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第65話 迷いと確信のあいだに(芽吹月十四日・夜)

 夜の帳が城を包み込む頃。  私は姫様の私室の中で、静かに紅茶を淹れていた。


 今日の茶葉は、昨日とは少し違う。  柔らかい香りに、ほんのりとした苦味を足したもの。


 「……“揺れる想い”とでも、名付けましょうか」


 そんな呟きに、自分でも少し笑ってしまう。


 けれど、それは決して冗談ではなくて。  今の私の胸の内を、そのまま映しているようだった。



 カップを両手で包み込むようにして持ち、私は姫様の隣に座る。


 姫様は、窓の外を見つめていた。  夜の空に浮かぶ星は、どこか冷たく、けれど確かに瞬いている。


 「……明日、少しだけ席を外すことになりそう」


 「外出ですか?」


 「ええ。政務とは別に、私的な要件があって。あなたには言っておきたくて」


 「ありがとうございます。……わたくしも同行を」


 「ううん、大丈夫よ。少し、一人で動いた方がいい内容なの」


 姫様の声はやさしい。  けれどその瞳の奥にある静かな決意に、私はそれ以上何も言えなかった。


 「……お気をつけてください」


 「うん。でも、すぐ戻るわ。あなたが待っていてくれるから」


 その言葉に、私は小さく微笑んだ。



 夜が更ける頃、姫様は先に眠りについた。


 私は私室に戻らず、その場に残った。  机の上で冷めたままの紅茶に、指先で触れる。


 (……私は、本当に“守れている”のだろうか)


 カレンの言葉が、脳裏に蘇る。  “あなたがそこに甘えれば、姫様が批判の矢面に立つ”


 私は姫様に選ばれた。  それは光栄で、幸福で、誇らしいこと。


 けれど、その重さに応えるには、まだ足りないものがある。


 ──そしてその“足りなさ”は、私だけの問題ではないのだと、薄々感じ始めていた。



 翌朝早く。  私は一人で厨房へ向かった。


 姫様が出発する前に、何かひとつでも出来ることをと思い、朝の紅茶を用意することにした。


 誰もいない厨房。  朝靄の中、湯気が静かに立ちのぼる。


 (私に、できることは何か)


 紅茶を注ぎながら、自問自答を繰り返す。


 カレンの言葉も、姫様の優しさも、周囲の視線も。  すべてが胸の中で渦巻いていた。


 けれど──


 それでも、私はこの紅茶を淹れる。  姫様のために。


 その想いだけは、迷わなかった。



 部屋に戻ると、姫様はすでに支度を整えていた。


 「……早いのね、アイリス」


 「紅茶を、お淹れしました」


 「うれしい。……じゃあ、出発の前にいただくわ」


 ふたりで並んで座り、静かに紅茶を口にする。


 「今日の味、ちょっと違う?」


 「……はい。“誓いの朝”という名にしてみました」


 「……それ、すごくいい名前ね」


 姫様は微笑み、そして立ち上がった。


 「では、行ってまいります。……ただの用事よ。でも、帰ってきたら──」


 「“ふたり分”の時間を、また」


 「ええ。約束」


 姫様は扉を出て行った。


 その背中を見送ったあと、私はカップを片付けながら小さく呟いた。


 「約束、ですね……」


 それは、私にとって祈りにも似た言葉だった。  何が起きても、あの人の笑顔を守りたい。


 私は、今日という一日を、胸の奥で静かに握りしめた。




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