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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
第二幕「君に別れを告げる刻」
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Episode22「あなたから見た世界」①

「深月お兄ちゃん。こんばんは」

「暑さは残るが、悪霊のいない良い夜だな。深月、今日は書類の整理を手伝って貰いたいのだが」

「夜ご飯も用意してあるよ。今日はトマト煮込みハンバーグだ」


 いつものように事務所の扉を開ければ、賑やかな声が僕のことを出迎える。最早第二の実家とも呼べるその場所は、僕にとってとても居心地の良い場所になっていた。

 ルカは毎晩美味しいご飯を作ってくれるし、覡は厳しいけれど僕にいろいろな事を丁寧に教えてくれる。クロトは元気で、事務所の空気をぱっと軽く、明るくしてくれる。冥界で知り合った死神達も、皆、とてもいい人ばかりだった。

 だからこそ、白鳥天音の言葉が頭を過る。


『死神は生前に許されざる罪を犯した罪人である』。


 彼女の言い分が正しいかはわからない。祓魔師の中で広まっている根も葉もない噂かもしれないし、いわれのない祓魔師の言い分なのかもしれない。そもそも、こんなにいい人たちばかりだというのに、罪人だということが理解できない。しかし、白鳥から得た情報を否定する材料を持ち合わせていないのも事実だった。


「どうしたの? 今日の深月お兄ちゃん、いつもより顔色悪いよ」

「確かに、クロトの言うとおりだ。今日は休むかい?」

「いえ、ちょっと悩み事があるだけです。仕事には支障はないので、気にしないでください」

「……そう。無理は禁物だよ。所長、俺とクロトはパトロールに行ってくる。深月のことは頼んだからね」

「任された」


 けれど、僕の僅かな変化にも気が付いて、気を遣ってくれる優しさは、紛れもなく本物だ。少なくとも、僕が知っている死神はほとんどが善良で、困っていたらいつだって手を差し伸べてくれる。特に正義感溢れるアリスやリゼが罪人であるとは考えられない。

 パトロールに向かったルカとクロトを見送って、僕は覡と共に部屋に残される。僕も書類整理を始めようとして、ガラス製のローテーブルに積み上げられた書類に手を伸ばした。しかし、そんな僕を覡が制止する。


「深月。実は、今日整理するのはここではない」

「え? じゃあ、一体どこに」


 僕の質問に、覡は天井を指さした。


「四階の倉庫だ。昔の書類が溜まっていてな。必要ないものは定期的に本部にある東京支部の方に送っている」


 そう言われて思いだしたのは、冥界に行った時に見た誰もいない部屋だった。あそこには人こそいないが段ボールがこれでもかと積み重なっていて、最早物置小屋になっていた。恐らく、あれらは全て今まで覡が送りつけていた書類やら荷物やらの山だったのだろう。


「……捨てることはしないんですね」

「それは……まあ、まだ場所が余っているから捨てなくともいいだろう」


 以前ルカに「断捨離しろ」と詰められた記憶が蘇ったのか、覡はふい、と気まずそうに目をそらした。元東ユーラシア死神協会会長も、完全無欠というわけではないらしい。

 覡が偶にみせる少しだけ抜けたところは、東京支部の一員としての特権である。冥界に澄む死神に名高い極夜卿の所在が知られてからと言うもの、覡の元にはよくファンレターやらアドバイスを求める手紙やらが山のように送られてくるようになった。電子メールならまだしも、かつての極夜卿の影響を知っている死神の殆どが手書き派らしく、気が付けばそれ用の段ボールが溢れている始末だ。ルカはそのうち何枚かを引き抜いて、「ちょっと美化されすぎじゃない?」と苦言を呈していた。

 覡がカリスマであるのは事実だ。彼が築き上げた秩序の基盤が、皆の心にしっかりと残っているのがその証拠である。けれど、整理整頓が少し苦手で、感情表現に関しては不器用なのは、彼が他人には見せない彼の一面なのだろう。

 少なくとも、僕は他の死神が語る完璧な規範としての「極夜卿」よりは、東京支部の所長としての「覡」の方が人間らしくて好きだった。


「深月。早く上に行くぞ」

「は、はい」


 鍵を手にした覡の背中を追って、僕はエレベーターで階を上がり、四階の倉庫に足を踏み入れる。覡が鉄扉をゆっくりと押し開ければ、差し込んだ廊下の光が室内の埃を照らした。

 室内には鉄製の棚がずらりと並んでいて、古くさい本やら箱やらが収納されている。棚の上には大きな段ボールがいくつもならび、どれもが薄く埃を被っていた。

 覡は慣れた様子ですいすいと本棚を縫うように進んで行くと、部屋の奥にあった窓を開ける。湿気のある夜風が吹き込んできて、僕は思わず咳き込んだ。


「すまない。掃除は定期的にしているのだが、埃が溜まるのが早くてな。下の階ほど手が行き届いていないところがある」

「こほっ……いえ。このくらい大丈夫です。それで、冥界に送るものはどういうものですか」

「無理はするなよ。――冥界に送るのは、二〇〇〇年から二〇一〇年にかけての文献と、現世にあってはならないような遺物だな。例えば、冥界の技術を用いて作られた護符や、死神の情報が記された書類などがこれにあたる。分からないものがあれば、適宜俺に聞いてくれ」

「わかりました」


 そうして、僕たちはそれぞれ担当箇所を分担して作業を始めた。年代別の書類はきっちりとラベリングされていて分かりやすいが、遺物というのが良く分からない。段ボールにまとめて詰め込まれているものや、何やら高級そうな漆塗りの箱に入れられているものもある。中にはなかなかお目にかかれない当時を記した歴史書や、散逸したとされている文献のコピーなどもあった。もし研究者がこの倉庫に入ったら、目をキラキラさせて歴史的大発見に歓喜するだろう。

 けれど、覡はその全てを「送付予定」ボックスに詰め込んでいく。なんでも、冥府から取り寄せた情報を現世に残しておくのは危険らしい。


「『死人に口なし』というように、死者は生者に必要以上の情報を与えてはいけない。それは不要な混乱を避けるためでも、顕界と冥界が繋がりすぎることを防ぐためでもある」

「それって……僕も生きていますけど、僕にはいいんですか?」

「お前は特別だ、深月。お前は俺達と出会う前から、冥界とも顕界とも強く繋がっている。何が原因でそうなったのかは置いておいて、お前は非常に特異的な存在だった」


 故に、僕には死神のいろいろな情報を教えてくれたのだという。僕はそれを聞いて、あまり良い気分にはなれなかった。確かに自分が特別な存在であるということは嬉しいし、それをきっかけに色々な人とも出会うことができた。けれど、そのきっかけが恐らくあの事故であるということは、僕の心を曇らせた。

 あれは悲惨な事故だ。思い出したくもない、悲痛にまみれた記憶だ。たった1日の、たった数分のできごとで、僕の日常は変わってしまった。


「なあ、深月」


 僕の反応がないからか、覡が棚の向こうから僕に声をかけてくる。しまわれた荷物の隙間から、覡の深紅の瞳が僕を見つめていた。


「お前は、死神になってよかったか」

「……それは」


 まるで、仮契約の途中に行われる意思確認のように。覡は淡々とした口調で僕に訊ねる。僕はなんて言おうか悩んでしまって、つい言葉を詰まらせた。

 死神になってよかったのだろうか。

 その問は以前から――それこそ冥界に行く前から――僕の頭を悩ませている。

 個人的な視点で良かったか良くなかったか言えば、いい方に傾くだろう。世界の見え方は変わったし、大切な人を守るための力も着々と身についている。なにより、死神にならなければできなかった出会いは僕にとってかけがえのないものだ。もし事務所の扉を叩かなければ、僕は前と変わらない、翔と親戚しかいない世界を生きていたに違いない。

 それでも死神業というのは危険な仕事だし、冥界の世界は複雑で、僕の理解が及ばないことも多い。それに、白鳥から聞いたこともまだ頭の中で引っかかっていた。

 結論は未だ出ていない。

 僕があまりに悩んでいると、覡が先に口を開いた。


「すまない。意地の悪い質問をした。この質問の答えは俺でも出ていないと言うのにな」

「覡さんでも分からないんですか?」


 覡が「ああ」と首肯する。あっけらかんと発したその肯定は、ため息と共に吐き出された。


「お前は自分の意志で死神の世界に足を踏み入れた。だが普通は違う。冥府の王によって選ばれた魂が死神になるんだ。そこに拒否権は存在しない」

「選ばれるって……どんな風にですか」


 僕の額を汗が伝った。これは決して、四階が暑いからとかそういう理由のものではなかった。クーラーは壊れていないから、これは周囲を満たす言うに言われぬ緊張感によるものだ。


「――深月。お前はその理由を祓魔師から聞いているはずだ」


 覡の深紅が僕を貫く。なんで知っているんだろう、と思っているうちに、覡は重ねるように言葉を続けた。


「お前の様子がこのごろおかしかったからな。祓魔師の話は聞いていたし、お前が人間として彼らに興味を抱いていることも想像できた。ゆえに、お前は死神について祓魔師から情報を仕入れたのではないか、と思い至った。その顔を見るに、どうやら図星のようだな」

「……はい。すみません。警告されていたのに近づいて」

「別に怒っていはいない。近づくな、とも言っていないからな。ただ……そうだな。お前は、祓魔師の話を聞いて何を思った?」


 覡の瞳は鋭かった。けれど、その目には言葉の通り怒りは宿っていない。寧ろ、こちらの反応を窺うような――珍しくも不安のようなものが僅かに揺れているように思えた。

 覡が聞いているのは、もちろん死神の正体、そして選定条件についてに違いなかった。つまり、死神は生前罪人であった、ということについて。まさかそのことについて聞かれるとは思わなくて、僕の心臓はばくばくとうるさく鳴っていた。


「ぼ、僕は信じられないです。だって、ルカさんも覡さんもアリスさんもリゼさんも、皆とてもいい人だから」

「だが、善人と罪人は共存し得る。それに、お前が見ているのはその個人の一面に過ぎない」

「確かにそうかもしれないですけど! でも、僕は自分の目を信じたいです。理由とか、根拠とか、そういうしっかりしたものはないですけど。少なくとも、他人の意見で人への評価を簡単に変えるようなことはしたくありません」


 死神が罪人である――覡の口ぶりからして、それは事実なのだろう。だとしても、僕はいままで知り合った死神の仲間のことを信じたかった。アリスの信念を貫く姿、蓮花の困難を前にしても進み続ける勇ましい姿、そして「規律」のために立ち上がった数多くの死神たちの姿。その全てを僕は知っているし、彼らと肩を並べて闘いたいとも思ったのは紛れもない事実だ。事実というものは、他の事実がでてきたのだとしても、完全に塗り替えられることなどできやしない。一度キャンバスに塗った色の、「塗られたという事実」をなかったことにできないように。

 僕が吐き出した否定に、覡は「そうか」と小さく言葉を返した。下の方の段ボールを探っているからか、覡の顔は床の方を向いてよく見えない。


「残念ながら、俺達の過去は変えられない。それもまたかつて起きた『事実』であり、すでに『歴史』に組み込まれたことだからだ。だが」


 覡が立ち上がる。真っ直ぐと背筋を伸ばした彼は、揺らぐことのない真剣な表情を浮かべていた。


「お前の信頼に、俺達は何があっても応えよう。お前が死神の世界に踏み込んだことを後悔しないように。――これは、『極夜』の名を冠する覡紅夜としての誓いであり、責任だ。だから、お前はお前自身の目で、あらゆる世界の一面を見極めてくれ。これからも」

「……はい」


 不安を抱える僕に覡が示してくれたのは、他でもない彼自身からの宣誓だった。祓魔師から告げられた事実は彼らの過去であり、それを否定することはできない。だからこそ、彼は「これから」を約束してくれたのだろう。

 僕は覡のその姿に、彼という死神の力強さの片鱗を見た気がした。

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