Episode20「『規律』は我らと共にある」④
「あの女は監査局の? どうしてここに」
「私たちの自治に手を出すつもり……?」
ラケシスを見た死神たちは、動揺を隠さずに口々に疑問を吐き出した。それもそのはず、東ユーラシア統治区をはじめとする統治区はその地域の死神に管理が一任されており、本来監査局の――それもその最高司令官が――現れるようなことは滅多にないのである。それこそ、監査局が出てくるのは僕が疑われたような不正渡界などの特殊事例のみ。そのことを考えれば、死神たちの困惑も充分に理解できた。
「……来ると思っていたわよ、ラケシス。想像していたよりも到着が早かったけれど」
動揺が広がるなか、蓮花は突然の来訪者を笑顔で迎え入れる。驚いたのはラケシスの方だったようだ。彼女は「ほう」と彼女の読みに満足するように微笑んで、懐から一本の矢を取り出した。つい先程、カサンドラが遠く『果て』を目がけて放った矢である。
「物騒な残滓をまとった矢文が飛んできたものでな。早急に仕事を切り上げてこちらにやってきた。『境界断裂』となれば、流石に私たち監査局も見過ごせない」
そう言って、ラケシスは後方部隊にいるクロトに視線を向けた。クロトはその視線に驚いてカサンドラの後ろに隠れてしまったが、ラケシスの目はなによりも柔らかで、小さな姉の功労を称えていた。
「境界断裂……聴いたこともない単語ね」
「それもそうだ。これは『境界』を保護する監査局のみに知らされている現象なのだから。本来貴方たちのような統治区の死神が関わる範囲のことではない」
「……でも、それは今私達の目の前で起きている。当事者になったんだし、教えてくれてもいいわよね」
蓮花の言葉にラケシスは迷いなく首肯する。そして大空に浮かぶ裂け目を一瞥し、ゆっくりとその薄い瞼を閉じた。まるで、目の前で起きていることが信じられない、とでも言いたげに。
「無論、全て包み隠さず教えよう。だが、今はあの裂け目を対処しなければならない。あの裂け目の危険性は、貴方も承知しているだろう」
続いてラケシスの目が捉えたのは、裂け目の中を覗いて発狂した数人の死神だった。今でこそ落ち着いてはいるものの、その顔色は酷く青ざめていて嫌に大量の汗をかいている。普通では考えられない彼らの反応は、裂け目の異常さをありありと示していた。
「わかったわ。でもどうやって対処すれば?」
「あれはいわば『回生の樹』の結界が裂けている状態。想像してくれ、世界を覆う壁が一次的に弱まり、外からの攻撃で穴が空いているのだと。ならば『回生の樹』に所以する死神の力で結界を縫い合わせ、補強してやればいい」
ラケシスが言うには、つまりこういうことだった。
なんでも、死神の力と相反するものが裂け目の向こうに潜んでいるらしい。彼らは「聖譚」が創り出した僅かな境界の揺らぎを狙って、こちら側に現れたのだ。そして、その裂け目を塞ぐには、再度境界を盤石なものにしなければならないのである。それも、相当な実力を持つ「調停者」級の死神の力によって。
「その手にある大鎌を見るに、貴方は認められたんだな。ならば話は早い。蓮花、貴方の力を貸してほしい」
「もちろん」
蓮花が大鎌を構え、裂け目の前にラケシスとともに並び立つ。
「手を貸すって……ま、まさか」
零すように呟いた僕の言葉を、ラケシスの耳は拾ったらしかった。彼女は僕の方をちらりと見ると、笑顔を浮かべてその手を空に掲げる。
「久し振りだな、深月。以前私と刃を交えた君に、私の真の力を見せてやろう」
デスサイズ――そう彼女が叫ぶ間もなく、周囲に強い風が渦巻き始める。高層ビルの隙間を縫うように吹くその風は、黒い靄と共に彼女の手のひらに集まっていった。
そして、ようやく風が止んだその時には。
ラケシスの両手に、蓮花のものと異なる装飾を湛えた大鎌が握られていた。蓮花の鎌は光を思わせる流線的なデザインだったが、ラケシスのものは薔薇のように鋭利な装飾が目立っている。そのデザインは彼女の鋭いレイピアの太刀筋を想起させ、僕の腹はあの時の痛みを思い出して僅かに疼いた。
「これが、私の武器のもう一つの姿。私もまた、冥府に認められた死神だからな」
したり顔を浮かべる彼女のことを見上げる。僕の脳味噌は様々な情報を詰め込まれ、すでに処理落ち寸前だった。ただ一つ確かなことは、この二人がとんでもない実力者だ、ということだけ。
「私は夜空を泳ぐ者。夜を渡る同胞達よ、朝日のために共に往こう」
「私は縁を測る者。我が力をもって、万物を均衡へと導かん」
そんな僕の動揺など知る由も無く、ラケシスと蓮花は絶えず振ってくる怪物たちに向かって、そして巨大な裂け目に向かって同時に大鎌を振り下ろした。
明らかに数の減った蝉の鳴き声、人混みの落ち着いた海岸。波が寄せては引く音が、静かな浜辺に響いている。
気が付けば、夏の終わりが近づいていた。
この夏の出来事について思い返せば、本当に――本当に、色々なことがあった。
リゼに出会ったのが夏の始まり。戦う事を覚えて、クロトと一緒にラケシスに抵抗して。その果てに、現世とは異なる冥界の、ちょっとした危機を解決する手助けもした。
そう考えると、貴重な大学一年生の夏休みは忙しく過ぎていった。だからこそ、こうして穏やかに海を眺め、青々とした空を見上げていると、何もしていないような焦りに苛まれる。
――少し浜辺でも走ろうか。
そう思い立ったとき、僕の首筋に冷たい物が当てられた。
「ひあっ……て、おい、翔。なに変なことしてるんだよ」
「いいだろ、なんか青春って感じがして」
翔はそう笑いながら、ほらよ、と僕の首筋に当てたペットボトルを手渡してくる。海の上でキンキンに冷やされたのであろうそれを喉に流し込むと、身体の芯まで染み渡るような心地がした。
こうして何かを飲んだり食べたりしていると、「ああ、戻ってきたんだなあ」としみじみと感じられる。数日前まで冥界にいて、ろくに飲食もできなかったせいだ。
あの闘いのあと、僕は結局一週間ほど冥界に拘束された。
というのも、やはり今回の事案は「聖譚」をはじめとする謎の組織「暁の楽団」に対する警戒を強めなければならない重大な事件であり、彼に最初に接触したと思われるのが他でもない僕だったからだ。
とは言え、僕があげられる情報も決して多くはなく。捕らえたはずの「狂想」も、何故か牢屋から姿を消してしまったという。つまり、得られる情報は組織の転覆に助力した俊宇からのもののみ。それでも彼は末端の末端で、「暁の楽団」の真意には辿り着けなかった。
結局、彼らについてはよくわからない。「規律」を覆して、一体何がしたかったのかも。彼らの掲げる「救済」の意味も。
けれど、ただ一つだけ確かなことがあった。
――「暁の楽団」は、きっとまた戻ってくる。
今度は現世かもしれないし、他の統治区かもしれない。それはつまり、死神たちは今まで以上の連携を求められると言うことだ。
蓮花は議会の決定と民衆の歓迎を持って、正式な調停者として認められた。姿を隠していた覡はひっそりと協会に戻り、自分自身の言葉で蓮花の就任に祝辞を送り、そして支部長達を激励した。
さらには、今回の協力をきっかけとして、東ユーラシア死神協会は監査局との連携を強めていくつもりらしい。
つまり、全てが丸く収まった、ということだ。少なくとも今のところは。
だから僕もしばらくの休暇を貰って、こうして翔と夏らしい思い出を作っているところなのだけれど。
「……なあ、あそこにいる人たち、めっちゃ綺麗じゃね? 外国人かな」
ふと、翔が遠く砂浜の方を指さした。そこには綺麗な金髪の女性と、亜麻色の髪の毛が特徴的な女性がビーチボールをして遊んでいる。ほどよく筋肉のあるしなやかな肉体を水着で包む彼女たちは、確かに遠目に見ても翔が気になりそうな見た目をしていることが分かった。隣で「ちょっと声かけてこようかな」なんて呟いているのを軽く諫めて、僕たちは大学のことや最近のことなどささやかなことを談笑する。
その時、彼女たちの遊んでいたボールが、ぽん、と空高く打ち上がった。ボールは風に煽られて、ふわりと僕たちの座っている方まで飛んでくる。
「ごめんなさい、ちょっと取ってくれませんかー?」
「は、はい……って、えっ」
転がってきたビーチボールを手渡そうとして、僕は思わず息を呑んだ。
「数日ぶりですね、深月さん。バカンス楽しんでます?」
「ごめんね、深月。少し飛ばしすぎたわ」
金髪のウェーブがかった髪に、シャンパンゴールドの瞳の女性。そして、亜麻色に淡い緑の瞳の女性。二人とも、僕が知っている顔だった。
「な、なんでアリスさんとリゼさんがここに」
「もうリゼで良いですよ。私たち戦友ですし?」
「……私もアリスで良いわ。堅苦しいのはもうやめにしましょう」
「……あ、アリスとリゼがなぜここに」
驚きすぎて固まっている僕を見て、二人はふふ、と笑みを浮かべる。
「そりゃあもちろん休暇ですよ。いろいろと忙しかったから今交代で休暇を取っているんです。東ユーラシアはホワイト企業なので!」
「そういうこと。ああ、そちらの方が深月の友人ね。初めまして、私はアリス。彼女はリーゼロッテよ」
リゼとアリスがそろって翔に向かって頭を下げる。しかし、翔はわなわなと口をはくつかせるばかりで、僕が声をかけても何も反応しなかった。
「……んで」
しばらくして、翔が今までに聞いたことのないような低い声を発する。ぎょっとそちらを見ると、翔がき、っとその歯を食いしばっていた。僕は嫌な予感がして、すぐに翔と距離を取ろうとする。しかし逃げようとした僕の腕を翔は掴み、ぐい、と自分の方へと引き寄せると、ぽこぽこと僕のことを殴り始めた。
「なんでいつの間に美人と知り合ってるんだよこの野郎おおおお!」
翔のいつも通りの、しかしいつもよりも何倍も悲痛な叫び声が、僕たちしかいない砂浜に響きわたった。
「……これにて東ユーラシアを舞台にした演目はおしまい。協会側からすれば、監査局というより強い縁を結ぶことができ、蓮花も正しく冥府の王に認められたのだから、失ったものよりも得たものの方が多いだろう。最も、死神が『失う』なんてことは滅多にないけどね」
真っ白な空の下、大理石の宮殿の広間で、一人の男が言葉を重ねる。白銀の髪の毛、白いスーツを目にすれば、この世界には「白」以外の色などないように思われた。
しかし、一つだけ――男の手の中に、漆黒のユリが一輪咲いている。男はそのユリを、彼の前に跪く二人の男の前に投げ捨てた。
「でも、僕たちからすれば最悪の結末だ。いや、最悪は言いすぎかな。いろいろなところを加味しても、及第点がせいぜいだよ」
「……申し訳ございません」
「まあいい。顔を上げて、『聖譚』そして『狂想』。君たちは更なる公演に向けて充分に休暇を取ることだ」
跪く「聖譚」は、目の前の白銀の男の慈悲に頭を垂れる。一方で、『狂想』は悔しそうに歯ぎしりをした。その反応を男は酷く優しく諫めると、その手のひらにもう一輪、新しいユリを花開かせる。
「途中の結果がどうであれ、今回はまだ第一幕。僕たちの反逆は始まったばかり――そうだろう」
男はふ、と笑みを深めた。手のひらの花を慈しむように柔らかく、しかし同時にどこか不気味に歪んでいる。その笑みを見て、「聖譚」と「狂想」は何も言わずに立ち上がった。そして、彼ら二人の他に、四つの影が広間に現れる。
「さあ、世界を変える楽章たちよ。はやく次の公演の開幕の準備を。次なる舞台は現世――東京を狙い撃ちにしよう。すべては最後の演目のため。最後の、彼の決断のため。そして、全ての死神達のために」
「……御意に」
男の言葉を聞き届けた六つの人影は、すぐにその宮殿から姿を消した。そうして、男はいつかの渋谷のときのように一人取り残される。美しい白銀の髪を揺らし、男の透き通る蒼い双眸は真っ白な空を見上げた。本来は、男の瞳と同じ色をしているはずの空だ。
「『救済』のため……僕はどんな道でも突き進む。それこそが僕が五百年前に決めた覚悟。だから、僕も立ち止まるわけにはいかない――ごめんね、深月」
そう呟いた男の双眸は、純白の空の先にある懐かしい記憶を、ただ真っ直ぐに見つめていた。
第一部、これにて完結です!!!
幕間を挟んでから第二部へと続いていきます。
これからもどうぞよろしくお願いします!




