が立っていて、ぺこり、とこちらに向かって頭を下げた。
「お二方、お待たせいたしました。ご紹介いたします」
その一言で、この部屋の緊張感がぐっと強くなる。僕はごくりと息を呑んで、ゆっくりと立ち上がる。白鳥が横に避けると、僕と変わらないくらいの年頃の青年が戸の向こう側から姿を現した。
「彼こそ、祓魔師総本山聖家の次代当主――聖倭ですわ」
白い毛束が混ざった黒髪を揺らしながら、青年は僕たちの前に仁王立ちする。その顔は覡を一目見てもひるむことなく、軽薄な笑みを浮かべながら、しかし腹の底の知れないような目つきをして、僕たちにむかって胸を張った。
「はじめまして、死神。白鳥の紹介にあったように、このオレこそ祓魔師を統べる聖家の次代当主……聖倭だ。何と呼んでも構わないけど、皆はオレのことをこう呼ぶ。祓魔師史上一番の天才、とね!」
高らかにそう名乗った男は、僕たちの自己紹介も聞く前に、どかり、と上座に腰掛ける。その大胆不敵な行動に、白鳥は気まずそうに顔を背けた。
「随分と豪快な男だな」
僕の隣で笑う覡の言葉に、倭はそれを言葉の通りに受け取って、満足そうに頷きを返す。
「次代当主たる者、威厳は人を従わせるのになによりも重要だよ。いずれこの家のすべてを手に入れる者として、死神を恐れてはいられない」
どうやら、祓魔師の次代当主は皮肉にも負けない自信を持っているらしい。彼は両腕を組み、僕たち二人のことを一瞥すると、戸の前で立ったままの白鳥を顎で呼びつけた。
「天音、君が二人を招いたんだろう。さっさと座りなよ」
「……はい」
大学での威勢の良さはどこへやら、白鳥の顔色は優れないままだ。体調が悪い、というよりは、目の前の次代当主の行動に嫌気が差しているようにも見える。白鳥が最後に座椅子に腰を下ろしたところで、倭はふん、と鼻を鳴らしながら僕たちの方へと向き直った。
「さて。それで……どちらが深月?」
「深月は僕です。はじめまして、聖倭さん」
「俺は彼の付き添いだ。名を覡紅夜という。彼の上司だと思ってもらえればいい」
僕たちの簡単な自己紹介に、倭はなるほど、と頷きを繰り返す。そして、突然ずい、と身を乗り出して、僕の顔をのぞき込んだ。
「ということは、あんたが生きながらにして死神になった男だね」
至近距離に迫った倭の顔に、僕は驚いて仰け反ってしまう。そんな僕の反応が面白かったのか、倭は楽しそうに笑みを深めた。
「天音から話は聞いているよ。本当に面白い……まさかそんなことがあり得るなんて。それで気になって、あんたのことを調べてみたんだ」
「……僕のことを?」
通っている大学か、それともこれまでの経歴か。探偵にでも探らせたのかは分からないけれど、僕は倭が切り出した話に眉を寄せる。そもそも、素性やらなにやらを調べ尽くされるというのは、あまり気分がいいものではなかった。しかし、倭はまるで悪気がないようすで、席に戻って朗々と語り始めた。
「ああ。霊力というものの造詣を深められれば、祓魔師の力の増強に繋がるからね。君の過去やら親戚やら、色々と調べさせて貰ったよ。あんたがいつから死神として動いていたのか、ということも。カルテやら事件記録やら、そして霊からの情報も――聖家の手にかかれば、集められない情報なんてない。それで一つ、あんたに提案したいことがあるんだ」
僕の鋭い視線に気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているのか。倭の声色は揺らがない。そして、彼は僕に手のひらをさしだした。まるでダンスにでも誘うように、その顔に善意の笑顔を貼り付けて。
「なあ、深月――死神なんてやめて、祓魔師になるっていうのはどう?」
倭の口から飛び出したその一言に、僕はただ固まることしかできなかった。




