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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
第一幕「規律の御旗を揚げる刻」
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Episode10「東ユーラシア死神協会」①

 冥界と聞いて思い浮かべるのは、決まって暗くどんよりとした静かな場所だった。あるいは地獄のように、死者が苦悶の声を上げるような懲罰の場所。とにかく、死神になる前は「冥界イコール暗いところ」というイメージが作られていた。それはフィクションの影響だったかもしれないし、神話の中に語られる冥界へのあまり良くない情報のせいだったかもしれない。

 だからこうして、実際に冥界に足を踏み入れ――僕は、人間の想像がまったく外れていたことを理解した。


「ねえ、今度あそこの和菓子屋さん行きたいな。あの店のお団子、他とは違うんだって」

「やばい、あそこの広告アイドルのシャルロッテじゃない? めっちゃかわいい!」

「すいません、すぐに向かいます。はい、ご迷惑をおかけして申し訳ございません……」


 腕を組みながら歩く恋人らしき二人組、路上の看板広告にスマホカメラを向ける若い女性、ぺこぺこと電話口で頭を下げるスーツ姿の男性。ぱっと目につくだけでも、様々な人が街の中を行き交っている。その賑やかさは現世の繁華街にも劣らないほどで、僕は思わず辺りを見回した。

 僕たちは本部があるというビル街、その中心地に立っている。例えるなら渋谷、あるいは北京。少なくとも、人口密度の高い巨大都市といった様子で、この街は創りあげられていた。行き交う人々は様々で、どうやら年齢や性別のみならず、出身なども異なる死神達が、さも当たり前と言わんばかりに交流し、街の中を歩いている。


「さあ、ついたわよ」


どれだけ歩いてきただろう、首が痛くなるほどの摩天楼が聳え立つ中、一際高いビルの目の前で女性はようやく立ち止まった。ガラス張りのそのビルは、他のビルに比べても人の出入りが多い。黒いスーツを身に纏った死神達が、せかせかと内外を行き来している。


「ここは」

「東ユーラシア死神協会本部……って、貴方まだボケてるの? いい加減になさい。そういえば、所属は言えるわよね」

「と……東京支部です」

「……そう。分かったわ、受付に行きましょう」


 僕の返答に、女性はくるりと背を向けた。彼女は僕に目をくれることもなく、真っ直ぐに人波にそって進んでいく。正面入口の巨大な自動ドアはトラックが入れるのではないかと思うほど大きく、その奥に広がるロビーについても、高級ホテルと引けを取らないほどの広さを持っていた。


「お帰りなさいませ、アリス様。随分と早いご帰還ですね」


 中央に置かれたカウンター、そこに立つ一人の男性が女性に向かって頭を下げる。男性は皺一つ無い燕尾服に身を包み、黒い髪を撫でつけた、清潔感ある装いだった。年の頃は三十代くらいだろうか、覡と同じくらいの年齢に見える。


「ええ、まあ……ちょっと迷子を見つけてね。彼の所属は東京支部よ。何階か確認してくれる?」

「もちろんです。少々お待ちを」


 そういって、男性は備え付けのパソコンを叩き始めた。アリスと呼ばれた女性はふう、と息をつき、僕の方へと歩いてくる。


「少し待っていて。そんなに時間はかからないだろうから」

「は、はい」


 行き交う人々の喧噪、カタカタと鳴り響くキーボードの音。いかにも気まずい雰囲気に、借りてきた猫のような気分になった僕はそっと視線を動かした。

 オーケストラの一団が入ってしまいそうなほどの広さのロビーには、様々な人が行き交っている。部屋の隅で談笑している人もいれば、険しい顔つきで何かを話し合っている人もいた。知っている顔――例えば蓮花やリゼ、あるいは監査局の人達が紛れていないか探してみたものの、探せば探すほど僕の中には不安が降り積もっていく。次第に周囲も眺めていられなくなって、僕は自分の足下をじっと見つめていた。


「……おまたせいたしました。東京支部はこのビルの五十九階にございます。この時間でしたら、西エレベーターに乗ると良いでしょう」

「ありがとう、ミッシェル。ほら、行くわよ」


 そんなとき、女性――アリスのハキハキとした声が僕の頭に降り注ぐ。はっとして顔を上げると、エメラルドを思わせる彼女の瞳とかち合った。


「ありがとうございました!」


 急かされるように足を動かし、先導する彼女の後ろをついていく。この場所では僕だけがスーツ姿ではないからか、やけに周囲からの視線を感じて仕方が無い。さっさと移動してしまおうと、僕たちはビルの西エレベーターに乗り込んだ。

 しかし。

 逃げ込んだはずのエレベーターで、僕はこれまでにないほどの気まずさを味わうことになった。


「……はあ」


 アリスのため息が隣から聞こえてくる。彼女は先程から度々身体を動かしては、エレベーターにある大きなガラス窓から、小さくなっていく街並みを見下ろしていた。

 静寂がエレベーター内に充満する。巨大なエレベーターの隅に立ち、僕は彼女と何を話すこともなく階層の数字が上昇していくのをじっと眺めた。

 気まずい。

 いつも以上に、時間がゆっくりと進んでいる気がする。話題という話題を見つけられないまま、エレベーターは二十三階に到達していた。ミッシェルというロビーの案内人が教えてくれたとおり、エレベーターは途中で止まることもなく、順調に上昇を続けているというのに、だ。

 気分を紛らわせるために、僕もエレベーターの窓に目を向ける。ともすれば落ちてしまう恐怖を呼び起こすほどよく磨かれたガラスからは、冥界の殆どを見下ろすことができるような気さえした。

 僕たちが乗っているのは西エレベーター、つまり、この光景は東京支部の西側のものだ。ビル群のてっぺんを越えた先に、このビルよりも遙かに高い樹木が見える。僕が目覚めた下町からも見えた、眩い光を放つ大樹だ。そしてそのふもとには、近代的なビルの森に埋もれるように、古代建築らしい石門が構えられていた。幹を囲うように聳える壁に建てられた、唯一の入口なのだろう。

 さらにエレベーターが上昇していくと、壁の向こう側に漆黒の森が姿を現す。近くで見れば見るほど太いその大樹の根元を覆い隠すように、墨を垂らしたように黒い葉を揺らす高木が生えていた。大樹から発せられる光を存分に浴びながら、高木は侵入者を寄せ付けないと言わんばかりに立ち並んでいる。


「……すごい」


 眼下に広がる幻想的な光景、そして未だてっぺんの見えない大樹を見て、僕は思わず感嘆の息を漏らした。

 まるで、ゲームかアニメか、フィクションの世界にでも飛び込んだような気分だ。そんな世界が目の前に広がっていることに、僕の胸は緊張も不安も追いやって高鳴っていた。


「まるで、初めて『回生の樹』を見るような口ぶりね」


 ふと、アリスがそんな僕を見て呟く。その瞳がこちらを見定めんと爛々と輝いているのにも気付かずに、僕の目はひたすらに大樹に釘付けになっていた。


「あの大樹、『回生の樹』って言うんですか」

「……ええ。あそこは冥界の中心であり、冥府の中枢でもある。あらゆる死者の魂は根元から枝へ、そして空へと高く昇って、やがてまっさらな状態になって顕界に生まれ落ちるのよ」


 アリス曰く、『回生の樹』が光り輝くのは、全ての魂の道しるべとなるためらしい。冥界という死の世界で新たな生を与える樹は、死神の間でもごく一部の上層部しか立ち入ることのできない聖所なのだという。


「あの門を通れるのは、各地域の調停者と監査局のトップ三人を含む精鋭、そして元々あの場所に居を構える冥界の王。他にも森に住人はいるみたいだけど、冥界に住む死神の数を考えれば本当に一握り。この本部はそんな聖所を守る門番でもあるの」

「門番、ですか」

「そう。各地域の協会がそれぞれ門の前に本部を構えているわ。そしてこのビルの最上階、四百四十四階には、この東ユーラシアの調停者が座している。招かれざる者をこの本部より先に進ませないために」


 そう締めたアリスの語気が、最後だけ強くなった気がした。しかし、その違和感を理解する間もなくエレベーターは目的地への到着を告げる。


「……さあ。ついたわよ」


 そうして、僕たちは『回生の樹』に背を向けて、ゆっくりと開いたエレベーターのドアをくぐった。目の前には塵一つ無いエレベーターホールが広がり、そこから左右に長大な廊下が伸びている。部屋数が数え切れないほどあるものの、アリスは何一つ迷うそぶりを見せずに廊下を進んだ。

石造りの床を鳴らしながらしばらく歩き、ついに僕たちは扉の前に並び立つ。壁には『東京支部』と刻まれたメタルプレートがぶら下がり、黒く塗られた金属の扉が、この先に広がる全てを覆い隠すように閉ざされていた。


「ここが東京支部よ。そこのタッチパネルに身分証明書をかざして中に入ると良いわ」


 アリスが顎で指したのは、ドアプレートの下にある液晶画面だ。僕は背中に冷えきった視線を感じつつも、恐る恐る懐からピンバッジを取り出して、液晶画面にかざした。

 しかし、僕の予想とは裏腹に、液晶画面も扉の鍵も何の反応もしなかった。汗が滲むのを感じながら、僕は手のひらのピンバッジに視線を落とす。

――なんで反応しないんだ?

 何度か離してはかざすのを繰り返したものの、それでも扉の鍵が開くことは無かった。まるで、この扉が僕を拒絶しているかのように。

 焦りと恐怖がぐわりと腹の底からせり上がる。このまま戻れなかったらどうしよう、だとか、なんで反応しないんだ、だとか、ぐるぐる思考が巡って落ち着かない。そんな僕を見つめていたアリスは、やがて耐えかねたようにわかりやすく大きなため息をついた。


「……やっぱりね。おかしいと思った」


 突如。どん、という衝撃と共に、僕は壁を背に彼女に詰め寄られる。背骨が石壁にぶつかって、僕は思わずうめき声を上げた。


「な、なにをするんですか」

「嘘をつくならマシな嘘をつきなさい。東京支部所属だなんてありえないことを言ってこの本部に入り込もうとするなんて。笑止千万だわ」

「う、嘘じゃないですよ。僕は本当に……」 

「正直になりなさい。東京支部なんて――一世紀も前から存在しないのよ」


目と鼻の先ほどまでの距離にある彼女の翡翠が鋭く僕を射貫く。その眼力は巨漢をも恐れさせるほどだったけれど、僕の脳味噌にはその恐怖を理解する余裕はなかった。

――彼女は今、なんて言った?

聞き間違いではないだろう。彼女は確かに「東京支部は存在しない」と言ったのだ。それも百年も昔から。

嘘だ、と思いながら、僕はただ彼女の威圧に抵抗することができなかった。今まで感じたことのないほどの、強烈な敵意が僕の身体に纏わりついている。


「侵入者。貴方は一体何処の死神? いえ、『回生の樹』を知らない死神なんているはずがない。貴方は死神を真似ただけの悪霊かしら。まあ、貴方がどこの誰であれ――ここには間もなく監査局が来て、貴方を連行するわ。言ったでしょう、この本部は、貴方のような「招かれざる者」を先に進ませないためにある」


 その時、廊下の向こう側から複数の足音が聞こえてきた。それは軍靴の行進のようで、僕はハッとして顔をそちらへ向ける。そこには軍服姿の死神が五人、武器を片手にこちらに向かって歩いてくる姿があった。


「丁度良いタイミングね」

「アリスさん。不審者の通報及び身柄確保のご協力ありがとうございます」


 先頭に立っていたガタイの良い死神が頭を下げる。アリスはそんな彼に会釈して、僕の身体を強引に引っ張り、彼等の足下に転がした。突然の展開に僕は目を回し、なすすべもなく監査局の死神によって腕をひとつに括られる。


「ちょっ、ぼ、僕が何をしたっていうんですか」

「何をしたもなにも、所属を騙る不審者に居場所はありません。大人しくついてきてもらいます」

「待ってください、僕は本当に東京支部の死神で……! 出張所、出張所に上司がいます。新宿の……なので、そこに連絡を」

「ふざけないで。とにかく、その身分証明書は没収するわ。どこのだれから盗んだものか知らないけれど、貴方が協会所属の死神じゃないのは明白よ。本部が拒絶したのがその証拠。大人しく捕まっておきなさい」


 そう言って、アリスは僕の手からピンバッジを奪い取った。「あとはよろしくね」と踵を返し、彼女の背中はどんどん小さくなっていく。


「……まってください!」


 彼女のことを追いかけようと身をよじったけれど、抵抗空しく僕の身体は数人の死神によって押さえつけられる。衝撃と共に頭が揺れたと思った瞬間、視界が意識と共に瞬く間にブラックアウトした。

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