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第64話 変わらない手を、つないでいたくて(芽吹月十四日・午後)

 政務の余韻が残る午後。  姫様はひとつ深い息をついて、控室の椅子に腰を下ろした。


 私はその隣に控え、そっとティーカップを差し出す。


 「ありがとうございます、アイリス」


 「こちらは、“風のざわめき”という名にしてみました」


 「……今日はそういう気分?」


 「はい。……意味深ですか?」


 姫様は笑うでもなく、ただやさしい顔でカップを受け取った。


 「いい名前。空気の揺れが、音になる前の感覚」


 「まさにそれを、表現したつもりでした」


 ティーカップから立ち上る湯気。  この部屋の中だけは、政務室とは別の空気が流れていた。



 けれど、油断はできなかった。


 午後の回廊に出たとき、また同じ侍女がこちらをちらと見た。  その視線の先には、私ではなく姫様がいた。


 まるで、“お飾り”として眺めているかのように。


 (私がここにいることで、姫様に陰が落ちるのだとしたら)


 そんな考えが頭をよぎる。  だが、思考を断ち切るように姫様の声が響いた。


 「ねえ、アイリス。……少し、気分転換しない?」


 「気分転換、ですか?」


 「中庭に。……あなたと話したいの」


 その声に、私はただ「はい」と頷いた。



 昼下がりの中庭は、少し風が強かった。


 花々は揺れ、陽射しはやや淡く、それでも空は晴れていた。


 「最近、ずっと考えているの。私たちは“こうしていられる”のは、いつまでなんだろうって」


 「姫様……」


 「あなたが来てから、私は変わったと思う。……でも、それを“変わってはいけない”と見る人もいる」


 私は、姫様の隣に座りながら答える。


 「変わることが、悪いこととは限りません。……姫様がご自身で選んだことなら、きっと」


 「そうね。そう思いたい」


 その時、姫様の指先が、私の手の甲に触れた。


 「少しだけ……こうしていてもいい?」


 「……はい」


 そっと、手を重ねる。


 昼の光の下、ふたりの影が静かに寄り添った。



 その後、回廊に戻ると、またカレンとすれ違った。


 「……アイリス様。お時間のあるとき、少しお話できますか?」


 「……はい」


 姫様に見送られたあと、私はカレンに連れられて別室に通された。


 その扉が閉じられた瞬間、部屋の空気が変わった気がした。


 「……ご無礼を承知で申し上げます」


 カレンは淡々と、しかしまっすぐに言葉を紡いだ。


 「あなたは……姫様に“選ばれて”いる。ですが、あなたがそこに甘えれば、姫様が批判の矢面に立つことになります」


 「……甘えているつもりはありません」


 「それはあなたの“つもり”でしかないのです」


 静かな、けれど容赦のない言葉。


 「姫様のために、あなたが何を選ぶのか。それが問われるときが、きっと来ます」


 私は黙って頷いた。  その意味の重さを、まだ完全には理解できていなくても。



 夕方。  私は姫様の私室に戻った。


 「おかえり、アイリス。……顔、少し険しいわよ?」


 「少し、考えることがありまして」


 「うん。……無理に言わなくていい。あなたがここに戻ってきてくれたことが、なによりうれしいから」


 「……ありがとうございます」


 姫様の笑顔。  それを見た瞬間、私は“迷うこと”より“守りたい”という想いを強くした。


 “付き人”として。  “誰か”として。


 そのすべてを超えて、この手を離したくないと思った。




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