Episode23「異端」②
「つまるところ、わたくしたちは成果が欲しいんですの」
驚きのあまり口を開けたままの僕に言い聞かせるように、白鳥は説明を始める。
「魂の解明、というのは祓魔師全体の悲願であり、本家から全体に下される命令でもあります。そして、その命令の成果をあげることができた祓魔師は、自らの家に強大な後援を得ることができますのよ。なにより、分家の者はその血筋故に迫害を受けることも――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
次々に語られる祓魔師の裏事情に、僕は慌てて白鳥を制止した。白鳥は「なんで止めるんですの」とこちらをじっと見つめてきたけれど、僕としてはそれどころではない。
分家だとか本家だとか、成果だとか迫害だとか。その言葉の意味するところを想像するだけでもめまいがしそうな単語に、僕は目を回していた。
特に、僕が混乱したのは白鳥のあっけらかんとした態度である。
成果が欲しい、というのは分かった。そのために僕を送ろうとしていたということも、僕を本家に招こうとしていることも。でも、まさかこんなふうに――僕という張本人に明かすとは思わなかったのだ。「貴方を利用したいです」なんて言い切ってみせるなんて、彼女はいささか素直すぎる。
「……僕を本家に招いたとして、どうするつもり?」
魂の解明ということは、魂をいじられたりするんだろうか。白鳥にそう探りを入れると、白鳥はふふん、と小さく胸を張った。
「祓魔師には魂を覗く秘術がありますの。わたくしはできませんが、本家の人間ならできるはずですわ。大丈夫、軽い診察みたいなものですわ」
「分かった。対価ってことだけど、つまり僕に拒否権はないのかな」
「いやというなら無理にとはいいませんわ。その時は代わりとして、別の情報――例えば死神や冥府についての話を聴かせていただきますので」
なら、今のところは断ろうか――そう思ったとき、彼女は僕の前で深々と頭を下げる。
「ですが、わたくしは心から貴方にお願いしたいのですわ。貴方に迷惑をかけておいてどの口が、というのは理解しておりますけれど、貴方という存在がいることは、間違いなく魂の解明において重要な一歩になりますの。そうなれば、分家であるわたくしたちは、きっと名誉を挽回することができますわ」
「名誉挽回?」
ええ、と白鳥が頷いた。その両目には涙さえ浮かんでいる。一体何があったのかと話を聞く前に、彼女は詳しい事情を話し始めた。
「わたくしは分家。そして、一昨日貴方の同僚を襲ったのも分家の者ですわ。お互い生家こそ違いますが、お姉さまは同じ分家出身のわたくしを妹のように可愛がってくださいました」
しかし、得てして分家というのは本家よりも立場が弱い。曰く、先日の任務を達成できなかったことで、白鳥の姉とも呼べる祓魔師は、本家の人間から酷く糾弾されたらしい。
「名誉を失った分家の祓魔師は追放される。いわゆる勘当というものですわ」
「勘当って――それはやりすぎなんじゃないか」
「確かに厳しい処罰ではありますが、これは温情でもありますの。祓魔師は一歩間違えれば死ぬ仕事。勘当というのは、不用意に人を死なせないためのものですわ」
「それは……」
だとしても、やりすぎだ。任務に失敗しただけで家族から縁を切られるなんて度が過ぎている。戦線から遠ざければいいだろう、とか、縁を切る必要はないだろう、だとか、いろいろ思うことはあるけれど、外部から家の規則にもの申すのは不躾なのではないかと思い、僕は反論の言葉を飲み込んだ。
「お姉さまに与えられた命令は死神の拉致でしたの。ですが、普通に考えて――魂が欠けているとは言え、二人の死神を捕まえる任務を一人に任せるなんておかしいですわ。だからわたくしは、少し疑っていますのよ」
「疑っているって、何を?」
そう尋ねると、白鳥は少しばつの悪そうな顔をして、周囲をぐるりと見渡した。先程から誰が来たわけでもない地下書庫は、どちらかが喋らないうちは静寂に包まれている。しかし、白鳥はなにかを警戒してか、声をいつもの半分以上潜めて僕に耳打ちした。
「……本家はこの魂の解明において――分家を追い出すつもりなのではないか、ということですわ」
「お、追い出す?」
それはつまり、魂を解明することによって得られるものを、分家を追放することによって本家が独り占めしようということだろうか。確かにそうなると、分家だという白鳥の立場も怪しくなるだろう。しかし、なぜこんな情報まで僕に渡してくれるのかが疑問に残る。これでは、僕の方が祓魔師の情報を集めているようだ。白鳥の発言の真意が読めずとまどっていると、彼女はこほん、と小さく咳払いをし、「とにかく」と話を続けた。
「わたくしはお姉さまの名誉のために貴方を利用したいのですわ。べつに、すぐに答えろとは言いません。こともことですし、じっくり考えていただいて結構です。ですが、わたくしの――お姉さまを助けたい、という思いを汲んでいただけるのなら、それ以上のことはありませんの」
そう言い切った白鳥の目は、どこまでも澄み切っていた。その裏には陰謀のような後ろ暗いものは感じられない。彼女は純粋に、そして言葉通りに、姉と慕う女性と自分の名誉を守りたいらしかった。
けれど、僕としてはまだ腑に落ちないことがある。それは、なぜ死神に頭を下げてでも本家から認められようとしているのか、ということだ。本家と呼ぶものがどれほどの力を有しているのかは分からないけれど、祓魔師の本家からの命令は祓魔師にとって何よりも優先すべきことらしい。彼女には、その命令を遂行できなければ追放する、などという厳格な規則に頭を下げる理由があるのだろうか。それとも、祓魔師として、本家に認められなければならない理由があるのだろうか。
「白鳥は、どうしてそこまで祓魔師としての名誉に拘るんだ」
だから、僕は率直に思ったことを口にした。あらゆる目論みも赤裸々に話してくれた彼女には、疑問やら何やらを隠して向き合うのは釣り合わないと感じたからだ。できれば、僕もありのままの僕で彼女に向き合いたかった。
すると、白鳥はどこか悲しそうに目を伏せる。長い睫が影を落とし、薄暗い照明のなかでふるりと震えた。
「……それはただ、わたくしが自分の名前に誇りを持っているからですわ」
少しの逡巡の後発せられた彼女の答えは確かに僕に向けられたものではあったけれど、その目はどこか遠い場所を見つめているようだった。
「お前が行きたいのなら行けばいい」
「い、いいんですか」
僕が白鳥からの要求を事務所に持ち帰ると、覡は書類に目を通しながらさらりとそう言い放った。てっきり覡には「気を付けろ」だとか「危険だからやめておけ」だとか色々言われると思っていたから、とんだ肩透かしを食らったような気分である。
「だが、一つ条件がある。この要求を白鳥天音とやらに伝えてくれ」
「条件?」
覡が頷いた。読んでいた書類の代わりに湯飲みを持ち、彼はふう、と漂う湯気を吹き飛ばす。
「俺もお前についていく。祓魔師とは、一度腰を据えて話すべきだと思っていたんだ。向こうが招いてくれるのなら丁度いい機会だろう」
「で、でも……いいんですか?」
僕が見たのはルカとクロトの方だ。二人は揃ってノートパソコンに向き合っていたけれど、僕の視線を感じてか手を止めて顔を上げた。
「俺たちのことなら心配しなくていいよ。所長の結界があるこの事務所なら、祓魔師も悪霊も入って来られない。君たちが出向いている間は大人しくしておくから、二人は気兼ねなくそっちでやるべきことをやってくれ」
「そうだよ、深月お兄ちゃん。ここはしょちょーが守ってくれるし」
「……と言うわけだ。万が一のために保険はしっかりと用意しておく。だから、俺と深月――二人で相手の本拠地に向かうとしよう」
覡がそこまでいうのなら、きっと安全なのだろう。僕は心中不安に駆られながらも、しぶしぶ覡の要求を白鳥にメッセージアプリで送信した。すると、間もなく返信がきて、「かまいませんわ。お待ちしております」という文言と、かわいらしいお辞儀をした猫のスタンプが送られてくる。
「白鳥さんから承諾貰えました。でも、覡さんは祓魔師を相手に大丈夫なんですか。いくら覡さんが強いからって、祓魔師が大勢いるところに入ったら危険なような気がしますけど」
「そうだな。流石に無傷とはいかない可能性も多い。ここは顕界、冥府に住む死神よりも遙かに人間の方が強い」
「なら」
僕の制止を上書きして止めるように、覡は僕に向かって手のひらを向けた。まるであめ玉をねだる子供のように、覡は僕をじっと見つめる。
「だからこそ、お前が一緒である必要がある。ルカがお前に渡したように、お前も俺にお前のデスサイズの一部を渡してくれ」
どうして、という疑問が僕の顔に出ていたからだろう。質問を口に出すよりも前に、覡はつらつらと説明を始める。
「お前の持つ生の縁で、俺という死神を現世に結びつけるんだ。魂の世界において、縁というのは絶大な力を持つからな」
悲しいことに、覡の説明は正直よくわからなかった。僕の理解力が足りないのか、あるいは覡の言葉が足りないのか。しかし、こういうときはいつだってルカが必要な部分を補足し、分かりにくいところを噛み砕いてくれる。
「要は、所長に深月のものを渡すことで、所長の顕界との縁をより強固にするんだ。デスサイズなのは、それこそ死神と繋がるものだから。君の力で死神という異界の存在を顕界に留めておく、と考えてくれると分かりやすいかな」
つまり、僕が僕の作ったデスサイズを覡に渡すことで、覡は祓魔師の力である「魂の強制送還」に抗うことができるらしい。仕組みの詳しいところは分からないけれど、なんとなくそうすることで覡を助けることができるのだと理解して、僕はいつぞやのルカのマネをして宝玉を作った。
そうして僕のてのひらに紡ぎ作られたのは、純白の真珠のような宝玉だ。鏡面のように表面は辺りの光景を反射して、きらきらと輝いている。
よくよく見つめてみれば、僕の武器の材質はどちらかといえば白鳥の杖に似ていた。なんだかんだ聞きそびれていたけれど、もしかしたら僕の武器のことについても何か分かるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いた僕を覡がなにやら思い悩むように見つめていたことを、僕は知る由も無かった。
祓魔師の本家である聖家の屋敷は広い。そして、その最奥には当主と当主に招かれた者だけが入ることを許される部屋がある。それは広間の御簾のさらに向こうがわで、本家の祓魔師でも内装を殆ど知らないような秘匿された場所であった。
もちろんそのようなところに人目があろうはずもなく、当主――聖宗一郎はただひとり、その部屋の真ん中に腰掛けていた。
否、ただひとり、ではない。その背中にしなだれかかるように、白装束の女が一人座っていた。
「宗一郎」
当主の右肩に、真っ白な女性の手が乗せられる。その手には傷一つ無く、なめらかな陶磁器のような肌をしていて、その爪は桜貝をはめ込んだような色気があった。
「おまえは義の道を信じている。だからこそ、おまえは目的を果たさなければならない」
女は桃色の唇で当主の耳をくすぐった。当主は背中を震わせて、朦朧としたようすで虚空を見上げる。
「……目的。ああ、そうだ。私は果たさなければならない」
「ええ。全ては、世界をあるべき姿にするために。誰もが苦しまずに済む、平穏な世界のために。まずは生命の本質である、魂を解明するのです」
「魂の、解明……」
ぼんやりとする聖宗一郎の手を、女は優しく握りしめた。そして、もう片方の手でその背中を優しく撫でる。下から上へ、脊髄をなぞり上げ、やがてその手は人体の急所でもある首を捉えた。しかし宗一郎は意識をどこかへやってしまったのか、女に好きにさせるばかりだ。
「はじめましょう。顕界を舞台に、魂の本質に迫る実験を。おまえのことは、この私――主が奏でる楽章が導きましょう。おまえはその旋律にそって、ただ踊れば良いのです」
女は当主の首から手を放し、そして両手で彼の目を塞いだ。女の口はひたすらに優しい歌を紡ぎ、当主の耳からその音楽を染みこませていく。当主の唇は脱力し、つう、と透明な唾液が伝った。
「幕は既に上がっている。あとは、この音を完璧に奏でるのみ。不協和音を奏でる者には――大人しく退場して貰いましょう」
酩酊したように意識を虚ろにする当主の後ろで、女だけが静かに笑っていた。




