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「──覚悟しろ! 魔王!」
言葉の威勢だけは、確かに大層なものだった。
夕闇が迫る宿場町『クルム』の郊外。街道から外れた鬱蒼とした林の中で、不意に空間が歪み、一人の美しい女性が躍り出てきた。
着古した黒革の鎧に身を包み、その手には禍々しい紫色の光を帯びた一振りの短剣。鋭い視線と艶やかな銀髪を夜風になびかせ、彼女は一直線に目の前の男へと突撃する。
しかし──。
「うわっ、と!?」
カディル・アーネストが反射的に身を引いた、まさにその直後のことだった。
大見得を切って飛び出してきた女性は、カディルの足元にあった何でもない木の根っこに盛大に足を引っ掛けた。
「きゃふっ!?」
情けない悲鳴と共に、勢い余って前のめりにダイブする女性。
手にしていた紫色の短剣は空を切って放り投げられ、カディルがとっさに伸ばした手に「ぽすん」とあっけなく収まると、一瞬だけ紫色に明滅した。当の女性はといえば、地面の落ち葉の中に顔面から突き刺さり、両脚をパタパタと惨めにはためかせている。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
カディルは手の中の短剣と地面に埋まっている女性を交互に見つめた。
短剣の刃からは、明らかに「刺されば即死」と言わんばかりの物々しい魔力が漂っている。だが、肝心の持ち主の有様がこれでは、危機感を持とうにも無理というものだった。
「うぅ……うぅ、痛たたっ! な、何という卑劣なトラップ! 魔王め、すでに私の足元に罠を仕掛けていたとは……!」
顔を上げ、泥と枯れ葉を顔中に付けた女性が、カディルをキッと睨みつける。
カディルは苦笑いしながら、手にした短剣を柄の方から彼女に差し出した。
「いや、ただの木の根っこですけど……それに、僕を『魔王』って呼びました? 人違いじゃないですかね。僕はしがない行商人……というほど商いは上手くいってないですけどね」
「だ、騙されんぞ! その顔、その佇まい……間違いなくお前はカディル・アーネスト! 数年後、次元の壁を穿ち、我が故郷『ディアネル』を焦土に変える恐るべき『絶壊の魔王』だ!」
女性はカディルの手から短剣をひったくるように奪い返すと、再び構えを取ろうとした。
しかし、その直後。
つーっと女性の額から冷や汗が吹き出し、膝がガクガクと震え始めた。
「……あ、あれ? 魔力が……力が、入ら……」
「あっ、危ない!」
ガクリと膝から崩れ落ちた女性を、カディルは慌てて受け止めた。
腕の中に収まった女性の身体は驚くほど軽く、そしてひどく冷たくなっていた。呼吸は浅く荒く、まぶたは重そうに落ちかけている。
「私としたことが……異世界転移の……負荷で……魔力を……使い果た……っ……」
そのまま女性は、カディルの腕の中で完全に意識を失ってしまった。
「はぁ……一体なんなんだ、この人は……」
薄暗くなった林の中で、カディルは深々とため息をついた。
自分を殺しに来たらしい謎の刺客。けれど、こんな行き倒れ同然の女性をこのまま放置して立ち去るほど、カディル・アーネストという青年は薄情ではなかった。
カディルが宿泊している小さな宿屋の部屋に連れ帰り、ベッドに寝かせてから小一時間ほどが経過した頃。
窓の外はすっかり夜の闇に包まれ、部屋の中にはオイルランプのぬくもりのある明かりが、ゆらゆらと室内を照らしていた。
「……ん……っ」
ベッドの上で、銀髪の女性がうっすらと目を開けた。
天井の木目をぼんやりと見つめた後、自分が柔らかい布団の中にいることに気づき、弾かれたように跳ね起きる。
「はっ!? ここは──」
「あ、起きましたか。体調はどうですか?」
部屋の片隅にある丸テーブルで、旅の道具の手入れをしていたカディルが振り返った。
女性は一瞬で警戒色を強め、腰の短剣へ手を伸ばす──が、武器はすでにテーブルの上にまとめて置かれていた。
「くっ……! 私を生かしておいて何をするつもりだ! 冷酷非道な魔王め! 拷問でも何でもするがいい! 私は絶対に屈しないぞ!」
「いや、拷問なんて、そんな物騒なことしませんよ……とりあえず、お腹空いてるでしょう。温かいスープでもどうですか? さっき買ってきましたので」
カディルが差し出したのは、湯気が立つ木彫りのスープカップだった。野菜と干し肉がたっぷり入った、素朴だが食欲を唆る香りが漂う一品だ。
「……っ!」
女性の腹が、盛大に「ぐううぅぅ」と鳴り響いた。
女性は真っ赤になってお腹を押さえ、カディルを睨みつける。
「ど、毒殺!? 毒殺するつもりか!? そんな手にはかからんぞ!」
「毒なんて入れてませんよ。ほら、僕が先に飲んで見せますから」
カディルが木匙でスープをすくい、自分の口に運んで飲み込んでみせる。
「あぁ、美味しい……ね? 大丈夫でしょう。取り敢えず、あなたの名前、聞いてもいいですか? 僕はカディルです」
「……アストリッド」
不本意そうに、女性──アストリッドは名乗った。
彼女は慎重な手つきでカディルからスープカップを受け取ると、ふーふーと息を吹きかけながら一口、口に運んだ。その瞬間、固く結ばれていた彼女の表情が、一気に解けていく。
「美味しい……っ……こんな上質な肉と野菜のスープ、私の世界では貴族しか食えん……」
「それはよかった。じっくり煮込んであって美味しいんですよね、ここの宿屋のスープ」
カディルはホッとしたように微笑み、アストリッドの向かいの椅子に腰掛けた。
アストリッドは夢中でスープを平らげると、ふぅと息を吐き、改めてカディルを鋭い目つきで見つめ直した。
「……礼を言うつもりはないぞ……カディル。私はお前を殺すためにここへ来たのだからな」
「さっきも言ってましたね……僕が『魔王』になるとか」
「そうだ」と、アストリッドは真剣な眼差しで頷いた。
「私の故郷は、この世界とは異なる世界線に存在する世界『ディアネル』。そこは異次元の扉を開いて現れた絶壊の魔王によって、国家の半分以上が焦土と化した。その魔王こそが……お前なのだ」
「いやぁ……」カディルは困ったように眉をひそめた。
「そうは言っても僕は剣の腕だって人並みですし、魔法だって生活魔法が少し使える程度ですよ? 世界を滅ぼすなんて、大それたことできるわけがありません」
「今は、な」
アストリッドは身を乗り出した。
「お前がどうやってその絶大な力を手に入れるのか、私には分からん。だが、歴史の記録にははっきりと刻まれているのだ。『漆黒の衣を纏い、冷酷な眼差しで次元を破る男、カディル・アーネスト』とな。だから私は、組織の総力を挙げた秘術で異世界転移を果たし、まだ力を得る前のお前を討つためにここへ来たのだ!」
カディルはアストリッドの言葉を静かに聞いていた。
彼女の瞳には、一切の偽りがない。本気で自分の世界を守るために、命がけでここへ渡ってきたのだということが、その熱量から痛いほど伝わってきた。
「……なるほど。アストリッドさんの事情はわかりました」
「分かったなら、おとなしく首を差し出──」
「でも、一つ疑問があるんです」
カディルは指を一本立てた。
「アストリッドさん、さっき『魔力を使い果たした』って言っていましたけど、僕を殺したあと、どうやって自分の世界に帰るつもりなんですか?」
「なっ……!?」
アストリッドの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「そ、それは……任務を完了すれば、転移の術式が自動的に再発動して……」
「でも、魔力が空っぽなんですよね? それでも、その転移の術式は発動するんですか? もし、失敗したら? それに、この世界のこと、何も知らないですよね? ここから一番近い大きな街への行き方は?」
「うぐっ……! え、その、街道を……東へ進めば……」
「ここはクルムの街道の東端ですよ。ここからさらに東に行ったら、凶暴なモンスターが跋扈する魔の森に入っちゃいます」
「な……ッ!?」
アストリッドは絶句した。
彼女の額から再び汗がダラダラと流れ落ちる。
(し、しまった……! 転移の衝撃で方向感覚が狂っていた上に、そもそも私は……私は極度の方向音痴だった……! 魔力は底をつき、この世界の通貨も持っていない……!)
顔面を蒼白にして震えるアストリッドを見て、カディルは深々とため息をついた。
異世界から単身乗り込んで来たと言う割には、あまりにも隙が多すぎる。ポンコツという言葉すら生ぬるいほどだった。
「……明日、僕はここを出て、隣国の王都へ向かう予定なんです」
「え……?」
「もしよかったら、王都まで一緒に行きませんか?」
カディルからの思いもよらない提案に、アストリッドは目を丸くした。
「ば、ばかなのかお前は!? 私はお前の命を狙う刺客なのだぞ!? 一緒に旅などしたら、寝首をかかれるかもしれんのだぞ!?」
「でも、一人じゃこの街から出ることすらできないでしょう? 食事も満足に出来ずに、裏道で盗賊に捕まるか、モンスターに襲われるのが落ちですよ……それに……」
カディルは柔らかく微笑んだ。
「あなたが本当に僕を殺すような怖い人に見えないんです。だから、僕が本当に『世界を滅ぼす魔王』になるのかどうか、隣でじっくり確かめてみたらどうですか?」
「っ……!」
アストリッドは言葉を失った。
目の前の青年は、心の底から親身になって自分の事をを心配してくれている。殺意を向けられた相手に対して、どうしてこんな暖かい眼を向けることができるのか。ディアネルの激しい生存競争の中で生きてきたアストリッドには、彼の善意が信じがたかった。
(不気味な奴め! これも私を油断させるための偽りの姿なのか? だとしたら、あまりにも巧妙すぎる……)
アストリッドはぎゅっと拳を握り締め、カディルを睨みつけた。
「……いいだろう。後悔するなよ、カディル・アーネスト。お前の提案に乗ってやる。だが勘違いするな! これはお前を監視し、隙を見て確実に暗殺するための手段に過ぎん!」
「はいはい。よろしくお願いしますね、アストリッドさん」
こうして、魔王と、彼を狙う暗殺者の、歪で奇妙な二人旅が幕を開けたのである。
私の作品を見つけ、ページを開いていただき、本当にありがとうございます!
この度、「小説家になろう」様の企画「秋の文芸展2026」に参加してみたいと思います。テーマは「旅」ということで以前から温めていた物語がちょうど「旅」というテーマにマッチしているのではと思い、この物語を執筆しております。
私なんかがと思いながらも、少しでも多くの方に見てもらえれば嬉しいなと、前向きにチャレンジしてみます。
最後まで、楽しみながら読んでいただければ幸いです!
よろしくお願いいたします。




