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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
第一幕「規律の御旗を揚げる刻」
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幕間 追憶―アリス・ブランシェ―

 死神になって、終わりと始まりの狭間に放り出されたような感覚に陥った。

 信仰による違いはあるけれど、死というのは一種の区切りで、その先には生きていたころのあらゆる苦しみなど存在しないと考えられることが殆どだ。そして実際にも、輪廻転生を迎える魂は前世と決別して新しい生への道を歩み始める。

 けれど、死神に選ばれた魂は違う。

 それはある種の正義によって選出され、全ての魂と境界の均衡のために闘い続ける。生前の記憶を確かに持っているのに、生きているわけではない。なぜなら、大体の死神は自分が死んだときのことを覚えているから。

 死んだという自覚があるのに、惰性のように「生前の記憶を持った私」の暮らしは続いていく。生きていた頃と変わらず食事をし、働いて、ゆっくりと眠りに落ちる。

 普通なら発狂ものだ。死んだときの感覚を抱えながら生きることの真似事をするなんて、絶対に耐えられるものではない。それでも私が狂わずにいられるのは、心に抱いた信念が、いつか私を終わりへと導いてくれると信じているからだった。








「……そこで何をしている」


 死神になって数年後、なにをするでもなく立ち寄っていた「規律」の街の郊外で、赤目の男性に声をかけられた。冥界の空のような黒い髪は腰ほどまで伸ばされ、毛先まで艶やかだった。それだけで、突然現れたこの男がそれなりに良い身分であることは推察できる。


「別に。ちょっと中心部の人混みに疲れただけです。この統治区、他のところよりも人が多いから」


 もちろん嘘だ。もっとも、「疲れた」というところだけは事実だけれど、別に人混みに疲れたわけではない。溢れかえる人の全てがきらきらとした表情をしているように見えてしまって、それがどうしても耐えられなくなってしまっただけだった。

 私は各統治区を風のように放浪していた。「自由」のアメリカ、「平等」のアフリカ、そして崩壊した西ユーラシア。最初に向かったのは西ユーラシアで、その理由というのも「自分が生まれ育った国を担当していたから」というつまらないことだ。

 けれど、統治区の実態は自分の想像していたものとかけ離れていた。

 生まれた国など関係ない。生まれた身分など意味がない。死神というのは個人プレーで、「ただ無条件で居座れる場所」なんてものは存在しない。もし居場所が欲しければ、自分で掴み取らなければならないほどに殺伐とした世界。

 その傾向は、特にアメリカと西ユーラシアが強かった。もちろん無法状態の西ユーラシアと一定の秩序が築かれたアメリカでは天と地ほどの差があるけれど、私の肌に合わないという理由では同じだ。利用される側に回るか、利用する側に回るか。弱肉強食の際立った世界は、ただでさえ疲弊していた私の精神を落ち着かせる船着き場にはなり得ない。

 アフリカの「平等」も、あまり気分が良いものではなかった。確かに苦しむようなことはないだろうし、死神の権利も「庭」が守ってはくれるけれど、平等ということはそれ以上を望むことができないということでもある。私は誰かの居場所に間借りするのではなく、他でもない自分のためだけの居場所が欲しかった。

 そうして冥界のあちこちを彷徨い続け、最後の希望として寄ったのが東ユーラシア統治区だ。これでもし「規律」も肌に合わないのなら、「救済」の跡地で影に隠れるように暮らすほかないかもしれない。いや、もしくは「境界の森」にでも迷い込んでしまおうか。

嫌な意味で、私は覚悟が決まっていた。後ろ暗い、先の見えない諦念という名の覚悟である。


「……そうか」


 彼は私の愚痴に近しい嘆きを聞くと、何かを思案するように瞼を伏せた。そして、私から数十メートルほど離れた壁に寄りかかると、まるで独り言でも零すかのようにぽつりぽつりと言葉を続ける。


「確かに、お前が見たようにこの冥界では生前の全て――特に肉体に関することは、最早なんの意味も成さない。故に、顕界における故郷などと言う帰属意識は育まれないし、死神になった時期が違えば民族による団結も難しい。お前の欲する居場所は、どうしてもお前自身で見つけなければなるまい」


 男の言うことは正しかった。そして、その正しさを私は放浪の旅で学んでしまった。

 反論など、できるはずがなかった。

 私はもう子どもではない。親などいないこの場所で、一人の死神として暮らしていかなければならない。現実が壁として目の前に立ちはだかって、私は立ち上がる勇気すらなくなってしまった。


――私はただ、納得できる居場所が欲しいだけなのに。


 その場でうずくまった私のことを、男は遠くから見下ろしていた。その顔は見えなかったけれど、きっと彼なりに何か思うことがあったのだろう。彼はしばらくそうやって無言で私のことを見つめていて、そして静かに――私に手を差し伸べた。


「『規律』がお前の居場所になれるかは分からない。だが、そうして歩き回って疲れているだろう。少しばかり、心を休めてはどうだろうか。休憩するのに丁度いい店を知っているんだ」


 一体どういうつもりなのだろう。心にそんな疑念を抱きながらも、自棄になっていた私はふらふらと男の後をついていった。不用心にもほどがあるけれど、そんなことはどうでも良いくらいに私はいろいろなことを諦めていた。

 彼に連れて行かれたのは、辺鄙な街に店を構える東洋風のカフェだった。統治区の外れのほうにあるからか人の入りも悪く、店内には他に客がいない。閑古鳥が鳴いている店である。店内に入るとひとりの老婆が現れて、草で編まれた絨毯――タタミというらしい――が敷き詰められた部屋に案内される。


「ここの甘味は美味い。金は俺が出すから、好きな物を頼むと良い」


 そういって男に手渡されたのは、一枚のメニューだった。みつまめ、あんみつ、饅頭に団子。全く知らない極東のデザートらしいものがそこには描かれていて、私は混乱してしまう。突然の展開と知らない文化に目を回していると、男から助け船が出された。


「そうだな、西ユーラシア生まれと言うことは、小豆にあまり馴染みがないだろう。なら、この焼き菓子がいいかもしれない。食感はスポンジケーキに近いぞ」

「じゃ、じゃあそれで……」

「分かった。では、かすていらを二つ頼む」

「承知いたしました」


 注文を受け取った老婆は、そそくさと厨房へと戻っていく。静寂が支配した東洋風のティールームで、私は気まずさのあまり老婆が出していった緑色のお茶のようなものに口を付けた。紅茶とは違いほのかな甘みのあるそれは、未だかつて経験したことのない味わいだった。

 ふと視線を周囲に向ければ、タタミのフチには繊細な刺繍が施されていたり、窓枠は丸く抜かれていたり、壁にはなにやら風景画らしい縦長の絵がつるされていたりと、私の知らないものばかりで溢れている。まるで異国に迷い込んでしまったような心地がして、私は余計肩身が狭く感じられた。

 ほどなくして、老婆が皿に長方形の黄色いスポンジケーキをのせてやってくる。「かすていら」と名付けられたそれは、確かに男の言うとおりケーキに似ていた。


「これは南蛮――つまり、異国から遠く離れた島国に持ち込まれた菓子だ。この冥界では素材を惜しみなく使うことができるため、顕界のものよりも甘く作られている」


 男はそう軽く説明を付け加えたあと、二本の細い棒で器用にもかすてらを掴み、上品に口に運ぶ。私も男の真似をして棒を握り、おぼつかないながらもなんとかかすていらにかじりついた。


「……おいしい」


 その時、久しく感じていなかった感覚が砂糖の甘さと共に脳内を駆け巡る。停滞していた思考が澄んで、荒んでいた心に癒やしの雨が降り始めたような心地が私を包んだ。

 脳味噌の声に従って、一口、また一口とかすていらを口に運ぶ。異国の文化が芽生える地で、自分の中にある懐かしいものと巡り会ったようだった。もっとも生前「かすてら」なるものは食べたことが無いし、見たことも無いけれど、卵と砂糖、小麦粉の優しい味わいは、胸の内にどうしようもない懐かしさを芽生えさせる。


「その様子では、死神になってからなにも食べてこなかったようだな」


 あっという間にぺろりと平らげた私を見て、男は眉を下げてそう微笑んだ。


「だって、死神に空腹はないですから。食べたところでなんにもならないって、そう思っていて」


 食べ物を咀嚼し、味わい、飲み込む。思い返せば、私は死神になってからなにかを食べようとはしてこなかった。冥界の食べ物はいわば霞で、食べたところで意味は無い、意味が無いならやる必要は無いと決めつけていたのである。


「だとしても、食事はした方がいい。真なるそれよりは効果こそ薄れるが、たとえ真似事だとしても、お前の死神生を彩ってくれるだろう。この『かすていら』との出会いのように」

「ありがとうございます。少しだけ、元気がでました。でも、どうして私をここに連れてきてくれたんですか。食事をさせるためですか」


 私の質問に、男はふむ、と顎に手を当てた。その深紅の双眸は私のことをじっと見つめていて、本能的に背筋が伸びる。


「そうだな。それは理由の一つでもあるが、やはり一番の理由はこれだ」

「――かすていら?」


 男は頷いた。


「これは遠く離れた島国で作られた異国の菓子。環境が変わってもなお残った渡来者の精神だ。そして、死神とはこの渡来者のようなものだと俺は思う。生前の縁深い場所から離れ、冥界という異国で生き抜かなければならないのだから」


 故郷、親族、仲間。かつての自分に関わる場所を離れて、殆どの死神は「死神」に選ばれる。それはまさに、異世界への生まれ変わりと似たようなものだった。


「環境は変わる。万物流転というように、この世界は変化と共にある。ものに対する考え方でさえも、『縁』の影響を受けて変わっていく」


 だが、と男が続ける。


「その中でも変わらないものは存在する。それこそが、俺やお前といった個人が積み重ねてきた歴史だ。それだけは、何人たりとも変えられない。そして、その歴史こそ――個人のあり方や信念、精神へと繋がって、俺達という存在を確固たるものにする」

「歴史……ですか」

「そうだ。自分の歴史を振り返って、今どうしたいのか。未来はどうしていたいのか。お前という個人が生み出す欲求は一体何だ。お前はお前の道を選び取るために、お前という存在を作り上げた歴史を見つめ直さなければならない。でなければ、居場所は見つけることも作ることもできないだろう。まずは、今の自分の歩きたい道を考えるといい。環境が変わったとしてもなお、今は変えたくないものを考えるんだ」


 男の話は小難しかったが、少なくとも、彼は私にアドバイスをしようとしてくれているらしいということは分かった。男にそう言われて、私は自分の中の記憶と目を合わせる。男に背中を押され、今まで苦痛から目をそらし続けてきたものを、ようやく見つめる勇気が湧き出てきたからだ。


「……私は」


 絞るように、言葉を喉奥から引きずり出した。喉でつっかえてでないそれを、なんとか口の外へと吐き出していく。


「情けないけど、今は守られたい。つまらない理由で苦しみたくない。それでも、お互いに信頼できる仲間が欲しい。誰かの特別になりたい――『自由』も『平等』もだめだった。『規律』は、私の願いに応えてくれますか」


 瞼を閉じれば簡単に思い出す。

 殴られる痛み、どうにもならない悲しみ、誰も助けてくれない苦しみ。

 そして、全てを解決するために取ったあの決断と、背負った十字架の重さ。

 こうして振り返って初めて、私はとんでもなく疲れていたのだということに気が付いた。ボロボロで、最早歩き出す力など残っていないことも。それでも、自分のための温かな優しさに憧れて、手を伸ばしてしまっているということも。

 心のよどみと共に言葉を吐き出しきると、男は「そうか」とだけ言って、懐から一枚の紙を差し出した。


「これを」

「なんですか、これ」

「紹介状のようなものだ。俺は少しばかり『規律』と縁がある。『規律』は一つの組織。互いに至らぬところは支え合い、助け合う。規則は万人のためにあり、如何なる危害も認めない。きっと、お前が歩き始めるまでの休息地にはなるだろう。もし興味があれば、この紙をもって訊ねてくれ」


 それでは。

 男はそう言い残し、私と一枚の紙を置いて風のようにティールームから消えてしまった。会計も颯爽とすませてしまって、お礼を言う時間も与えてはくれなかった。

 残された紙には、本部の住所と恐らく男のものであろう名前が書いてある。


――覡紅夜。


 私の相談に乗ってくれた黒い男が、この統治区の――そして「規律」の調停者であることを、この時の私は知らなかった。








 そうして私は「規律」を目指した。

 最初は自分が落ち着くために。守られるために。

 そして今は――かつての自分のような人を守るために。

 私はもはや、放浪する風ではなかった。

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