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13/42

13 答えは





 翌朝、ルクレツィアは足首に白い包帯を巻いて登校した。


 ――実際には怪我なんてしていない。ヴァレリオが上手に受け止めてくれたので。


 やや足を引きずる演技をしながら、学園の門をくぐり、廊下を抜けて教室へ向かう。周囲の生徒たちは、いつものように遠巻きだった。


 教室の扉を開けた瞬間、室内のざわめきが一拍だけ止まる。


 ルクレツィアは何事もない顔で中へ入り、そしてすぐに見つけた。


 教室の中央付近。窓から差し込む朝の光の中で、コルネリアがリカルド王子の隣に立っている。


 目が合った瞬間、コルネリアの肩がびくりと揺れる。

 怯え。そして安堵。


(――なんてことでしょう。それでは、自白しているようなものですわ、コルネリア様)


 ルクレツィアはふわりと微笑んだ。

 そして、スカートの端を摘み、優雅に一礼する。


「おはようございます、コルネリア様」


 柔らかく、丁寧に、何一つ含みなどないような声で。

 コルネリアの顔色が、見る間に青くなっていく。


 ――公爵令嬢とは言え、コルネリアもまだ少女ということだろう。大人のような腹芸はできない。


「…………?」


 コルネリアの異変に気づいたのか、隣のリカルドが眉をひそめる。

 彼の視線がふと下がり、ルクレツィアの足元で止まった。


「その足は?」


 ルクレツィアは一瞬だけコルネリアを見て、それから困ったように笑った。


「階段から足を滑らせてしまいまして……でも、治る怪我でよかったです」


 わざとゆっくり言う。

 教室の空気が、じわりと張りつめていくのがわかった。


「ただ、家のものがずいぶん心配してしまって、困っているんです」


 その一言に、リカルドの喉が小さく鳴る。


「そ、それは、大変だろうね……」


 ぎこちない返事だった。

 その横で、コルネリアは今にも倒れそうなほど青ざめている。


 ルクレツィアは小首を傾げた。


「どうなさいました、コルネリア様?」

「……え……」

「顔色が悪いです。保健室で休まれた方がいいかもしれません。ご一緒しましょうか?」


 一歩、距離を詰める。


 コルネリアは目を見開き、後ずさりしかけた。だが背後には机があり、逃げ場がない。


 ルクレツィアはにこやかに続ける。


「――階段から落ちてしまったら、大変ですから」


 ぴしりと、見えないひびが入るような音がした気がした。


 コルネリアの唇が震える。

 指先までがくがくと揺れていて、もう扇で顔を隠す余裕すらない。


「……い、命だけは……」


 物騒な命乞いに、教室の空気が凍りつく。


 張り詰めた沈黙の中で、先に動いたのはリカルドだった。


「――コルネリア、君はまさか……」


 震えた声。

 信じられないものを見る目で、婚約者を見つめている。


 コルネリアはぎゅっと目を閉じ、それから絞り出すように叫んだ。


「……だって、リカルド様が……! アルディーニになんて頼ろうとするから!」


 その声は高く、教室中に響いた。


 息を呑む気配が一斉に広がる。

 誰も動けない。誰も口を挟めない。


 リカルドの顔から血の気が引いた。


「……なんて、ことを……君は、誓約法を知っていて――」


 その言葉に、ルクレツィアははっとした。


 ――そうだ。これは、ただの嫉妬だけではない。


 もちろん嫉妬もあったのだろう。けれどそれだけなら、ここまで怯え、ここまで取り乱すだろうか。


 王族、公爵家、侯爵家。

 この学園は、表向きは平等を掲げていても、その内側には貴族やファミリアの思惑が細い糸のように張り巡らされている。小さく縮められた勢力争いの場なのだ。


 だが――ルクレツィアは、そんなことを考えたくなかった。

 せめて学園の中だけは、平穏であってほしい。


 誓約法は、そのためにある。

 ならば、自分もまたその秩序を壊してはならない。


 ルクレツィアは静かに息を吸った。


「何もありません」


 リカルドもコルネリアも、はっとしてルクレツィアを見る。

 ルクレツィアは穏やかに微笑んだ。


「ねえ、コルネリア様?」


 コルネリアは怯えたまま、ぎこちなく顔を上げる。


「わたくしはただ、階段で足を滑らせただけです」


 その言葉に、コルネリアの瞳が大きく揺れた。

 恐怖の中に、戸惑いが混ざる。


「――やはりお顔の色が悪いですわ、コルネリア様。保健室までご一緒しますわ」


 ルクレツィアはもう一歩だけ近づいた。


「だってわたくしたち、お友達でしょう?」


 教室は、しんと静まり返っていた。


 その言葉の意味を、誰もすぐには飲み込めなかったのだろう。

 コルネリアだけが、震える唇を何度か開いては閉じ、やがて涙の滲んだ目でルクレツィアを見返した。


「…………」


 声にならない。

 ただ小さく、小さく頷く。


「あ、ありがとう……でも、大丈夫ですわ……」


 ルクレツィアは微笑んだ。


「そうですか。無理はなさらないでくださいね」


 その瞬間、教室の空気は変わった。


 誰もがルクレツィアを見ている。

 怯えと、驚きと、理解できないものを見る目で。


 けれどルクレツィアだけは、変わらず優雅だった。


 包帯を巻いた足で静かに席へ向かい、何事もなかったように椅子を引いて腰を下ろす。

 心臓は少し速く打っていたが、それでも顔には出さなかった。


 ――答えは、沈黙。


 何も言わず、何も奪わず、ただ相手に自分が何をしたのか思い知らせる。


 ルクレツィアは机の上に手を重ね、窓の外から差し込む朝の光を見つめた。




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