リーダー
「あの、ナナさん……もう走れます」
「腰抜けさん、もう大丈夫なの?」
大きくな木の上に登ったせいで高所恐怖症の私は見事に腰を抜かした。私の筋肉も骨も震えるばかりで全くいうことを聞かなかったのだ。おかげで私はナナの背中にお世話になるという非常に恥ずかしい目に合った。私たちの他に誰も見ているものがいないとは言え、十五になっておんぶは恥ずかしい。
だけどもう大丈夫だ。もう腰の筋肉は震えていない、骨も筋肉もしっかりと硬くなっている。私はナナの背中から飛び降りて自分の足で走った。走り初めで足が少しもつれたが、すぐにバランスを整えた。大丈夫、ちゃんと走れそうだ。
私より少し先を走るナナの表情は不思議なものだった。真剣そのもの、思いつめているようにも見えるが、子供のようにはしゃいでいるようにも見える。そんな顔を見ていると彼女がどんな気持ちで走っているのか分からなかった。「興味よ」と彼女はよく口にする。確かに彼女は興味で動いている……それは間違いないことだ。彼女が今、キラめいた目をしているのは正しく興味に突き動かされている証拠、だけど彼女の口元は強く噛み締めている。これはなんだろうか?この妙に焦っているというか使命感というか……ともかく興味以外のものを感じさせる。そんな不思議な表情だった。
「はあはあ……ナナさんちょっと、早いですよぉ」
早くも私は息切れを起こしていた。腸のあたりも締め付けられる痛みが襲っている。ナナはよりも長い距離を、しかも私を背負って走っていたのになんてザマだろうか?別に体力に自信があった訳ではないけれどもここまで低かった覚えはない。
「あ、しまった。吸血鬼は息切れしやすいのよね……また背中貸すわ!」
「い、いえ……自分で走ります」
吸血鬼が息切れしやすい……初耳だった。内心ではナナの背中を借りて休みたい、それは間違いないのだが、私は一度「走れる」と言って自らナナの背中から離れている身、それなのにまた背中を借りるなんて恥ずかしいこの上ないことだ。だから私は我慢した。フルマラソンのゴール直前のような苦しさだ。だけどもう少し、もう少しでゴールだからと自分に言い聞かせて走る。自分の体に鞭を打った。ナナは少しだけ走る速度を落としてくれた。ありがたいことだが私にとってその配慮は恥ずかしかった。
「吸血鬼!ここにリーダーがいるのね!」
私より5メートル前を行くナナが吸血鬼を補足した。ずっと下を向いて走っていた私も搾りかすのような顔で正面を見る。人間の吸血鬼が複数、結構な数がいる。
「ナナさん、そのまま突っ込んだら危ない!」
吸血鬼は本来人を避ける、だけど群れた吸血鬼は好戦的になる。これはナナが教えてくれたことだ。当然、教え主であるナナはそれを理解している。そう思っていたのに彼女は走る速度を緩めないし方向も変えなかった。
「ナナさん!」
流石に吸血鬼がナナに向かって飛び出した。そしてようやくナナは吸血鬼から距離を取るように回り込んだのだ。
「ちょっ、吸血鬼が襲ってくるなんて聞いてないわよ!」
もしかしたら彼女は天然なのだろうか?ほんの数十分前まで彼女は「群れた吸血鬼が好戦的になっている」と言ったのである。という事は吸血鬼に近づいたら襲われるって事は分かっているはずなのに、彼女は心底驚いていた。
「何やっているんですかもう!」
ようやく私も追いついたが、私はもう動ける体力が残されていなかった。足元は地べただというのに座り込んで口を開けっぱにした。服や体が汚れるのはもうどうでもいい事、それよりも体を休めたかった。夜特有の冷たい空気が気道から肺に入り込んでまた出て行った。体はもう動きそうにない。
吸血鬼に囲まれたナナは助けられない、そう思った。だけど不思議なことにあれだけ好戦的だった吸血鬼の動きがピタリと止まったのだ。そしてそのまま一箇所に固まっていく……その目線の先に私は驚くべき光景を見た。吸血鬼の軍団もう何体いるのか分からないほどウジャウジャいる。先ほど見た吸血鬼たちはほんの一部だったのだ。その吸血鬼軍団の中央最前列、一際異彩を放っている吸血鬼が二体いた。一体は男、もう一体は女の吸血鬼だ。
男の吸血鬼は体の右半分が吸血鬼なのにもかかわらず左半分が人間のままだった。その横に寄り添うように立っている女の吸血鬼、一瞬人間のように見えるが大きな青い斑点が体中に広がっている。目は吸血鬼特有の赤色だった。
「驚いた。喋る吸血鬼が俺たちの他にもいたとは……」
「あなたたち、何の用?」
喋る吸血鬼、まさか彼らは……半人半鬼だ。私と同じ半人半鬼がまさに、しかも二人も目の前に立っていたのだ。
「半人半鬼が二人、貴方たちがオウファ村を襲撃した吸血鬼軍団のリーダーなのね。まさかダブルリーダーと来たとは驚きだわ……」
静かに語るナナの目はここにあらずであった。ダブルリーダーを見ているというより多分、以前に出会ったという半人半鬼のことを思い出したのだろう……
「貴方はハンターには見えないわね。喋る吸血鬼を連れている所を見るとどことなく想像は付くけれど……あなた誰?」
二体のうちの片方、女の半人半鬼が言う。後ろは相変わらず吸血鬼の大群で異様な光景だった。
「名乗るときは自分から名乗るものじゃないかしら?」
バッサリと切り込むように言い返したナナに女の半人半鬼はたじろいだ。そして彼女は隣にいる男の吸血鬼に助けを求めるように見つめている。男はゆっくり頷いてから一歩前に出て口を開いた。
「俺はフォンだ」
ナナと同じくらいの年のはずなのにまるでシワだらけの老人のような声だった。フォンと名乗るその男、静かに語るその口調はどこか寂しそうであった。
「メイ……」
こちらもまた寂しそうな口調であった。大人びた体つきからして年はフォンと同じくらいだと思うが、素っ気ない自己紹介も相まって妙に幼く感じた。
「私はナナ、吸血鬼学者よ。そっちはハン、お察しの通り、あなたたちと同じ半人半鬼よ」
頼んでもいないのにナナは私の分まで名乗った。そして案の定というか彼女はフルネームでは名乗らなかった、しかしそれは相手も同じだ。お互い探りを入れたいのか?単純に信用できないのか?この中で最年少の私にはどう話したらいいのかわからなかった。
「ハンです」
だからとりあえず名前だけは言っておいた。この流れだと名乗るのが吉のようだ。
「それで、何しに来たんだ?」
「興味よ」
またこれだ……興味、彼女はそれで動いている。それはもう分かりきったことだった。だけどそれだけじゃない、それだけじゃないような気がするんだ。
「吸血鬼の専門家が興味で俺たちの元を訪れる。これは傑作だな、俺たちを笑いに来たのか?それともバラバラに切り裂いて解剖でもするのか?それともあるはずもない正義心で俺たちを退治しに来たか?」
「貴方たちに会いに来たのは単なる興味よ。別に私は半人半鬼を笑うわけでも解剖するわけでも、そして殺しに来たわけでもない。ただ貴方たちの行き着く先を見てみたいだけ……願わくば今すぐこの吸血鬼集団を止めたいところだけどね」
ようやくナナは本心を少しだけ心中を晒した。”吸血鬼集団を止めたい”それが彼女の目的、だけど彼女は力による実力行使には出なかった。あくまでも話し合い、あのイケイケな性格の割には随分と平和的だった。
「あなたに私の何が分かると思っているのよ」
メイが私にもナナにも顔を向けずに下を向いたまま喋った。顔を向けていないのに言葉だけが刺さる感覚がある。言葉が毬栗と化して投げ出されていく、痛々しかった。私はただその投げられた言葉を避けるわけでもなく、ただ受けるだけだった。
「少なくとも貴方よりは知っているわよ、あなたの状態はね……別に吸血鬼のリーダーになるのは構わないけど私の経験上、メイもフォンもこのまま行くと潰れるわよ」
メイの言葉が毬栗ならばナナの言葉はナイフだった。メイとフォンを交互に睨みつけて投げつけるそのナイフは直球だ。カーブでもフォークでもない直球ストレートで投げ出さてれいく。私はそれを見ているだけだった。それにしても「このまま行くと潰れる」とナナは言った。それはどういう意味なのか?今の私には分からない……
「おい、ナナといったか?確かに吸血鬼の知識じゃあ君の方が上だろう。俺も“半人半鬼”なんて言葉は初めて聞いた。だがそれで分かった気になるなよ!俺は吸血鬼に噛まれてワクチンを打った。だけど気がつけばこの姿、俺はこの姿になって全てを失った!家族も友人も故郷も夢も全部全部全部失った!メイだってそうだ。彼女もこの姿になって全部失った。お前達に何がわかるか!?」
フォンの声は大きかった。体の右半分は吸血鬼、左半分は人間……吸血鬼側の体は震え上がり人間側の体は血管が浮き上がっている。何よりも彼の表情を見れば一目瞭然、目は血走っている。起こっている、だけど震えている。怒りと悲しみ、混ざり合っているかけじゃないけどその二つの感情が体から溢れている。
「そんなの私だって同じですよ!」
ようやく私は声を出すことができた。ずっと三人のやり取りを見ているだけだったけどここでようやく声を出せた。フォンの全てを失ったという言葉は私にもわかる、だから私は声を上げた。だって私も故郷から出てきた身だ。私はこの姿になって村から出ていくことにした。最初はちょっとした家出のつもりだった。だけど駐在所の前のあの言い争い、あの言葉の中には私を弁護する声もあっただろう……だけどあの時の私には、そして今の私にとってもあの言葉すべてが私を否定する言葉の塊にしか聞こえかなかった。
きっとフォンもメイも私と同じ半人半鬼なら私と同じ目にあったんだ。だから言える。フォンもメイも同じだと自信を持って言える。
「私もケイラン村でこの姿になった。私だって辛かったけど……数日前に半人半鬼になった私とは違って貴方たちは私よりずっと先輩だ。きっと私よりも辛い経験をしているはず……だからわかります。全部じゃないけど少なくとも私は貴方たちを責めたりしない……だけど吸血鬼に村を襲わせるのは……間違っている!」
言い切った。自分の言っていることが正しいのか全くわからないけど言い切った。声は震えていた。足も震えていた。自分でもわからないけど怖かったらしい……
「ケイラン村……まさか」
「フォン、彼女は……」
私がケイラン村の名前を出したとたん、リーダーの二人はその落ち着きをなくした。あぁ、やっぱりだ。予想はしていたけれども……彼らがケイラン村に吸血鬼を放ったんだ。そして私に噛み付いた吸血鬼もフォンとメイ、仕向けたもの……つまり彼らは私を半人半鬼にさせた。その結論になる。
本当ならフォンとメイは私にとって憎むべき相手だ。この二人が指揮した吸血鬼軍団によって私がどんな目にあったか……だけど蓋を開けてみれば彼らも私と同じ半人半鬼だった。だからだろうか?怒りも憎しみも湧いてこない、だからこの姿を誰のせいにするのか?その答えは“自分のせいにする”と私の中で決着をつけた。
ナナは私に何を見せたかったのだろうか?彼女は確かに興味で動いている。私と一緒に行動することにしたのも、吸血鬼軍団を追いかけけることをしたのも結局は興味だ。だけど彼女の言うことは正しい……事実、吸血鬼のリーダーがいるという予想を見事的中させた。そして彼女はそのリーダーに「このまま行くと潰れる」と言ったのだ。多分だけどその予想も当たる。
では私はこれからどのように行動しようか?私は半人半鬼だしフォウやメイの話を聞く限り定住の地は見つかりそうにない、半人半鬼は半人半鬼同士で暮らしていくしかないのだ。だからフォンとメイは行動を共にしている。
このまま行くと潰れる。
ナナがあの二人に言った言葉がもう一度再生された。ということは彼らと行動すれば私も潰れる、そういうことになる。
それでも私はフォンとメイと行動したいと思っていた。たとえ彼らが私を半人半鬼にした人間であろうとだ。彼らは私と同じ境遇だから憎いはずなのにそれ以上に親近感が湧いていくる。傷の舐め合い……理由はそれだけかもしれないけどそれでもいいやと、彼らについていく事で私は村に吸血鬼を放つだろうし新たな半人半鬼を生むだろう。それでも私は彼らについていくこと、それ以外で生きていく自信がなかった。人間が人間同士で暮らすのと同じように私は半人半鬼どうしで暮す、それが一番いい方法なんだと感じた。




