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魔王(仮) 〜さすらう最強商人と異世界暗殺者は、いつか同じ空を見上げたい〜  作者: 斜ー


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 平穏な時間は長くは続かなかった。


 翌朝。アストリッドが完全に体調を取り戻した矢先、ランベルの街全体を揺るがすほどの激しい震動が襲った。


 ──ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!


「な、なんだ!? 地震か!?」


「外を見ろ! 空が……空が割れているぞ!!」


 街から上がる悲鳴。


 カディルとアストリッドが宿屋を飛び出し、広場へ駆けつけると、そこには異様な光景が広がっていた。


 ランベルの上空。青空の真ん中に、巨大な紫色の「亀裂」が入っていた。


 まるで空間そのものがひび割れたかのように、漆黒の空間が世界を蝕んでいく。そして、その亀裂から、次々と『何か』が降り注いできた。


「グォォォォオオオン!!」


 昨夜、平原に現れた結晶狼だけではない。


 巨大な岩石の皮膚を持つゴーレム、口から酸を吐く異形の飛竜──さらには、真っ黒な鎧に身を包み、殺気立った瞳をした『人間たちの軍勢』。


「あれは……ディアネルの正規軍!?」


 アストリッドが息を飲む。


 次元の亀裂から現れた黒い鎧の騎士たちが、容赦なくランベルの市街地へと雪崩れ込んでいった。


 露店が踏みにじられ、悲鳴を上げて逃げまどう市民たちに、容赦なく黒い剣が振り下ろされる。


「奪え! この豊穣な世界の資源を、食糧を、魔力を根こそぎ奪い取れ!」


「我が国ディアネルの存亡がかかっている! 抵抗する者は全て斬り捨てよ!」


 敵の指揮官と思われる男が、惨烈な号令を上げた。


 過酷な環境で生き残るため、なりふり構わず異世界を侵略しに来たディアネルの本隊。それは、単なるモンスターの暴走などではなく、国家としての『侵略戦争』の始まりだった。


「う、うわーっ……助けてくれぇ!」


 カディルたちが昨日食事をした料理店の店主が、腰を抜かして転んでいた。その頭上に、黒い鎧の兵士が不吉な大剣を振り上げる。


「店主さん!!」


 カディルが叫んだ。


 瞬間、カディルの姿が消えた。


 ──ドカァンッ!!


 爆音と共に、黒い鎧の兵士が遥か彼方の城壁まで吹き飛び、石造りの壁にめり込んだ。


 カディルは店主を抱き起こし、優しく背中を叩いた。


「大丈夫ですか!? 早くギルドの地下シェルターへ逃げてください!」


「カ、カディルさん……あ、ありがとう……!」


 逃げ惑う店主を見送ったカディルは、立ち上がり、街を荒らし回るディアネルの軍勢を見渡した。


 彼の顔から、いつもの柔らかく優しい笑みは消えていた。


 だが、そこに怒りや憎悪はなかった。あるのは、溢れんばかりの『悲しみ』だった。


 カディルは前へ踏み出し、両手を広げて大声で叫んだ。


「やめてください!! 争うのはやめてください!!」


 その声は、戦場の喧騒を切り裂いて、敵味方問わず全員の耳に響き渡った。


「あなたたちの世界が大変なのは分かります! 大地が荒れ果て、作物が育たなくて、食べ物がなくて、苦しいのは分かります! でも……だからって、誰かの日常を奪っていい理由にはならないはずです!」


 カディルは真剣な眼差しで、ディアネル軍の兵士たちを見つめた。


「話し合いましょう! 僕たちは、分かり合えるはずです! この世界の食べ物や資源を、どうやってあなた達の世界へ届けるか……商人として、僕が最高の取引の方法を考えます! だから……お願いですから、武器を収めてください!!」


 それは、どこまでもカディルらしい、純粋すぎる平和への訴えだった。


 力でねじ伏せるのではなく、商人として「お互いが笑顔になれる道」を模索しようとする、彼の信念そのものだった。


 だが──。


「……ははっ、戯言を」


 ディアネル軍の指揮官は、冷笑を浮かべて唾を吐き捨てた。


「話し合いだと? 分け合うだと? 随分とめでたい頭をしているな! 飢えで明日死ぬかもしれない我が国の民に、そんな甘い事を言っている時間があると思うのか!!」


「ですが──」


「奪うのだ! 豊かなお前たちから、全てを奪い取って我が国を満たす! それ以外に、我が国が生き残る道など存在しないのだ!!」


 指揮官の合図と共に、数千の兵士と魔獣が一斉にカディルへと襲いかかった。


 話し合いの拒絶。


「奪わなければ生き残れない」という、過酷な世界の理不尽な現実。


「カディル!」


 アストリッドがカディルの隣に駆け寄り、吸魔の短剣(魔力を吸う機能は失ったものの、かろうじて短剣として使える)を構えた。


「無駄だ、カディル! あの者たちは……今のディアネルの王に洗脳され、飢餓に狂わされている! やらなければ……やらなければ、この世界が滅ぼされるぞ!」


 アストリッドの声には、焦りと悲痛が混ざっていた。


 自分の母国の兵士たちと、自分が救われたこの世界。二つの世界の狭間で、彼女の心も張り裂けそうだった。


 しかし、カディルは真っ直ぐ前を向く。


「いいえ……諦めません」


 そして静かに、剣を抜いた。


「二つの世界を……みんなを救う道を、僕は絶対に諦めません!」


 ──ズバッ!!


 カディルの一振りが、迫りくる魔獣の群れを一掃した。


 そしてカディルの振るう剣の凄まじい風圧が吹き荒れ、数十人の兵士が一瞬で戦闘不能となり、地面に転がる。


 だが、カディルは『誰一人として殺さなかった』。


 急所を外し、刃の腹で打ち払い、戦闘不能にするだけに留めている。


 それが、彼の抵抗だった。


 自分を害しようとする敵に対してすら、命を奪わず、救う道を模索し続ける──どこまでも甘く、どこまでも尊い「勇者」の戦い。


 しかし、現実はどこまでも残酷だった。


 一頭の魔獣を倒せば、次元の亀裂から三頭の魔獣が現れる。


 ランベルの街を守り切ったとしても、遠くの空を見上げれば、隣の領地、さらにその向こうの王国全域に、無数の次元の亀裂が広がり始めていた。


 きりがないのだ。


 こちらがどれだけ防衛戦を続け、優しさを貫こうと、向こう側の「侵略の元」を絶たない限り、この世界はジリ貧で削り取られ、いつか崩壊する。


「はぁ……はぁ……」


 数千の敵を一人で押し返したカディルが、剣を地面に突き立て、息を吐いた。


 その身体には傷一つない。だが、彼の瞳には、絶望的なまでの「悟り」が宿り始めていた。


(守るだけじゃ……ダメなのか?)


 カディルは自分の手を見つめた。


 この世界の人々の笑顔を守りたい。


 アストリッドの母国の人々も、本当は救いたい。


 だが、このまま守りに徹していれば、いつかこの世界の日常は崩壊し、大切な人々が死んでいく。


 ならば──どうする?


 カディルは静かに顔を上げ、上空に浮かぶ最大の次元の亀裂を見つめた。


 その漆黒の亀裂の向こう側──アストリッドの母国『ディアネル』が存在する場所を。


 彼の全身から放たれる気配が、変わった。


 先ほどまでの、あたたかく優しいオーラではない。


 絶対に退かないという、冷徹なまでの固い決意。世界をまるごと背負い込むような、圧倒的なまでの覚悟。


 周囲にいたディアネル軍の兵士たちが、その気配を感じ取った瞬間、ガタガタと恐怖で膝を震わせ始めた。


「な……なんだ……あの男は……!?」


「あの男だ……あの男が……魔王だ……!」


「我が国に……ディアネルに一人で乗り込む気だ……!!」


 兵士たちの叫び。


 彼らにとって、自分たちの絶対的な侵攻を一人で防ぎながら、いまや次元の門を超えて本拠地へ乗り込んでこようとしているカディルの姿は──まさに、ディアネルに絶望をもたらす『絶壊の魔王』そのものだった。


(ああ……そうか)


 アストリッドは、カディルの横顔を見つめながら、全てを理解した。


(お前は守りたかっただけなのだな……誰も傷つけることなく……)


 歴史の記録にあった『魔王』の正体。


 それは自身の犠牲を厭わず、理不尽な構造そのものを壊そうとする──「優しすぎる勇者の最後の苦渋の選択」だったのだ。


「カディル……」


 アストリッドは、カディルの隣へ一歩踏み出した。


 カディルは振返り、申し訳なさそうに薄く笑った。


「ごめんなさい、アストリッドさん。僕……やっぱり、魔王になっちゃうみたいですね……甘かったです。守っているだけじゃ、誰も救えない」


 アストリッドは「まだ(仮)、だがな」と言ってくすりと笑みを浮かべる。


「僕は、異世界……ディアネルへ行きます。あなたの国へ乗り込んで……侵攻を指揮している王様を、止めます」


 カディルは固い決意を込めて言った。


「たとえ……ディアネルの人たち全員から、恐怖の『魔王』だと恨まれることになったとしても」


 その言葉を聞いたアストリッドは、静かに首を振った。


 そして、腰から壊れかけた『吸魔の短剣』を抜き取ると、迷うことなく地面へと投げ捨てた。


 カシャン、と虚しい音を立てて短剣が転がる。


 それは、彼女が過去の呪縛と、母国の偽りの王との決別を告げる音だった。


「私は……お前と共にいく、カディル」


「アストリッドさん……でも、ディアネルはあなたの母国で……」


「私の母国は、民を捨て駒にし、他国を脅かす歪んだ世界だ」


 アストリッドはカディルの手を、しっかりと握り返した。


「お前は言ったはずだ。『二つの世界を、みんなを救う道を探したい』と。ならば、私はその言葉を信じる。お前が『魔王』と呼ばれるなら、私はその魔王に寄り添う唯一の従者になろう」


 アストリッドの瞳に、迷いは一切なかった。


「私がディアネルを案内する……行こう、カディル。私たちの、本当の旅へ」


 カディルは一瞬目を見開き──やがて、心からの感謝を込めて、優しく微笑んだ。


「はい! 行きましょう、アストリッドさん!」


 二人は手を繋ぎ、空に大きく開いた次元の亀裂へと向かって、力強く一歩を踏み出した。


 こうして、最強の行商人と、異世界から来た暗殺者の二人は、世界を越える旅へと旅立った。


 いつか、二つの世界が平和になり、同じ空を見上げられる、その日を信じて──。



〜完〜



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