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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
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幕間 追憶―ラケシス―

「ラケシス、アトロ、おはよう。今日もとっても良い朝ね」


 それが、三姉妹の長姉たるクロトの口癖だった。

 前提として冥界には朝がない。何処までも深い境界の闇と、中心部の空を貫く「回生の樹」が放つ光だけが、冥界の空の全てだ。だというのに、クロトは決まって仕事が終わると私とアトロポスにそう声を掛けてくる。

 今日もまた、監査局の本部にある休憩室で休む私とアトロポスに向かって、顕界での仕事を終えたクロトは満面の笑みでそう言った。


「クロト姉様。良い朝っていったって、この冥界に良い朝も悪い朝もないよ」


 アトロポスが飲みかけのコーヒーを傾けながら血色の良い唇を尖らせる。その納得いっていない顔を見て、クロトはふふん、と得意げに鼻を鳴らした。


「確かに、ここは顕界とは違うから。けれど、特に問題が起きることもなく業務が終わる。死神の活動時間が夜だというのなら、きっと今が冥界の朝に違いないわ」


 訳の分からないことを言いながら、クロトは私とアトロが座るテーブルのイスに腰掛けた。その手には、どこのものとも知れない紙袋が握られている。


「それはなんですか?」


 私が首を傾げると、クロトはアルファベットが書かれたその紙袋から徐に三つの包み紙を取り出した。途端、ふわりと甘い香りがコーヒーの苦い香りに混ざり合う。


「……クロト姉様。甘いもの、食べ過ぎでは? この前も『マメダイフク』とやらを買ってきていましたよね?」


 私の厳しい視線に気が付いてか、クロトはふい、と気まずそうに視線を逸らした。けれど反省の色も見せることなく、きらきらとその瞳を輝かせながら、彼女は包みを私たちに向けて掲げる。


「あれは和菓子よ。だからこれとは系統が違うの。これは今冥界で話題のカップケーキ。しかも新作よ。見て、チョコレートをふんだんに使った至高の一品。二人の分も買ってきたんだから。紅茶を淹れて、一緒に食べましょう」


 クロトが包み紙を広げると、そこにはふっくらとした焦茶色のケーキが三つ並んでいた。ココア生地に大きなチョコチップを混ぜ込んだそれは、如何にも甘そうな見た目をしている。クロト曰く、中はフォンダンショコラのようにとろりとしたチョコレートが入っているらしい。想像しただけで胃もたれしそうな甘さだ。


「……私は遠慮します」

「ええ、ラー姉様も一緒に食べようよ。特に急用があるわけじゃないんだよね?」


 二人の視線が私に集まる。どうにも気まずくなってしまって、今度は私が目を逸らした。


「甘いものがあまり好きではないんです。ビスケットとかクッキーとか、そういうものなら頂けますが。チョコレートとなると、少し……。二人で食べてしまって大丈夫ですよ」


 好きではない、というより、苦手に近かった。チョコチップクッキー程度の少量なら私にも食べられるだろうが、げんこつほどもあるこのカップケーキの構成要素が全て甘いチョコレートだと思うとぞっとしてしまう。今まではここまで甘ったるそうなものでは無かったからお茶で流し込めたが、今回はそうはいかないだろう。

 わざわざ買ってきてくれたというのに断るのは申し訳ないが、流石に苦手なものは苦手なので、私は小さく頭を垂れる。すると、クロトはハッと目を見開いて、私よりもさらに深く頭を下げた。


「……ごめんなさい、貴方の口に合うものも買ってくればよかったわ。妹の好みも分からないなんて姉失格ね」

「いえ。私の方こそ今まで黙っていましたし。それに、折角姉様が誘ってくださったのに」


 私が慌ててそう返すと、クロトは小さく首を横に振る。


「今度は貴方も食べられるものを用意するわね。確か、東ユーラシア協会の街には美味しい団子を作っている店があるらしいの。そこのみたらし団子は他と違って甘くないんですって」

「お気遣いありがとうございます、クロト姉様。ですが、私のことは気にしないでください。私は、姉様とアトロには好きなものを食べてほしいんです」


 コーヒーが半分ほど残ったマグカップを覗き込む。そこには、プラチナブロンドの髪を短く揃えた大人しい顔つきの女が映っていた。

 私はもともとアトロポスほど活発ではないし、クロトほど社交性がある性格ではない。この冥界に三姉妹として生み落とされてから、淡々と静かに――大好きな二人が楽しそうにしているのを眺めるのが好きだった。きっと、生まれつきそういう性分なのだ。


「ねえ、ラケシス」


 だからこそ、長姉にそんな寂しそうな顔をさせてしまうとは思わなかった。


「私はね、貴方の好きなものも食べてみたいの。貴方がどんな味を気に入るのか。それがとても気になるのよ」


 ふわり、と花が綻ぶような儚げで柔らかい表情で、クロトは続ける。


「私たちはもっと世界を知らなくては。世界の秩序を守る番犬として、ね。けれど、たった一人では見える景色は限られている。だからラケシス、貴方から見たこの世界を、私にも教えてくれるかしら」


 私は思わず言葉を呑んだ。

 クロトが自分自身の好きなものを見せてくるのは、そして、他人に意見を聞いてくるのは。きっと、彼女のこういう考え方によるものなのだろう。「ただ命令を下せばいい」とクロトのことを鬱陶しがる死神は多いが、その分懐いている部下も少なくない。

 彼女は自分の世界に自信を持っている。

 だからといって、彼女は決して、私の世界を笑わない。

 その安心感は、クロトばかりを優先し、自分を優先しなかった私の馬鹿らしさを実感させた。目の前の愛する姉は、私のことを大切に思ってくれているのだ、と。


「……そうですね。その甘くないダンゴとやらを、今度食べてみたいです」


 コーヒーを飲み干しながら私がそう言うと、クロトは「回生の樹」が放つ光のように顔を明るくさせた。姉妹の絆を感じさせる藤色の瞳を輝かせ、クロトははっと目を惹く笑みを浮かべる。


「ええ、任せて。焼きたてのみたらし団子と、それに合う美味しい緑茶を買ってくるから」

「はい、楽しみにしています」

「ラー姉様。カップケーキは食べなくても、紅茶は飲むでしょ?」

「もちろんだ。アトロ、お願いしても?」

「了解。少し待っててね」


 アトロポスは立ち上がり、休憩室に併設されたキッチンの戸棚からティーセットを取り出した。金色で縁取られた美しい白色のそれはクロトが顕界からのお土産として買ってきたもので、監査局のトップである三人のイニシャルがそれぞれのティーカップの底に彫られている特別製だ。アトロポスは手慣れた様子で紅茶の 缶を手に取ると、沸騰した湯で温めたティーポットに茶葉を入れる。そして白い湯気が立ち上る熱湯を、その中に勢いよく注ぎ入れた。手早くポットに蓋をして、こちらのテーブルまで持ってくる。

 次第に、鼻先をくすぐる芳醇な茶葉の香りが部屋中に広がった。


「アトロポスの紅茶は美味しいのよね。ラケシスのコーヒーも格別だわ」

「なら、クロト姉様はお菓子担当だね。それにしても、どうしてこんなにお店を知っているの? 冥界のお店も、私が知らないところばかりだし」

「それはやっぱり、いろいろな死神と話しているからよ。みたらし団子の話も、東ユーラシア死神協会の会長から聞いたの。アトロポスももっと協会の死神と話すと良いわ」

「……それは」


 アトロポスの顔があからさまに歪む。アトロポスは昔から人見知り――というよりも、監査局の死神以外を毛嫌いしている節があった。


「クロト姉様が関わりすぎなんだよ。私たちと協会の死神は違うんだから」


 アトロポスの言うように、監査局と協会の死神の間には絶対に超えられない壁があることは確かだ。それに、監査局は協会の違反行為を取り締まる冥府直属の組織でもある。協会の死神と仲良くしすぎることは、不必要な情や癒着を引き起こすのではないか、との懸念も捨てきれない。

 その点においては、私はアトロポスの考えに心中で賛成した。事実は違っていたとしても、必要以上に会話を交わすことは要らぬ疑念の種になる。監査局の権威や正当性には、一片の揺らぎすら許されないのだ。

 それでも、クロトの考えは違うようだった。クロトはティーポットの中にスプーンをいれ、ゆっくりと中身を混ぜながら、ただ零すように言葉を紡ぐ。


「そうね。私たちは彼等とは違う。けれど、いつか必ず――そんな彼等を理解する必要が出てくるわ。それがいつかはわからないけれど、その時は必ずやってくる。その時に、後悔しない選択をすることを忘れないで。私が言えるのはそれだけよ」


 つまみ上げられたスプーンから、一滴の赤い雫が垂れた。それは紅茶の水面に波紋を刻み、映ったクロトの姿を揺らめかせる。

 妙に何かを悟ったような言葉だった。しばらくの間私とアトロポスは何も言えなくなり、遠くを見つめるクロトのことを眺める。静寂に包まれた休憩室の中、窓から降り注ぐ「回生の樹」の明かりが、鼻筋の通っているクロトの横顔を照らしていた。

 その時、ぱん、と両手を合わせる音が鳴る。


「……さあ。早くお茶会を始めましょう。せっかくの紅茶が冷めてしまうわ」


 そう言って、その場を包みこんでいた静けさを終わらせるように、クロトはどこか寂しげに微笑んだ。








 そして、そんなやりとりをした数日後。

 私たちは、愛する姉が自室の中で倒れているのを発見した。その肉体は七歳程度の少女にまで縮み、床には彼女が買ってきたらしい茶菓子が散乱している。業務の合間の、一時間にも満たない休憩時間でのことだった。

 パリン、と何かが割れる音がした。足下が温かい何かに包まれるのを感じ、私はハッとして地面を見やる。散らかった石造りの床の上には、クロトが買ってきたあのティーセットが無残な姿になって紅茶の海に漂っていた。そこでようやく、自分がこの思い出の品を落としたことを理解する。


「……姉様!」


 アトロポスの悲鳴が聞こえた。アトロポスは自分の服が濡れるのも厭わずに、変わり果ててしまった姉に駆け寄って、必死にその肩を揺さぶり始める。


「姉様、姉様! 一体、なにがあったんですか……!」


 その声は涙で震えていて、酷く痛ましかった。私の思考はオーバーフローして、アトロポスの背中をただじっと眺めることしかできない。

―――なにがあった?

 必死に脳味噌を稼働させる。油を失ってきりきりと音をたてる機械のように、私の頭は上手く働かなかった。それでも、現場をじっと観察し、この場でなにが起こったのかを理解しようとする。

 クロトの部屋の前に立っていた見張りは倒れ、その肉体は既に崩壊を始めていた。私たち監査局の死神には、協会の死神と異なり「死」が存在する。魂が消え、情報が無くなる――それが死だ。では、クロトはどうなのだろうか? 少なくとも、クロトの肉体は消えていない。つまり、情報の欠損はあれど消失はしていないということだ。

 そしてこの状況から結論を導くなら、門番は何者かに殺されて、クロトも襲われたものの辛うじてその魂の一部を残した、ということだろうか。

――誰が?

 犯人は皆目見当がつかない。顕界を守るクロトを鬱陶しがることはあれど恨む人間なんてこの冥界にはそうそう居ないのだから。私やアトロポスならまだ分かる。協会の死神も、「果て」に流された死神も、私たち二人を恨んでいるはずだ。

――では、なんのために?

 私たちの姉だからか。それとも、監査局医療班のトップだからか。それとも、何か他に理由があるのか――訳が分からず、私はただ頭を回し続ける。それは目の前の現実から目を背けるためだったからかもしれないし、犯人捜しをする方が倒れた長姉を見るよりも楽だったからかもしれなかった。


「ラケシス姉様」


 アトロポスの発した力ない呼び声によって、私の思考はそこで止まる。顔を上げると、アトロポスはその丸い瞳からぽろぽろと涙をこぼしていた。


「医療班を呼ばないと。それと、犯人捜しも……」


 アトロポスは明らかに動揺している。クロトを抱き上げる手は震えていて、その姿はいつものアトロポスからは想像できないくらい頼りなく見えた。心の奥底が姉の助け船を欲したが、目の前の小さくなった姉の姿を見て、私ははっと我に返る。

――私がしっかりしないと。


「アトロは医療班を呼んでくるんだ。ただし、今日現場に出ていた医療班に限る。私はこの場を封鎖して、姉様を安全な場所に連れて行く」

「……安全な場所?」

「冥府の中央、冥界でもっとも崇高な場所。そして同時に、私たちの生まれ故郷でもある場所だ。そこなら、関係者以外立ち入ることはできない。監査局内に犯人がいないことが分かるまで、私はそこで姉様を匿う。アトロはその場所に医療班を連れてきてくれ。分かったな」


 私の指示に、アトロポスはその目に強い意志を宿しながら力強く頷いた。クロトの身体を私に預けた後すぐに駆け出したその背中を見送って、私は部屋の中をじっと見回す。

 まだなにか痕跡があるかもしれない。

 心臓がうるさかった。肺が呼吸を拒絶していた。軽い眩暈を感じながらも、私はひたすらに室内を観察し続ける。しかし、どれだけ目を凝らしても、そこにあるのは散らばったクロトの私物だけだった。

 ふと、視界の端に見慣れない紙袋が映り込む。もしやと思って片手を伸ばしその紙袋をつかみ取ると、そこからぼとりと何かが落ちた。


「……これは」


 茶色い焦げ目のついた、丸くてもちもちとしたものがいくつも串にささったもの。それが三本、赤い水たまりに浸かっていた。紅茶のものではないふわりと香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、私は思わず息を呑む。

 まさか。

 手を伸ばし、その串の一本をつかみ取る。紅茶が滴るそれは、確かに協会の街で見かけたことがあるものだった。


「……クロト姉様」


 嬉しいような、哀しいような。そんな訳の分からない感情が私の中を駆け巡る。腕の中の姉は未だその瞼を固く閉ざし、随分とあどけなくなったその顔を無防備に晒していた。そこにはかつての威厳も力強さもない。私が抱きかかえているのは、ただの無力で幼い少女であった。

 自分への怒りに苛まれながら、私は少女を抱きしめる。その肉体はまだ温かく、微弱に動く心臓が、その今にも消えてしまいそうなか弱い魂の実在を訴えていた。


「……まだ、姉様は消えていない。恐らく魂が切り取られただけ。姉様の魂は、この世界のどこかに必ず存在する」


 自身を鼓舞するように、長姉に誓いを立てるように、私は一人言葉を紡ぐ。


「必ず、元の姿に戻します。それまで貴女を守ります。例え何が立ちはだかろうと、貴女を襲った相手を見つけます。何があろうと、貴女の魂を取り返します。そうして、全てが丸く収まったなら」


 皆でお団子を食べましょう。

 決意と共に口に運んだみたらし団子は、想像よりも遙かに塩気が強かった。

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