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第3話:鶏の千本ノック


 命からがら戦場を逃げ出した俺は、限界が来るまで全速力で走った。走れなくなったら無心で歩き続け、果たしてどのくらい移動したのだろう。


 ふと立ち止まって辺りを見てみると、褐色の地面から一転、石化したように色を失った木々が浮かぶ不気味な湖の近くにいた。


 それは南アフリカのタンザニアにあるナトロン湖を思わせる光景で、対岸が見えないほど巨大な湖が赤い水を張って広がっている。生き物がいるような気配はなく、時が止まったかのように静かだ。


 途端に、一人で居ることに不安を覚えた。腕時計は午後三時を示している。夏場なのであと四時間ほどは明るいだろうが、それはここが地球だった場合の話だ。異世界にいる以上、これまでの常識をベースに判断してはいけない。


「誰か、誰かいませんか?!」


 俺の呼び声は、反響しながら樹間を響き渡った。すると、あちこちで無数の羽ばたきが起こり、近くの木が枝葉を揺らす。身構えていると、彫刻のように白い枝の隙間から一羽の鶏が姿を見せた。


「コケェエエエエ!!」

「うわっ?! ってなんだ鶏かよ……」


 しかしよく見ると、只の鶏ではないようだった。赤い瞳はルビーのように怪しく光り、炎を思わせる鶏冠は大きく波打っている。黄色と黒色の警戒色に染まる両脚の先には鋭い爪が伸び、鉄色に染まる嘴は獲物の骨まで砕かんばかりの光沢を鋭く放つ。


「なんだコイツら……」


 一羽だけではなく複数いるようで、振り返ると周囲を囲まれていた。「コッコッコッコ」と頭を前後に揺らしながら、徐々に距離を詰めてくる。走って逃げようにも、足はとっくに限界を迎えている。


「えっと、これはヤバいか……?」


 鶏たちの目には、獲物を狙う獣の怪しい光が宿っていた。迎え撃つしかなさそうだ。何か武器になりそうなものはないかと、近くに落ちている枯れ木に手を伸ばす。石のように固い枝を竹刀のように構え、今にも飛び掛かってきそうな怪鶏に鋭い視線を向けた。


「ふぅ……」


 怪鶏も俺の敵意を読み取ったのか、激しく羽根をばたつかせると、臨戦態勢に入った。枝を振り回そうにも、石化している所為か見た目よりも重く、傷を負った腕では扱いづらい。


「コケェェエ!」

「うぉぉおおおおっ!」


 飛びかかってくる怪鶏に対して隙だらけの大振り。そんな俺に奴らは微塵も脅威を感じていないようで、獲物を弄ぶように襲ってきた。


 ジリジリと後退すると、不意に地面の感触が変わった。視線を下げると、いつの間にか湖の畔まで迫っていた。粘土のようにぬかるんだ地面は滑りやすく、踏ん張りが利かないため動きが鈍くなる。それを好機とみたのか、怪鶏たちが一斉に飛びかかってきた。


「コケェエエエッ!!」

「くそっ!」


 バランスを崩しながらも、バットを振る要領で木の枝を振り回した。しかし、野球経験のない俺には、魔球の如く動き回る怪鶏を正確に捉えることは難しい。空を切る豪快なスイング音だけが虚しく響き、相手の攻撃だけを受け続ける。


「コケコォオオオオッ!!」

「痛っ!」


 鋭い爪に引っ掻かれ、全身に細かい切り傷が走る。水の中なら追って来れないだろうと、湖の中に飛び込もう振り返った瞬間、血のように赤い水面がブクブクと泡を吹いた。明らかに入ったらヤバいやつだとわかる。波打ちながら異様な煙を放つ湖の光景に、湖に逃げ込むのは本当に最後の手段だと考え直す。


 しかし、このまま無作為に枝を振り回していても、悪戯に体力を消耗するだけだ。何か手だてはないか。必死に頭をガードしながら、俺は怪鶏の動きを観察した。異形の姿であることに囚われていたが、所詮は鶏なのか、動きは直線的で個々の攻撃パターンは予想しやすい。


「コケコッー!」

「うぉおりゃぁぁあ!」


 複数体を一気に相手にするのではなく、一個体に的を絞ってフルスイングした。羽ばたきながら突っ込んできた怪鶏の横っ面に強烈な一撃をお見舞いし、ようやくクリーンヒットが生まれる。


「ゴケッ!?」

「よっしゃぁああ!」


 潰れた声を出し、放物線を描きながら吹き飛んだ怪鶏は、そのまま湖の中に着水した。その瞬間、爆発するように水面が暴れたかと思うと、怪鶏の姿はたちまち見えなくなった。


 っ?!


 ピラニアのような肉食動物でも潜んでいるのだろうか。ほんの数秒で何事もなかったかのように静寂が戻ると、後には食べられなかった骨と羽が浮かんでいる。あのまま湖の中に逃げていたら、俺の方があんな風になっていたのかもしれない。


 怪鶏たちは一羽やられた程度では怯む様子がなく、俺がぞっとしている間も、怪鶏たちの攻撃は続いた。むしろ、俺が一方的に蹂躙される存在ではないと認識を改めたようで、より激しい集団攻撃を仕掛けてくる。


 その動きは一段と速くなり、本気を隠していたようだ。とは言え、ワンパターンで動き回っている事に変わりはない。


「うりゃぁああああ!!」

「ゴゲェッ?!」


 タイミングさえ見極めれば、ヒットを量産する事は可能だ。豪速球に空振りをすることも増えたが、寧ろ逆に、バントのように適切な位置に構えているだけで、向こうからぶつかりに来てくれる。相対的な運動量が増したばかりに、俺がバットを力一杯振るわなくてもその衝撃は十分に大きい。


「ジャストォォオオオオ!」


 雄叫びとともに、軽快とは言い難い鈍い音を響かせる。ファールボールのように打ち上がった怪鶏たちは、次々と湖に飲み込まれていった。気づけば怪鶏は、残り数える程まで減っている。


 奴らのスピードは仲間が減る度に加速しており、既にピークに達していた。もはや普通の鶏が出せる移動速度ではなく、動きを目で追うことはできても、身体を反応させることはできない。時速160キロを打てるプロ野球選手でも、時速300キロのストレートに対しては、なんとかバットを当てられるようなものだ。


「コケェエエッ!!」

「クッソ……」


 しかし俺は、野球経験のない普通の高校生だ。もはや構えているだけでは力が足りず、簡単に弾かれてしまう。鉄色の嘴を武器にした体当たり攻撃に、俺は防戦一方を強いられ始めた。


「流石に厳しいか……」


 打ち返せないならと攻撃の勢いをどうにか受け流しているが、怪鶏の身を挺した体当たりは身体がのけぞる程の衝撃がある。盾のように使っていた木の枝は、その度にボロボロに削れていき、砕け散ってしまうのは時間の問題だった。


 次の武器になりそうな物は落ちていないか。猛攻に耐えながら地面を探っていると、湖に喰われた怪鶏の残骸が陸地に打ち上がっているのを見つけた。原型は殆どなく、身体の一部分のみが残っている。


 それは嘴や爪といった硬い部位ばかりで、奴らも武器として使っていたパーツだ。その色味通りに、鉄のような金属でできているのだろう。骨と肉をなくして、装飾品のように散らばっている。


 体力的にも、大きな得物を振り回す余力はない。しかし、素手で立ち向かえるほど、易しい相手でもないことは明白だ。いよいよ限界を迎えた木の枝が、突撃によって弾けた瞬間、俺は地面に飛びついた。手を伸ばした先の嘴が、どう役に立つのかはわからない。しかし、直感を信じて指先にはめてみる。思った通り、サイズ感はピッタリだ。


 フィンガーリングのように右手の指先を武装した俺は、サイドステップの要領で次の突撃を躱すと、そのすれ違い様に右腕を振り上げた。鋭い嘴の切先が怪鶏の皮に引っ掛かり、筋肉をスッと裂いていく感触が指先に伝わる。


「どうだっ?!」

「ギョエェェエッ?!」


 甲高い悲鳴が背中越しに聞こえた。狙い通り、カウンターが巧く首元に入ったようだ。振り返ると、血飛沫を飛ばしながら走っていた怪鶏が勢いよく地面に転がり、少しの痙攣の後に動かなくなった。


「これならいけるっ……!!」


 爪を構えた俺は、次の攻撃に備えた。しかし、ビギナーズラックは最初の攻撃だけで、カウンターは中々決まらない。まともに受け止めたら最後、身体の一部を持って行かれそうな程の勢いに、全身が緊張して動きが硬くなっているのだ。回避行動に専念するのが精一杯で、反撃が間に合わない。


 外道だと気は引けるが、俺は先ほど倒した怪鶏に手を伸ばした。脚をつかんで振り回すと、流石の奴らも死んだ仲間には容易に攻撃できないようだ。


 しかし、時間稼ぎも長くは保たない。次の一手を考えつくよりも先に、死体の重さに腕が支えきれなくなった。地面に落とした死体を盾にするが、次の一撃でもろとも吹き飛ばされた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 恐怖と疲労と緊張で、呼吸が荒くなっている。限界を超えた足にはいよいよ力が入らなくなり、ぬかるんだ足元に滑って体勢が崩れた。


 そこへすかさず、白い弾丸が赤い閃光を残して真っ直ぐ突っ込んでくる。




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