抗体吸血鬼
ナナと一緒に帰ってきた……と思ったら大事件だ。メイが少し目を離した隙にフォンが、どこかに行ってしまったらしい。せっかく私が診療所に忍び込んでワクチンを持ってきたのに……
「ワ、ワクチンはここにあります!」
私は奪ってきたばかりのワクチンを取り出す。ナナとメイにそれぞれ渡した。私が自分自身で言う話ではないかもしれないが、この時ひどく慌てていた。手持ちの袋からワクチンを取り出すのにも手間取るほど手が震えていたのだ。
「全員ワクチンを持ちなさい、フォンを確保したらすぐにワクチンを打つこと。この廃坑から飛び出すくらいだから意識は無いと思っていいわ。それにすぐ近くにはサンコの村がある。吸血鬼が好んで入り込むとは思えないけど、もし村に入ったらかなり面倒なことになる」
メイの目が妙に鋭く感じたのが気になったが、彼女は誰よりもフォンの身を案じているはずだ。事実、彼女は私やナナよりも一足先に走り出した。
「ハン、私たちも探しに行きましょう……面倒な事になる前に!」
まるでメイの後を追うように私たちも出発した。ナナは競歩レベルにスピードを落としている。半人半鬼である私の体力に合わせてくれたようだ。
ひとつ気になったことがある。先程からナナは“面倒な事になる”と何回も言っている。確かにフォンが行方不明になったのは一大事だ。フォンが村に入り込んだらハンターは出動するだろう……そうなったら彼を救出するのは面倒になる。しかし……どうもナナが言う“面倒な事”は、私が思っているものとは違うような気がする。
「ナナさん、面倒なことって?」
一応、確認するために聞いてみた。
「面倒ったらありゃしないわよ!フォンが何故、居なくなったかわかる!?」
それは言われなくても分かる。ワクチンが切れて吸血鬼化が進行し、そしてわれを失ったのだ。メイは慌てていたので多くは聞き出せなかったが、これに決まっている。
「フォンは今までワクチンを接種しながら暮らしていた。ワクチンを使っているうちにフォンの体内にある寄生虫はワクチンの抗体を得ている……つまり」
走りながら喋っていたナナは、ここで少し息を整える。
「つまり、吸血鬼化したフォンに噛まれたら最後……ワクチンが効かない吸血鬼が拡散してしまう!」
「えぇ!?」
ワクチンの効かない寄生虫……そんな物が広まれば今のワクチンなんて意味がなくなってしまう。噛まれれば即、終了の二年前に逆戻りだ。今はフォンだけでもフォンが誰かに噛み付けば……この先は想像したくない。ただ幸運なのは今、ワクチンが効かない吸血鬼はフォンしかいない事だ。今ならその“面倒な事”になる前に対処できる。
「それだけじゃない、フォンは元半人半鬼の吸血鬼……他の吸血鬼よりも太陽熱に対する耐性も高いし、知恵もある。面倒くさいったらありゃしない」
ワクチンが効かないってだけでも大騒ぎなのに、ナナはオマケまでつけてくれた。
「まあ、村に入り込んだら、入り込んだらでハンターが犠牲者ゼロでフォンを倒しちゃえばいいのよ……あの女の前じゃあ到底言えないことだけどね」
だから今話したのか……そんなトコロは抜け目がない。そして今なら言える事、それはナナがワクチンを作り出そうとしたのはフォンを助けたいわけではなく、彼女の吸血鬼学者としての、ちょっとした正義感だったようだ。フォンが退治されてもいいといっている辺り、ちょっと歪んでいるような気がするが……
「多分だけど、フォン本人もこんな事になるとは予想していたはず。あの人、妙に薬学知識があったから……」
そういえば、ワクチン絡みの話をするときのフォンは、妙に専門家っぽい口ぶりだった。事実、ナナの話に付いていったのだから間違いない。メイだったら何か知っているかもしれないが彼女は先に行ってしまった。
少し気になることがある。ナナの言うとおり、フォンが吸血鬼化するとワクチンの効かない吸血鬼になる。ということが自分で分かっていたとするならば何故、自ら飛び出すような事をしたのだろうか?以前、フォンはこんなことを言っていた。
ワクチンが切れたときは……それは俺が消える時だ。どうせ俺が消えたとしても気に止める人はいない
ワクチンが切れたときは自分が消える時……そう言った。何故、彼は”吸血鬼になる”ではなく”消える”という表現を使ったのだろうか?
「ナナさん、半人半鬼を殺すにはどうしたらいいのですか?」
あまりにも変な質問、流石のナナもこちらを振り向き目を丸くしていた。
「おかしな事を聞くわねぇ……自分の事だから分かっていると思うけど、半人半鬼は太陽光じゃあ殺せないわ。殺すには……そうね、吸血鬼ハンターが持っているような武器が必要だわ」
私も以前、ケイラン村のハンターであるチェンに見せてもらった事がある。熱を溜め込む特殊な石を使った武器だ。火鉢や釜に入れたりすると火傷するくらいの熱が長時間、自足するらしい。ケイラン村に吸血鬼が入り込んだあの日も、きっと使っていたはずだ。
「もし、フォンに僅かでも意識があったのなら……」
「何よ、急にポエムめいたことを言い始めて……」
半人半気の負の拡散を止める。人から物を奪うことはもう止めた。ワクチンはもう使い切った。自分はもう吸血鬼になる。自分はワクチンが効かず、太陽光にも強い最悪の吸血鬼の一番手になる。もし私がフォンだったら……
「まさかフォンは、自分から殺されるために村に向かったんじゃ……」
「まさかぁ」
この近くだとサンコ村だ。以前、この村に襲撃したことがあるフォンはハンターの居る駐在所の位置も正確に分かるだろう。
「早く村に行きましょう!」
私はナナの手を引っ張った。多分、ナナにとっても”元半人半鬼の吸血鬼”なんて事例は初めてだろう。ナナはフォン個人を見ている、というよりもフォンを中心に巻き起こる物事を見ているようだ。多分これから起こることは専門家であるナナですら掴めていない。
サンコの村が見えてきた。今の時刻は夜、ちょうど夕食を頂く時間だ。本来なら星空の下に広がる静けさ、といったところだが妙に騒がしく感じる。それもその筈で村には明かりがついていた。明かりだけでない、ここからでも聞こえるくらい大きな声が聞こえてくるのだ。これは防災無線から発せられている声だ。
遠目から見てもわかるこの騒がしさ、とてもではないけれど平常とは思えない。炎のオレンジや煙の黒も見えない所を見ると何があったのかと考えてみれば……
「あ、あれは!?」
先に見つけたのはナナの方だった。ナナの指さす先に目を凝らすとその先には何やら光る物を持った人影……光るものが剣だとしたら間違いなくハンターだ。ここからでは距離が離れすぎており何をしているのか掴めないが、ハンターが走り回っているような事なんて獣か吸血鬼が村に入り込んだ時くらいだ。これは嫌な予感が的中するのも時間の問題。
「ここからじゃ、見えにくいわね……」
「いつものように木登りすればいいのでは?」
「この辺の木は上れそうにないわ、木登りが得意ってわけではないの」
その割にはしょっちゅう登っているような気がする。
「本当だったら村に入り込みたいところだけど、目立つわね……」
フォンが村に入り込んでいるとすれば村には外出禁止が言い渡されているはずだ。その中ノコノコと、よそ者が入り込んで見つかればこれ以上に目立つことはない。しかし、フォンを救出するには村に入らなければならないジレンマだ。
「村の様子を探りたいところだけどここで待機よ」
ナナは別に村に入り込むわけでも、村を一望できるような場所に移動するわけでもなかった。
「どうしてですか?」
「ここで待っていれば、そのうちメイが帰ってくるわ……多分、悪い顔をしてね」
思い出した……別にナナはフォンを助けようとはしていなかったのだ。ナナがフォンの事を気にかけているのは別にフォンの身を案じているわけではなく、単に”面倒な吸血鬼”の拡散を阻止するだけだ。フォンが退治されてもいいとさえ言っていた。村に入り込んだとしても犠牲者がいなければいいわけだ。
「ハンの言うとおり、フォンに少しでも意識があって自害しに村に行ったとするならば村人に被害は無い……私はフォンを信じることにするわ」
まるで死んでくれることを願っているようで私としてはちょっと気に食わない。しかし、私も言い返す言葉が見つからなかった。仮にワクチンが作れたとしても今のフォンでは効き目があるのかどうか怪しいところである。今でさえ二日に一回の頻度でワクチンを打たなければいけなかった程だから近いうちに半日に一回、一時間に一回と頻度が減っていき、最終的には全く効かなくなる日が来る。その時が来たら結局フォンを吸血鬼として扱わなければいけなくなる。ナナの言うとおり、ワクチンの効かない吸血鬼になると言うならばその被害は計り知れないものとなる。フォンを失うのは個人的に嫌だ。だけどフォン一人の犠牲で住むのであれば社会的に考えればその方がいい、実に悲しいことだがそれが合理的だった。
結局、メイがこの場に現れるのに1時間以上を要した。サンコの村の方角からよたよたとこちらに向かってくる影、それがメイであることに気がつくのに時間はかからなかった。
メイは背中に何かを背負っている。その大きさから人か、吸血鬼のものであることは、これまた想像に容易かった。つまり……彼女の背負っているものは……
「ただいま」
ただそれだけ、ただそれだけをメイは言って背負っているもの……フォンを下ろした。彼は小さな砂埃を立てて地面に転がり込むだけで自ら動くことは無い、ずっとそのままだった。
「分からない、分からない……」
妙に強く感じる声だった。メイは私を見ているわけでも七七を見ているわけでもなく、そして横たわるフォンを見ているわけでもなかった。「分からない」と連呼するメイだが私だってメイが何を考えているのか分からない。
「何が分からないのよ……大人ならはっきりと喋りなさい」
私よりも先にナナが痺れを切らしたようだ。私よりもナナの方が年上のはずだが我慢できなかったのはナナのほうが先だった。ちょっと大人げない。
ナナの問いにメイは答えることはなかった。ただ黙り込んで地面を見ている。フォンの体から流れる緑色の血を見ている。
「何でフォンが……自分から村に入り込んで自分から死ぬような真似をしたのよ……」
ようやく顔を上げたメイの瞳に涙は無かった。光すら無かった。なにか重要なものが無いような目だった。




