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第57話 付き人としての第一歩(芽吹月十三日・午前)

 芽吹月十三日、朝。  私はいつもと違う場所──王城の正面棟、政務官の執務室前の広間に立っていた。


 付き人となった初日。  紅茶の時間とは異なる、“公式な付き添い”の一日が始まる。


 胸元には昨日渡された任命書。  銀のスプーンは、お守りのようにポケットに忍ばせている。


 (失礼のないように、落ち着いて)


 私は自分に言い聞かせながら、姫様が来られるのを待っていた。


 やがて、足音が近づいてきて──


 「待たせたわね、アイリス」


 姫様は淡い紫の礼装に身を包み、髪をゆるく結い上げていた。  政務のある日の姿は、紅茶の時間とは違う、どこか凛とした美しさを帯びている。


 「おはようございます、姫様。準備は整っております」


 「うん。今日からよろしくね、“私の付き人”」


 姫様の声は、やさしく、それでいて誇らしげだった。


 私は胸に手を当て、深く一礼した。


 「……精一杯、務めさせていただきます」



 午前中は会議の傍らで、議事録の補佐と書状の受け渡し。  姫様の動きに遅れぬよう、静かに、けれど正確に。


 王城内を歩く道も、姫様と並んで歩くのはこれが初めてだった。  足音をそろえ、息を合わせ、必要なときだけそっと声をかける。


 会議の間、私は周囲の言葉を丁寧に聞き取りながら、姫様の表情にも意識を向けていた。  頷き、書き、目を伏せる姫様。  ひとつひとつの所作が、美しく、そして毅然としていた。


 (こんな近くで、姫様のすべてを見つめることになるなんて)


 少し前の自分には、想像もできなかった未来だ。


 会議の終盤、ふと視線を上げた姫様と目が合った。  ほんの一瞬だったが、彼女は微笑んでくれた。


 (……見てくださっていた)


 そのたった一度の笑みに、胸の奥がすっとあたたかくなる。



 公務が終わったあとは、昼食も姫様とともに。


 食堂の奥、いつもの紅茶とは違う、政務関係者用の個室にふたりで座る。  食事が運ばれる間、私は自然とテーブルの端を拭き、ナプキンを整えていた。


 「午前の書状、完璧だったわ。あなたの補佐、助かった」


 「ありがとうございます。姫様のご指示が的確でしたので」


 「でも……」


 姫様は、少し悪戯っぽく微笑んだ。


 「一番うれしかったのは、視線を上げたとき、あなたがすぐそこにいたこと」


 私は驚きに小さく息をのんだ。  けれどすぐに視線を落とし、静かに頷く。


 「私も……同じ気持ちでした」


 昼食の合間、姫様はふと小声で、しかしはっきりと言った。


 「……本当に、あなたにして良かった。付き人」


 その声には、政務の緊張を少し解いたような柔らかさがあった。


 私の中で、緊張と喜びが交差する。


 昼食を終えるころ、姫様はゆっくりと椅子を引きながら言った。


 「午後は、私室に戻る予定。……あなたも、そばにいてくれる?」


 「はい。どこまでも」


 姫様の頬が、ほんの少しだけ緩んだ。  その表情が、午後の陽射しよりもやさしく感じられた。


 午後の光が差し込む窓辺で、ふたりだけの静かな時間が流れていた。  紅茶がなくても、やさしさの香りに包まれていた。




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